104.それから先の顛末。いくつかの《後始末》に関すること・⑦


「――現在のエスメラルダ・ナテル特務曹との面識は、わたしにもありません」


 トリンデン卿の執務室である。

 彼は執務机に腰を落ち着けた自身の傍らにトーマを置き、対面の椅子にメルリィを座らせて、自身の問いに対する彼女の答えを聞いていた。


 そのやりとりを、ユイリィは部屋の壁際に立って観測していた。

 何事か妙な動きがあれば、一足飛びで両者の間に割って入れる位置取りである。


わたしの記録にある彼女は、最終起動試験の時が最後です。以降の彼女に関しては記録がなく、この期間に意図して顔や体形を変えている可能性もあります」


 無論――機主マスター権限を書き換え済みである以上、エスメラルダ・ナテルからの暗殺指令がこれ以上用をなすことはないし、昨晩メルリィとの間に開いた接続経路は今の時点でも『有効』だ。そも、ワドナー卿に関する決着もついた現状において、なお暗殺の遂行が命ぜられる可能性からしてゼロに等しい。


 それでもユイリィがこの場に同席していたのは、自分にメルリィの管理責任があると判断すればこそだった。


「また、ナテル特務曹からの指示・連絡は常に通信越しのものでした。彼女がこの都市のどこへ潜伏していたのかも、わたしには共有されずじまいの情報でした」


 トリンデン卿からの問いに答えるメルリィは、純白のブラウスと腰を細く絞った膝丈のスカートの清楚な上下を身に着けている。拘束しておくにしても、あの肌着同然の恰好のままにしておくのは忍びなかったということか、館に滞在する間の衣服として与えられた一揃えであった。


「つまりは、エスメラルダ・ナテル特務曹――私の暗殺を命じていたエージェントの面通しを君にしてもらうのは、不可能。そういう事になってしまうね」


「はい」


「では、声なら?」


「通信は常に変声機を通したものでした。波形や話し方の癖での照合ならば、不可能とまでは断定できませんが」


「ふむ」


 考え込む素振りで、トリンデン卿は逞しい顎を撫でる。


「よければひとつ訊かせてもらいたいのだが――その通信というのは、いったいどのような附術工芸品アーティファクトを用いて行われていたものなのかな?」


「はい……?」


 執務机へ身を乗り出すようにして問うトリンデン卿に、メルリィは微かな困惑の色を広げる。


「なに、単なる興味本位の質問だとも。北辺の皇国ガルク・トゥバスの技術とは、いかなる系譜に連なるものであるか――未知なる異国の技術へ通じたいと願う好奇心は実に普遍的なものであろうと愚考するが、いかがかな?」


 ユイリィからしても顔をしかめたくなる空々しい物言いだった。問いを向けられた当人であるメルリィも、これはさすがに答えに窮していたようだったが。


「…………黙秘、は、認められますでしょうか」


 ほう? と唸り、トリンデン卿は興味をそそられた体で眉の片方を跳ね上げた。


「現在のわたしはトリンデン卿ならびにユイリィ・クォーツに降伏した俘虜ふりょです。尋問に対し『否』を返す不誠実は承知しています――ですが」


「だからといって、軽々に祖国を売り渡すがごとき振る舞いはできかねる、か」


 まさしくその通りだったのだろう。

 メルリィはそれ以上のことばもなく、苦しげに唇を噛んだ顔を俯かせる。


「確かに。技術のいたずらな流出は、国益の損失に繋がる事ではある。が……」


 トリンデン卿が、くるりと首をねじってユイリィを見た。


「どうであろうか、ユイリィ・クォーツ。この一件、君の権限で彼女を『説得』することはかなうまいか?」


 ――矛先がこちらに来た。

 ユイリィはうんざりとしているのを敢えて隠さず、大きな溜息をついてみせる。


「……たしかに、ユイリィは彼女の先任機甲人形オートマタ、現在の彼女の身柄を管理する立場にありますが。その権限はあくまで代行機主マスターであるランディ・ウィナザードによる命令オーダーが下されるまでの間、彼女の管理を代行する範疇でのみ裁量を与えられるものです」


 淡々と。針を刺すような心地で、告げてやる。


「いかなトリンデン卿のご要望とはいえ――代行機主マスターの裁可なく彼女へ新たな命を下すのは、当機ユイリィに与えられた権限の範疇を逸脱するものであろうと判断しますが」


「成程、これは然りだ。それにかの少年であれば、彼女メルリィへ祖国への裏切りをそそのかすがごとき悪辣あくらつは認めまい、か」


 一本取られた、とでも言わんばかりの体で、トリンデン卿ははっはと笑った。


「よし、分かった。であればこの件についてはやむなしとしよう。今の質問はなかったことにさせてくれたまえ――よろしいか?」


「トリンデン卿のご厚情、心より感謝いたします」


「なに」


 安堵をあらわに、楚々とした所作で頭を下げるメルリィへ、トリンデン卿は「構うな」とばかりに手を振った。


「元より、現在の君の主がランディ少年であることは重々承知のこと。

 かの少年もその友人達も、そこなるユイリィ・クォーツも、私にとっては一時の冒険を分かち合ったかけがえなき朋友とも――その美しき心映え、敢えて曇らせ踏みにじるがごとき無粋な真似を、どうしてこのフレデリク・ロードリアンができようものか」


 多分に芝居がかった所作でそう言うと、トリンデン卿は不意に眦を細めた。


「それに、今のやりとりで得られたものもあった。エスメラルダ・ナテルに関する私の問いに、君はまずという確信だ」


 メルリィが目に見えてぎょっとするのに、ユイリィは目を覆いたくなった。

 だが――つまりはそういう事だ。求められるまま正しく答えを返せない問いに対して、彼女は嘘の回答ではなく、『黙秘』の懇願を選択した。


 一連のやり取りで、トリンデン卿は彼女の『誠実さ』を推しはかった――何て性格の悪い男だろうか。


「であれば、君への尋問はここまでとしよう。この期に及んで君にさらなる責め苦を課すがごときも、やはり私の本意とするところではないからね」


 トリンデン卿はチェアの背もたれに体を預け、寛いだ姿勢を取った。

 硬い話はここで仕舞いだと、それを示すためのポーズだった。


「そのうえで、最後にひとつ確認させてもらいたい。君はこの先、どのように身を処したいと考えているのであろうか」


「……わたしは今後ランディ・ウィナザードの預かりとなり、彼を代行機主マスターと仰ぎ傅く身であると認識していますが」


「そういうことではないよ。将来的な話だ」


 困惑気味の答えを遮る形で、トリンデン卿はかぶりを振った。


「ランディ少年の意志はおって確認するとしても、そこなるユイリィ・クォーツは君をこの先永劫に渡ってランディ少年の機甲人形オートマタと置くつもりはないだろう。そのうえで、君の先々の展望――君がこの先、を、はっきり確認しておきたいのだ」


 トリンデン卿は、こちらの意を求めるようにちらと視線を走らせる。

 その視線の動きを追う形で、メルリィもまた壁際に立つユイリィを見る。


「…………そうだね」


 ユイリィは溜息混じりにひとつ頷き、トリンデン卿の推測を追認した。


わたしは――」


 小作りな横顔を俯かせて。メルリィは少しの間、返すべき答えを探していたようだったが。


わたしは、いずれ祖国ガルク・トゥバスへ帰りたい。そう……思っています」


「それは、《特務》への復帰を望むという意味かね?」


「いいえ」


 メルリィは首を横に振る。


「《特務》への帰還にあたり、わたしはひとつの遺言を反故にしてきました。叶うならば――叶うならば、わたしはそれを、今からでも果たしに戻りたく思っています」


「……難しいな」


 ひとりごちるように零すトリンデン卿の声には、しかし、メルリィに対するいたわりの気配が滲んでいた。


「事はガルク・トゥバスという国家が絡んだ問題でもあり、その望みを叶えると断言しうる根拠を、今の私は持たない」


「はい」


 うつむいたまま、コクリと頷く少女人形へ。トリンデン卿は、「だが」と力強い笑みを広げてみせた。


「だが――君の希望はたしかに承知した。その実現を確約することはできないが、その望みの実現に向けて力を尽くすこと、このフレデリク・ロードリアンが約束しよう」


 ぱっと弾かれたように面を上げたメルリィの表情は、まさしく豆鉄砲を喰らった鳩のそれだった。


「私が聞きたかったことは今のですべてだ。最後に何か、君から私へ訊きたいことはあるかな?」


 メルリィは返す言葉もなく、魚のようにぱくぱくと口を開閉させるばかりだったが。トリンデン卿はそれを以て、彼女からの雄弁なる回答と見做したようだった。


「であれば、話はこれで終わりだ。屋敷での滞在中は所定の部屋で軟禁させてもらうが、以降のことはユイリィ・クォーツ――そしてランディ少年へ一任するものとする」


 ――以上だ。


 と、話を締めくくり。

 トリンデン卿は率先して、尋問の席を立った。



 拘束後のメルリィは、本邸北側の一室へ軟禁されていた。


 おそらく、本来は何らかの咎を受けた貴人を閉じ込めておくための部屋なのだろう。窓には鉄格子がはまり、扉のつくりも壁の設えも周囲の部屋と比べて一段と頑丈なつくりをしていたが、何が違うかといえばその程度のものだった。


