第三話 なるほど、役者が違うね
現状、当国において一定以上の魔力を持つ者は全て《象牙の塔》に入所させられ、一生をこの《塔》に囚われたまま過ごさなければならない。だから魔導士たちは井の中の蛙になりがちだし、とんでもなく世間知らずだったり思想が偏ったりしがちである……それは仕方がないと思う。同情の余地がある。
しかし、その内輪しか通じない思想や価値観を、俺に押し付けるのは心底やめてもらいたい。
最上位の精霊と契約し人並外れた魔力を持っているからと言って、俺は「選ばれし特別な存在」だの「最も優れた人間」だのじゃないし、それが《炎の巨人》イフリートだからと言って、かつて一族の誇りを護るため建国王の支配に最後まで抵抗した
俺はただのクソ生意気な若造魔導士で、しばしばブラック労働を強いられる王の犬だ。それだけなんだ。
なのに。
どうしてこの俺が、魔導士をこの不遇な境遇から救う次世代のリーダーに嘱望されたり(いやいや、おまえら結構イイ暮らししているだろ?)、能力に見合った気概を持てと説教されたり(だったら気概を持っているおまえが頑張れ)、優秀な子供を欲する魔女どもに一方的に押しかけられなきゃならないんだ?サッパリわからん。
もううんざりだ。
という訳で。
只今俺は、《塔》に召集されて一方的にヨメ候補を押し付けられた挙句、ジェシカに暴言を吐かれてブチギレ、《拘束の椅子》ごと俺を封じる結界を粉砕し焼き捨てちまった直後である。
なんかもう一切合切が後の祭りすぎて高笑いしたくなる。このテンションはまずいな。気を確かに持とうぜ、俺。
一方、このまま俺が怒り狂って暴挙に出ると思ったのか、黒衣の管理職どもとその場に居合わせた魔女たちは皆、一斉に俺に対して杖を構えた。さっそく様々な呪があちこちで唱えられる。
でも俺は自分比でまだ冷静だった。だから落ち着き払って両腕を挙げ、俺の魔力収斂体である指輪が輝いていないことを晒して、攻撃の意志がないことを示した。
「安心しろ。これ以上は何もしない」
だって、この俺に対する人権侵害案件を暴力(魔力)で解決するのは割に合わないだろ?これまた罰と称して、さらなる無理難題や妻帯を強制されそうだからな。
数々の呪文が中断し、放出された魔力が流れ去る。それでもまだ油断は禁物。三体の風精は俺を護るようにぴったりくっついてきた。
それから俺は粉塵が撒き散った床に座り込むジェシカに相対し、努めて沈着に語りかけた。
「いいか、ジェシカ。魔力の多寡や高位魔法を扱えることだけが『強さ』じゃない」
ジェシカは口をつぐみ、憎々しげに俺を睨み返す。再びイラっときた。もうホント何なんだコイツ。
俺は声を張った。
「おまえは百万人の民を養うことができるのか?」
あきらかに面食らった沈黙が、ジェシカだけでなくホールじゅうに広がった。
「オリヴィアは公爵家の一人娘だ。当主に万一があった時は自力で公爵領を治めなければならない。彼女はそれを自覚して教育を受けてきたし、なんなら既に領主代行として治政の一端を担っている。つまり、彼女には百万人分の生活や人生を背負う義務と、それを果たす能力があるんだ!」
ようやくジェシカが金色の目を見開いた。遅せぇよ。俺は彼女を煽る。
「で?ジェシカ。百万の民を前にして、おまえは一体何ができる?」
ジェシカは渋面で俯いた。俺は追い討ちをかける。
「わかったか。オリヴィアは俺たちよりずっと聡いし『強い』。『ただの女』なんかじゃ決してない!」
俺は彼女から目を外し、ホールにいる魔導士どもを見回す。いい機会だ。ジェシカに説教したついでに、これまでの鬱憤をぶちまけてやろう。
「だいたいさあ、国家予算でぬくぬくと飯を食わせてもらっているくせに、たかが精霊を操れるだけで『優秀』だの『特別』だのと己惚れるのはおかしくないか?
