127.epilogue/Interlude:其処に立ち現れる《符合》


「ごちそうさまでしたっ!」


「おいしかったですー!」


「よく食べるわねー、あんた達……」


 お皿に三枚積んでもらったホットケーキをぺろりとたいらげてしまったエイミーとランディに、ラフィがげっそりした顔で呻く。


「もう一枚おかわりください!」


「わ。わたしもっ」


「お夕飯入んなくなっても知らないわよ、あんた達」


 ぼそりと突っ込むラフィを他所に、ホットケーキの作り主であるヨハンナおばさんは嬉しそうににこにこしながら「はいはい、ちょっと待っててねえ」と奥の厨房へ引っ込んでいった。


 トスカの町でいちばん大きくて立派な、地元の名士である町長クローレンス氏の邸宅――つまりはユーティスの家だった。

 来客をもてなす談話室サロンのおおきなテーブルひとつを囲んで、ランディは従姉妹や幼なじみの友達と一緒に、おいしいホットケーキにむしゃぶりついていた。


 ともあれ、他人事と突き放すような態度のラフィに、エイミーがクスリと笑う。


「ラフィちゃん、おかあさんみたいなこと言ってる」


「おかあさん?」


「オ゛オ゛ゥ……マ゛マ゛ァ……」


「おかあさんじゃないし。てか、ランディもリテークも乗るんじゃないのっ!」


 そんな中。

 懐中時計の蓋をぱちりと閉じて、ユーティスが「さて」と場を仕切り始めた。


「ヨハンナのホットケーキをたっぷり堪能してもらったところで。そろそろ本題に入ろうと思うんだけど、いいかな?」


 本題――そうだ。確かに。

 ランディにとってはヨハンナさんのホットケーキも本題のひとつだったけれど、今日ユーティスの家に呼ばれた目的はもうひとつある。

 気取った所作のユーティスに、ラフィがふんと鼻を鳴らした。


「なんか話あるんだっけ? もったいぶってないで早く言いなさいっての」


「べつにもったいぶってるつもりはないんだけどね……まあいいさ」


 ラフィの横槍にむっとするでもなく、ユーティスはゆるりと微笑んで一同を見渡した。


「今度、あの『遺跡』の発掘調査が始まることになったんだ。それを伝えておこうと思ってね」


「遺跡――って、あの『遺跡』!?」


 驚くランディの反応を待っていたとばかりに、ユーティスは笑みを深くしてひとつ頷く。


「そう、『遺跡』。僕達が見つけた《真人》時代の遺跡さ」


 トスカの町の東に広がる、ラウグライン大森林。

 森の入り口から入って浅い川辺の方へ下ったところに、ランディ達が秘密基地アジトにしているツリーハウスがある。


 そのツリーハウスがあるところから少し川を上ったところに、ランディ達が『遺跡』と呼んでいる洞窟がある。


 もともとは川辺の斜面がちょっとした崖みたいなところになっていたところなのだが、大雨で土の一部が崩れて、埋まっていた入り口が露出したらしい。入口近くは一見して普通の洞窟だが、奥へ進むと壁も天井も石造りの通路に変わって、一番奥はドーム状の大きな部屋になっている。


 その洞窟は、いにしえの時代に繫栄したという旧種族――《真人》達がのこした『遺跡』なのだ。

 ランディの兄・シオンの働きかけや、トスカを含むオルデリス州の領主トリンデン卿のはからいもあって、この『遺跡』はランディ達五人によって発見された《真人》時代の遺跡として《諸王立冒険者連盟機構》へと登録されており、連盟に収蔵された記録を紐解けば、遺跡発見者としてそこに自分達の名前を見出すことができる。


「でも……調査っていうけど、そんな調べることあるの? あの『遺跡』ってそんな広いとこじゃないし、すぐに調べるとこなくなっちゃわない?」


「調べるところがあるかも含めて調べるのが『調査』ってものだよ、ランディ。現に僕達はあの『遺跡』で隠し部屋をひとつ見つけて、クゥを連れ帰ってるじゃないか」


 ――確かに。

 ランディは唸った。それは文句のつけようもなく、ユーティスの言うとおりだ。


 クゥというのは、ランディ達が『遺跡』の隠し部屋で見つけた《幻獣》――ファフニールと称される竜種の幼体の名前である。


 全身を鉄より硬い鱗で覆い、蝙蝠を思わせる大きな翼を持った強大なる魔物――という一般的な竜種のイメージと相反し、クゥはふわふわの毛並みをした仔犬みたいな姿をしている。

