103.それから先の顛末。いくつかの《後始末》に関すること・⑥
トリンデン卿からの報告を話題に据えての歓談を交えながら、朝食の時間を終えた後。
トリンデン卿は事後処理のためにユイリィを連れて自身の執務室へと向かい、やることがなくなったランディ達は連れ立って中庭に出ていた。
一度は朝食の席で語り尽くされたことではあったが、しかし話題は自然と、トリンデン卿が話してくれた事件の顛末にまつわる方向へと向かっていった。
「ファフニールかぁ……」
うららかな日差しのもと芝に腰を下ろして。抱えた膝に口元を埋めるみたいにしながら。
ぽけーっと零したのは、エイミーだった。
ぼんやりと彼女が見つめるその先には、リテークが投げるボールをダッシュで獲りに走るクゥと、クゥがボールを持ってくるたび綺麗でかっこいいフォームでボールを投げるリテークがいた。
「クゥちゃんがそんなこわい幻獣だなんて……わたし、信じられないよ……」
零す声音はしょんぼりとして力がない。
『クゥが本当に危険な魔物かもしれない』という可能性は、クゥを猫可愛がりしていたエイミーにはひときわショックが大きかったのかもしれなかった。
「……まあ、ファフニールの伝承に関していえば、ある種の『転倒』が起きてるんじゃないかって思わなくもないんだけどね。僕は」
いくぶん慰める気配を溶かした声音でそう応えたのは、ユーティスだった。
瀟洒な懐中時計をてのひらの中でもてあそびながら、「てんとう?」と首をかしげるエイミーに頷く。
「そう。転倒。ファフニールが宝を集めるんじゃなく、宝を集めていた竜がファフニールだと断定された――そういうことだったんじゃないのかな」
「えっと……どういうこと?」
疑問符を浮かべながら首をかしげるエイミーに、ユーティスは言う。
「まず、ファフニールが――こちらのファフニールは、クゥの同種のことだけど――宝物を集めている様が目撃されたとする。この事実から、クゥの同種に……そう、《
ユーティスは難しい顔で、絞り出すように言う。慎重に考えながら、言葉を選んで話を進めているのが、ランディの目からも容易に見て取れた。
「で、この『宝物を集める』様がファフニールの『特徴』として広まった結果、その後に宝物を集めていた竜すべてが、『ファフニール』という箱の中に放り込まれたんじゃないかな……って」
『ファフニール』という竜種が宝物を集めていたのではなく。
『ファフニールと名付けられた竜が、宝物を集めていた』という事実に基づき、その後に宝物を集めていた竜が『ファフニール』として伝えられたのではないか。
「昔の時代なんて、竜種の分類なんてあってないようなものだったろうしね。
たとえば、伝承のギムヴェルクがクゥみたいな――あのヴィムさんってひとが言ってたファー・ドラゴン種じゃなくて、一般的なイメージの『ドラゴン』の姿として伝えられているのも、この線で考えればつじつまは合うんだよ。もっとも、ギムヴェルク自体が実在に疑問符のついている竜だから、存在を勘案する意義からして薄いかもしれないけれど」
「じゃあ何? あんたがさっきめちゃくちゃ早口で語ってたのって、いったい何の意味があったのよ」
ラフィがいらいらと嘴を突っ込む。
「それって結局、あんたはクゥとなーんの関係もない竜の話をしてた、ってことになっちゃうんじゃないの? ねえ」
「それは……」
ラフィの指摘が痛いところをついていたのか、ユーティスは珍しく返答に窮する。
事実、ユーティスの発言に則るなら、『ファー・ドラゴン種』でないファフニール――最前にユーティスが開陳した邪竜ギムヴェルクの伝承は、クゥとは何の関係もない別の竜種の話をしていたとも読み取れる。
少なくともラフィはそう受け取ったみたいだし、ユーティスの側にはそれを否定する材料がない。