俺たちが湯水のように使う研究資金は非魔導士である民の血税だぞ?しかも、その民はもう魔法なんか無くてもそれなりに暮らしている。もはや社会が魔法ありきで成り立っていた時代には戻らないんだ。俺たちはちょっと珍しい『特技』を持っただけの、社会にとっては『余計なお飾り』的存在なんだ。
そろそろ、そんな現実を認めるべきじゃないのか?」
俺の鋭い指摘は天井を打って響きわたり、誰もが言葉を失って黙り込んだ。
ああ?反論はねぇのか?歓迎するぞ。かかって来いよ。
俺は挑発的にふんぞり返った。が。
俺の険しい眼差しに気圧されるように、あちらこちらの杖がじわじわ下がりだした。なんだ。日頃偉そうなことを抜かしているくせに、実は腑抜け揃いだったのか。
「それも一理あるかもしれん——だがね、サイラス君」
ようよう魔導士長が落ち着いた声で反論してきた。
「代々魔導士たちが研究し積み上げてきた魔法知識、そして我々魔導士が持つこの力は、全ての人間にとってかけがえのない宝だと思うのじゃよ。必要不可欠でなくとも、失くしてはならない。そう思わないかね?」
「……まあ、そりゃあ思うよ。俺も一介の魔導士だし」
俺は素直に答える。魔導士長の髭がもふっと膨らむ。
「ならば、じゃ。魔導士が絶えれば魔法も絶える。君は次代の希望だ。どうか魔法を未来に残すためにひと肌脱いではくれないか」
おいおい。結局、強制嫁取りの話に戻るんかい!
「嫌だ。それとこれとは話が違う」
俺は不遜に顎をあげて即答した。だが魔導士長も退かない。
「重婚は無理でも、最悪、子種を提供してくれるだけでいいから」
「ますます断る!」
俺は魔導士長を睨み据え、断固拒否した。
俺の与り知らぬところで俺の実子が生まれるなんて、とんでもない。俺が知らない俺の子の人生やその子がやらかしたことに責任なんかとれないし、マクフィールド公爵家に婿入りする身としては余計な跡継ぎ争いを起こしたくない。何より、オリヴィアの信頼を裏切るような真似はできない。
「……強情じゃのう」
ついに魔導士長が大袈裟に嘆息した。白くふさふさの眉も、杖も下がる。
「止むを得ん……」
おお、そうだ。とっとと諦めろ。俺は心の内で喝采した。こんなくだらない用件しかないのなら、《塔》になんか二度と来るもんか。
「じゃ、帰る」
俺はフンと鼻を鳴らし、素っ気なく前を向いて今度こそホールの出口へ向かう。
ところが。
二歩目を踏み出そうとした、そのとき。
「《Cut out and catch them》」
魔導士長の呪が完成し、俺の視界が歪に回転した。
その瞬間、濃密な魔力そして未知の術が展開したのを感じ、俺は鳥肌を立てた。咄嗟にその場から逃げようとしたが、その前に足元が浮いた。
視界が回る。倒れ込む。どさっ。
気づくと、俺は真っ白かつ真四角で狭苦しい部屋の中央に転がっていた。床が冷たい。何をされたのかわからないが、とにかく魔術が発動したのは明白だ。背後から術をかけるとは。卑怯だぞジジイ!
「クソッ!」
慌てて跳ね起きたら、ヨメ候補四人も同じ空間内で倒れていたり呆然と座り込んだりしていた。
どこだ?この窓も扉もない不自然な部屋は?
……ああそうか。魔導士長の十八番は空間魔法だっけ?これまで実際に発動したのを見たことが無かったが、おそらく俺たち五人は魔導士長が作り出した亜空間に閉じ込められたのだろう。チクショウ!俺の頭に血が上っている隙に、こっそり呪を唱えていやがったな?!
