第一話  待ち伏せ?ナニそれ?


 当国魔導士の管理監督・兼・教育研究施設 《象牙の塔》は王都の東のはずれ、強固な結界によって隔離された《魔の森》の中央で天を貫いている。そう、低く垂れこめた暗雲なら余裕で突き破る白亜の塔を中心に、高低幾つもの塔がにょきにょきと寄り合わさった不思議な……俺に言わせれば無秩序な拠点に、現在50名弱の魔導士が「飼われて」いるのだ。

 昔は厳しい試練を突破した者でなければ「魔導士」を名乗ることすらできなかったそうだが、その血がすっかり廃れた今では、一定以上の魔力持ちであれば貴賤を問わず《象牙の塔》に強制入所させられる。

 その際、実家には支度金が、本人には国王に目通りできる特別な身分と無償の教育、さらに一生衣食住に困らない快適な生活が供与されるため、一般国民にとって魔導士は憧れの職業であるが——その代償として、魔導士となった者は国家権力と《王の加護》に支配されて自由を失う。つまり王命には絶対服従の「王の犬」となることを求められるのだ。

 という訳で、生まれたその日に魔導士認定された俺には最初から逃げ道も選択肢も無かった。俺の人生は完全に詰んだ袋小路から始まったのだ……魔力さえ無けりゃ、ただの「地方文官から宰相に成り上がった仕事中毒者の息子」だったのに……いや、それも「ただの」じゃないな……ホント、俺の立ち位置は面倒くさすぎる。

 特に俺は幼少期からなまじ聡かったものだから、物心ついた頃には辣腕宰相の長子として第一王子セオドアの学友(という名のお守り)を押し付けられたし、十歳を過ぎたら一人前の魔導士として大小様々な『仕事』や陰謀の片棒担ぎをさせられた。

 なあ、これって、児童労働なうえに二重ブラック労働じゃない?誰か国王陛下を提訴してくれよ。

 ……そんなこんなで、貴族子息と魔導士という多忙な二足のワラジ生活をしてきた俺に、最近また新しい面倒ごとが増えた。

 俺がお守りをしていた第一王子セオドアが廃嫡そして紛争地に送られたため、次は第二王子ジェレミアを査定せよと命じられたのだが——こちらの王子は優秀過ぎて俺ごときが口を出す余地がない。ならば俺はお役御免だな、と呑気にしていたら、今度は《象牙の塔》のお偉いジジイどもが「サイラス・ボールドウィンを次世代の魔導士長候補として再教育するから《塔》に戻せ」と声高に騒ぎだしたのだ。

 事情通の裏方に聞けば、奴らはどうやら俺がマクフィールド公爵令嬢と婚約したことに、「次世代最強の魔導士なのに、魔導士会を離れ貴族社会で只人として生きる気かもしれない」と焦っているらしい。ま、当代最強魔女の母さんも魔導士会とは距離を置いているしなあ。だから俺を《象牙の塔》内で囲い込み、魔導士組織の管理職に据えて離さないつもりなんだってさ。

 冗談じゃねえ。め・ん・ど・く・さッ!!!

 貴族のお付き合い(=仁義なき化かし合い)も難儀だが、偏屈でキャラが濃くて閉鎖的な魔導士付き合いもウザすぎて極力やりたくない。管理職しかも次の魔導士長候補なんて貧乏クジ当選以外の何物でもないだろう。

 なのに。

 俺がキッパリ断っても、奴らは性懲りもなく下らない用事で《象牙の塔》へ呼び出し続ける。あーもーマジでしつこい。俺の意志に関係なく俺を取り込む気マンマンの魔窟になど、誰が行くもんか。こうなったら根競べだ。俺は謹慎中であることを盾にのらりくらりと言い逃れてきた……が。

 謹慎が明けてオリヴィアとイチャついていたら、未来の義父・マクフィールド公爵にその現場を押さえられ、

「サイラス君。娘への愛情が深いのは結構だが、君はまず身辺の騒ぎを収めるべきではないのかね?」

(意訳:娘と結婚したいなら、とっとと魔導士会の横槍をへし折って来い)

