115.《師匠》が来た日。【前編】

 大陸より東方。

 数百とも数千ともいわれる数多あまたの島嶼が固まり連なるその海域を、《多島海アースシー》と人は呼ぶ。


 神代の終わり、かつて世界に君臨したとされる旧人類――《真人》たちが此処ならぬ果ての異世界へ旅立つとき、彼らはその最後の時を豊かな自然はぐくむこの多島海の島々に降り立ち過ごし、はるかな旅を前にその翼を休めたと、旧き伝承は伝えている。


 伝承の真偽は定かでない。

 しかしその物語を裏づけるように、多島海の島々は旧文明の痕跡――はるかなるいにしえの時代に真人たちが世界へ置き去った遺産、その宝庫であった。


 真人の遺跡は遠き過去の時代に失われた魔法文明を収めた蔵であり、同時にそれらは危険をそのはらにはらんだ迷宮ダンジョンでもあった。

 ゆえにこの地は、冒険者の天地。

 襲い来る危難を払い、暗がりに潜む魔物を討ち、迷宮を踏破して古の財宝と名誉を持ち帰る。


 ある者は夢を。

 ある者は探求を。

 ある者は一獲千金の未来を求めて。


 多島海には冒険者が集い、己が栄光と冒険譚を誇らしく歌いあげ――故にこの地で生まれた子供なら、誰しも一度は冒険者となって世界を渡る夢を見る。

 命知らずの彼らを支え、迷宮踏破を推し進める《諸王立冒険者連盟機構》の組織をもって、未知への探求と冒険を奨励する多島海アースシーは、ゆえにこそ、冒険者の天地と呼ばれて久しい。


 多島海アースシー諸王国の一つにして、多島海最大のルクテシア島に版図を広げる王国――大陸にまでその支部を伸ばす《諸王立冒険者連盟機構》盟主国ルクテシア。

 ランディはこの国で生まれ育った、そしてこの国では誰しもそうであるように未来の冒険に憧れる、ごくごくありふれた八歳の子供。――その、一人だった。



「いってきまーすっ!」


 金曜日の朝。

 学校の鞄をたすき掛けにして、ランディは玄関から外へと飛び出した。


 トリンデン卿の暗殺にまつわる一連の事件でずっとコートフェルの《遊隼館》――トリンデン卿の邸宅にいたせいで、実に一週間ぶりの登校だった。


「いってらっしゃい、ランディちゃん。学校がんばってね」


「はぁいっ!」


 玄関の外まで見送りに出てくれたユイリィにくるりと振り返りながら大きく手を上げて応えながら。ぱたぱたと家の前の道まで出る。

 表の掃き掃除をしていたメルリィが箒を動かす手を止め、楚々とした所作でもって、亜麻色の髪がふわふわした頭を下げる。


「いってらっしゃいませ、ランディ様」


「あ、はいっ。いってきますっ」


 なんだかすごく格式ばってていねいな見送りに、つられて背筋が伸び、応答が硬くなってしまう。

 そんなランディの様子にユイリィがクスリとちいさく笑ったのが視界の端に留まって、ちょっと恥ずかしいような気分を覚えながら――学校まで走っていこうとして、寸前で踏み切りかけた足を止める。


 ユイリィが、弾かれたように横合いを見た。その動きに気づいたせいだった。


 北の方――学校や役場がある町の中心へ続く道のほうだ。


 メルリィもユイリィと同じものに気づいてか、彼女の視線の先を追ってそちらへ振り返る。


 ランディも遅れてそれに倣い――そして、道の先にを見出した。


 旅装束姿の武芸者だった。

 一目で武芸者と分かったのは、そのひとが大ぶりな剣を背負っていたせいだ。


 紫がかった長い黒髪と、使い古してくすんだ色味の外套マントをなびかせながら。

 まさしく飛ぶが如き俊足で、ランディ達の方へ向かって駆けてくる。


 向こうもこちらの存在に気づいたようだった。

 行き足の速度を落とし、ぱた、ぱた、と数歩分を踵で強く踏み込むようにして、ランディ達の前で足を止める。


 女性だった。とても背の高い。たぶんだけど冒険者の。

 見上げる頭の高さが兄のシオンと同じくらいのところにあって、大きく顎を上向かせないと目線がまったく合わないくらい。

 長身の女はランディとメルリィ、それから玄関のところにいるユイリィとを交互に見て、背負っていた大剣――たすき掛けにしたベルトの位置を直すように軽く肩を揺すった。


「失礼、各々方おのおのがた。少しものを訊ねたいのだがよろしいか」


「何でしょう」


 男のひとのような言葉遣いに、そう応じたのはメルリィだった。

 女は「うむ」とひとつ頷き、


「儂はご覧の通りの旅の者でな。ゆえあってこの町の――そう、この辺りにあるという薬屋を探しておるのだ。何か心当たりをご存じではないだろうか」


「薬屋さん?」


「うむ――」


 おうむ返しに返してしまうランディに、長身の女性は再度重々しく頷く。


(フリスねえちゃんの薬屋のこと、かな……?)


 真っ先に思い浮かんだのはそこだった。

 というより、そもそもトスカで薬屋といえばそこしかない。今は薬師であるフリスがシオンや他の仲間達と一緒に冒険に出てしまっているせいで、管理人の《自動人形パペット》が掃除と店番――作り置きの常備薬を渡している――をしているだけの状態だったが。


「それと……こちらは確か、ウィナザードの家であったはずなのだが。儂の知るところに間違いがなければ、今のこの家は男の子と娘のふたり暮らしだと……

 もしや思うが、近頃に住人が変わってしまわれるといったことなど、あったのだろうか」


「その情報は、本来であれば相違ないものであったと存じます。正確に言えば、昨日さくじつの時点における当家の家族構成は、あなたが仰るとおりのものでした」


 清水せいすいを思わせる声で静かに応じるメルリィ。

 女は目をぱちくりさせていたが、ややあってランディを見遣り、その場でひょこりと膝を落とした。


「ということは――だ、わらわよ。おぬしがデルフィンとエルナの下の子か?」


「おとうさんとおかあさんのこと知ってるんですか!?」


 驚くランディ。

 女はニコニコしながら「ああ」と首を縦に振る。


「もちろん知っておるとも! なんなら儂は、おぬしの兄やフリス・ホーエンペルタのこともよーっく知っておるぞ?」


 ――デルフィン・ウィナザードとエルナ・ウィナザード。


 ランディの両親で、ふたりともベテランの冒険者だ。今は夫婦そろって西の《大陸》を旅していて、三年前に一日だけ帰っていたらしいのを除けば一度も戻ってきたことがない。


「おぬしもそのひとりだ、ランディ・ウィナザード。人づての話ばかりではあるが、儂はおぬしのこともよぉっく聞いておる」


「そういうあなたは、いったいどちらさまですか?」


 ――と。

 いつの間にかランディのすぐ後ろまでやってきていたユイリィが、上機嫌にニコニコしている女へ誰何する。


 音もなくランディのすぐ後ろまでやってきていたユイリィに――旅装姿の女は「おや」と興味深げに目を丸くして、機甲人形の少女を見上げたが。

 やがて口の両端を吊り上げ、にんまりと笑った。


「儂が何者であるかということなら、そうさな。再びの冒険に旅立った我が愛弟子の代理として呼ばれた、旅の薬師というところじゃな」


 女のことばで、ランディは思い出した。


 そうだ。確かに、そんなことを話していた気がする――兄のシオンが冒険の旅に出る時、村で唯一の薬師であるフリスを連れて旅立つ代わりのお医者さんとして、信頼できるひとを呼んでいるのだと。

 だが――


「つまり、あなたは薬師さん、なんですか?……あまりそれらしくは見えないけれど」


 女を見るユイリィの瞳には、疑念の気配が露わだった。

 実際、女の荷物は背負った剣と腰に下げたホルスターつきのベルト、後は小ぶりな背嚢はいのうくらいのもので、硬革製の防護具プロテクターで要所要所を固めた旅装も傭兵か冒険者のよう。

 そのいでたちは到底、薬師のそれとは思えなかった。


「貴殿の感想実にもっともだ。たしかに儂は薬師だが、しかし察しのとおり専業の薬師という訳ではない。儂は旅の薬師であると同時に流れの武芸者であり、流浪の魔術士であり、またそれ以外の多くのものでもある」


 とらえどころのない物言いを流麗に並べながら。

 彼女はランディ達をぐるりと見渡し、すくっと立ち上がった。


「そして儂は、シオンとフリスの師でもある。かつてあやつらにはそうしたものがおったのだと、誰ぞあのふたりから聞いたことはないか?」


「あります!」


 ランディは真っ先に手を上げていた。

 むかし、寝るときにシオンが話してくれた冒険のおはなしの中で――そのひとは幾度もその姿を見せていた。


 シオンにとっては武芸の師であり、同時に冒険の師匠。

 フリスにとっては魔女術の師であり、同時に薬師の先生。


 シオンとフリスのふたりを預かり、一人前に育てた

 ある放蕩貴族の存在と同じく、吟遊詩人のうたでは語られることのない、そのひと。


 ランディの両親――デルフィンとエルナにとっても同じく『師匠』であるという、そのひとの名前は、


「儂は『万能なる者イルダーナフ』。我が愛弟子なる魔女フリスに代わり、同じく我が愛弟子なるシオンからの手紙でもってこの町へと呼ばれた――まあ、今日のところは『薬師』ということにしておこうか」


 いたずら者の猫を思わせる笑みを広げながら。

 彼女――シオン達の『師匠』は快活に尊大に、胸を張ってそう名乗った。



 学校には、あやうく遅刻するところだった。


 突然現れた『師匠』さんと、すっかり話し込んでしまったせいである。


 学校の始業まで時間がないのを思い出して、ランディは大急ぎで学校まで走ってきたのだが――ばたばたと教室に駆け込むことができたのは、担任のホーリエ先生がやってくるほんの少し前だった。本当にあぶないところだった。


 一週間ぶりの学校だったが、先生にも、それにたぶんクラスのみんなにも、ランディ達がここ数日学校を休んでいた理由はとうに知られているみたいで、あれこれと詮索されるようなことにはならなかった。

 ただ、クラスメイトのみんなからは、休み時間になるたび席の周りを囲まれてあれこれと昨日までの五日間の話を聞かれたが――さりとてそれ以外は何か変わったことがあるでもなく。

 《諸王立冒険者連盟機構》で正式に迷宮発見者として登録をしてもらった話や、トリンデン邸でのあれこれ。そうした話をユーティスや従姉妹のラフィが調子よく吹聴しているのを、何となく気後れししたような気分を覚えながらエイミーやリテークといっしょに眺めるなどして――そして迎えた放課後である。



「お師匠さま!?」



 学校終わりで、クラスメイトがみんないなくなった教室。ようやくいつもの仲良し幼なじみの五人で集まって話ができるようになってランディがその話を切り出した時、まっさきに食いついてきたのは従姉妹のラフィだった。


 明るい金髪を頭の左右で括ったラフィは、勝ち気そうな瞳のおさまったきれいなアーモンド型の目と、どれだけ外で遊んでもいっこうに日焼けしない白い肌をしていて、従姉妹といってもランディと似ているところは背の高さくらいしかない。そんな女の子だ。


「お師匠さま……シオンさんのお師匠さまって言ったわよね! そんなひとが来てるの!? この町に!!」


「シオンさんと、フリスさんのお師匠さま、でしょ。ラフィ」


 横から冷静にツッコミを入れたのは、幼なじみのユーティス。

 縁取りの細い眼鏡と瀟洒しょうしゃな懐中時計――大人でもなかなか持っていなさそうなそれらをごく当たり前のように身につけていて、知的な見た目そのままにクラスでいちばん頭がいい。


 トスカの名士である町長さんの息子である彼は赤みがかった髪の前髪が少し長くて、眼鏡にかかるそれを時折鬱陶うっとうしげに払う仕草がなんだか大人っぽくてかっこいいと、一部の女子から人気があった。

 とはいえラフィに言わせると「前髪邪魔なら切ればいいのに」ということになるし、実のところはランディも同じ気持ちだったりした――あえて口にしたことは、まだ一度もなかったけれど。


「どっちだっていいでしょそんなの! それよりも、ねえランディ、そのシオンさんのお師匠さま――イルなんとかさん? あんたの話がほんとうなら、今は薬屋さんにいるのよね!? そういうことよね!?」