どこからともなく、当の魔導士長のボヤキが響く。
——こんなことはしたくなかったが、ここまで拒絶されては仕方がない。のう、サイラス君。今、適齢期の男はたった十人しかおらんのじゃ。一番人気の君には是が非でも協力してもらうぞ?素直にパートナーを選び、《血の誓約》すれば出してやるから窒息する前に決めなさい。
あーむかつく。ジジイめ、すっかり余裕ぶりやがって……しかし今、いくら腹を立てても俺たちはあのジジイの掌中に居る。
——誰か一人でなく二、三人。いや全員を選んでもいいぞ。両手両足に花じゃ。羨ましいのう、サイラス君。
「ふざけんな!」
俺はとりあえず天井に向かって怒鳴り返した。こんな仕打ちを受けたら余計嫌になるに決まっているだろ!ホント俺の意志なんかどうでもいいんだな。
風精を飛ばして助けを呼ぼうにも、どうしたものか、常に俺の周囲にいるはずの精霊が一体もいない。やむなく俺は純粋な魔力だけを結晶になるまで練り上げて拳に纏わせ、足元の床を腹立ちまぎれに殴った。邪道の極みだが魔力はこういう使い方もできるんだぜ。知っているかジジイ。
ゴウンッ!渾身の一撃。
空間全体が揺れる……しかし、それだけだった。
チッ!
俺は苛立ち、盛大に舌打ちする。すると、
「ねえ……さすがにそこまで拒絶されると私たち傷つくのだけど」
最年長のソフィアがやや棘のある口調で苦言を呈してくれた。
「あ」
俺はソフィアを振り返り、目が点になる。
そうだ。そういや、今の今までヨメ候補どもを完全に無視していた。
今更ながら、一緒に閉じ込められた四人の魔女の様子を見遣る。
うわあ……亜空間内は惨憺たるお通夜状態だ。物腰は柔らかいが目が笑っていないソフィアに、明らかに落ち込んで涙にくれるエミリー、めちゃくちゃ塞ぎ込んで項垂れるフレヤ、俺に背を向けて膝を抱えるジェシカ(クソガキか?)……嗚呼、これはアカンやつ。紳士として絶対にやっちゃダメなやつだ。
やべぇ!マジでやらかした……!
俺は冷や水を浴び、一気に血の気が引いて固まった。
いやいや、固まっている場合じゃない。あやまれ俺。ここはひたすら平身低頭で謝罪し、赦しを請うしかない。この場でわだかまりを解いておかないと一生恨まれるぞ。魔女の恨みは海より深く竜より怖い。マジ生命と平穏な人生の危機!
我に返った俺は態度を改め、床に正座して謝罪した。
「すまない!断るにしても、俺の態度は最悪だった。傷つけたのなら謝る。このとおり!」
深々と下げた頭を上げれば、三人は三様の表情で俺を見つめていた。ジェシカは背を向けたままだ。俺は真摯に続ける。
「俺が腹を立てたのは一連の遣り口や管理職の横暴、それからジェシカの失言についてであって、君らを侮辱し傷つけるつもりはなかった。そこは信じてくれ。みんなそれぞれ……その、違った魅力のある素敵な女性だとは思う」
あーしらじらしい台詞。歯が浮くわー。
それでも、「素敵な女性」のくだりでエミリーの濡れた瞳が輝いた。俺の胸がキリキリ痛む。
だからこそ、心を鬼にしてキッパリ断らなければ。
「だけど、俺の心にはもうオリヴィアが住んでいるんだ。将来も約束したし、そこは譲れない。だから君たちの申し出を受けることはできない。申し訳ない」
俺はきっぱりと言い切り、もう一度頭を下げる。
溜め息に似た重い空気が漂った。
「そう。残念」
ソフィアが冷たく固い声で応じ、
「……その気持ち、わかります」
続いてエミリーがぽつりと呟いた。
「わたしだって、この想いを曲げたり譲ったりできないし」
その一言がグサリと俺に突き刺さった。
「……ごめん」
君のことを憶えてすらいない薄情者でホントすまん。
「いいんです」
エミリーがちいさく笑みを刷いた……でもその微笑は儚く今にも砕けそうだった。
うおぉ、やめろ!そんな顔されたら放っておけないだろうが!
良心の呵責に耐えかねた俺はぶっきらぼうに髪を掻きまわし、いったん視線を明後日に飛ばした。
断るなら徹底的に冷淡に、期待も未練も残らないようにするのが真の優しさだろう。だが、思い込みがだいぶ激しそうなエミリーをこのまま突き放して……大丈夫か?
