今日からはじまる魔法の授業、あるいは新しい《教科書》についての話

123.今日からはじまる魔法の授業、あるいは新しい《教科書》にまつわる話【序】


 その日、ランディ・ウィナザードの心は燃えていた。

 この年の春に八歳の誕生日を迎えたばかりの彼は熱くその胸を高鳴らせ、今日この日より始まる大いなる飛躍のときへ歩みを進めんと心に誓っていた。


 睡眠、よし。

 早起き、よし。

 朝ごはん、よし。

 忘れもの、なし。


 準備万端。気合十分。


 いずれ大きくなった暁には冒険者たらんと志すランディにとって、今日この日はその夢へと大きく踏み出す待ちに待った第一歩の日であり、日々たゆまぬ鍛錬へと新たな蓄積をはじめる、新たな修練のはじまりなのだ。


「いってきます!」


「いってらっしゃい、ランディちゃん」


 洋々と学校への歩みを踏み出すランディの背中を、ランディの『姉』である機甲人形オートマタの少女ユイリィが、常と変わらぬ朗らかな笑顔で見送ってくれる。


 《L-Ⅹ》――GTMM014-LⅩ《ユイリィ・クォーツ》。


 若木を思わせる、華奢でありながらもすらりと伸びやかな四肢。

 翡翠色の長い髪を一本のみつあみに結わえ、少女の美貌におさまった若草色の大きな瞳を煌かせる彼女は、今まさに外へ飛び出さんとするランディの頼もしい背中を見つめながら――どこか果実のような甘さを含んだ、優しい姉の声で問いかける。


「お弁当もった?」


「もった!」


 片手に下げた巾着を上げ、中のお弁当を示してみせる。


「筆記用具は?」


「鉛筆ぜんぶ削った! 消しゴムも新しいの入れた!!」


「教科書とノート」


「国語と算数と地理と歴史! あと」


 そう――それこそが。今日から始まる新しい授業!



の教科書は、今日学校でもらってきます! 体育みたいな実技の授業だから先生からいらないって言われてるけど、念のためノートはちゃんと入れました!!」



「よろしい! ランディちゃん、かんぺき!!」


 ぱちぱちと拍手するユイリィ。ランディはふんすと鼻息荒く、子供らしく薄い胸を張る。


「あのう」


 そんな、玄関先の二人に。廊下の奥からおそるおそる声をかけてきたのは、この家で寝起きするもうひとりの機甲人形オートマタ――ユイリィの先行姉妹機あbねと呼ぶべき《L-Ⅵ》。

 GTEM513-LⅥ――《メルリィ・キータイト》である。


 緩く波打つ亜麻色の髪と、双葉の緑を宿した橄欖石ペリドットの瞳、

 春の淡雪を思わせるはかなげな空気を頼りなげな痩身に引きずった、『清楚可憐』の体現であるかのような少女人形である。


「先程からおふたりでそうされていますが、ランディ様……時間のほうは、まだ大丈夫なのですか?」


「だいじょうぶです! 今日はいつもより早起きして支度しました!!」


「そうでしたか、それは失礼をいたしました――あ」


 ふと、何かを思い出した体で、メルリィは開いた口元を隠すようにてのひらを宛がう。

 さすがに気になってか、振り返るランディ。


「? なんですか、メルリィさん!」


「あ、いえ――なにも大したことではないのですが。ひとつ気がかりというか、そのようなものが」


 躊躇いがちに言うメルリィ。遅れて彼女へ振り返ったユイリィが――果たして、何をしたうえでのことか――声には出すことなく「あ」と小さく唸る。


「ランディ様は昨日さくじつ、『日直日誌』なるものをお持ち帰りになり、お部屋で昨日一日の記録をしたためられていたかと存じます――そちらはお持ちでしょうか」


「…………………………」


「ね、メルリィ。ユイリィ、その本を見た覚えはないんだけど」


「……ユイリィ・クォーツはその時間、買い物と自治会の共同作業のために外出していました。さらに言えば、貴女が帰宅した頃にはランディ様は既に所定の作業を終えられて、自室から階下へ降りられていましたから」