と満面の(凍てついた氷の)笑みで言われ、ついに嫌がらせのごとく公爵家の馬車で丁重に《象牙の塔》まで強制護送されてしまった。

 いや、嫌がらせ「のごとく」じゃないな。正真正銘の嫌がらせだ、コレ。婿がねとして有用なのは認めるが、素直に娘を渡す気はないということか……チッ!心が狭いぜ、お義父さん。

 あーあ……これからは、彼女ん家でディープキスするのをやめよう。

 俺は、俺史上最高にげんなりした気分で巨大な門の前に立った。



 《魔の森》を含む《象牙の塔》全敷地を包む魔法結界の唯一の出入り口であるこの大門は、魔導士の巣窟に相応しく、左右に厳めしい門番ゴーレムを従え、四大精霊の彫刻を施した黒鋼の門扉を備える壮麗な魔道具だ。

 二体の門番ゴーレムは胸の魔力結石を動力として作動し、全自動かつ完全自律式で侵入者や異物を排除し脱走者を捕縛する。そして門扉もまた特別な手順で許可された生物や物体にのみ反応して自ら開閉する。そのうえ、それら全てがとんでもなく頑丈だ。《炎の巨人》イフリートが殴ってもびくともしなかったのだから、さすがの俺も感心した。

 ……本心を言えば、後学のために、この門扉をちょっと削って材質を調べたり、巧妙に隠蔽された術式を暴いて解析したりしたいんだが……。

 ちょくちょくこの大門にちょっかいを出す俺は、誠に遺憾ながら門番ゴーレムから半ば敵認定されていて、「おとなしく通過する」以外の行動をとるとゴーレム達は問答無用で俺を始末しに来る。ヤバイ。好奇心猫を殺すというやつだ。

 でもさ、初代魔導士長が生涯を懸けて建造して以来、もう二百年は経っているんだぜ?そろそろ初代の遺産を破ったり越えたりせめて改善する奴が現れてもいいと思わない?な、そう思うよなあ?

 俺は未練がましくゴーレムの隙を窺いながら門柱に歩み寄り、そこに埋められた操作板に右手をかざした。

 すると、鈍色だった金属板が淡く発光し……

――サイラス。

 同時に、耳元ではっきりと声が聞こえた。

 俺は眼球だけ動かして左右を確認し、辺りを探る。

 馬車が去った今、俺の周りに人の気配はない。風の精霊か?いや、一般精霊は人の名など呼ばない。

 ゴゴゴゴ……遠雷に似た唸りをあげてゴーレムが動き出す。そして光る眼を開いて俺をギロリと睨みつけた。うへえ、殺る気マンマンだ。物騒なゴーレムだなあ。

 先ほどの声が続ける。

――あんた、待ち伏せされているよ。

 俺はゴーレムの威圧に耐えつつ、

「……おまえ、レイラか?」

 と作動音に紛れる小声で呼びかけた。

 魔道具を介さずに声を遠方に届けることができるのは、風の精霊か精神魔導士だけだ。俺の周囲の風精たちがのんびり肩や髪に留まっているところを見ると、この声は俺の精神に直接響いているに違いない。ということは、これは母さんの一番弟子を名乗るアイツの仕業だろう。

――当たり~♪

 煽るようなクスクス笑いが脳裏に響く。あーこれは間違いなくレイラだ。今日も面白おかしく生きていやがる。

『通って良し』

 俺(たち)の様子にまったく構うことなく、右のゴーレムが厳かに告げた。

 おお、門番ゴーレムは精霊だけでなく精神魔法も感知しないんだな。まあゴーレムは心が無いから、精神魔法にかかる心配は無いか。

 黒鋼の大扉が静かに開き始める。



 《象牙の塔》を取り巻く《魔の森》は訓練生の実習場であり、様々な素材の採取・栽培所であり、新魔術の実験場でもある。

 だから当然、プチ火事やミニ洪水、突然の竜巻や凍結などは日常茶飯事だし、誰ぞが作った合成獣が逃げ出して野生化したり、召喚術の失敗で魔虫が大量発生したり、魔障により植物がモンスター化したなんて事故が頻繁に起きる。それで、この森は魔法結界だけでなく、高い石壁によって物理的にも外界から厳重に隔てられているのだ。

 すなわち――大門の外側にいる俺に、中の様子はさっぱり窺えない。

 それを利用し、門扉の向こう側で俺を待ち構えている連中がいるとレイラは言う。

――左に水・風。右に土・水。正面に土。あと上空に雷使い。ちなみに全員魔女。

「マジか」

 俺は眉を顰めた。

 6人がかりで何をする気だ?土や水系の魔女が多いのは俺の攻撃を封じるためだろうが……魔導士どうしの私闘は王命で禁止されているはずだぞ?さては、ジジイどもが手を回して俺の逮捕令状でも取ったか?