「……そう、だよね」
けれど。
ユーティスの話は、エイミーの不安を軽くはしてくれたみたいだった。
ふわりと表情を緩めたエイミーは、大きく息をついて胸を撫で下ろす。
「……ランディくんがゆってたおはなしとだって、ちっとも合わないものね。やっぱり、クゥちゃんとはべつの竜さんのおはなしなんだね。きっと」
「いや、あたしはそっちも信じらんないんだけど。メガネの言ってたことだけじゃなくってさ」
いっそう眉根を吊り上げながら、ラフィはなおもいらいらと唸る。
「なにが?」
「決まってんでしょ、ランディの話よ!」
「え。え? ぼく?」
話の矛先がこっちに飛んできた。
「そうよ! ランディが、何? 《真人》の――なんとかに会ったってやつ! なによそれ!」
「《
「うっさいユーティス! その……ルーラー? 《
――あの後。
朝食の席におけるトリンデン卿の報告の中では、ランディが中庭で出会った《真人》の少女、ハルアに関する話もあまさず共有された。
それは昨晩、メルリィが無事に
クゥを追いかけて中庭に出たこと。
その中庭で、真人――《
「もう明日にした方がいいんじゃ」――と心配そうにしていたユイリィに対してはきっぱりと首を横に振って、包み隠さず、すべてを正直に話した。
「信じられないっていうか、ありえないでしょそんな都合のいい話。あんた、なんか都合のいい夢でも見てたんじゃないのって思わない? ふつーに考えたらさ!」
「そうかもだけど……」
トリンデン卿は逞しい顎を撫でながら終始興味深げに聞き入って、振り返ってみると自分でもちょっと信じられないランディの話を、ちっとも疑ったりなんかせずに信じてくれた。
けれど、もちろんみんながみんなそうという訳にはいかない。
それくらいはランディだって想像できるし、もし自分がラフィと同じ立場だったら、疑わずにいられるかなんてわからない。
だけど――
「でもさ……ほんとにほんとなんだって……」
だけど、そこは本当に事実なので、できれば疑わずに信じてほしかった。
だって、ハルアと出会ったのをなかったことにされてしまうみたいで、それはいくらなんでも、あまりに寂しかったし。
「気にすることないよ、ランディ。ラフィは自分が《真人》に会えなかったからって、きみに嫉妬してるだけなんだから」
「はー!? ちーがーいーまーすぅー! ユーティスあんた、そういうとこキレッキレで性格悪いわよねぇ! 発想が陰険なんだから!!」
「べつに性格の良し悪しの問題じゃないんだけれど……」
ユーティスは溜息をついて、ラフィに向き直る。
「あのね、件の『ハルアさん』の話が単なるランディが見た夢か作り話の類だとしたらだよ? トリンデン卿に教えてもらった昨夜の出来事の一部――『ランディが急に現れた』って部分に、整合が取れなくなってしまうだろう?」
「そんなの!……それは、いろいろあるじゃない。見落としたとか、でなかったら、ランディのこと庇ってるとか!」
「ランディを庇うのなら、まずその
「それは……」
理を説かれて、今度はラフィがひるむ番だったが。
「でも! でも、それじゃちっとも話が合わないじゃない! 何よ、『未来を選定する竜』って――何で未来を決められるすっごい竜が、お菓子もらえなくてすねたりなんかしてたわけ!?」
しかし、ただやりこめられて終わりはしなかった。
ラフィはすぐさまむきになって身を乗り出し、声を大にして反駁する。
そして、そう――そこはたしかに、あらためて言われずとも不可解な話ではあったのだ。
もしファフニールにがハルアの言葉どおり、『未来を選定する』力を持った竜なのだとしたら。
クゥは、自分がお菓子をもらえる未来を選ぶことだって、できたのではないか?
