116.《師匠》が来た日。【中編】


「ただいまぁー」


「お帰りなさいませ、ランディさま」


 学校を出たあと、みんなで連れ立ってランディの家へ入ったとき。

 ただいまの挨拶に楚々とした一礼で応えたのは、メルリィだった。


 彼女の足元ではクゥがちょこんとおすわりしていて、「くぅ」と甲高い一声をあげる。

 と――


「クゥちゃんだ――――っ!!」


 案の定。ぱあぁぁっと目を輝かせたエイミーが飛びつかんばかりの勢いでクゥの前にしゃがみこみ、ふわふわした毛並みをめいっぱい撫ではじめた。

 くりっとした瞳の目元がゆるみまくっていてたいへん幸せそうだったが、ともあれそんな幼馴染みの吶喊とっかんっぷりに、ラフィがひっそりと頭を抱えていたりした。


「お友達の皆さまも、ようこそいらっしゃいました」


「あ……その、はい。おじゃまします」


 クゥちゃんクゥちゃんとはしゃぐエイミーをちらと横目に見遣りながら、ラフィはいたたまれなさそうに縮こまって頭を下げる。


「ただいま、メルリィさん。ユイリィおねえちゃんは?」


「奥の地下室です。《コフィン》のある――」


「ランディちゃん、おかえり――――――っ!」


 メルリィの説明にかぶさる形で、廊下の奥――角の向こうのあたりから、ユイリィの声がした。例の地下室への跳ね上げ扉があるあたりだ。


「みんなもいらっしゃい! せっかく来てくれたのにごめんねぇ、ユイリィおねえちゃん今ちょっと手が離せなくって!」


「だいじょうぶー! 気にしないで―――――っ!!」


 廊下の奥へ向けて叫び返すと、「ありがとー!」と明るい声が返ってきた。

 ランディはあらためてメルリィを見上げ、


「ユイリィおねえちゃん、なにしてるんですか?」


「《コフィン》での修復に際し必要となる、液化霊晶ジェムの充填を」


 ランディのみならず、子供たちの興味津々の視線が集まる中、メルリィは一同を見渡しながらよどみなく答えた。


「充填そのものはひとを呼んでお願いしているのですが、充填状況をチェックする機材が《コフィン》に付属していなかったようでして。過充填オーバーチャージ防止のためにユイリィ・クォーツが付き添いで観測に」


 メルリィはそこでいったん話を切り、リビングの方を手で示す。


「玄関で長く立ち話も難なことです。皆さま、よろしければ奥でおくつろぎになってください。すぐにお茶と、お茶請けの菓子を用意いたします」


「あ、いえ。そんな。あたし達ここにはちょっと寄っただけで……すぐに出なきゃだから」


 あたふたと言うラフィ。とっさのことで言葉がうまく続かない彼女のことばに継ぐ形で、ユーティスが続ける。


「僕達この後すぐに、今日新しくトスカへ来たっていう薬屋さんにお邪魔するつもりなんです。ここにはそのついで――というだけでもないんですが、クゥに会いに寄ったんです」


「薬屋――」


 メルリィは穏やかな所作で小首をかしげる。瞳を縁取る睫がけむるように長いせいか、そんな風にしている彼女はどこかとろりとして、夢見るように眠たげにも見えた。


「それはわたし達が今朝にお会いした、イルダーナフ様のことでしょうか」


「ええ。その方です。フリスさんの薬屋へ代わりの薬師さんとしてきたっていう、シオンさん達のお師匠さまに……僕達は学校でランディから話を聞いたんですけど、これから薬師のおしごとで忙しくなる前に、ぜひ一度お会いしてみたいと思って」