「あー、それでかぁ。おねえちゃん、しっぱいしちゃった」


 ――これは、ランディからでは決してうかがい知れぬことではあったが。


 この時ユイリィと向き合うメルリィの面持ちには、『あからさまな茶番に付き合わされる』ことに対するささやかな呆れの気配があった。


 ユイリィはメルリィとの間に形成した同調接続――それは、彼女メルリィの動向をするために形成したものである――を介して彼女の『記録』を読むことで、先んじて状況を把握していた。そも、メルリィが昨日『日直日誌』の存在を認識した時点で、ユイリィもその観測情報は認識していたはずなのだ。


 しかし、メルリィを『監視』するための道具である『同調接続』の存在をランディへ知らせぬため、ユイリィは口に出してメルリィへの確認を取った。ゆえにこその、これは『茶番』である。


 そして、その間――ランディは眉根を寄せて記憶を手繰り、続いて肩掛けの鞄を開いて中身を確認し。

 程なく鞄の中に並ぶ冊子の中から薄い革表紙で装丁されたそれを見出し、ぱぁっと表情を明るくする。


「ありました! ちゃんと鞄にしまってた!!」


「おおっ、ランディちゃんえらーい!」


「それはようございました。メルリィの杞憂に終わって、なによりのことです」


「ううん、ありがとございますメルリィさん。ぼく、日直日誌のことなんか完全に忘れちゃってたし!」


 恥ずかしげにそこまで言って、ランディはあらためて背筋を伸ばす。


「じゃ、今度こそいってきます!」


「いってらっしゃい、ランディちゃん!」


「いってらっしゃいませ」


 弾けるような笑顔を広げてひらひらと手を振るユイリィ。

 楚々とした所作で頭を垂れ、礼を以て見送るメルリィ。


 ふたりの機甲人形オートマタから見送りを受けながら、ランディは玄関から表の道へと飛び出していった。



 大陸より東方。

 数百とも数千ともいわれる数多あまたの島嶼が固まり連なるその海域を、《多島海アースシー》と人は呼ぶ。


 神代の終わり、かつて世界に君臨したとされる旧人類――《真人》たちが此処ならぬ果ての異世界へ旅立つとき、彼らはその最後の時を豊かな自然はぐくむこの多島海の島々に降り立ち過ごし、はるかな旅を前にその翼を休めたと、旧き伝承は伝えている。


 伝承の真偽は定かでない。

 しかしその物語を裏づけるように、多島海の島々は旧文明の痕跡――はるかなるいにしえの時代に真人たちが世界へ置き去った遺産、その宝庫であった。


 真人の遺跡は遠き過去の時代に失われた魔法文明を収めた蔵であり、同時にそれらは危険をそのはらにはらんだ迷宮ダンジョンでもあった。

 ゆえにこの地は、冒険者の天地。

 襲い来る危難を払い、暗がりに潜む魔物を討ち、迷宮を踏破して古の財宝と名誉を持ち帰る。


 ある者は夢を。

 ある者は探求を。

 ある者は一獲千金の未来を求めて。


 多島海には冒険者が集い、己が栄光と冒険譚を誇らしく歌いあげ――故にこの地で生まれた子供なら、誰しも一度は冒険者となって世界を渡る夢を見る。

 命知らずの彼らを支え、迷宮踏破を推し進める《諸王立冒険者連盟機構》の組織をもって、未知への探求と冒険を奨励する多島海アースシーは、ゆえにこそ、冒険者の天地と呼ばれて久しい。


 多島海アースシー諸王国の一つにして、多島海最大のルクテシア島に版図を広げる王国――大陸にまでその支部を伸ばす《諸王立冒険者連盟機構》盟主国ルクテシア。

 ランディはこの国で生まれ育った、そしてこの国では誰しもそうであるように未来の冒険に憧れる、ごくごくありふれた八歳の子供。――その、一人だった。

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