99.《あなたが決して果たしえない、たったひとつの祈りのために》・④


 ……………………………。

 ……………………………………。



 ――瞼を閉じて。

 目の前の、真っ暗な闇に震えながら。


 自らに訪れる終わりを待っていたメルリィは、その『終わり』がいつまで経っても訪れようとしないことに――ふと、気がついた。


「終わったよ」


 首根っこを掴んで地面に押し付けていた手が、離れた。

 はっとして目を開くのと同時に、メルリィは半ば勢いのまま跳ね起きていた。

 動ける。制御が戻っている。自分の手を、足を――体を、見回す。いや、違う。違うそうではない。


 内部走査。記録閲覧――最前の浸食で何を変えられた? 一体どこをいじられた?


 記録を参照する。第五工廠・第二試験棟の固定座ハンガーで目覚めたときから蓄積された景色、ことば、思い出のすべて。


 どれも知っている。見覚えのあるものばかりだ。聞き覚えのあるものばかりだ。

 ちゃんと、それが自分のものだと分かる。わたしの。何ひとつ変わっていない――が。


(なら、わたしは……)


 今の書換で、いったい何を変えられたのだろう。

 あるいは、そんな違いすら何ひとつ分からなくなるほどに、何もかもを作り変えられてしまったのだろうか。


機主マスター登録」


「え……?」


「だから、機主マスター登録」


 どこかうんざりしたような、あるいは恥ずかしくて見ていられないというような。そんな刺々しさで、ユイリィは吐き捨てるように指摘した。


「ふつうはね? 最初に確認するのは現状の、自分の状態ステータスじゃないかな? なのに、あなたはいったいどこを参照しているの」


 散乱しかけていた意識が、急速に収束する。

 指向性を与えられた演算を走らせ、自身の状態を検証する。


 ――機主登録情報:閲覧


 代行機主マスター:ランディ・ウィナザード

 正機主マスター――


「あ……」



 正機主マスター:《人形工匠マエストロ》アルヴァールト・エクタバイナ――



機主マスター登録を変更しました。これに伴いエスメラルダ・ナテル特務曹からの命令オーダーはその優先順位を下げ、正機主マスター――ないしは機主マスター不在時の代行たる機主マスター代行者による命令、これらが優先されることとなります」


 一言一言を打ち付けるように告げていくユイリィの言葉を聞きながら。

 メルリィはその言葉の意味を、ほとんど理解していなかった。


「現在は正機主マスターが不在の状況にあり、《L-Ⅵ》は代行機主マスターによるオーダーの受領を要します。

 この、代行機主マスターによる指令オーダーが下るまでの間は、同機主に傅く先任機甲人形オートマタ――《L-Ⅹ》ユイリィ・クォーツが一時的にあなたの管理を代行します。わたしの指示に」


 ――ふと。

 ユイリィは溜息をついた。メルリィが何も聞いていないのを、遅れながらに察したからだった。


 正確を期するなら、聞いてはいた。

 ただ、聞いて、観測して――記録していただけで。

 ぽかんと見開いた双眸は目の前のものではなく、呆然と自分の内側を見つめていた。


 ――人形工匠マエストロ


 《人形工匠マエストロ》エクタバイナ。その――名前。ちゃんと、それが分かる。今も。


「いったい何をされると思ってたの」


 大袈裟な、聞えよがしの溜息をついて。

 ユイリィは靴の爪先で、ざりざりと擦るように、何度も地面を蹴っていたようだった。


「ああ――うん、わかる。わかるよ。でもね、ユイリィあなたにはものすごーく怒ってたの。ここまでさんざん引っ掻き回されたし、ランディちゃんはいいってゆってたけどやっぱりあなたはひどいことしたと思うしね? なのに、めいっぱい譲歩してあげて、機主マスター登録の変更だけで済ませたんだからね。ちょっと怖がらせるくらいの仕返し、したっていいでしょ? ねえ――」


