101.それから先の顛末。いくつかの《後始末》に関すること・④


 ――ばぁんっ!


 扉を蹴破るのと同時に、邸宅の広い一室を魔術の灯火が照らし出す。

 真昼のように明るく照らし出された室内を瞬時に見渡し、彼――おそらくは談話室と思われるその一室へ踏み込んだ青年は、ややあって構えていた剣を降ろした。


 ミスグリム伯領の領都、ジアノ=バストー。その近郊に広がる森の奥でひっそりとたたずむ、隠し屋敷。

 ミスグリム伯ワドナー卿――トリンデン卿の叔父にあたる男の隠れ家である。


 上等の一人掛けソファが無造作に並ぶ一室へと踏み込んだのは、年の頃なら二十歳ほどの青年。長く伸びた前髪で左目が隠れ気味の、年若い冒険者だった。


 年頃こそ未だ若くあったが、細身の長身にまとった軽装鎧も、帯びた剣も、いずれも強力にして、使い込まれた附術工芸品アーティファクト――彼が若くして名のある冒険者であることは、そのいでたちだけでも疑いのないところであった。


 シオン・ウィナザード。

 四年前、東の果てなる海より飛来した《果てなる海の嵐竜》を討伐した、五人の名高き冒険者のひとり――かの暴悪なる竜の眉間を断ち割った戦士でもある。

 現在の《多島海アースシー》で最優たるとその名を挙げられる冒険者、そのひとりだ。


 ランディの兄である彼は、室内の様子――より正確に言えば、一人掛けソファのひとつに深く腰を沈めたひとりの男の様を見出すと、その清爽な面に苦いものをひらめかせ、それから自分の蹴破った扉の方を振り返った。


「大丈夫だ、みんな。入っていい――ここにも敵はいないみたいだ」


 その呼びかけに応じて入室したのは、四人の冒険者。

 いずれもシオンの仲間であり、四年前の《果てなる海の嵐竜》討伐を共に成し遂げた、ひとりひとりが吟遊詩人の詩にその名をうたわれる英傑たちである。


 ひとりは刃物のように鋭い目つきをした森妖精エルフ。刻印魔術士のジーナス・エリク。


 ひとりはぞろりと長い黒衣を身に着けた長身の男。旅神官のロニオン・クレンダール。


 ひとりは獣人――二足歩行の狼を思わせる姿の娘。軽戦士のビアンカ・レオハルト。


 そしていちばん最後に入ってきたひとりは、ローブと三角帽子を着込んだ、少女のような顔立ちの娘――シオンにとっては幼なじみ、ランディにとってはご近所の優しいお姉さんである、魔女のフリス・ホーエンペルタ。


 《渡り鳥》という簡素な名をパーティの看板に掲げた、《多島海アースシー》最優ともうたわれる冒険者達である。


「あァ……こいつは」


シオンに続いて室内へ踏み込んだジーナスがソファに座る男を見遣り、その隈が目立つ威圧的な三白眼をすがめて舌打ちした。


「道理で敵どころか、ろくろく人がいねェわけだ――オレ達が来る前に、ぜんぶ終わってたってことかよ」


 吐き捨てるような物言いとしかめた表情には、この状況へと至らしめてしまった痛恨、死者を悼む心情が針のように刺さっていた――彼をよく知る仲間でなければ、そうとは察し難い感情の表出ではあったけれど。


 ソファに深く沈んだ巨躯は、この隠れ家の主――ワドナー卿こと、ダモット・マクベイン・ディル・ワドナー=ミスグリム伯のもの。

 そしてその彼は、今やこの世の住人ではなかった。


「毒ですね」


 ソファの傍らの丸テーブル。瀟洒な猫脚のそれの上に倒れたグラスから広がる、不吉な血だまりのようなワインを検分していたロニオンが言う。


「名誉の自裁――というべきところでしょうかね。もはやのがれられぬと、覚悟のうえの」


 ワドナー卿は甥でもあるトリンデン卿の暗殺指令の嫌疑のみならず、魔物の密輸のほかはじめとする複数の罪状が確たる証拠つきで確定している。

 魔物の密輸――その悪事を働く首謀者を追う中で、シオン達がそれを確定させた。


 法の裁きのもとに立てば、たとえ貴族とて――むしろ貴族なればこそ、極刑は免れえない。


 シオンはロニオンの傍らに歩いていってワドナー卿の状態を検分し――ふと、眉をひそめた。


「レドが言ってたどこぞの《機甲人形オートマタ》っていうのは、雇い主――いえ、協力者である彼を見限って逐電した。そういうことかしらね」


 すんすんと、狼の口吻そのものの形をした鼻先をひくつかせるビアンカ。

 あるいは――という可能性はビアンカのみならずその場の全員の脳裏をよぎってはいたが、あえてその不吉な可能性を口にしようとする者はいなかった。


 もはや不要とされたうえでの――口封じ。


「まあ、いないならいないで構うことはないさ。取り逃がした格好にせよ、敢えて立ち会いたい相手でもない」


 重い溜息、力のない苦笑と共にそう締めくくるシオンに、ビアンカが「言えてる」と笑った。


「レドの言ったとおりなら、《機甲人形オートマタ》ってあれだものね。シオンのとこの、ユイリィちゃんみたいなやつ。彼女、そうとうできるって話だものねぇ……あの可愛い弟クンの言うとおりなら」


 黒目の大きな眦を細めて、ビアンカはうっとりと息をつく。

 今にも舌なめずりなど始めそうなその横顔に、シオンが再度の溜息をつき、ジーナスは処置なしとばかりにげっそりとかぶりを振った。


「……前にも言ったけど、彼女が倒した《双頭蛇竜アンフィスバエナ》の死骸は俺とフリスも検分に立ち会ってる。首をふたつ潰して鮮やかに勝っていたのもそうだが、襲いかかられたのを迎撃した結果らしい打撃のあともあった」


 シオンが一瞥すると、視線に気づいたフリスはあたふたしながら、うんうんと何度も頷いた。


 アンフィスバエナ。一対の前肢を生やした、蛇であれば尾の先となる部位に二つめの頭を持つ、双頭の蛇竜だ。

 《諸王立冒険者連盟機構》による認定脅威度Aランク。『討伐依頼の有無によらず、討伐証明のみによって報奨が支払われ、発見報告だけでも報酬を用意する』――裏を返せば、迅速な発見と討伐が推奨される危険な魔獣である。


 下級だが竜種の一種であり、強固な鱗と体躯、人間程度なら軽々吹き飛ばす剛腕を併せ持つ。のみならず、ふたつの頭からは肉を溶かす腐食毒のブレスを吐く。


 ふつうの人間――どころか、少々腕が経つ程度の戦士や冒険者なら、討伐どころか逆に狩られてエサとされかねない。きわめて危険な魔物だ。

 実際、密輸という形でトスカの近郊を輸送中だった双頭蛇竜アンフィスバエナが脱走した際には、護衛についていた冒険者ふたりがろくな抵抗の痕跡もない状態でまとめて惨殺されている。


「俺なら一対一での交戦は躊躇うよ。ビアンカだってそうだろ?

 状況がそれを許さず、俺達と比べた場合に彼女固有の有利な条件があったのを踏まえたとしても――単騎で双頭蛇竜アンフィスバエナを仕留める彼女ユイリィと同質の手合いだ。それを相手取って立ち会う状況は、ぞっとしないな」


「一人か二人ならまだいいけれど。でも、いっぱいいるかもって話だったものねぇ」


 難敵であるという意識は、この場の全員が共有していた。

 無論――勝てない相手だ、などとは誰も思ってはいなかったが。名つきの古竜エインシェント討伐を果たした冒険者の力量と装備は、懸絶けんぜつと呼ぶに相応しい遥か高みの水準にある。