うう。思わず唸り声が出た。
実は……今回のヨメ騒動とは無関係に、以前から温めていた腹案がある。そしてエミリーは呪詛マスターだ。それは俺とその腹案にとって渡りに船である。
俺はさんざん迷いながら切り出した。
「あ……あのさ、エミリー」
再び向き直れば、まるで雨の中捨てられた仔犬のような彼女と目が合う。ああ、これはやはり放置しちゃダメっぽい……。
「今、俺は錬金術に凝っていて……そろそろ新素材の開発にも飽きたから、次は素材に魔法を付与して新しい魔道具を作ろうと考えているんだ。そこで、だ。物体への魔法付与と言えば、一番強力なのは呪詛だろう?」
続きを察したのか、エミリーの顔がパアアッと輝く。俺は言葉を選んで念を押した。
「君と結婚はできないが、どうか共同研究者になってくれないか。呪詛は詳しくないからアドバイスが欲しい。マスターエミリー、ご指導を頼む」
「はいっ!」
俺が差し出した手を、泣き笑いのエミリーが両手で迎えた。そうっと大事に包んでからギュッと握ってくる。
「やっぱりサイラス君はやさしいね。もちろん共同研究者からスタートで結構です。そこから頑張るから待ってて。よろしくお願いします♡」
エミリーの滑らかな頬には朱が戻り、俺に向ける眼差しはとろりと甘くて——ぬあああ、やはり失敗した気がする!スタートって何だよ。俺を諦める気が全くねぇ!
しかも。俺が引き攣った笑顔で流そうとしたら、
「あら。それなら」
さらにソフィアが話に乗っかってきた。
「私、水属性で医療や薬学が得意なのよ。治癒も愛の妙薬も、毒もね」
うっそりと笑う彼女の背後にどす黒い何かが見えたのは俺だけじゃないと思う。
「今までは私の魔術をポーション化して出荷していたの。でも魔道具に仕込むのも名案ね。ねえ『そういう』魔道具、お貴族様にけっこう需要があるんじゃない?」
長い睫毛をふんわり上下させた、あざといウインクに俺の肝が冷える。
そうだな。需要は高いだろうな。主に後ろ暗い方面で。
……うん。知ってた。魔女は見かけで判断しちゃいけない。おそらくソフィアの中身は真っ黒だ。
俺は背中に冷や汗をかきつつ、そつなく答える。
「ああ……そうだな、何か依頼があればソフィアに頼むよ」
「約束よ。忘れないでね?」
にーっこり。ソフィアがふんわり笑う。だから裏を知れば怖いんだよ、その笑顔!(ゾッ)
ついでにフレヤもしがみついてきた。
「じゃ、じゃあ火は?何か火を必要とする魔道具は?!」
が、
「悪いな。火属性は俺ひとりで足りる」
「ガーンッ!!」
俺にすげなく断られ、フレヤは青ざめてへたり込んだ。
おいおい、「ガーン」って……オノマトペをわざわざ自分で言うか?
申し訳ない気分が吹っ飛び、俺は苦笑を浮かべながらフォローに努めた。
「正直言って俺は攻撃特化のパワープレイヤーだからさ、同じ属性の魔導士と組むことはまあ無いと思うんだ。それこそ、大規模侵攻や魔物の氾濫でも起きない限り」
「そんなぁ」
「だからさ、君の夢のタッグ?とやらを組む相手は属性が違う奴がいい。特務隊に志願するなら風属性、浄化に興味があるなら光属性、あとは——」
「じゃあ錬金術は?!なあ、錬金術は火属性の技術だろ?錬金術の弟子として雇ってくれよ!」
フレヤは俺の袖を力いっぱい掴んで振り回す。ちょ、今ビリッと破れ——うわっ、よくよく見ればフレヤの瞳孔が開いている。売り込みが必死すぎてドン引きだ。
……このままでは袖が取れそうなので、渋々折れてやることにした。
「わかった。手伝いが必要になったら声をかけるよ」(げんなり)
「やったあ!」
やっとフレヤが俺から離れてくれた。
まあ……どうせ俺一人でなんとかなるから、そもそも手伝いなんか要らないけどな。
と。これで一応、落ち着きそうか?
俺はヨメ候補たちの顔色を見比べる。とりあえずご機嫌はとれたようだな?
ちなみにジェシカは終始そっぽを向いたままだ。でもさっき喧嘩したばかりだから放っておこう。どうせ万年怒っているんだし。触らぬ神に祟りなしだ。
やれやれ。
俺は胸を撫で下ろした……のも束の間、
——ハイハーイ♪みなさんハッピー?