 ユイリィはメルリィを先導して、その軟禁用の一室へと向かっていた。

 部屋の前にふたりの見張り――おそらくは、《万変する万影バルトアンデルス》であろう――がついていたが、部屋から出た後の移動はユイリィの管理に一任されている。

 トリンデン卿の暗殺を目論んだ暗殺者の処遇としては、ゆるいにも程がある。


「……いいのでしょうか、ほんとうに」


 ぽつり、と。

 メルリィがそう零すのを聴き留め、ユイリィは脚を止めることはせず、首だけねじって後ろを振り返る。


 暗い顔を俯かせた彼女のことばが意図するところは推察するよりほかになかったが、ユイリィはひっそりと息をついて答えた。


「いいんじゃない? トリンデン卿がいいってゆってるんだし」


「ですが、わたしは――」


「よくないんならもっと突っ込んで訊いてきたと思うよ。逆にあっさり引いたのは、問いの重要度がせいぜいそこ止まりだったってこと」


 その気になれば、尋問にせよ情報の収集にせよ、やりようはいくらでもあるだろう。たとえ、ランディ達への体面を考慮したうえでのことであるとしても。


 というより、この件に関してはメルリィのほうが度を越していた。

 彼女はあまりに


(世話が焼けるんだから。もう……)


 メルリィへの尋問にユイリィが同席したのは、彼女に対する管理責任ゆえのこと。


 それは、メルリィがトリンデン卿へ危害を加える可能性の監視であり、同時に、危害を加える可能性への監視でもあった。


「それに――」


 ユイリィはふと脚を止め、あらためて元来た道を振り返った。

 メルリィも不思議そうに脚を止め、ユイリィが見るその先へと振り返る。

 その先には、最前までふたりがいた場所――トリンデン卿の執務室がある。


「たぶん、ほかにもあてがあるんじゃないかな。あの人の場合は……」



『――トリンデン卿の暗殺はならず。結果としてはそういうことでいいんだね、エスメラルダ・ナテル特務曹』


「はい。力及ばずです」


 背の高い木立の下。

 まっすぐ伸びた幹へ背を預けるようにしながら、彼女は通信の向こうの相手へと詫びた。


 彼女の視線が見下ろす先にあるのは、その手に持った、手鏡付きのコンパクトだった。

 否――それは女性用の携帯化粧容器コンパクトに偽装した、遠隔無線通信機である。


 魔術機構ではなく、電波によって遠方との通信を行うこの機器は、その性質ゆえに魔術探査の網にかかることがない。

 通信も音質も不安定、法力を電力に変換する蓄電器バッテリーの容量がちいさいせいで長時間の通信もできないが、隠密性と潜伏性という点において――少なくとも、魔術が文明の基盤たる国や領域においては――あらゆる附術工芸品アーティファクトの追随を許さない、携帯通信機だった。


「《L-Ⅵ》メルリィ・キータイトはトリンデン卿の虜囚となりました。彼らの言によれば《L-Ⅵ》は機主マスター権限を変更されたとのことで、奪還は困難――かつ、奪還後の帰投はさらなる問題が予想されます」


『うん、そうだろうね。その所見には僕も同感だ』


 通信の相手――黒曜石オブシディアンなる少年士官の返答は、呑気なものだった。その穏やかさに内心かすかな苛立ちを覚えながら、彼女は重ねて問いかける。


「《L-Ⅵ》の処分、いかようになさいますか」


『必要ないよ。放っておくといい』


 ――危うく、ぎりりと奥歯を噛み鳴らすところだった。


『今後こちらの害になるような情報を、《L-Ⅵ》は所有していない。その処分のために新たな行動を起こすのは、リスクを増やす一方でそれに見合う利益メリットがない』


「ですが――」


『ここに至って、まだ溜飲が下がらないということなのかな? 貴女は』


 けれど、と。少年は苦笑混じりで指摘する。


『気持ちは理解できます。けれど――恋人の復讐を完遂できなかったのは、貴女自身の落ち度もあるでしょう?』


「……………………」


 彼女はぐっと言葉を詰まらせる。

 問い返すオブシディアンの声音は穏やかだったが、鋼の剣で突き刺すように重く、痛烈だった。


『本任務の間、我々は《L-Ⅵかのじょ》の扱いを貴女に一任してきました。機主マスター権限もそのために与えたもの――僕達は今の時点で、貴女に対し十分すぎる特権を与えてきたはずだ』