 くぅ、くぅ、と鳴いてごはんをおねだりしたり、お気に入りの毛布の上で転がって背中を擦り付けたりしている姿なんかは、完全に犬そのものだ。


「それに今回はあの『遺跡』だけじゃなくて、『遺跡』がある川岸の崖周辺も含めて発掘調査を行うらしいんだ。あの『遺跡』はより大きな遺跡の一部かもしれない、あるいは複数の小遺跡が集まった遺跡群かもしれないって考えていて、その可能性も検証するみたいなんだ」


「ねえ、さっきから気になってるんだけど……」


 腕組みしながら、眉をしかめたラフィが口を挟む。


「その調査に来るひとって、あんたの知り合いか何か? なんか、そんな感じの話し方に聞こえるんだけど」


「鋭いね、ラフィ」


「わかるでしょ、ふつうに。あんた言い草が思わせぶりすぎ」


 ラフィは「はん」と鼻で笑い、ユーティスは面白がるように口の端を吊り上げる。


 ふたりの間では何だか当然のことみたいに話が進んでいるが、ランディはそんなのさっぱりわからなかった。助けを求める心地でエイミーとリテークの方を見ると――リテークがぼーっとしているのはいつものこととして――エイミーは目を丸くして、ぽかんとしていた。よかった、わからなかったのはランディだけじゃなかった。


「そう、ラフィの言うとおり。今度『遺跡』の調査に来るのは、僕の叔父おじさん。今まで僕が話したことは、ぜんぶおじさんからもらった手紙に書いてあったことなんだ」


「それ、ユートに『遺跡』のこといっぱい教えてくれたって先生だよね? 歴史の!」


 ぴんと閃くものがあり、思わず勢い込んで身を乗り出す。

 ユーティスはどこか嬉しそうにはにかみながら、「そうだね」と首肯した。


 そう。ランディは以前に聞いたことがあった。

 ユーティスは親戚に歴史の先生がいて、それでなくとも頭のいい彼が『遺跡』や《真人》のことを色々知っているのは、その先生からいろんなことを教えてもらったからなのだと。


「正確に言うと考古学なんだけど、まあ大きな意味では歴史かな。そうだよ、王都の《学院》で真人時代の研究をしてる学者の先生。クローレンス研究室のルーサー・クローレンス教授――って言っても、さすがにわかんないと思うけど」


 懐中時計をてのひらでもてあそびながら。ユーティスは精緻な刻印がほどこされた文字盤の蓋を見下ろす。


「この時計もね。ルーサー叔父さんから貰ったものなんだ。『学問においてもっとも重要なもののひとつ。それは誤りなき記録のため、正しい観測を行うことなんだ』――って」


「それで、時計?」


 ほやんと不思議そうに首をかしげるエイミーに、ユーティスは「そうだよ」と応じる。


「正しい時間、正しい場所、正しい形、正しい数――どんなものでも、『正しい情報』はひとつの力なんだってこと。たとえば昔のひとが星の運行から天文学を発展させたのは、暦を知ることで種蒔きや刈り入れの時期を決めたり、冬に向けた支度を始めたりするためだ。暦を決める観測がいい加減なものだったら種蒔きも刈り入れも思うようにいかなくて、農業自体が立ちゆかなくなっていたかもしれない」


 そういえば、ユーティスは時鐘じしょうが鳴るたび時計の文字盤を確かめたり、日時計の状態を見て針の状態を直したりしていた。学校の休み時間にこっそり時計の螺子ねじをまいていたのを見たこともある。


「もっと卑近なところで言えば、僕達が《諸王立冒険者連盟機構》で作ってもらった『遺跡』の発見証明。あれだって、誰が、いつ、どこの遺跡を見つけたかを正しく記録できなければ、『僕達が』・『はじめて』・『あの遺跡を』見つけたことを誰にも証明できなくなってしまう。

 正しい日付の把握。正しい名前の聞き取り。正しい場所の理解。そして正しい字の綴り――これらが揃わなければ、正しい形で記録は残らない。『正しい』ということはそれ自体が大きな力なんだって、こう言えば少しは分かるだろ?」


「まあ……」


 眉根を寄せて唸るラフィはだいぶん複雑そうだったが、ユーティスのことばを否定はしなかった。


 もっともそれは、ユーティスの熱弁に納得しているというより、いつになく――いつも以上に熱っぽく雄弁を振るう幼なじみに気圧されているという方が、この場のではありそうだったけれど。