すかさず、耳の奥にお気楽極まりない声が乱入した。
——さすがサイラスぅ、お色気に走らず上手にまとめたね~。ね、それ、クソ真面目なのかヘタレなのかどっちぃ?
強引な精神干渉。余計なことしか言わない、このムカつく感じ。間違いない。レイラだ。
「レイラ!」
俺はふざけた同期に呼びかけた。
またあいつの気まぐれに振り回されるのは癪だが、今この状況下では彼女を頼るしかない。
「頼む。魔導士長を乗っ取れ!俺たちをここから出してくれ」
——ああ、心配ならご無用だよ~♪ 一番手っ取り早いひとを呼んで来たから。
「手っ取り早い?」
まさか王族か? 俺が首をひねると、
——兄さんッ!!無事?!
次に聞こえたのは、やたら切羽詰まった弟の声だった。
まさかの人選に面食らう。
「ライナス?!おまえ、どうやって《塔》に?」
我が弟は重度の引き籠りである。館の地下室に籠ったきり、もう何年も出てこない。仕事や召集があれば、やむなく本人が本人にそっくりに製作した精巧な土人形を差し向けてごまかしている程だ。しかし残念ながらその土人形は例の門番ゴーレムに排除されてしまうため、弟は《塔》に参上したことがない。
——僕のことはどうでもいいよッ。それより襲われてない?剥かれていない?まさか、既に穢されてしまったんじゃ……ッ!
俺は鼻白んだ。我が弟は可愛いが、その弟に心配されるなんて心外だ。
「大丈夫だ。何事もない。あるわけがないだろ」
だが可愛い弟の憤激は止まらない。
——兄さん、頼むから危機感を持って!《塔》の魔女どもはみんな兄さんの操を狙っているんだよ?ぽっと出の令嬢に攫われただけでも耐えられないのに、有象無象が兄さんに手を出そうなんて僕、絶対に許さない!!
ぞわり。壁というか切り出された空間の向こうで、巨大かつ強烈な魔力の暴発を感じて肌が粟立つ。
「ライナス?!」
俺が叫ぶや否や、はらり。
まるで薄皮が剥けるように亜空間が開き、俺と四人の魔女はやっと《塔》の大ホールに戻ってきた——が。
その場は緑の地獄と化していた。
「いやあああああ!」
「ななな何コレぇ?!」
ジェシカとフレヤが叫ぶ。
白いホールには怪しさ満点の魔蔦がびっしりと生い茂り、その場にいた魔導士たちは為す術もなく倒れていて……全員、白目を剥いて口から何本もの魔蔦を生やしていた。
俺は焦って周囲を見回す。これはライナスの仕業だ。だが、どこから術をかけている?
「やめろライナス!これは大量殺人だぞ?!」
——だって、だってだって兄さんッ!こいつら兄さんにッ!
「落ち着け!俺は何もされてない!!」
早く止めさせないと、あいつらマジでこの魔蔦の養分になってしまう!
慌てる俺の背後に、
「よいしょ、と」
この期に及んで尚いたって通常運転な魔女がスタッと着地した。
この声は!俺は振り返りざまに腕を伸ばし、その隙だらけの魔女の細首を鷲掴みにする。呪文を唱えようとした途端に気絶させるためだ。
「やだぁー物騒なご挨拶ぅ♪」
俺に喉元を掴まれたレイラは、それでもへらりと笑った。
黒真珠に似た不思議な光沢をもつ髪に、夜空の藍に染まった瞳。《夜の森》に捨てられ、その森の古代神だか魔物だかに育てられたレイラは人間としての情が薄く、こちらの常識も理解しようとしない。
そんな彼女の胸元にはやけに大ぶりなロケットペンダントが——いや、蓋が開き発光しているそれは魔鏡だ。ライナスの膨大な魔力がそこから放出されているのを感じる。よくもまあ、こんなに質の良い魔鏡が貸与されたものだな——さては母さんか?