それに、伝説のギムヴェルクだってそうだ。
件の竜がクゥと同じファフニールかはわからないけれど、仮にそうなのだとしたら――自分がやっつけられて宝物を取り返されてしまう未来なんて、どうしてそのままにしておいたんだろう。
(それは、たしかにそうなんだよね……うん……)
なんだか、うまくかみ合わないことばかりだ。
ハルアが教えてくれた『ファフニール』と、ユーティスやトリンデン卿が知っている『ファフニール』。朝食のときからずっと、そのふたつが、どうしてもきちんとかみ合わない。
(
――いや。
たしか、あのひとは、
――無限に分岐する未来の可能性を観測し、『最善に至る未来』を選択する竜。
――杯を抱えて飛び立つ未来を
『利他』の、人造竜――
「ランディ」
「ふあっ!?」
考えに耽っていた意識を急に引き戻されて、うっかり変な声が出てしまう。
クゥとボール遊びをしていたリテークが、遊び倒して満足したらしいクゥを胸に抱えて戻ってきた。
「え? あ。なに、リテーク」
閃く寸前くらいまできていた何かが、瞬く間に霧散してしまう。
そのことに内心少なからずがっかりしていたランディに、リテークは質問する。
「その、《真人》。ハルア……が、いたの、どのあたり?」
「ハルアさん? えっと、ハルアさんは」
ランディはリテークの体越しに、中庭の花壇を見遣る。
「ハルアさんがいたのは、あの花壇の前のとこ。あのあたりかな」
季節の花が咲き乱れる花壇の前。
あの夜にハルアが立っていた場所を、指差して示す。
「そか」
リテークは振り返ってその先を見遣り、ひとりごちるようにちいさく零す。
「……なにか、気になることでもあるの?」
両親が森を
以前、エイミーが森で落としてしまった人形をみんなで探したときも。
担任のホーリエ先生の家から逃げてしまった猫を、クラス全員で探しまわったときも。
真っ先に探しものを見つけたのは、この無口な幼なじみだった。
もしかしたら、ランディなんかじゃ直接ハルアと会っていても気づけなかったような何かだって、リテークだったら気づいたりできるのかもしれない。
内心で期待が持ち上がり、ランディは我知らず身を乗りだしかける。
「いや」
けれど。期待に反し、リテークはあっさりと、ふるふる首を横に振った。
「いまも、そこにいるのかと思って」
「それは……わからないけど」
ランディがハルアの姿を見ることができたのは、あの夜だけ――たぶん、こことは違う異空間みたいなところへ連れていかれたからだ。クゥに。
「たぶん、もういないんだと思う。クゥといっしょに行くって言ってたから」
その直後に、彼女は幽霊みたいに姿を消してしまった。
『一緒に行く』という言葉の意味を、自分が正しく理解できているかなんてわからないけれど。
それでも、もし今この時にまだハルアがどこかにいるとしたら――きっとリテークが胸に抱きかかえている、クゥのすぐ近くなんじゃないだろうか。
リテークはもう一度、「そか」と呟き、しばらく花壇を眺めていたが。
ややあって、ふと話を切り替えた。
「ドナのこと」
「え? ああ」
唐突ではあったが、何を言わんとしているのかはすぐに察しがついた。
「よかったよね、ドナさん。無事になんとかなりそうで」
リテークはコクリと頷く。
パーラーメイドのドナの件――ひいては、彼女が『アノッド・ハンター』の
朝食の席での歓談中、ドナにまつわる件がどうなったのかとランディが訊ねたとき、トリンデン卿はさも当然のようにこう答えたのだ。
『うむ。その件ならばまったく問題はない』
そう、彼はあっさりと請け負い、
『あの場ではゆえあって明かすことができなかったが――実はドナのご両親であるフィッシャー伯夫妻は、アノッド・ハンターという冒険小説家がドナのペンネームであることを、前々からご存知でいらっしゃるのだ』
この事実には、ランディ達もそろってぽかんと口を開けてしまった。
『じゃあじゃあ! あの手紙はいったいなんだったんですか!?』
――と、当然の疑問をラフィが口にすると、
