ハア?俺が攻略対象者?!6 ~悪役令嬢がもう一人……って冗談だろ?

饒筆

プロローグ  可愛いは無敵


 謹慎が解けた午後、俺は旋風を纏って大空へ飛び出した。

 天気は快晴。陽射しは肌を焼くが蒼穹は高く澄みわたり、風の精霊たちは涼やかに身を翻して秋の支度を始めていた……って、え?!マジで?!夏はもう終わり?!

 俺は愕然とした。

 チクショウ!せっかくのバカンスが、何にもないまま終わっちまう!

 そして盛大に舌打ちする。

 承服できない汚れ仕事をゴリ押しでやらされて、被使用者の権利を真っ当に主張したら二週間も謹慎させられて終わる17歳の夏——って、俺の人生はホント真っ暗だよな。

 ああ、高原でも海でも砂漠でもいい、オリヴィアを攫って連れて行って、あんなこととかこんなこととかしてみたかった……ッ!いや、そんな妄想を実行に移したら、間違いなく俺は公爵に消されるけれど。

 でもさあ、これだけ苦労しているんだから、ちょっとくらい婚約者とイチャイチャしたってバチは当たらないんじゃない?なあ、そう思わない?!

 今日、本来は魔導士の管理機関象牙の塔に呼び出しをくらっているのだが、マジメに出頭する気は今、完全に消失した。

 どうせ下らないお小言を延々と聞かされるだけだろう?……ハア……めんどくせえ……。

 人生に嫌気がさした俺はオペラハウスの大屋根に輝くペガサス像に跨って、しばらくたそがれてみた……が、やっぱり出頭する気などカケラも起きなかったので開き直った。

 もういいや。公爵に叱られてもいいから、オリヴィアの部屋にアポ無しで突撃しよう。彼女に逢えたら、マジメに生きる気力が少しは湧くかもしれない。もはやそれしかない。

 俺はくるりと向きを変え、王宮のすぐ傍に陣取るマクフィールド公爵邸に向かって飛んだ。



 公爵邸の警備はもちろん厳重だ。が、空から侵入する不届き者は俺くらいしかいないから、さすがの警備兵も上方は警戒していない。

 俺は音もなく屋根に降り立ち、屋敷の中を窺う。

 ラッキー!彼女は庭園のガゼボにいた。一人きりだ。やった!今日は俺、めちゃくちゃツイてる!!

 俺はすごぶる上機嫌で庭へ下りた。

 足元には夏の終わりを告げる、爽やかなブルーサルビアが揺れている。オリヴィアはもう蕾をつけた気の早い秋薔薇の蔭に一人、すっかり落ち込んだ表情で腰かけていた。

 あれ?黒いデイドレスかと思いきや、喪服を纏っている——そうか、元婚約者の喪に服しているのか。胸の奥がチリリと焦げ、上がりきったテンションが急降下する。

 ガゼボの手前で足が止まる。俺は躊躇いがちに声をかけた。

「オリヴィア」

 彼女はビクリと肩を竦ませてから、こちらを見上げた。驚いて目を丸くするのと、歓喜の声をあげるのがほぼ同時だった。

「サイラス……!」

 オリヴィアは憂い顔をパッと輝かせ、笑顔と共に立ち上がる。普段はキツめの美人なのに、俺に向ける笑みはやたら可愛いのはなぜだ。

「ただいまオリヴィア。久しぶり」

 例のゴリ押し下命を受けて「行ってくる」と挨拶したきり会っていないから、お互いの顔を見るのは半月ぶりになる。

 俺がおもむろに腕を開くと、オリヴィアはその中へ駆け込んできた。ほら可愛い。

「おかえりなさい。会いたかった!」

 軽い衝撃、そして甘い香りがふわりと広がる。あー良い匂い。両腕で彼女をすっぽり包み込めば、柔らかな肢体も極上の弾力も全部俺のものだ。ねえ、このままお持ち帰りしていい?

 不埒な妄想が頭を掠め、俺はオリヴィアを強く抱きしめたが——如何せん、ここは公爵の邸内だ。さっそく、俺の背中に害意の籠った視線が複数突き刺さる。

 ……わ、わかっているって。婚前に手は出さないよ。

 俺は渋々身を離した。

 そりゃあ、自宅とはいえ、溺愛する一人娘を完全に一人で置いておくわけがないよな。メイドに扮した暗殺者とか、陰の者とかを雇っているのか?