俺は指にゆっくり力を入れながら凄む。
「レイラ、おまえライナスに何を言った?」
「大事なお兄ちゃんが魔女たちに寄ってたかってヤられちゃうよ~って言っただけだよ?」
「その言い方はないだろ!」
「たいして間違ってないでしょ?ほら、みんな手っ取り早く片付きそうで良かったじゃん」
「片付けるの意味が違うだろ!ライナス、今すぐ蔦を引きあげろ!大量殺人鬼とは二度と口を利かないぞ!!」
グッ……鏡の向こうで弟が歯を食いしばる気配がする。
——……兄さんがそこまで言うなら……。
魔鏡から溢れ出る魔力が薄れ、実にあっさりと、呆気なく魔蔦が消え失せた。
ソフィアが足元を見て「あら」と声をあげる。
「魔導士長が干からびているわ」
俺は眉間を押さえた。
どうすんの、これ。頭が痛てぇ。確か、ソフィアは医療系の魔術に長けているんだっけ。
「ソフィア。ここで応急処置をお願いできるか?あと誰か救護班を呼んでくれ」
「任せて、ダーリン♡」
……今この状況で冗談はよせ。
一方、レイラはこの壊滅的かつ絶望的な空気を読む気もなく唇を尖らせている。
「なによ~せっかく助けてあげたのにぃ」
「いや、あの空間から出られたのはありがたいが、これじゃ素直に感謝できない」
「なんでー?」
そして我が弟も完全にヘソを曲げて愚痴っていた。
——そんな奴ら、全員腐って土に還ればいいんだ。どいつもこいつも、兄さんの優しさにつけこんでばっかり……兄さんも兄さんだよ。八方美人で甘すぎるッ。
「ライナス。俺が帰ったら一緒にメシ食って、よーく話をしような。とりあえず今日はもう何もするな」
弟を宥めながら、俺は盛大に溜め息を吐いた。
魔導士長をはじめ管理職どもは全員ダウンしているし、この後片づけは俺がしなきゃならないんだよな……?
訳のわからんヨメ騒動に巻き込まれた挙句、多数の傷病者を手当てし、壊れた大ホールを修繕し、また懲罰をくらう羽目になるのか……?
ホント割に合わない。俺、そんなに日頃の行いが悪かったっけ?もう、何もかも見捨てて逃げていい?
《魔の森》に棲む怪鳥がギャハハと鳴いて俺を嘲笑った。
◆◇◆◇◆
それから十日が過ぎ、王都の表通りに焼き栗屋が出没し始める頃。
喧嘩両成敗かつ面倒な事後処理を率先して行った報奨として無罪放免を勝ち取った俺は、意気揚々としてマクフィールド公爵邸を訪れた。
今度こそ、セオドア元王子の訃報により白紙になった結婚の日取りを決め、オリヴィアと堂々とイチャイチャできる権利をもぎ取るのだ!!
が。公爵閣下は留守だった。
クソッ……これは引き伸ばし作戦か。婚約自体は容易く認めてくれたくせに、やはり愛娘を手放すのが惜しくなったのか。父としての器の大きさが試されていますよ、お義父さん!
「サイラス。そんなにがっかりしないで」
隣に座るオリヴィアが首を傾げて俺の顔を覗き込んだ。白銀の髪がきらきら流れる。俺のオリヴィアは今日も可愛い。
「お父様はタイミングを計っておられるだけよ。セオドア様の喪が明けないうちは動けないわ」
「そりゃそうだけど。予定を確定にすることはできるだろ?」
俺はオリヴィアの白魚のような手を取り、軽いリップ音を鳴らして口づけた。
相変わらず背後から殺意の籠った視線が突き刺さるが、知るもんか。さすがに同じ過ちは……ディープキスまではしないって。
一方のオリヴィアは俺に熱く見つめられて白磁の頬を薔薇色に染め、ロイヤルブルーの瞳を熱っぽく潤ませた。あーさっそく前言撤回!抱き締めたいキスしたい!いいだろ!いいよな?
