その頃、シオン・ウィナザードのささやかな冒険 ~スカヴィーサイド再訪編~

119.その頃、シオン・ウィナザードのささやかな冒険 ~スカヴィーサイド再訪編~【前編】


 港湾都市スカヴィーサイドは、ルクテシア島の東方――半島を南北に分断するリアム山地を後背に置き、ミューラ半島の北岸を占めて扇のように広がる、東ルクテシア最大の都市である。


 《多島海アースシー》最大の内海たるセラム海に面したこの都市は、東多島海アースシー諸国との交易の中枢たる貿易港としての役割と、海軍提督府が東方防衛の拠点を置く軍港という側面のふたつの顔を備え、いわゆる《ルクテシア六港》――ルクテシア王国に冠たる六つの港湾都市、その筆頭と数えられる地でもある。


 ルクテシア島中部に広がるラウグライン大森林とユニス・ヘリオシスの両山脈によって他の地方から隔てられた東ルクテシアは、異称をカイタギア地方といい、いにしえの統一戦争時代において最後までルクテシア王国と争ったカイタギア王国の故地だ。

 およそ二百年ほど前のカイタギア王国滅亡をもってルクテシアの統一戦争はその終止符が打たれたが、追討を退けセラム海へと逃れた旧カイタギア貴族の一部は、祖国が滅亡した後も海賊となってルクテシア東方の海を荒らしまわり、以後数十年に渡って王国を苦しめつづけた。


 そうした来歴もあってのことか。東ルクテシアの中枢たるスカヴィーサイドは古くから中央に対する独立の気風が強く、ここを母なる港と置く船乗りたちは総じて気性が荒い。


 スカヴィーサイド周辺の沿海州に封ぜられたる諸侯は、現在でも旧カイタギア貴族がその半ば以上を占め――『三代続けば名門』などと冗談交じりに語られるルクテシアの貴族として、これは異例のことである――彼らの多くは今なお、軍務への参加を引き換えとして、その傘下に抱えた私兵団の装備としての私掠船を擁することを認められている。


 またセラム海の島々には、彼ら沿海州の貴族、その祖先がねぐらとした海賊船団の隠し泊地が点在し、その大半の所在は今なお知れないままだという。

 ゆえに――この地の冒険者の中には、それら泊地に隠匿されたとされる旧き海賊たちの財宝を探し求めて、海へと繰り出す者も多くある。また、当世の海を荒らしまわる海賊どもの中には、それら旧き時代の泊地を己が根城とする者が少なからぬ数存在するという。


 六年前――シオンがはじめてこの都市を訪った折、黒衣の剣士ダ・ニールにそそのかされてスカヴィーサイドを襲撃した《バルバロッサ海賊団》が根城としていたのも、それら旧き泊地のひとつであったそうだ。


「シオン、くん?」


 六年ぶりに訪ったスカヴィーサイドの港。

 荒っぽい声をあげながら左右を忙しなく行き交う、水夫や港湾人足達。

 記憶に残る風景とそれらを重ね合わせて思い出に耽っていたシオンは、背中越しのかぼそい呼びかけに脚を止めて振り返った。


 頼りない呼び声の主は、ローブと三角帽子を着込んだ、どこか少女を思わせる面差しの娘である。


 シオンにとっては幼なじみでもある、《魔女》の娘フリス・ホーエンペルタ。おとぎ話や絵本に出てくる魔女のそれを思わせるいでたちの彼女は、冬の空色をした長い前髪に隠れがちな金色の瞳で、おずおずとこちらを見上げていたようだった。


「あ、すまないフリス。ぼぅっとしてた――何か言ってたか?」


「ううん。そうじゃ、ない……ん、だけど」


 やもすれば野暮やぼったく感ぜられるほどに伸びた前髪と濃紺の三角帽子で目元を隠した娘の表情を伺わせるものは、ほっそりした逆卵形の輪郭が縁取る白い頬と、淡く潤んだ桜色の唇くらいしかない。

 白い頬に朱を散らし、へにゃりと唇を緩めたフリスは、シオンが脚を止めたことで安堵したかのように、あらためてスカヴィーサイドの港を見渡した。


「なつかしい、ね……って、思って。スカヴィーサイド」


「ああ」


 幼なじみの素直な感想につられるように、シオンは自然と口の端を緩めていた。


 桟橋に並ぶ大小さまざまな船の群れ。ある者は船から荷を下ろし、また別のある者は船へと荷を積み上げる、屈強な港湾人足達。

 どこかからの航海を終えてきたばかりなのだろう水夫たちが、久方ぶりに踏む地面の感想を大声で言いあっているのが、潮風に乗って耳元まで運ばれてくる。


 そうした港の男達を相手取る露店の呼び込み。

 行き交う人々の間をすり抜けるように走る、はしっこいスカヴィーサイドっ子の子供達。

 雑踏の騒がしさを貫くように遠く響き渡るのは、出航を告げる鐘の音――あたりを見渡すと、桟橋に泊まっていた外輪船の一隻が、水車のそれを思わせる大きな車輪を廻し始めた様が目に留まる。


「……六年、ぶり? だよね」


「そうだな。そんなになるか」


 自分とフリスが十四歳のとき。冒険者になって一年と少しが過ぎて――今にして振り返れば、ようやくすこしは一人前の冒険者らしくなってきていたのだろう頃だった。

 揃って思い出を振り返るシオンとフリスの間に、不意に盛大な溜息が割り込んだ。


「そりゃアお前らは久しぶりだろうよ。冒険者やめて、ひなびた町で四年も引っ込んでたんだからなァ」


 呆れたような調子で放言したのは、ひょろりと背の高い森妖精エルフの青年だった。


 種族の特徴としてその美貌が知られる森妖精エルフらしく整った目鼻立ちではあるのだが、瞳の小さい、睨みつけるような三白眼のせいでどうにも荒くれ者のように見えてしまう、そんな面差しの青年だ。心なしか低音の効いた脅しつけるような声音と喋り方も、その印象に拍車をかけていただろうが。


 実際、気の小さなフリスは青年の一言に「ひぅ」とあっさり縮こまってしまい、はからずもその原因を作ってしまった森妖精エルフの青年は、隣を歩く狼人ワーウルフ――二足歩行の狼そのものの姿をした獣人だ――の女に、「こら」と脇腹を小突かれていた。


「フリスを怖がらせるんじゃないの。ジーナス、あなたすぐそうやって周りにメンチ切ってまわるんだから」


「あァ!? 言いがかりつけんな。切ってねーよンなもん!」


 森妖精エルフの青年――ジーナスが不満をあらわに抗議するが、そこへ「いやいや」と別の声が割り込む。


「ジーナス君は素の態度が悪いですからねえ。普通にしてるだけで周りを脅しているように見えてしまうんです。君はそこのところをわきまえて、よくよく振る舞いに気をつけておかないと」


 真面目ぶった所作でそうのたまったのは、聖堂の正式な旅装である黒のローブを羽織った、背の高い男。旅神官である。

 丁寧になでつけた髪といつも笑っているような細い目をした、それだけなら神官の鏡のような柔和な面差しなのだが――よくよく見れば端整な面に浮かぶ笑みはどことなく軽薄で、奇妙にうさんくさい気配があった。


「フツーに喋ってるだけだろが! テメェこそ他人に説教できるツラか、あァ!?」


「おお怖い怖い。私は人の輪を取り持つ神官として、君のそういうところを気を付けるべきだと言っているのですよ、ジーナス君」


「わ、わぁ。ごめんっ。ごめん、なさい、ジーナスさんっ……わ、わたし怖がって、ないから。ロニオンさんも、いじわる言っちゃ、そ、そういうの、だめ……」


 猛犬のような形相で唸るジーナスと、どこ吹く風でそっぽを向くロニオン。

 フリスが慌てふためきながら、剣呑な二人の間へ宥めに入る。


 ――《雷光の騎士》シオン・ウィナザード

 ――《魔女》フリス・ホーエンペルタ

 ――獣人族の剣士ビアンカ・レオハルト

 ――森妖精エルフの精霊魔術士ジーナス・エリク

 ――黒衣の旅神官ロニオン・クレンダール


 当世に名高き五人の冒険者――パーティとしての看板に、《渡り鳥》の名を冠する一行である。

 不世出の冒険者たる彼らの冒険譚は世に数多あり、また数知れぬ吟遊詩人によって歌われて久しい。


「はーいはい、ケンカしないのあなた達。天下の往来でみっともないったら」


「何だァその言い草ァ! もとはと言やァおめェが発端だろが!」


「そうですよビアンカさん。この期に及んで自分一人だけ責任から逃げようなどとは。いかな貴女とて許されざることですよ」


「ねえ、フリス。シオンも。懐かしくない? 確かこの辺だったわよねぇ、にはじめて会ったところ」


 男二人の抗議をしれっと流して話題を変えながら、人狼ワーウルフの娘――ビアンカは、紅檜皮べにひはだの瞳を細める。


 つられる形で周りを見渡して、シオンも「ああ」と腑に落ちる。


「そっか、イオか。そういえばこの辺りだよな、あいつと初めて会ったの」


「あ……うん。そ、だね。その……なつか、しい……」


 そうだ。確かにこの辺りだったはずだ。イオに――あのスリの子供に、フリスの財布を盗られそうになったのは。



『邪魔だよ! ぼーっと突っ立ってんな、このノロマ!』



 ――と。いきなり後ろからフリスにぶつかってきて、そのまま走り去ろうとした子供。

 古びた長袖長ズボンを着込み、黒髪を抑えるようにハンチング棒をかぶった、生意気盛りのようなだった。


 その懐へ、ぶつかった瞬間に素早く財布を抜き盗っていたのを見止め、シオンがすぐさまその場で組み伏せ、取り返してやった――



『オレはガキじゃねえ、イオだ! ちくしょ、放せこのやろ……力強すぎなんだよ、お前――!』



 ――そう。それが出会いだった。何とひどい出会いであることか。

 六年前を思い返しながらつい苦笑を広げてしまうシオンの隣で、フリスがふと、ぽつりと零した。


「あのときは……レドさんが、とりなしてくれた、ね。シオンくん、ずっと怖い顔だった……から」


「そうだったっけ? あ。いや、確かにあいつを捕まえたのは俺だけど……でも、そんな怖かったか?」


「ぅえ? え、と……ええと」


「ああ、ああ、怖かった怖かった。レドの野郎があの場で止めてなかったら、テメェそのままガキの腕へし折ってたんじゃねェかってくらいの形相だったね」


「何だそれ、バカ言えよ。いくらなんでもそこまではしないぞ俺だって――」


 さすがに不服を覚えて抗議するが、ジーナスもロニオンもビアンカも素知らぬ顔でそっぽを向き、挙句フリスまでもが困ったような顔で言及を避ける有様。

 さすがにその認識はあんまりではないかと、内心納得いかずに唸る。


 いや――それは確かに、自分がカッとなりやすい性質なのは自覚がないでもなかったが。でも、いくらなんでもそこまではしない。


 スリとはいえ、子供の腕を折るなんて真似は。

 いくら自分でも、しない――と、思う。


 その、はずだ。


(いや……大丈夫、だよな……?)


 ――閑話休題。


 ともあれ。思えばあの、発端だけ見ればろくでもない出会いをきっかけに、六年前のスカヴィーサイドでの騒動が始まったように思う。


 マフィアの頭目なんてろくでもない人種と関わり合いになる羽目になったのも。

 そのマフィアの頭目と、いかさまポーカーで勝負なんてする羽目になったのも。

 あるいは、スカヴィーサイドを襲撃してきた海賊団の迎撃に加わることになったのや、死んだものとばかり思っていた《黒剣士》ダ・ニールと一騎討ちの再戦なんて、昔の騎士道物語みたいな真似をすることになったのも。


 冤罪で追放された、当時の港湾局長――そのであるあのスリの子供と出くわしたのが、すべての始まりだったのではなかったか。


「そのイオだけど……迎えに来てくれるって話だったよな? 確か」


 確認の意味で、シオンは仲間達を見渡す。

 一同を代弁する形で、ビアンカが「そうね」と首肯した。


 シオン達がスカヴィーサイドを訪ったのは、何も昔の思い出にひたるためではない。


 さる悪徳貴族がひそかに手を染めていた、危険な魔物の密輸――その取引を巡る全貌を明らかとする冒険、その一環たる調査のためである。


 シオンがこの件に関わることとなった発端というべき、コートフェル近郊でラウグライン大森林へと逃げ込んだ《双頭蛇竜アンフィスバエナ》。その輸送ルートを辿った結果たどり着いたのが、このスカヴィーサイドの港だった。


 港、というだけであればミューラ半島全域だけでも複数の港が存在するが、ルクテシアの外――国外の船が入国を許されている港は、東ルクテシアではスカヴィーサイドが唯一のそれである。

 そも、双頭蛇竜アンフィスバエナは《多島海》でも南端に近い辺境の無人島群、それも迷宮の深奥に生息する魔獣だ。ゆえに外部から東ルクテシアへ持ち込むとなれば、必ずこのスカヴィーサイドを経由する。

 逆に、何らかの手段でスカヴィーサイドを経由せず不法に持ち込みをはかった場合も、それら密輸に対する取り締まりは港湾局が実働戦力として保有する、港湾警備隊の管轄にあたる事態だ。


 幸いにして――というべきか。シオン達は六年前の一件を経て、スカヴィーサイドの港湾局に伝手を持っていた。

 六年前に冤罪を晴らした港湾局長――現在ではその地位を後進に譲り、港湾局の入出港管理を預かっているという彼に、シオンはここ数年の間に行われた密輸の痕跡を探る調査と、今後の警戒強化、資料の共有を依頼していた。

 今回スカヴィーサイドを訪ったのは、その一連の調査結果を聞くためである。


 実のところ、その後に別の線から件の悪徳貴族――ワドナー卿の悪事の証拠をつかんだことで、問題の調査も一度は意味をなくしたかと思われたのだが。

 そのワドナー卿が取り仕切っていたのが、言うなれば魔物の『仕入れ』というべき領域のみであったことが明らかとなったため、あらためて検討の俎上へのぼることとなったのだった。


「そうねえ。こっちの船の時間は手紙に書いておいたし、行き違いになってなければそろそろ来ていておかしくないはずなんだけど」


「待ち合わせの場所、ここでよかったよな?」


「そうよ? 三番桟橋の前。私達がはじめて会ったところで、って」


 ビアンカはクスリと含み笑う。


「――そういえば、あの子とも六年ぶりなのよね。シオンも実は楽しみなんじゃない? あの子に会うの」


「? そうだな……」


 ――あの頃。

 イオはまだ十歳で、手も足も棒切れみたいに細い子供だった。


 冤罪で牢に捕らわれた父と、病気に臥せって働けない母親の代わりに――自分が働いて、母を助けるのだと息巻いて。けれど、十歳の子供なんて到底まともなところでは働かせてなんかもらえなくて。

 どうしようもなくなったその果てに、危険を承知でスリなんて真似に手を出した――無鉄砲で向こう見ずで、スリのくせに真っ直ぐな目をしていた、そんな男の子。


 あの頃は今のランディとそう変わらない年頃だった彼も、十六歳の青年だ。きっと年相応に背が伸びて、立派な青年になっていることだろう。


 あらためて指摘されてみると、六年ぶりに会う彼の成長ぶりが気にならないといえばそれは嘘だ。

 近くにそれらしき姿はないかと、何となしにぐるりと周囲を見渡して――その時、ふと後方から、とととっと駆けてくる軽やかな足音を聞く。


 はっとして振り返ったその時には、サマードレスの裾を翻して駆け寄る華奢な体がすぐ目の前にあった。


「――っと」


 とっさに身を引き、進路を開けてやるシオン。

 あやうくぶつかりかけたせいか、娘はたたらを踏むようにしながら目の前を駆け抜けて――やがて脚を止めると、その場でくるりと振り返った。


「邪魔だよ! ぼーっと突っ立ってんな、このノロマ!」


「すまない! 人を探していて――」


 真っ先に放たれたのは、サマードレスの清楚な娘が投げるそれとも思われない強烈な痛罵だった。

 だが、その声は海風を思わせて涼しげで。面と向かって叱りつける罵倒であるにも関わらず、そのくせどこか吹き抜けるように清爽な響きを帯びていた。


 年の頃は十五、六といったところだろうか。海鳥を思わせるすらりと細い身体に真っ白なサマードレスの裾をなびかせる、黒髪の娘だった。

 日に焼けた小麦色の肌と、腰まで届く黒髪。ぱっちりした睫に縁どられた瞳はいかにも気が強そうだったが、顎の細い輪郭におさまった目鼻の造形は美しく整い、街を歩けばさぞ周囲の目を引くだろうと思わせた。


 つばの広い帽子をかぶった、艶やかな黒髪の下。

 少女はどうしてか、大きな瞳をきょとんとしばたたかせ――それから、にんまりとその目を細めた。


「どうしたのさ。ねじ伏せないんだね、シオン・ウィナザード! それってやっぱり、!?」


「はあ……!?」


 シオンは訳が分からず怪訝に呻き――その時、不意に脳裏で引っかかるものがあった。

 少女の浮かべるその表情には、どうしてか覚えがあった。その声にも。


 その意味するところに――気づいた、その瞬間。

 シオンの顔から、さぁっと血の気が引いた。


「お前、っ……イオか!?」


「そう!」


 少女は首肯し、大輪の花のように笑顔を弾けさせた。

 対するシオンは言葉を失い、顎を落とす。まさか、と喚きかけ、目の前の光景を省みて寸前でその衝動を押し殺す。


「イオ……って、そんな。だって、お前……その恰好!」


「ああ、なぁんだやっぱり気づいてなかった! そうだよ、わたしは――ううん、はお前が知ってる、あの時の『イオ』! 見違えたでしょ!?」


 ほっそりと伸びた両腕をいっぱいに広げて。

 港へ寄せる海風に、サマードレスのスカートをなびかせて。


「――六年ぶりだね、シオン!」


 快哉を叫ぶ少女の笑顔を。

 シオンは呆けたように、啞然と見つめるしかできなかった。

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