 この自負に例外があるとすれば、内気で気弱なフリスくらいのものであろう。


「で、この後はどうします? 首魁のワドナー卿はご覧のありさまですが」


 両腕を広げて、ロニオンが室内を示す。

 シオンは短い黙考を挟み、そして言った。


「朝になればジアノ=バストーの警衛と、連盟が集めた冒険者が来る。屋敷に残っているほかの住人を拘束して、証言者を確保しておこう」


「あとは魔獣の密輸まわりで追加の何某がねェかだな。そもそもオレらの目的ってそっちだろ、本当はよ」


「言われてみればそれもそうよねぇ。レドの件が絡んだせいでここのところとっ散らかり気味だったけど」


「一応、帳簿と何かしらのリストらしいものは確保してますけど。他にありますかね?」


「えと……じゃあ、手分け。する? お屋敷、はあんまり、いない……みたい、だ、けど」


 フリスの、長い前髪に隠れがちな金色の目が、おずおずと一同を伺う。


 彼女とジーナスのふたりがかりで屋敷全体へ探査と走査をかけ、この館に敵と思しき人間――及び、が存在しないことは確認済だ。

 また、シオンとビアンカの所見でも、ここまで屋敷の中はほとんど人の気配がなく、これまでワドナー卿が密輸していたような危険な魔物を飼っている様子もなかった。


「……いや」


 しかし、シオンは首を横に振った。


「差し迫った必要がない限りは、全員で固まって動こう。件の人形――ガルク・トゥバスの《機甲人形オートマタ》がどういった形で魔術の網にかかるものか、俺達の側にはまだ情報が足りない」


「ユイリィさんなら……解析、してる、よ? わたし。《世界視の瞳》……」


 おずおずと、控えめに挙手するフリス。

 幼なじみの娘のそうした所作に、シオンはつい口の端を緩めてしまう。


「それは俺も見たから知ってる。けど、彼女が機甲人形オートマタの『標準域』だって保証は、まだないから。念には念を、な」


「ん……」


 余計な口を挟んだとでも思ったか、しゅんと肩を落としているフリス。

 シオンはそんな幼なじみの背中をぽんと優しく叩いて、大丈夫だと力づける。


「ひとまず、ジアノ=バストーの警衛と連盟支部に追加の一報。あとは屋敷の中を調べて、朝までに俺達でできることはやっておこう」


 その、シオンのことばが、ひとまずの方針を定める。

 冒険者達は互いに頷き合い、ひとまずこの部屋――談話室と思しき一室の探索にかかる。

 が――


(『後始末』は、とうにされてるだろうな……)


 レド――フレデリク・ロードリアンからの情報が示唆するガルク・トゥバスなる異国の何者か、ワドナー卿の協力者であった彼らがここまで姿を見せずにいる以上、彼らは既にここを去り、この館からも自分達の痕跡を消し去っているだろう。

 自分達の当初からの冒険の目的であった『魔物の密輸』にまつわる何かが見つかれば、それだけでも御の字。それがシオンの所見、あるいは直感だった。


 ロニオンはそうと気づいたうえで黙っているのだろうが、おそらくワドナー卿は自死ではない。近くに寄って見たとき、ワドナー卿の姿勢や上着の状態に、後から『整えた』と思しき気配が見て取れた。



 『覚悟の自裁』は、演出。これは口封じだ。



 状況的に見ても、痕跡を消して逐電をはかるのであれば、ワドナー卿の存在は純粋に『邪魔』だ。

 連中が協力者としての彼を見限ったのであれば、むしろ彼らには、ワドナー卿を生かして放置する理由こそが存在しない。


 せめて、館にいる他の住人達――ワドナー卿に最後まで付き従ってきた侍従や下働きが無事であればと祈るばかりだ。

 そして、彼らが無事なまま放置されていたならば、そこにはまず、有益な情報の存在は期待できない。期待しうる温情は、ゆえのだ。


(……くそ)


 忌々しい心地で、シオンはきつく奥歯を噛みしめる。


 他の住人の無事と――そして、『魔物の密輸』にまつわる一連の事態の解決につながる痕跡の無事を祈りながら。

 シオンはわだかまる懊悩の一切を、胸の奥底へとり潰していった。

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