第4話姫、怒る
リリィに連れられて路地裏を進む。現在のアネモネは下着姿だ。大通りを行かないのはその配慮ゆえだろう。しかし、たった数分前の暴行を思い出すこの薄暗さとゴミの散乱した道の汚さは見るだけでも怖気が走る。そのため、アネモネは下を向き、極力目を開かないように注意していた。右へ曲がり、左へ曲がる。すると突然光が差した。昼時が過ぎても未だ明るい陽光を浴びる。つい顔を上げるとそこにはある建物があった。
「アネモネちゃん、着いたよ」
導かれた先は教会だった。レンガで作られた壁を白い柱が支えている。手入れがされているのか傍にある花壇には色とりどりの花が咲いている。しかし、城と比べれば当たり前だが見劣りする。この教会を見たアネモネの最初の言葉はやはり、失礼極まりない一言であった。
「ボロボロじゃない」
さすがのリリィもこの言葉には目を丸くし、だが、無理に笑みを作る。困っている人を助けたいというリリィの優しさからである。リリィの住む場所を侮辱されたが、他に行くところもないため、苦笑いを浮かべながらアネモネを案内する。
リリィに招かれ、アネモネは石畳、と言っても雑草に埋もれてしまいそうだが、そこを通って扉の前へ赴く。扉を開け、リリィと共に中へ入ると木製のベンチが左右に六列あり、ところどころに子供たちが座っておしゃべりをしたり、木の枝で遊んだりしている。だが、アネモネたちが入ってくるのと同時に彼らは手を止めてこちらへと走ってくる。
「リリィ姉ちゃんだ!」「リリィ姉ちゃん、おかえり」「リリィ姉、遅い!」
子供たちは喜びをあらわにしてリリィの元に集まった。おかげでリリィは身動き一つできずにいる。アネモネは勢いに気圧され呆然と様子を見ていた。
「待って待って。買って来たものをキッチンに運ばないといけないから」
「そんなの後でいいじゃん! それよりもお庭でかくれんぼしよう」
「だめよ! 今日は私たちと遊ぶの!」
リリィは食べ物の詰まった紙袋を頭上に持ち上げ、半歩ずつ奥へと進んでいく。
リリィが囲まれている光景を眺めていると、一人の少年がアネモネに近付いてきた。
「お前、この街の人? そんな格好のやつを俺は見たことない。だっせー」
あまりにも不躾な言葉。大人であれば子供の戯言程度の認識で笑い飛ばすのだろう。しかし、アネモネは大人ではない。わがままな姫である。ましてや、昼から何も口にしておらず、さらに窃盗に足して身ぐるみまで剥がされたのだ。そんな彼女が失礼な言葉を嬉々として吐く少年にどうして良い顔ができようか。
アネモネは子供を睨み、口を開く。
「話しかけてこないで」
この一言で賑やかな子供たちが皆一様に黙り込み、アネモネのことを見た。リリィを含め、室内の少年少女たちの目は驚きに満ちている。しかし、静寂を作り上げた当の本人はそっぽを向き、我関せずといった態度で室内を歩く。エントランスの右奥に扉があったのだ。そこを通ればキッチンに行くことができるかもしれない。つまり、昼から何も食べていない自分の腹を満たすことができるかもしれない。希望を胸に愚妃はドアを開ける。
後に取り残された子供たちはリリィに視線を移す。
「誰だよ、あいつ。いきなり睨んできたぞ」
「私、あの人怖い」
アネモネに話しかけた少年が悪態をつく。続いて、熊のぬいぐるみを抱えた少女も苦手意識を持っていることを告白した。人とのコミュニケーションは第一印象でほぼ確定するものらしい。最初がこれでは、先が思いやられるとリリィは危惧した。だから、不束だが助け船を出すことにした。
「ごめんね。アネモネちゃん、食べる物どころか、着る服もないの。いろいろあったみたいだから、ものすごく不機嫌なの。あんまり、機嫌を損ねることを言っちゃだめだよ。特に、サイネリア、いい?」
アネモネに話しかけた少年が自らを指さし、驚いたように目を見開く。
「俺? なんで俺なんだよ」
「さっき、アネモネちゃんに失礼なことを言ったでしょ? それが原因であなたを睨んだの。だから、あんまり変なことを言って、怖い思いをするのはサイネリアだよ」
「……はーい」
サイネリアと呼ばれた少年は舌打ちをした。けれど、概ねわかってはくれたようだ。リリィは一度息を吐き、アネモネの後を追いかけた。