 大人びてよどみないユーティスの説明に、メルリィは得心いった体で頷いた。


「左様でしたか。ですが、そうしたご用件であれば、今から薬屋へ向かわれるのはかえって二度手間になるかと存じます」


「「「「えっ?」」」」


 揃ってきょとんとするランディ達に、メルリィは地下室の跳ね上げ扉がある方をふと見遣り、


「イルダーナフ様でしたら先程から」


「何じゃあ、儂の客かぁー?」


 聞き覚えのある、女性の声。

 万能の者イルダーナフ――今朝方の『師匠』さんだ。


「地下室で、液化霊晶ジェムの充填にあたってくださっておいでです。イルダーナフ様は魔法屋でもいらっしゃるとのことでしたので」


「儂の客ならそこな娘の言うとおりにして、上で待たせてもらうがよい! こちらの仕事が終わり次第、そちらの話なりつきおうてやるでなぁ」


「――とのことです」


 言葉の続きを引き取り、メルリィが話を締めくくる。


「お茶請けには、ランディ様のお好きなマシュマロをご用意します。皆様もお嫌いではないですよね?」


「わ。はいっ。わたしもマシュマロ好きですっ」


「そういうことでしたら、是非。ご馳走になります」


「あ、あたしも……」


 みんな口々に応じ、無口なリテークもびしりと親指を立てて肯定の意を示す。


「あの、メルリィさん」


「はい。何でしょうランディ様」


 小鳥のように小首をかしげるメルリィ。その綺麗な顔をおずおずと見上げて、ランディは訊ねる。


「マシュマロ……焼いてもらっても、いいですか……?」


 そのお願いに。

 微笑んで、メルリィは応じた。


「もちろんです、ランディ様。ご要望、たしかにうけたまわりました」


 その微笑みにほっとして、ランディは胸を温かくする。

 メルリィはあらためて「さあ」と一同を見渡すと、てのひらで奥を示して招いた。


「皆様、奥の応接へ――どうぞお寛ぎになって、お待ちください」



「何ていうか、びっくりだよねぇ……」


 食堂と居間で兼用の、ランディの家でいちばん広い部屋。

 背の低いテーブルを囲むソファセットの応接を囲んでいたランディ達の中で、真っ先にそう零したのはユーティスだった。


 幼なじみの中でそういうぼんやりした感想をこぼすのはだいたいエイミーのほうなのだが、そのエイミーはといえば、彼女の隣にぴったいくっついてまるくなっているクゥの背中を撫でながら、ユーティスの感想にきょとんと目を丸くしていた。


「びっくりって……ユーティスくん、なにが?」


「ああ、うん。……メルリィさんがね」


 そのエイミーにあやふやな感想へ突っ込まれたせいか、ユーティスはてらいのほの見える苦笑を広げながら答えた。

 台所にいるメルリィをおもんばかってだろう。声を落として、続く感想を口にする。


「こう、すごいよね……って思って。あんな風に玄関でお出迎えなんてさ。ちょっと前まで刺客だ何だって騒いでたけど、今のあのひとはまるでお屋敷のメイドさんみたいだ」


「お屋敷って、ユートのとこみたいな?」


「いや、うちの話じゃないんだけどね」


 訊ねるランディに、ユーティスは苦笑を深めて首を横に振る。


 ユーティスの家はトスカの町長さんをしている名士の家だ。町でいちばん立派なお屋敷には何人ものお手伝いさんがいて、立派な燕尾服姿の家令スチュアートさんまでいる。


「何ていうか、うちはそこまで立派なとこでもないから……僕が言ってるのは、トリンデン卿のお屋敷みたいなところのこと。たとえば、家政婦長ハウスキーパーのアンリエットさん、ランディも覚えてるだろ?」


 その説明で、ランディも「ああ」と得心した。


 自分達がトリンデン卿のお屋敷――《遊隼館》の名を冠する邸宅にお招きされたとき、玄関をくぐったさきのホールで真っ先に迎えてくれたメイドさん。トリンデン家のメイド長さんであるアンリエットの出迎えを思い出す。


 芋づる式で、お屋敷にいる間お世話になったパーラーメイドのお姉さんたちのことも思い出して、ついほんの少し前のことなのになんだかとても懐かしい気持ちになってしまう。


(ドナさん、新作ちゃんと書けたのかな……だいじょうぶだったかなぁ……)


 遠くコートフェルで出会った人びとへとランディが想いを馳せてしまう間に、「ていうかさ」とラフィが嘴を突っ込む。


「うちはたいしたことないって、メガネあんたそれ嫌味? あんたのとこが立派じゃないなら、うちとか一体どんだけなんだって話よ」


「だから、それはトリンデン卿のお屋敷みたいなもっと立派なところと比べたら、って話だよ。

 だいたいラフィだって、うちに遊びに来たことあるだろ? うちのマシューやヨハンナ達に、アンリエットさんの時やさっきみたいなお出迎えされた覚えある?」


 マシュー、というのは、ユーティスの家――トスカの町長であるクローレンス家の家令スチュアートさんの名前である。


 もうひとり名前が挙がったヨハンナさんというのはマシューさんの奥さんで、お手伝いさん達のまとめ役。トリンデン邸でいうところのアンリエットさんみたいな立ち位置のひとだ。

 はちみつをたっぷりかけたとてもおいしいホットケーキを作ってくれるひとで、ランディもユーティスの家へ遊びにいくたび、ヨハンナさんのパンケーキをごちそうになっては舌鼓を打っていた。


 ラフィはむずかしい顔で唇を曲げながら記憶の棚を引っ繰り返していたようだが、やがてしぶしぶと言った感じで唸った。


「……ないわね。たしかに」


「でしょ?」


 そういうものなのか――と、ランディはユーティスの話にひとしきり感心する。

 いいところのお屋敷では、お客さんが来るたびにアンリエットやメルリィがしたみたいな感じのお出迎えをするものなのか。それは、なんだか大変そうだ。


「うちくらいの家格ならそんな仰々しい出迎えなんか端から期待されるでもないし、そういうの分かってるから父さんもその辺ゆるいんだよね。きちんとお出迎えしなきゃいけない賓客のときには、僕や母さんがお出迎えやお見送りに出ることもあるけれど――まあ、それくらいかな」


「……えらいおうちも大変よね」


「それは、ラフィが大袈裟に考えすぎてるだけだと思うよ? お客さんが来たら出迎えたり、お帰りのときにはお見送りしたり、するでしょ? ふつうにさ」


 ――なるほど。

 それもたしかに、言われてみればそうかもしれない。ランディだって、フリスがごはんを作ってきてくれたりお泊りに来たりしたときには玄関までお出迎えに出たし、彼女が帰る時は見送りに出て、「また来てね」と毎回次の約束を念押していた。


 ――と。その時だ。


「おう、待たせてしまったなわらべ達」


 張りのある一声と共に、『師匠』がやってきた。朝に見た武芸者めいた旅装ではなく、両手に軍手をはめた厚手の作業着ツナギ姿である。


 続いてユイリィが入ってくるが、こちらは台所のメルリィを見つけるなり、そちらの手伝いへと向かっていった。


 その間に、『師匠』は律動的な、どちらかといえば男性的な大股の足取りでソファセットのランディ達のところへやってきて、顎のほっそりした相貌そうぼうにくしゃりと笑みを広げた。


「すまなんだな、わざわざ儂を訪ねてくれたというに。だがまあ、からの薬屋まで行かせず済んだぶんだけ、僥倖ぎょうこうであったということにさせてくれ」


 明朗快活に言いながら、空いていた一人掛けのソファにどっかりと腰を下ろして。『師匠』はぐるりと、ソファセットのランディ達を見渡した。


「して、ぬしらはそこなランディ・ウィナザードの友達という理解でよいのかな?」


「はい。幼なじみで、クラスメイトです」


「マブだぜ」


 首肯するユーティスに続いて、リテークがびしりと親指を立てる。

 『師匠』ははっはと声を立てて笑うと、


「ところで、そこな金髪の娘はラフィ・ウィナザードであろう? アーヴィンとレナの娘、デルフィンとエルナの姪御めいごの」


「あたしのことご存じなんですか!?」


「もちろん知っておるとも。儂はデルフィンとエルナの師でもあり、この村――いや、今は町か、ともあれこのトスカを訪ったときにはアーヴィンの宿で世話にもなった」


 驚きのあまり素っ頓狂な声を出すラフィに、『師匠』はにんまりと笑みを深くする。


「ぬしは顔立ちが母とよく似ているゆえ、見紛うことなくすんだ。たしか儂が最後に来た頃には、ぬしは母御レナの腹の中だったな――生まれる前のことゆえぬしは覚えておらんだろうが、母御ははごの腹にいたぬしに向かって『強い子に育てよ』と念を送ってやったこともあるぞ? まるで昨日のことのようだ」


 ふふん、と得意げにする『師匠』のことばに、ラフィはぽかんと口を開けて、完全に呆けていた。

 まさか自分のことまで知られているとは、ついぞ思わなかったらしい――ランディからすれば、さほど不思議とも感じられないことだったが。


「そちらの三人まではさすがに覚えがないが――すまんが名を聞かせてもらえるか、わらべ達」


「僕はユーティスです。こちらがエイミーとリテーク」


「この子はクゥちゃんです!」


 クゥを撫でていたエイミーが、唐突に口を挟む。

 『師匠』ははっはと愉快げに笑い、「そうかそうか」と何度も深く頷いた。


「ユーティス。エイミー。エイミーにくっついておるのがクゥ。それから――リテークか、ふむ」


「……………………」


 ――ふと。

 『師匠』は睫の長い目を眇め、ぼーっとあらぬ方を向いていたリテークを見る。

 視線に気づいたリテークが彼女に顔を向け、双方の視線が一時、交錯する。


(……………………?)


 緊張が、わだかまった。

 傍で見ていたランディまで自然に背筋が伸びてしまうような、奇妙な緊張だった。


 だが、長くは続かなかった。

 口元を手で隠しながらじっと目を眇めていた『師匠』はふとてのひらの内側で静かに息をつき、ソファの背もたれへもたれるように体を沈めた。


「――まあ、よい。ところでぬしら、儂にいかなる用向きかな? おおかた、薬屋の仕事は明日からと思うて、愛弟子シオンらの話でも聞きにきたのであろうが」


 ユーティスとラフィが、揃ってぎくりとする。

 リテークは例によって特に反応なしだったが、エイミーはさすがに苦笑気味にしていた。


「お茶だよー♪」


 ――と。そこへ、お盆を両手に持ったユイリィとメルリィがやってくる。

 人数分の紅茶と、串に刺して焼いたお皿いっぱいの焼きマシュマロ。


 ふたりの訪れを真っ先に振り仰いだ師匠が、ほのかに甘い香りを立てる紅茶とマシュマロに「おお」と声を弾ませる。


「ちょうどいい塩梅に菓子もきた。どれわらわ達、なんぞ聞きたいことがあるなら遠慮せずに言ってみよ。

 儂のことでも弟子のことでも、この儂の知る限りを語って聞かせてしんぜようぞ」

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