 エイミーに至っては完全に呆けていて、ユーティスの熱弁は右から左に抜けてしまっているとみてたぶん間違いない。リテークは、まあ、うん。


「おじさんがきちんと調べれば、あの『遺跡』が本当はいつ、誰が、何のために作ったものなのかだってわかるかもしれない。

 僕達みたいな子供にだって、偶然が重なれば隠し部屋の中にいた幻獣クゥを見つけることができたんだ。大人の、《学院》で専門の勉強をしている頭のいいひとたちが同じようにしたなら、きっともっともっとたくさんのことが分かる。分かるはずなんだ」


「そんなの、《真人》時代の終わりごろに、《真人》の誰かが作ったんじゃないの?」


「そういう大雑把なことじゃないんだよ、ラフィ。これまでの考古学的な検証も参照して丹念に調べていけば、きみが言ったようなことを、もっと正確に調べることができるんだ。たとえばあの『遺跡』を作ったひとの名前や、その建造理由なんかをね」


「ハルアさん――」


 不意に。その名前が口から突いて出た。

 唐突に口を挟んだランディにみんなの視線が集まるが、やがてユーティスが顎を撫でながらちいさく唸った。


「ハルアさん――って、トリンデン卿のお屋敷でランディが会ったっていう《真人》のひとだよね。彼女はクゥのことを知っていたっていうし、もしかしたら本当にランディの推測通りかも」


「推測ってなによ。ただのあてずっぽじゃない」


 むっとしたみたいにかみつくラフィ。ユーティスは「いやいや」と首を横に振り、


「そういう直感も調査には大切なんだよ――って、これもおじさんが言ってたのの受け売りなんだけど。ねえランディ、よかったらその『ハルアさん』のこと、おじさんに教えてあげてもらえない?」


「え?」


 目を白黒させるランディ。ユーティスはテーブルに身を乗り出すようにして、


「実はみんなに集まってもらったのはそういう話がしたかったからなんだ。

 今度の調査にあたって、おじさんは『遺跡』を見つけた僕達の話を聞きたいって言ってるんだよ。だから、みんなに協力してほしいんだ。《真人》時代の研究のためだと思ってさ」


「あたしは、別に構わないけど……」


「わたしもっ。ユーティスくんのおじさんにも会ってみたい」


 ラフィとエイミーが口々に言い、リテークもびしりと親指を立てて了解の意を示す。


「ぼくも、いいけれど――」


 半ば上の空で答えながら。

 ランディはリテークの方へと泳ぎそうになる視線を、意思の力で繋ぎ止めていた。それは理性とは別の領域からの、という冷たい予感がさせたわざだった。


(あの……『遺跡』を見つけたのは……)


 ああ、思い出してしまった。

 


 先々月のある時、大雨が降った日。その翌日。


 一時は嵩かさが上がっていた川の水もいつもどおりのところまで引いた夕方、リテークは例によって唐突に、ひみつの隠れ家であるツリーハウスを出て、川辺を上流へと向かって歩きはじめた。


 隠れ家がある岸辺から上流へ向かって歩いていくと、川岸はすぐに崖みたいに急な斜面に変わり、川の中を歩かなければ先へ進めなくなる。

 果たしてその時彼に何の目的があったのか。それは今もって定かでないが――突如として川の上流へ向かい始めたリテークの後を、靴の中を水浸しにしながら追ったその先で。


 ランディ達は、川辺の岩壁にぽっかりと開いた、『遺跡』の入り口を発見した――


「…………………………」


 リテークはむかしから、妙に鼻が利くところがある。

 エイミーが森で落としてしまった人形をみんなで探したときも、担任のホーリエ先生の家から逃げてしまった猫をクラス全員で探しまわったときも、真っ先にそれらを見つけたのは、この無口な幼なじみの友達だった。


 そのことを、不思議と思ったことはなかった。リテークはそういう探しものが得意なんだな――と、起こった結果を素直に受け止めていた。今までは。

 けれど、


 ――教科書に載っていなかった、

 ――そこに在ることなど知りようもなかったはずの、


 これは、いったい何だろう。

 ひとつひとつだけなら『もしかしたら』『あるいは』で棚上げできることが、今になってどうしようもなく、まるで鈎のように喉のあたりで引っかかって離れない。訳がわからなくて、気持ち悪くなりそうだ。


 ぐるぐるして眩暈がしそうな頭の中に、ぷかりと泡みたいに浮かび上がる妄想がある。

 ――あの時。あの『遺跡』でクゥとはじめて出会ったときに。クゥのための隠し部屋を見つけてくれたのはユイリィおねえちゃんだったけれど。


 けれど、もし――もしも彼女がそこにいなかったとしたら。どうだったろうか。


 見つけていたのは誰だったろう。立体映像ステレオスコピーとかいう何かで隠されたを。あの時、真っ先に見つけていたのは――


「どした?」


「え!?」


 ――リテークだった。

 夏も近づくこの時分でも口元をマフラーで隠している幼なじみが、どこか眠たげに半分閉じた目でじぃっとランディを見ていた。


「あ……」


 他のみんなも、ランディを見ていた。

 ユーティスは怪訝そうに。エイミーきょとんと目をしばたたかせて。ラフィは腕組みしながら「ふん」と鼻を鳴らして、


「なに暗い顔でぼーっとしてんのよ。変なランディ」


「……うん」


 いつしかびっしり浮いていた額の汗を拭って、ランディはこくりと頷く。

 まるで、悪い夢から急に醒めたときみたいだった。


「えっと……なんでもない」


 …………………………。

 ………………………………。



 ひととおりの話が終わったことでその日は解散となり、陽が暮れて空が赤々と染まる中をめいめい自分達の家路についた。


 ユーティスの家からだと、エイミーだけ他の三人と反対方向。

 町を南北に走る大通りに出ると、ラフィの家である冒険者宿、《黄金の林檎》亭ははそこから北側。ランディとリテークの家は反対方向になる。


 ラフィとも別れて。家に続く道を、二人並んで歩く。

 べつに、リテークが無口なのはいつものこと。ふたりで黙って歩くのが嫌だったことなんて今まで一度もなかったはずだけど――今は、その沈黙が息苦しい。


「……あのさっ」


 掠れた息をついて、ランディは隣を歩く幼なじみを見た。

 くるりと顔だけこちらに向けて、リテークは首をかしげる。


「この前……レドさんのお屋敷で見せてもらったやつ。《壁を通して遠くの音を聞く魔術》だっけ。あれ、教科書に載ってなかったね」


 答えはないまま、コクンと頷く。


「リテークは教科書で勉強したって言ってたよね? それ、どんな教科書?」


「わからん」


 ふるふると、首を横に振った。


「わからん、って……」


「むかし、なんかどっかで見た。それしかわからん」


「ええ……じゃあさ、あれって《子供を護ってくれる精霊》の魔法なの? それともふつうの、なんだっけ、ユートが言ってた……《詠唱魔術》ってやつ?」


「わからん」


「じゃあ――」


「どこで見たかもわからん。うちじゃないのはたしか」


 表情は変わるでもなく。語る口ぶりもいつもどおり淡々としている。


「……リテーク、外国行ったことある? 《多島海アースシー》のほかの国とか、《大陸》とか」


「ない。なんでだ?」


「もしかしたら、外国の魔法なのかな……って、思って」


「かも」


 リテークは前を見た。


「むかしのことだからな。おれにもよくわからない」


「そっかー……」


 ランディは深く、ひっそりと息をついた。

 そうして、いろいろなものを胸の奥に飲み込んでしまうことにした。


 そう――きっと、ぼくの考えすぎ。


 最近、信じられないようなことや考えなきゃいけないようなことが、たくさんあったから。だから、よくよく考えたらなんでもないようないろんなことまでおかしいみたいに思い込んで、想像しすぎてしまっているだけで。


「『遺跡』の調査、なんだか楽しみだね。また新しいことがわかったりするのかな」


 こくこくと、リテークは頷く。

 心なしかさっきより機嫌がよくなったようにも見えたけれど、よくわからなかった。


「ぼくたちにもおはなしを聞きたいって言われたけどさ。ひょっとしたら、ぼくらもいっしょに遺跡の調査に行けたりするのかな」


 リテークは再び、こくこくと激しく頷いて、


「ハイキングだぜ」


「ハイキングなのかなぁ……」


 ――そのあたりのことは、よく分からなかったけれど。


 でも、ユーティスにそれを言ったら、ちょっと怒られそうだな――なんて。


 まるで、やり忘れていた宿題から目をそむけるような心地で。

 埒もなく、そんなことを思った。

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