アネモネは廊下を抜け、一番奥の扉を開いた。廊下には合計して五つの扉があり、一つは廊下の端にある、先ほど子供たちがいたエントランスへと繋がっている。残り四つの扉は全て左にあり、順に一つずつドアノブを捻ってみたが、一つ目と二つ目のドアは開かず、三つ目のドアは二段ベッドが多く並ぶ部屋、寝室へと続いていた。しかし、現在のアネモネの目的とは合致しない部屋であったため、早急に扉を閉め、現在、四つ目の扉から部屋へ入った。
四つ目の部屋は長いテーブルが一つと十数個の椅子が並べられている。暗くて良く見えない一室。だが、よくよく目を凝らすとテーブルの奥にアネモネの背より数センチ高い程度の壁があった。部屋の横幅と比べると半分程度しかない壁は奥にもう一つ部屋があることを示唆している。愚妃は迷いなく一歩踏み出し、遠慮なくずかずかと部屋を横断する。到着するとともに、足音が木製の床を踏んだものではなくなり、石造りの床であることがわかった。瞼を半分下ろし、力を入れて一室を覗くと手動のポンプとその下に桶があり、その奥に台所と大きめな鍋、おたまにめん棒がある。その左には食器棚と思われるものがあり、どれもこれもがアネモネにとっては古臭く感じるものである。
アネモネは不満を露にし、食べ物を探して、桶や鍋の中をのぞき込んだり、食器棚を勝手に開けたりした。当然だが、食べ物の類は一つも見つからなかった。イライラしてさして大きくもない食器棚を蹴る。
「アネモネちゃん?」
食器棚を蹴った音にか、はたまた食べ物を探しているときに出た物音からか、いや、ただ単に廊下と食堂を隔てるドアが開いていたから気づいたのだろう、リリィが部屋へと入ってきた。そのまま歩みを進め、アネモネの名前を呼びながらキッチンを覗き込む。左手に膨らんだ紙袋、右手に明かりの灯ったランプを握っている。
「やっと見つけた。もう、あんなことを言っちゃいけないじゃない」
対面早々、アネモネを叱ってくる。アネモネは顔をしかめ、しかし、素知らぬ顔で言葉を返す。
「どのこと? 私は失礼なことを言ってくるあいつにそれ相応の態度で言い返しただけだもん。悪いことをした覚えはないわ」
リリィはため息を吐いた。まだ、一緒に暮らすと決まったわけではないが、自分が連れてきた少女である。自分に似たものを感じたから見逃すことができなかったものの、そのせいで教会内の雰囲気が悪くなってしまうのはごめんこうむりたい。
「アネモネちゃん、たしかに、私の勝手で連れてきたけど、あなたがずっとその態度だと私たちが困るの。どうにかできないかな」
アネモネはリリィから紙袋を受け取る。その気になってくれたのかと期待したが、恩人の少女の期待を裏切り、愚妃は中にある野菜を一つ一つ物色し、後ろに放り投げる。幸い、地面に落ちた野菜は根菜であったため、ほっと胸を撫でおろす。
「食べれるものがない! 私、お腹が減って減って仕方がないのに! もう背中とお腹がくっつきそうなほど空腹なのに!」
「それは全部、夕食の食べ物。お腹が減ってるのは分かったけど、夕方になるまで我慢して」
「そんなに待てない! 何か早く頂戴よ!」
生粋の我が儘っこのアネモネは空腹に耐えかねて叫び声をあげる。そのままだんまりを決め、蹲った。しかし、リリィは動じなかった。
「駄々こねてもだめ。それよりも、洗濯物を取り入れるのを手伝って。手伝ってくれなかったら、今晩のご飯もあげないから」
「嫌だ嫌だ! 何かくれないと動けない!」
午後三時過ぎ、二人の少女は睨み合い、先に動いたのはリリィだった。恩人の少女はなにを言うでもなくその場を後にする。
「ねぇ、何か作って! 作ってよ!」
アネモネの言葉に振り向きもしない。やがて、父の言葉が本気であったことを思い出し、愚妃はリリィも本気で言っているのだと察した。頬を膨らまし、涙目に訴えても恩人の少女の意見は変わらなかったため、たまらず、口を開いた。
「ま、待ってよ。手伝うから。洗濯物を取り込むの手伝うから、待って!」
今現在、根負けしたアネモネは洗濯物を取り込む手伝いをしている。生来より家事の一つもしてこなかった少女は面倒くさいとは思いつつも、リリィに晩御飯を作ってもらうには文句を言わずに手伝うしかない。ワイワイと賑わう子供たちは自ら進んで物干し竿からシーツや服などを引っ張り、籠の中に入れているが、皆が皆、真面目なわけがなく、アネモネに話しかけた少年、サイネリアが隣にいる少年にちょっかいを出している。それを起点にして子供たちは手に持っている洗濯物を投げる。
「ふざけてないで、手伝いなさい」