「イルなんとかじゃなくて『万能の者イルダーナフ』。人の名前くらいちゃんと覚えた方がいいよ」


「うっさいメガネ! あんたいちいち細かい!!」


「ラフィちゃん、ラフィちゃん」


 困ったみたいに眉を垂らして、くいくいと袖を引っ張りながらラフィを宥めるのはエイミー。

 亜麻色の髪とエメラルドの瞳をしていて、幼なじみの中でいちばん背の低い彼女は、同じ女の子でもラフィとはまるっきり正反対の性格をしている。


 大人しくておっとりしていて、かわいいものとぬいぐるみが好き。

 動物も好きで、今はランディの家で飼っている《幻獣》――ふわふわした毛並みの仔犬みたいな竜種ドラゴンに、「クゥ」と名づけた名づけ親もエイミーだ。


 ちょっと臆病で泣き虫なところのあるエイミーの前で喧嘩を続けるのは後がよろしくないと感じてか、ラフィは「べーっ」と舌を出し、ユーティスは「ふん」と素っ気なく鼻を鳴らして、それで言い合いを打ち切った。

 ひとまず矛を収めるふたりに、ほっと胸を撫で下ろす――このふたりははだいたいいつもこんな感じで、なんのかんのと言い合いが絶えない。しょっちゅう仲裁に入らなきゃいけないランディからしたらたまったものではないのだけど、そのくせ決定的な仲たがいにはなかなかならないのが不思議なところだった。


「ね、ランディくん。その……お師匠、さん? って、たぶん今日はフリスさんのお薬屋さんにいるんだよね? さっきラフィちゃんがきいてたことだけど」


「んー……そうなんじゃないかと思う。たぶんだけど」


「じゃあ、このあとみんなで行ってみよ? お薬屋さん。途中でランディくんのおうちにも寄れるし……わたし、クゥちゃんにも会いたいな」


「会いたいってエイミー、昨日の朝までずぅっといっしょだったみたいなもんじゃない」


「んと。それはっ、そうなんだけど……でも会いたいのっ」


 胸のところでぎゅっと拳を固めて、むぅっと上目遣いに訴える。

 珍しく主張の強いエイミーに、ラフィは「しかたないわねぇ」と言わんばかりにやれやれとかぶりを振る。


「……って、この子は言ってるけど。ランディ、それでいい?」


「? なんでぼくに訊くの」


「クゥと会いにあんたの家にも寄るって言ってんだから、先にあんたに訊かないでどうするのよ。おうちの都合くらいあるでしょ、いくらあんたのとこだって」


「あ、そっち」


 説明されて納得する。

 日頃、宿屋であるおうちの手伝いをしているからなのか、他に何か理由があるのか、ラフィは意外とそういうところに気が回る。ランディがひそかにすごいなぁと思っている、従姉妹のこまやかなところだ。


「ぼくのとこはだいじょうぶだと思う。それより、このあとは薬屋さん行くのは決まりでいいの?」


「いいんじゃないかな。僕は賛成」


 ユーティスが挙手する。


「明日から土日でまた学校もお休みだしね。それにその『師匠』さんも、明日からは薬屋さんの準備なりお仕事で忙しくなっちゃうだろうし……処方箋なんかの用もなしにお邪魔するんなら、今日がいちばん負担にならないんじゃないかな」


 ユーティスが言うのに賛意を示す形で、教室に残っていた幼なじみの最後のひとり――リテークが、無言のうちにコクンと大きく頷いた。

 ツンツン髪とどことなく眠たげな目をした、いつも口元をマフラーで隠してあんまり喋らないリテークは、びしりと人差し指を立ててサムズアップすると、


「ピクニックだぜ」


「違うわよ?」


「ピクニックなんだ!?」


「エイミー? 違うからね?」


 ラフィが乾いた声でツッコむのも聞いているのかいないのか。エイミーはリテークの手に自分のてのひらを打ち合わせて、「ピクニック~♪」とはしゃいだ声を弾ませる。


 ピクニックかどうかは知らないが、いずれにせよ――ともあれ、そういった訳で。

 この後、自分達の放課後の予定が決定したみたいだった。

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