 僅かに開いた扉の隙間から、深い森の香りと雑多な魔力の交じる風が漏れ出す。

チクショウ、呑気に考察する暇は無い。

 俺はレイラに率直に尋ねた。

「なあ俺、何かやらかしたことになっている?」

——さあ?知らない。

 口調から察するに、レイラは肩を竦めたようだ。

 彼女が知らないということは、少なくとも上から大々的に捕縛命令が出た訳じゃなさそうだ。俺を本気で拘束するなら、どう考えても精神魔導士の協力が不可欠だからな。

 ということは、この6人は手前勝手に何かやらかそうとしているだけか?

「じゃ、心置きなく暴れていいな」

 俺はニヤリと笑う。レイラはブハッと失笑した。

——ほどほどにしてあげて?魔導士長がストレスでハゲちゃう。

 ここでレイラはいきなり精神干渉を止めた。首の裏あたりがスッと冷える。

 それを契機に、薄っすら垣間見える扉の向こう——暗い森を突っ切り、白亜の塔へまっすぐ伸びる石畳の道へ、俺は三体の風精を送り込んだ。

 呪文を唱えたり魔力を溜めれば、門番ゴーレムが反応してしまう。だが、俺は《風の女王》シルフィードとの契約で常時風の精霊を連れ歩いているから、俺に慣れ親しんだ風精たちは簡単な指示ならジェスチャーだけで応えてくれる。実に便利だ。

 謹慎明けに騒動を起こすのは不本意だが、攻撃は最大の防御になるからな。

 こんな魔窟に嫌々来てやっているのに、手荒な歓迎まで受ける義務はない。俺とわかって待ち構えている連中に遠慮は要らないよなあ?

 俺は一旦後退し、門から充分距離をとってから呪を唱える。

「《Tornado》」

 俺の魔力収斂体である指輪が白光を放ち、大門の向こう側で暴虐極まりない風の雄叫びが迸り、三本の竜巻が天へ伸びた。

 誰かの悲鳴があがる。石畳や樹木が凄まじい音をたてて引き剥がされ、宙へ舞いあがる。

 だが、森の奥に向かって進む竜巻をものともせず、黒鋼の大門は粛々と開いてゆく。俺は律儀に待機している左右のゴーレムと睨み合う……正直、待ち伏せ魔女どもより、このゴーレムの方が余程脅威だ。

 しばらく様子をみたが、門番ゴーレムはその場から動かなかった。どうやらこのゴーレムは大門の護衛しか担当していないらしい。内側の森が荒らされても、我関せずその場に立っている。フッ、やったぜ。目論見通り。

 俺はとりあえず大門の向こうが真っ平になるのを待ちながら、咄嗟に地面を掘ってあるいは土壁ドームを築いて隠れ凌ぐ魔女どもを目で探した。

 これで済むと思うな。俺を舐めるなよ?

 それから俺は時機を見て慎重に「おとなしく」大門を潜り、結界の内側魔の森へ歩き出す。

 そして竜巻によって拓いた空き地に立ち、今度は右腕に炎精を纏わせて高々と掲げた。炎の大精霊イフリートと契約した俺は燃えないし、熱くない。

「《Come on, fire dragon》」

 俺がその腕を振り下ろすと同時に、魔獣召喚の光が炸裂した。

 ズ…ドォン……ッ!

 さっき平らにした地面に、燃え盛る炎に包まれた深紅の竜が降り立つ。延焼を防ぐために竜巻を消したら、火竜は天に向けてダメ押しの咆哮を放ち、《魔の森》全体を揺らした。

 よし。ひとまず出鼻は挫いた。

 さて——奴らの意志は挫けただろうか。

「そこに居るのはわかっている。全員出て来い。さもないと灰にするぞ」

 俺は火竜を制御しつつ、冷ややかな声で脅す。

 すると、土埃だらけの魔女が数人、穴の中や土壁の下からノロノロと這い出てきた。

 ああ苛々する。ろくでもない汚れ仕事をさせられて謹慎までくらった挙句に、義父公爵からは嫌がらせを受け、これから魔導士長の小言だのジジイ管理官どもの妄言だのをさんざん浴びなければならない俺に、さらに待ち伏せしてまで攻撃してくる輩がいるとは。

 この世は地獄か?