いきなり手伝いを放棄した子供たちに困り顔のリリィは怒声を上げるが、子供たちは聞く耳を持たない。この光景をジト目で見るアネモネは一つため息を吐く。リリィが近くにいるため我慢していたが、限界が近付いてくる。愚妃はぶつぶつと文句を言う。すると、彼女の服を引っ張るものが現れる。アネモネが目を向けると、そこにはぬいぐるみを抱えた少女がいた。
「ねぇねぇ、あなたはリリィ姉に手を貸さないの?」
「何を言っているの? 私はこの通り手伝っているじゃない」
アネモネは手に持っているシーツを籠に投げ入れる。ぬいぐるみを抱えた少女は首を振った。
「サイネリアたちを止めないの?」
「……確かに、あいつのせいで時間を食っているけど、なにより億劫なんだもん。手伝わなくてもいいでしょ?」
ぬいぐるみを抱えた少女は返答した少女に不満な顔をする。
「半端者ー。中途半端ー。根性なしー」
棒読みで罵倒してきた少女をアネモネは睨んだ。
「別に手を貸す必要はないじゃない。仲がいいみたいだし、お手の物じゃないの?」
「そんなわけなーい。リリィ姉怖くなーい。誰も従わなーい」
飛び火を受けたリリィはショックを受けた。罵倒を続ける少女は気づかないふりをする。
「アネモネ不器用ー。リリィ姉よりもうまくできなーい。逃げ腰ー」
「うるさいわね。黙ってくれないかしら」
さらに鋭い目つきで少女を睨み、手に持つ服を籠に力をこめて投げる。少し足の震えた少女はしかし、アネモネを再度煽った。
「手伝えー。リリィ姉困ってるー。だからダメ人間ー」
「だから、手伝ってるって言っているじゃない!」
アネモネは怒りに身を委ねて手に持っている服を少女へと投げつける。そのまま、衣服類を投げ入れていた籠を蹴り、息を荒くして叫ぶ。
「貴方みたいな餓鬼が一番嫌いよ。人を馬鹿にして、それで人にやる気を出させようとするなんて。そんなことをされても、嫌になるだけに決まっているでしょ! やめなさい、そんなこと」
アネモネは鬼の形相で少女に言い放ち、言われた少女は涙が沸々とにじみ出てやがて、声を出して泣いた。少女の泣く声が視線を集め、リリィと子供たちはアネモネを見やる。アネモネは全員の顔を一瞥すると、舌打ちをして教会内に入っていった。
愚妃の姿が見えなくなると、皆はこぞってアネモネの悪口を言った。
「やっぱり、あいつ嫌い」「年上のくせに優しくもできないんだな」「リリィ姉を見習えよ」
好き勝手に言う子供たちに対して、リリィはため息を吐く。
「待って待って。今のはアネモネちゃんが悪いわけじゃないの。ハルがアネモネちゃんのことを煽ったのが悪いの」
あまり良し悪しを言いたくはないが、誰がどう見てもアネモネは挑発されたから怒っただけなのだ。当たり前だが、挑発されればイライラするし、ましてや、自分のことを分かりもしない人からダメ人間などと愚弄されれば嫌にもなるだろう。泣き叫ぶ少女には悪いが、これはぬいぐるみを抱えた少女が悪いとリリィは思う。
だが、これもまた当たり前のことなのかも知れないが、部外者がもともと教会にいた子を泣かせばそれに対して同じくもともと教会にいた子たちは怒りが湧くものなのだろう。そして、その部外者を守ろうと動けば嫌に思う者も必ず現れる。
「リリィ姉はあいつをかばうのかよ」
リリィに文句を言ったのは最初にアネモネに話しかけた少年だ。前々からぬいぐるみを抱えた少女のことを気にかけていたため、酷くご立腹の様子だ。
「かばうに決まっているじゃない。何も知らない人に馬鹿にされたら、サイネリアは嫌な気持ちにならないの?」
「……そりゃあ、なるけどさ。でも、ハルジオンが泣くほど怒鳴らなくたっていいじゃないか」
ぬいぐるみを抱えた少女こと、ハルジオンは今も目元を擦って泣いている。正直、ハルジオンが泣いてしまったことに腹は立たないのかと問われれば否と返すリリィではあるが、どうしてもアネモネを放っておけない。困っている人を見過ごせないのがリリィという少女なのだ。
「確かに酷いとは思うよ。でも、アネモネちゃんもまだ大人じゃないの。馬鹿にされて我慢なんて私も無理だよ。だから、アネモネちゃんは悪くない。悪いのは人のことを馬鹿にしたハルだと思うの」
リリィが固い意志でそう告げると、サイネリアは納得のいかない表情をしたが、一理あるとでも思ったのか反抗はしなかった。
リリィは安堵したが、この先のことを思うと、どうしても気が気でなかった。
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