不埒な手を細い腰に回したら、コンコンッ。見計らったようにノック音が響いた。
俺は内心で舌打ちする。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
樫の扉の向こうから聞こえた女の声は語調がキツく堅苦しい。秘書か?ってか、もうちょっと後で来いよ。気が利かないなあ。
俺は渋々オリヴィアを放し、彼女は何事もなかったように座り直して応じる。
「ええ。入って」
「失礼します」
ガチャリ。ノブが回って扉が開き——現れたのは事務員のお仕着せを着たジェシカだった。
「はぁ?!」
思わず声をあげた俺に向き直り、オリヴィアがジェシカを紹介する。
「昨日から我が公爵家に家付き魔導士・兼・私設秘書として着任したジェシカさんよ。サイラスはよく知っているわよね?」
俺の返事を待たず、ジェシカがきっちり頭を下げた。
「お嬢様の護衛及び秘書を務めますジェシカです。改めてよろしくお願いします」
棒読みの声も、俺を一向に見ようとしない表情も、慣れない行儀作法を必死で守ろうとする態度もすべてが硬い。いつも表に出しっぱなしの怒りや苛立ちを、まるごと押し殺した不穏な印象だ。
俺は焦ってオリヴィアに顔を寄せた。ヒソヒソ声で忠告する。
「オリヴィア。あいつは俺を目の敵にしている魔女だぞ?なぜここに?」
するとオリヴィアはにこりと笑った。
「サイラスったら、相変わらず鈍いのね」
背筋がヒュッと冷える良い笑顔だ。
「彼女の来歴と日頃の態度は知っているわ。でも陛下のご推挙だから断れないの。なんでも本人が《塔》を出て一般社会を知りたいと直訴したそうよ。三代前までは魔導士を各高位貴族の家に派遣していたそうで、ならば今回は試しに我が公爵家に預けてみよう、とおっしゃったらしくて」
「なんだそれ。間諜か?新手の嫌がらせか?」
「そんなところでしょうね」
互いに顔を寄せ合い、ひそひそと話し合う俺とオリヴィアを前に、ジェシカは目を伏せ、まるで能面を張り付けたような無表情で立っている。あくまで使用人の立ち位置を貫くらしい。しらじらしい。
「でもね、私、この件をチャンスに変えようと思っているの」
オリヴィアはさらに身を寄せ、膝に置いた俺の手に彼女の白い手をそっと重ねた。
「私は魔術について何も知らないし、《塔》に干渉する伝手すらない。そんなことじゃ魔導士のあなたを助けられないわ。だから彼女を足がかりに、魔導士会の中で人脈を作ってみるつもり」
ああオリヴィア、君はなんて健気で狡猾なんだ。俺は微笑み、オリヴィアの手の上にさらに俺の手を置く。
「ありがとう。でも俺なら大丈夫だから、無理はしないでくれ」
「——それに、ジェシカさんはそもそも『サイラスルート』の悪役令嬢なのよ」
「えっ?」
久々に出ました、アクヤクレイジョー! 俺は目を瞬かせて聞き返す。
「いやいや、そのアクヤクレイジョーってのは君のことだろ?」
「私はあくまでメイン、つまりセオドア様ルートの悪役なのよ。あなたにはあなたの物語があったの……もちろん、現実のあなたは『げぇむ』のようにチョロくないからその物語どおりにはなっていないけれど」
「当たり前だ」
憤慨する俺に対し、オリヴィアはとびきり綺麗に微笑んだ。
「それでも彼女は私たちの間に割って入りたいみたいよ?」
「へえ。命知らずだな」
「そうね」
うふふ。極めて品よく笑い、淡く輝く銀髪を揺らす彼女は、致死の毒針を備えた白薔薇のようだ。
「私の知らないところで暗躍されるくらいなら、彼女を手元に置いて調教してみせるわ。心配しないで。私の方が役者が上だから」
さすが俺の妻(予定)だ。俺は自然と笑みを深めた。
「じゃあ、念のためその指輪に守護の魔法を重ね付けしておくよ」
「お願いね——あと」
オリヴィアの唇が俺の耳朶に触れる。温かい吐息がくすぐったい。
だが、彼女が囁いた内容は氷原のごとく殺伐としていた。
「ねえサイラス。噂を聞いたわ。ジェシカ以外に『愛人』候補が三人もいるんですって?浮気したら承知しないわよ」
ああオリヴィア……何が「伝手がない」だ。立派に地獄耳じゃないか。
彼女が妬いてくれるのは嬉しいが、潜めた声の迫力がどうにも恐ろしくてゾクゾクする。
俺は軽く声をあげて笑ってみせた。
「そんなもの、何人いようが一緒だ。俺はオリヴィア以外いらない」
「ほんと?嬉しいわ」
本当だ。信じてくれ。そしてカーテンの蔭に居る奴、その物騒な暗器をしまえ。
<了>
ハア?俺が攻略対象者?!6 ~悪役令嬢がもう一人……って冗談だろ? 饒筆 @johuitsu
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