『フィッシャー伯夫妻のものでないとすれば答えはひとつしかありえないな。あの手紙はメルリィ・キータイトによる策略、その一環だ』
トリンデン卿が言うには、こうしたことである。
メルリィは《遊隼館》の住人と入れ替わり邸内に侵入、トリンデン卿への接近を試みようとしていた。
この入れ替わりにあたり、メルリィは現場を見られるリスクを回避するべく、人目につかない時間帯、人目につかない場所を選んで入れ替わりの対象を捕獲、姿を変え服を奪い、対象と入れ替わって屋敷へ戻るという手段を選んだ――
『その対象に選ばれたのがドナだったということだ。現にドナ――そして彼女に同伴していたスレナは一時的にその行方をくらますべく、人目につきにくい早朝を選び、人目につきにくい裏口から屋敷の敷地を出るという行動を採用していた』
実際に入れ替わられたのは、スレナの方だったが。
これに関してもトリンデン卿は、滑らかに自身の推理を
『事の次第を
それだけ屋敷の人間の事情を正確に把握していたのなら、スレナが我がトリンデン家においていかなる立場であるかを同時に把握していたとしても、何らおかしなことはない』
スレナはパーラーメイド達のまとめ役であり、メイド長であるアンリエットの補佐もつとめているという辣腕だ。その裁量は本来の立場以上に大きく、パーラーメイドとしての持ち場を離れていても要らぬ疑いを持たれにくい。
一介のパーラーメイド、かつ行儀見習いでしかないドナに化けるよりも。トリンデン卿への接近はよほど容易であろう。
『屋敷の外へつり出しやすい
ちいさく息をつき、トリンデン卿は最後にこう締めくくった。
『もっとも、フィッシャー夫妻が真実、何らかの変節によってかの手紙を出した可能性もゼロではなかった。そこで私はフィッシャー家に使いを出し、事の次第を確認してもらっている最中だ』
《諸王立冒険者連盟機構》コートフェル支部長、その面目躍如というべきところか。トリンデン卿は冒険者達を己が手足のように駆使して、事態の収拾に手を尽くしていたらしい。
『今日の午後には、使いに出てもらった冒険者も戻るはずだ――事の真相はその時点をもって、最終的な確定を見ることとなるだろうね』
トリンデン卿の口ぶりはすべてを確信している大人のそれで、つまり『そんな可能性は万が一にもあり得ないが』という但し書きを言外に置いた、事態の解決を告げることばだった。
「あのひとは、あやしくなかった」
「そうだね。よかったよ……すっごくほっとした」
ドナは、擬態したメルリィと入れ替わられているかもしれない――リテークはその可能性を疑っていた。結果から振り返ればその疑いは間違いで、けれど完全な間違いではなかったのだと思う。
現にドナは、擬態による入れ替わりの対象として狙われていたのだから。
「ランディのほうが正しかった」
「リテーク?」
べつに、そんなことはないと思うけど――と、言いかけて。ランディは、それを躊躇った。
ハルアがいた花壇。その先をじっと見つめるリテークの背中はどうしてか――そのことばを聞いてなんかくれないのだと。そう直感できてしまったせいだった。
ランディの返事やフォローなんて端から期待してなくて。
聞きたい訳でもなくて。
そんな期待そのものが、意識にのぼるようなこともなくて。
もしかしたら――ドナを疑ってしまったことへの後悔だって、そのことばの真意ではなかったかもしれなくて。
「ランディのほうが、正しかったんだな」
その頃には、ラフィやユーティス、それにエイミーも、いつもと違うリテークの様子に気づいていたみたいで――誰もが怪訝な顔をしながら、幼なじみの背中を見つめていた。
――ちいさい頃からずっと一緒だった幼なじみが、いったい何を言いたいのか。
それが、ちっともわからなくなってしまって。
ランディはそんな彼の背中へ、本当に――何ひとつ声をかけられなくて、ただ口をつぐむしかなくなっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます