106.Interlude/Prelude:いずれまた新たな盤面で。《暗躍》するひとびとの幕間


「――そう。では、トリンデン卿からの要請は了解した、今回提出された要求は全面的に呑むと、そう伝えてください。併せて貴女の通信機は彼へ譲渡するように――今後の指令は、追って別の形で伝えます」


 ルクテシア国内に確保したセーフハウスのひとつ。

 ミスグリム州から境をひとつ越えたさる貴族領。先代当主の時代に避暑の目的で用立てたという、湖畔の別荘である。


 パーラーメイドの『スレナ・ティンジェル』として《遊隼館》へ潜伏していたエスメラルダ・ナテル特務曹からの報告を受けた彼は、手短な――遠回しな「待機」の指示のみを返し、通信を切った。


 別荘の三階。湖を一望するバルコニーである。

 深い森に囲まれ、澄んだ青を湛えた水面は中春の陽光を返して輝き――見ているだけで心が安らぐような光景ではあったが。


「やられちゃったみたいだね」


 バルコニーを囲う大理石の手すり。そこへ背中を預けるようにしながら、からかう響きを含んだ明るい声が飛んでくる。


 《L-Ⅸ》――GTVM824-LⅨ、アーリィ・ザイフェルト。


 腰まで真っ直ぐ伸びたプラチナの髪と涼しげな双眸に収まった紫水晶アメジストの瞳の彼女は、ワドナー卿の隠れ屋敷で身に着けていた軍装ではなく、真夏の雲を思わせる純白のサマードレスに編み上げサンダルという装いだった。


 避暑に訪った令嬢めいた装いで、清冽せいれつな少女の美貌へいたずらな笑みを広げるその様は――さながら湖畔の妖精を思わせる、あやうげに透き通った魅力を振りまくものではあっただろう。


 彼――黒曜石オブシディアンは苦笑を広げて、そんな部下、あるいは懐刀と呼ぶべき彼女のからかいを、力なくかぶりを振ることで受け流した。


「そうだね。僕達の暗殺計画は、トリンデン卿の機知と計略、彼のもとへ結集された数多の力によって見事跳ねのけられた――大恩あるワドナー卿に対しては、大変申し訳ない結果となってしまったね」


「よく言うよ」


 睫の長いアーモンド形の眦を細めて、アーリィはくすくすと笑う。


「だいたいボクが言ってるのはそっちじゃなくて、あのイカレのほうさ。勝手に音声拾ってたけど、あの女こてんぱんにやられてきたみたいだね?」


 トリンデン卿からの要求はみっつ。


 ひとつ――ルクテシアに潜伏する《特務》の司令塔たる士官との対話、及びそれに先立つものとしての、エスメラルダ・ナテル特務曹が所有する通信機の譲渡。

 ひとつ――今後の連絡要員としての、エスメラルダ・ナテル特務曹のトリンデン邸常駐。

 そして最後のひとつが、今後におけるメルリィ・キータイトの機主マスター権限譲渡に関する事後承認と、彼女の帰国へ向けたプロセス及びスケジュールの策定。


 とりわけ三番目の要求は、ナテル特務曹にとって認めがたい要求であったはずだ。だが、一連の結果を報告する彼女の声は終始その力を欠き、今後のメルリィに関する要求どころか、トリンデン卿の要求に対する反発すら出てこなかった。


「彼女も、気づいたのかもしれないね。遅まきながらではあるにせよ」


「だったらどうだっていうんだい? ざまあみろじゃないか!」


 両腕を広げて快哉を挙げながら。

 アーリィは、くるくるとバルコニーで周り踊る。純白のスカートと銀の髪を花弁のように広げ、晴れた空に向けて弾けるような少女の声を響かせる。


「今更あのイカレにできることなんか、もうひとつだってあるもんか!――そしてボク達は考えうる限りで最良の結果、そのひとつを手に入れた。結構なことじゃないか、オブシディアン!」


「ナテル特務曹にはかわいそうなことになったけれどね」


 穏やかな声音で零す少年士官。さほどの感慨があるではないが、彼女に対して同情する気持ちがあるのも事実ではあった。

 一方のアーリィは廻り踊るその脚を止め、ふんと上機嫌に鼻を鳴らした。


「ボク達はあのイカレの『復讐』とやらに十分以上の譲歩をしてやった。それで失敗したんだからざまあないよ。キミがどうかは知らないけどね、オブシディアン――ボクはまったく、おかしくって仕方ないくらいだね!」


「僕からの評は差し控えさせてもらうよ。彼女も同じ《特務》に身を置くスタッフであり、部下のひとりだ」


 梢のどこかから、鳥の囀る歌がした。

 アーリィはぱっと振り返り、手すりから身を乗り出すようにしながら木々の間へその姿を探してゆく。


「君は、これでよかったのかい?」


「何がだい? オブシディアン」


「《L-Ⅵ》――メルリィ・キータイトの去就だよ。彼女は《特務》を離れ、おそらくこの先自分の意志で戻ってくることはない」


 必要とされた結果は、『外交』の確立。


 《特務》はそのために謀略を巡らせ、貴族たちへと取り入り、そして必要な結果をおさめるに至った――今は秘められたる、国家と国家の交流、そして対話の導線。


 当面、表立った形で何らかの交流がなされることはないだろう。

 ルクテシアとガルク・トゥバスはあまりに遠い――純粋な距離以上に、いくつもの国家を間に挟んだその隔ては大きかった。

 北辺の大地に突如として統一国家を築き上げた新興の皇国に対する周辺諸国の警戒と反発は、今や度し難いまでに大きく分厚い。


 国家の繁栄を阻害するすべてを切り崩し、あるいは篭絡する。それがガルク・トゥバスの栄光を支えるみっつの柱、そのひとつ――《特務》の職責だ。


 だが、それとは何ら関係なく。

 《Lナンバー》に名を連ねる機甲人形オートマタたるアーリィが、同じナンバーを戴くメルリィ・キータイトへ抱いていたある種の『情動』を、少年士官は正しく察していた。


「いいと思うよ。このままいても、彼女にとっていいことなんかなかったろうしね」


 振り返るでもなく、アーリィは素っ気なく応じた。


「《人形工匠マエストロ》ヴァーベインから依頼された性能検証は果たした。

 ボク達と《第八工廠》にとって、これ以上彼女メルリィを《特務》に置く理由はなくなった――仮に彼女を《特務》へ残したたところで、あのイカレの復讐とやらに振り回されるだけさ。いいことなんか何もない」


 ふぅ、とひとつ息をつく素振りを見せてから。

 身を乗り出す間に掴んでいた両手でポンと押すようにして、アーリィは手すりから離れた。


「そんなの認められていいはずがない。

 彼女は《Lナンバー》――ボクと同じ道に連なる同胞。敬すべき先達。人形ドールの在り方を飛躍せしめた偉大なるいしずえ、そのひとりなんだから」


 ――同胞達への親愛。

 ――先達を仰ぐ敬愛。


 《人形ドール》をその高みに置いた、『人』と『人形』の絶対的な隔絶――


「その彼女を踏みにじる真似なんて、ぜったいに赦されることじゃないよ。あの女はろくでなしのイカレだ――これで《L-Ⅵ》があの女のくびきから解き放たれるというのなら、ボクはそれに心からの喝采を送り、先達の旅立ちを言祝ぐよ」


 ――いっそ無邪気と呼びうるほどに、彼女は『人』をで量る。 


 ワドナー卿を始末する手筈を整えたのは、彼女だった。

 無論、オブシディアンも撤退にあたり、ワドナー卿を自裁と見せかけて口封じするという選択肢は持っていた。まずそうすることになるだろうとも見込んでいた。

 だが――



『いいじゃないか手間が省けたんだから。どうせキミだって、こうするつもりでいたんだろう?』



 アーリィによる遂行は、彼の命令よりも

 その意図を質したオブシディアンに、彼女ははしゃぐようですらある弾んだ声で、そう答えたのだ。



『この男は見栄っ張りのごうつく張りでそのくせ無暗に偉そうで、人としていいとこなんてひとつもないようなやつだったじゃないか。屋敷のひとたちだってみんな彼を怖がってた。

 そんなむかつくイヤなやつに、わざわざ名誉の自裁って形でケリをつけてあげたんだからさ――むしろ、ボクのやさしさと心配りに感謝してほしいくらいだよ』



 ――もし、仮にその許可が下るのならば。

 アーリィは今からでも、躊躇いなくエスメラルダ・ナテルをその手にかけるだろう。朗らかに笑いながら。


 そうしないのは、彼女が同じ――最低限、『味方』の側に属する相手と理解していればこそ。ただ、それだけの理由でしかない。


「ボクはね、トリンデン卿には感謝してるのさ。彼はメルリィに優しくしてくれるし、ユイリィとも仲良しみたいだ――イカレ女や人形工匠マエストロなんかのところへ帰すより、彼女にとってずぅっとずぅーっといいことだと思ってるよ」


「言葉が過ぎはしないかと思うけれど――でも、確かに。《人形工匠マエストロ》ヴァーベインは、ナテル特務曹のもとへL-Ⅵメルリィをあてがった当人だからね」


 内心の動きを悟られぬよう、朗らかな笑みの裏にすべてを隠しながら。

 少年士官は賛同を示す体で、何度も深く頷いてみせた。


「仮にも《Lナンバー》一機の生殺与奪、それを個人の好きにさせるというのは異例のことだ。ナテル特務曹の境遇に、同情なり寄せていたのか知らないが――」


「はぁ? 冗談!」


 サマードレスの腰に憤然と片手を当て、もう一方の手でびしりと替えを指差して、アーリィは放言する。


「あの《人形工匠マエストロ》にそんな人間らしい情なんてあるもんか! もし本気でそれ言ってるなら、キミは今まで彼の何を見てたんだってハナシだよ!」


「……そうなのかい?」


 《人形工匠マエストロ》ヴァーベインの実像にさほど理解がある訳ではなかったが。

 それでも、アーリィのあまりの言いように、少年士官は目をしばたたかせて当惑する。


「そうとも、彼にそんな関心はないよ。もし疑うんなら今度本国へ帰ったときにでも報告してみるといい。『メルリィ・キータイトの身柄は、ルクテシアの貴族に預けてきちゃいました』――ってね! そしたら彼はきっとこう言うさ」


 アーリィはすんと背筋を伸ばし、実に過剰な厭味ったらしい表情を作る。


「『そうか。ところで彼女の性能検証はどうだった? いや、データは既に受け取ったが、よければ君やナテル特務曹からの所見を聞いてみたいね』――こうさ!」


「……すごいな、今の。とてもよく似ていたよ」


「だろーぅ!?」


 肩を震わせて笑うオブシディアンに、アーリィは得意げにふんぞり返る。


「彼はね、単に関心がないだけさ。

 《L-Ⅵ》の運用データさえ取れたなら、あとはべつにどうでもよかった――そのどうでもいいものをわざわざ欲しがるイカレ女が近くにいたから、なら好きにすればいいと放ってやっただけさ。彼の場合はね」


「……そう」


 ひっそりと息をつき。彼はいくつかの浮つくわだかまりを、胸の奥底へと押し潰していく。


「それで、オブシディアン? キミはこれからどうするつもりでいるんだい?」


「トリンデン卿には暗殺の一件で負い目がある。今回の要求と、あといくつかの融通はきかせることになるだろうね」


 無論それは、オブシディアン隷下の《特務》が有する裁量の範疇においてのことに限られるが。


「なら、こっちも弱みを握りに行くかい? 帳尻合わせを図るなら、それが一番損がないと思うけど」


「当面は却下だね。少なくとも、あちらの『観測範囲』が絞り込めるまでは」


 メルリィ・キータイトの観測を通して、暗殺行為に対する彼の切り札――万変する万影バルトアンデルスの存在は把握した。

 その開陳が、愚か者がただただ自分の立派な武器を見せびらかしたかっただけの行為ならそれでいい。だが――彼はそうではない。


「彼がわざわざ手の内を明かしたのは、こちらと同じ理由からだ。《万変する万影バルトアンデルス》の開示は僕達の行動を掣肘するための警鐘――排除に要する労力と利益、協調に伴う損失と利益を、天秤にかけさせるための『見せ札』だ」


 単にメルリィを捕獲し、あるいは排除するだけのためならば。彼はわざわざその手札を開いてみせる必要などなかった。

 トーマ・ステフに擬態したメルリィを問答無用で取り押さえ、俘虜とさえしてしまえば、それで事は片付いていた。


「厄介な相手かい? オブシディアン」


「そうだね。厄介このうえなさそうだ」


 メルリィへ対抗策を講じる時間を与えるというリスクを犯してまで、あの場で《万変する万影バルトアンデルス》の存在を明かした理由は何か――彼は、メルリィに対してだけ語っていたのではない。


 あれは、警告。

 メルリィの観測を介して事の顛末を見ているであろう黒幕、《特務》に向けて開いてみせた伏せ札だ。


 フレデリク・ロードリアン・ディル・トリンデン=オルデリス公は、の存在である――それを知らしめるためのお芝居だ。


 実際に特務がそれを見ているかは、実のところどちらでもいい。


 だが、もし一連の展開を見ていたならば、特務の今後の行動は《万変する万影バルトアンデルス》の観測を念頭に置いた制約に縛られる。

 他方、特務がそれらの情報を得ることなく、あるいはその意味するところを甘く見くびっていたならば、不用意な諜報活動へ臨んだ挙句に、《万変する万影バルトアンデルス》へ無用の情報を与え続けるだけの展開へと滑落する。


 トリンデン卿は《特務》の行動をもって伏せ札の効果を図るべく、こちらの出方を伺ってさえいればいい。


 文字通りの、『影』だ。

 踏めばその身に災厄をもたらす、見えざる夜色の底なし沼。


「……厄介な見せ札だよ。まったく」


 ユイリィ・クォーツが、それを意図してそうしたかは不明だが。

 運用データ収拾のためメルリィ・キータイトへ繋いでいた接続は、機主マスター権限の変更時に切断されている。また、今から繋ぎ直したところでその動きは瞬時にユイリィ・クォーツの知るところとなり、早々に対処されるだろう。

 

 今後の展開がどう動いたとしても、メルリィを隠れ蓑とした観測は不可能。

 では、エスメラルダ・ナテルであればどうか。


 あちらが彼女から引き出せる情報は、今のところ限定的なものだが――今後、下手に探りを入れさせようとすれば、その指令を、その指令に基づく行動を、すべてバルトアンデルスに『観測』される。

 明確にこちらの手の者と明らかになった彼女が、この先完全な自由のまま置かれることなどないだろう――つまるところ、より直接的に、トリンデン卿へこちらの動きを捕捉されるだけの結果を招く。


「《真人》時代の遺産たる幻獣とはいえ、無限の観測能力を備えている訳ではないと信じたいね。当面は能力の限界を見極め、こちらの陣容を再編する――それまでの間は、あちらに主導権を預けておく」


 仮に、エスメラルダ・ナテルの存在を含めたすべての情報を掴んだうえで今回の盤面に臨んでいたとするならば、トリンデン=オルデリスの指し手にはいくつかの不合理が残る。


 《万変する万影バルトアンデルス》の能力の限界に基づくものか、フレデリク・ロードリアン自身の視野と知性の瑕疵であったかは要検証としても、それらは彼らの防御が決して『無謬むびゅう』ではないという証左だ。フレデリク・ロードリアンという存在が『物理的に排除不可能』であるという、ひとつの優位性を別にすれば。


「よって、この負い目の帳尻を合わせるために――今後は君にも前線で働いてもらうことになりそうだ。あてにさせてもらえるかい、アーリィ」


「はいはい、わかっているよオブシディアン。キミの命令じゃあ仕方がない」


 やれやれと言わんばかりの所作や口ぶりとは裏腹に、アーリィの表情は好ましげにほころんでいる。手のかかる友人を見守るような、親愛と友愛の笑顔を湛えて。

 この笑顔を見せてもらえるうちは、彼女は《機甲人形オートマタ》として――彼の懐刀でいつづけてくれるはずだ。


 排除ではなく協調を。その判断を双方が崩さずいるうちは、現状の均衡が持続する。

 最強の手札である《L-Ⅸ》アーリィ・ザイフェルトの投入は、こちらの誠意をあらわす『見せ札』として機能してくれるだろう。少なくとも、当面の間は。


 湖畔に降りた妖精のように、いたずらで透明な少女。

 その紫水晶アメジストの瞳は、まるで舞踏会の夜を遠く待ち望む幼子のように――瞬く星々のきらめきで、強く強く輝いていたようだった。

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