 俺は下心を隠し、言い訳がましく彼女の顔を覗き込んだ。

「寂しい思いをさせてすまない。謹慎を命じられたから、ずっと家から出られなかったんだ……俺も会いたかったよオリヴィア」

 オリヴィアは揺れる瞳で俺をまっすぐ見上げてくれた。

「いいのよ。あなたが無事なら」

 ハイ可愛い。俺は思わず彼女の滑らかな頬を撫で、口づけを落とした。

 その途端、俺の背中をブチ抜くほどの殺気が押し寄せる。

 ヤバイ!冷や汗が垂れる。でも頬にキスくらい、いいだろ!これくらい許してくれよ。心の狭い奴らだな。

 無言の威圧と密かに闘う俺の前で、オリヴィアは頬を染めて照れ、長い睫毛を落ち着きなく上下させる。そしてなんと、彼女の方から俺の胸にコテンと頭を預けて甘えてきた。

 ああもぉオリヴィア、俺を殺す気か?俺の婚約者が可愛すぎる。なのに、一切手を出せなくてツライ。ねえオリヴィア、今スグ結婚しよ?

 うっかりお花畑化した思考を正気に戻してくれたのは、他ならぬオリヴィアの一言だった。

「セオドア様のこと……聞いたわ」

 今夏、王都は第一王子セオドア討死の悲報に消沈していた。

 かの王子は意志が弱く、加護を得られず、醜聞を起こして廃嫡されたとはいえ、勇猛な名君の長男であった。かねてより懸案だったコーザリー領の反乱を鎮圧するため現地に向かい、居城を包囲されても善戦し、麾下の兵卒を逃がしたうえで城に火を放って潔く自決したと発表された折には、臣民一同「さすが」と感涙を流し、先日の葬送には貴賤を問わず王都中の人々が参列したほどだ。

 しかし、それは事実の表層に過ぎない。

「……どこまで聞いた?」

 俺は微笑みを浮かべたまま、声を潜めた。オリヴィアは俺の胸に額を擦り寄せながら答える。

「王宮内で取り沙汰された件で、お父様が知らないことがあると思う?」

「なるほど。公爵もご存じか」

「……辛かったでしょう」

 オリヴィアの細腕が俺の背に回り、今度は彼女がぎゅっと俺を抱きしめてくれた。

「陛下も酷いことをなさるわ。セオドア様とあなたは小さい頃からずっと一緒だったのに……セオドア様がお亡くなりになったことは勿論悲しいけれど、あなたの悲痛を想うと私の胸も張り裂けそう」

 ああ。俺は返す言葉も、取り繕う笑みも失った。

 オリヴィアは俺の心身をそこまで案じてくれるのか……熱い感動が湧き上がり、俺も再び彼女をきつく抱き締める。

「ありがとう……ごめんな」

 俺を想って心配してくれているのに、本当に本当のことは言えなくて。

「あなたが謝る必要は無いわ。悪いのは陛下よ」

 ぐすん。ちいさく鼻をすするオリヴィアが心底愛おしい。俺にとって彼女は無二の存在だと改めて思う。

 だからこそ言わねばならない。

「オリヴィア、俺は常に忠誠心を試されているんだ。そりゃあ、こんなクソ生意気な若造が国ひとつ滅ぼせるほどの火力を行使できるんだから、陛下は不安で仕方ないだろう。だから、これからもこんな理不尽を押しつけられることはあると思う」

 オリヴィアが潤んだ瞳を上げた。俺は彼女の髪をやさしく撫でた。

「でも大丈夫、俺はそれなりにしたたかで結構しぶといから。家族やオリヴィアのためにも、どんな勅命でもこなしてみせる。だからそんなに心配するな」

「……あなたはそれでいいの?」

「うーん、良くはない。けど、仕方ないと割り切るしかない」

「割り切れるの?」

 オリヴィアの細い指が俺の上着を強く掴んだ。柳眉が寄る。

「ねえサイラス。どうしても無理だと思ったら、私も一緒に逃げてあげるから正直に言って。どこへでも付いて行くわ」

「ありがとう」

「私は本気よ?実はね、以前からお金や持ち運べる財産を貯めてあるの。外国語だって学んでいるし、馬にも乗れるのよ?」

「凄いな。準備万端じゃないか」

「私を誰だと思っているの?」

 オリヴィアはフフンと胸を張る。そういう賢しげで逞しいところがまた可愛い。もう何をしても可愛いのだから、恋は盲目とはよく言ったものだ。

「そんなときが来ないように頑張るよ」

 俺たちはお互いを慰めるように見つめ合う。そしてオリヴィアがそっと瞳を閉じるものだから、俺は彼女の薄桃色の唇にキスをした。うん、甘い。空っぽだった胸に、幸せがひとつチャージされる。じゃあ、もう一度。角度を変えて今度は深く。……もう、どこかへ連れ込んでもいいかな……?

 ウオッホン!ウウンッ!!

 背後から、わざとらしい咳払いが聞こえた。

 ……なんか、とんでもない殺気とどす黒い瘴気が漂ってきたような?

 激しい悪寒を覚えつつ、俺たちが振り返ると。

 そこには、怒り狂う内心を隠し切れないブリザード系笑顔の魔王ならぬマクフィールド公爵が傲然と佇んでいらっしゃった。

 あ。俺、詰んだ。


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