 すっかり嫌気がさして不貞腐れる俺の代わりに、火竜が口を開いて魔女どもを威嚇した。

 ぼんやりしていた彼女たちは巨大な火竜に正面から睨まれていることに気づいて戦慄し、慌てて杖を手放した。魔法行使に必要な魔力収斂体である杖を自ら手放す行為は、魔導士にとって降伏を意味する。だが、一瞬で杖を引き寄せる術もあるので油断はできない。

 歯を剥き出して唸る火竜を片手で制しつつ、俺は仏頂面で命じる。

「両手をあげろ。そのまま、手ぶらで前へ出て両膝をつけ」

 不機嫌の底で苛つく俺に対し、何故か、彼女たちは目を輝かせた。

「はわわ……本物!本物のサイラスさまにホンモノの火竜だぁ!カッコイーイ!」(ヒャッハー☆)

「なんて麗しいの……話に聞くよりずっと美形じゃない!ステキ……」(恍惚)

「ふわぁあ!御髪が眩しい!もはや存在が輝いているぅぅ!かの《炎帝》を間近で拝めるなんて、クッ、我が一生に悔い無しやで……ッ!嗚呼ありがとう神様ありがとう賽銭はずんじゃう」(感涙)

「やだぁ、もぉ~さすが最強のイ・ケ・メ・ン!美味しそうだわぁ♪真昼間から興奮しちゃ~う♪」(うふふふ)

 魔女どもは命じられた通り、ぞろぞろ並んで膝をつきながらも、揃って頬を染め、うっとりと甘い息を吐く。そしてやたら潤んだ瞳で俺を見つめたり、ローブをギュッと掴んでモジモジしたり、思い余って礼拝したり我が身を抱いたりし始めた。

 えええ……なんだコイツら……?

 不気味な奇行に妙な圧を感じ、俺はドン引きする。この期に及んで、俺の顔なんてどうでもいいだろうが。片頬が盛大に引き攣る。

「おまえら……何が目的だ?」

 俺が睨みつけたせいだろうか、魔女たちのテンションが突如振り切れた。それぞれが遮二無二、俺の足元へにじり寄る。

「あ、あのアタシ、ずっと、ずっとサイラスさまのお目に留まりたかったんですぅ!」

「付き合ってください!お付き合いが無理なら、遊びでも浮気でも何でもいいわ!とりあえず今スグ私の部屋へ来て」

「どうか何卒ッ!実家の期待が重すぎるんでッ……人助けだと思って操を受け取ってください!お願いします!このとーり!」

「ねぇどう?このバディ。絶対に満足させてあげるし、三人は産んであげるわぁ。だから私を選んで頂戴♪後悔なんかさせないから」

「は……ハア?!」

 こいつら気は確かか?何を言っているんだ?!待ち伏せって襲撃じゃないのかよ!

 冷や水を浴びた気分だ。俺は青ざめ、思わず一歩下がる。

 と、そこへ。

 うら若い癖毛の魔女がもう一人、転がるように駆け込んできた。

「ずるいずるい、みんなズルーイ!!」

 どうやら竜巻に呑まれて吹き飛ばされたらしい。髪も服も乱れたまま、その彼女も俺の足元へスライディング土下座する。

「わたしスゥィーニーです!余計な口は利きません。抵抗もしません。とにかく抱いてください!!」

「いやだから……」

『お願いだから抱いて!!』

 魔女たちの声が唱和した。……どんだけ必死なんだ?

 火竜が太い首を傾げる。俺はもう唖然として声も出ない。

 白亜の塔の方角から、黒衣の管理官ジジイどもが文字通りすっ飛んで来た。

「ぬわぁにをやっとるんじゃあああああ貴様らああああ!!」

 先頭の小柄なジジイは魔導士長だ。どうやら激怒しているっぽい。あーあ。これは説教5時間コースか……?

 どこか遠くで、レイラが大爆笑している気がした。



<続く>


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