「それは……いえ、そうではなく」


『長きに渡る潜伏、任務に対する貴女の献身は、僕達も重々承知しています。それらはだからこそ与えられた特権であり、《L-Ⅵかのじょ》を嬲ることに固執するあまりその機会を活かしきれなかったのは、純粋に貴女個人の失態だ』


 ――やりたければ、一人で勝手にやれ。


 少年士官は、言外にそう突きつけている。仮にその結果として祖国に害をなすことあらば、『処分』されるのはエスメラルダの方だ、とも。


 道理だ。間違っているのが自分だということくらい、彼女とて十分以上に理解している――だが、子供の分際がそれを偉そうに語るのだ。

 エスメラルダの半分しか生きていないような、やせっぽちの餓鬼ガキが。


『次の指示は追って出します。貴女はそれまでの間、引き続き潜伏を続けるように――よろしいか、ナテル特務曹』


「……拝命いたしました。特務少佐殿」


 通信が終了する。

 途端、彼女は苛立たしく木の幹を蹴りつけ、盛大に舌打ちした。


(――くそっ)


 ――知った風な口をきく。賢しらぶった子供の分際が。

 そう毒づく内心のことばは、彼女の偽らざる本心だった。


 功には功の、咎には咎の、正しい置き所というものがある。彼女は信じていた。

 咎には咎の、その軽重に相応しい罰を――そうして正されなければ、それは咎ではなく、容認された行為とされてしまう。


(……許されていいはずがない)


 マキシム・ヴェルナーという、素晴らしい士官の命が奪われたことは。

 エスメラルダ・ナテルから、たった一人の素晴らしい恋人を奪い去ったことは。


(あの日……あの機甲人形ガラクタがしでかしたことは……!)


 毒づく呻きを溜息に溶かし、彼女は木立の影から離れた。


 貴族の邸宅。その庭園である。正門から本邸へ続く道の左右には、手入れされた人口の森林が、さながら淑女のように行儀よく広がっている。

 彼女がいたのは、その片隅――本邸に程近い木立の影、そのひとつだった。


「せんぱ――いっ!」


 ――と。

 彼女を呼ぶ、どこか幼さを残した声に、脚を止めて振り返る。

 癖っ毛と大ぶりの丸眼鏡が目立つ、パーラーメイドの制服を着こんだメイドがひとり、息を弾ませながらぱたぱたと駆け寄ってきた。


「ふえぇ、こんなところにいらっしゃったんですか……探しちゃいましたよ」


「手間をかけたようですみません。何かありましたか?」


「あ、はい。旦那様が……」


 彼女にとっては後輩であり、部下のような立場でもあるパーラーメイドの娘は、いまいち垢抜けない素朴な所作でぱちんと両手を打ち合わせた。


「旦那様がお呼びです。わたしと先輩のこと――たぶん、この前のことで。昼の休憩中にすまないとは仰っていたんですけど」


 成程、と。娘の言葉に、彼女は相槌を打つ。


「あなたの口元にパンくずがついていたのはそういう訳でしたか。どうやら、食事中に災難だったようですね」


「あ!?」


 娘はぱっと顔を赤くして、あたふたと口元を拭う。

 彼女はその間に娘の横合いを通り過ぎ、足早に館の本邸へと向かう。


「あっ、わわ……ま、待ってくださいっ。!」


 パーラーメイドの娘――ドナ・フィッシャーの情けない呼び声が背中を打つのを感じながら、彼女は足取りを緩める代わりに、とろいドナを叱咤する。


「情けない声を出すものではありませんよ、ドナ・フィッシャー――そんなもの、お客様に聞かれたらどうするつもりでいるのです?」


 ――そうして。


 『エスメラルダ・ナテル』としての激情を、肺腑の底へと封じながら――華やかなるパーラーメイド達のまとめ役にして、メイド長アンリエットの信頼篤き辣腕のメイド、である彼女は。


 本邸の玄関へと戻る道を、踏みつぶすような早足で辿っていった。

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