「どうして」


 愚痴っぽく独り言ちるのを止め、ユイリィはメルリィを見遣った。


「どうして……あなたは、わたしを」


 問いかける声は、半ばで消え入るように途切れた。

 ユイリィは続く言葉を待っていたが、やがてそれがないのを察し、答えた。


「あなたを助けた訳じゃない。仮にあなたがそれで救われる何かがあったんだとしても、それはわたしの意思じゃない」


 ありふれた道理を語る平坦さで、ユイリィは静かに告げる。


「わたしの意思とは関係ないよ。わたし達機甲人形の判断と行動は、与えられたオーダーに基づく」


 それは、機甲人形オートマタの大前提だ。

 すべての人の幸いと可能性のため――機甲人形は命令に基づき稼働する。仮に機主マスターの最善を想い諫めることがあったとしても、その起点となるものは何ら変わらない。


「ランディちゃんがね、ゆったの。あなたメルリィに、もうわるいことなんかしてほしくない。あなたメルリィに、ひどいことになんかなってほしくない。

 ランディちゃんがそう望んだから、わたしはそうできるように行動した」


「……それだけ?」


 信じられないから、ではなく。

 疑わしいから、でもなく。


 ただ、どうしようもなく――理解ができなくて、問う。


「そう。それだけ」


 ユイリィは頷いた。てらうようにはにかんで、中途半端な笑みに口の端をゆがめる。


「ほんとうにそれだけなの。わたしはね、ほんとうにそれだけの理由しかなかった。

 その遂行のためには過剰な侵襲も暴力も必要ない。そんなものを振るった挙句、後々にあなたの叛逆を招きかねない芽を植えつける――そんな禍根、わざわざ残すほうがおかしいでしょう?」


 ――と。

 そこまで言ったところで、ふと気まずげな顔をする。


「まあ……たしかに、ちょっとは仕返ししたけど。要は合理性の問題。それをわたしの意思、あなたへの優しさと呼ぶなら、それはそれでいいけれどね」


わたしが、彼を傷つけなかった……から……?」


「たぶん。ランディちゃんにとっては、きっとそれも理由だったと思う。でも、それだけじゃなくて」


 ユイリィは少しの間、その続きを口にすることを躊躇ったようだったが、


「――わたしとあなたが、『姉妹機しまい』だから。だったのかな」


姉妹機しまい……」


「『メルリィさんは、ユイリィおねえちゃんのおねえちゃんなんでしょ? だったらやっぱり、ぼくにとってもお姉ちゃんだもの』――って」


 その段に至ってようやく吹っ切れたように、大きく息をつく。


「そうゆったんだ、ランディちゃんは。ユイリィはランディちゃんのおねえちゃんだから、メルリィだっておんなじ……ランディちゃんの、おねえちゃんなんだって」


「それは――」


「おかしいよね? 姉妹機なんていったって、わたしたちなんか今回、はじめて会ったばっかりの二機ふたりなのに。おたがいぜんぜん知らない同士だったのにね」


 いや、互いの存在だけは知っていた。

 ユイリィは起動前登録インプリントされた知識で。

 メルリィは後付けの学習で。


 形式番号と基本的なカタログスペック。国家に提出された書類と、そこから転記された中枢記録基データベースを介して。


記録データでしか知らない同士。姉妹機なんて呼称もナンバリングの繋がり、同じ《Lナンバー》に連なる以上の意味はない……でも、ランディちゃんにとっては違うんだよ。そうじゃなかった」


 それは、ただの誤解だ。

 機甲人形オートマタという存在への無理解がもたらした、機甲人形が『人のような姿』であることに所以ゆえんする錯覚だ。


「そんなものが理由になるのですか? それはただの誤謬です。その前提は、何ひとつとして――正しいところがない」


「なるよ、理由に。ユイリィは機甲人形オートマタだから」


 答える。一瞬の躊躇いすら見せることなく。


機主マスターがそれを望み、実現を不可と妨げるものは存在せず、遂行を棄却する理由がわたしにはなかった。だから、ユイリィはそうしたの」


 ランディ・ウィナザードが、それを望んだ。

 仮にトリンデン卿がメルリィの破壊を望んだならば、その実現は妨げられたかもしれないが――彼はそうはしなかった。彼は人へそうするように、メルリィへ降伏を促した。

 ユイリィはランディ・ウィナザードの提案を遂行するにあたり、それを否と棄却する理由を持っていなかった。もし仮にそれがあったとしても、それは決して、あの子の望みに優越するものではなかったから。


「おかしいかな? でも、そっか――そういうの、わからないんだね。あなたには」


「わたしは――」


――《機甲人形オートマタ》なら、みんながわかることだよ?」


 息を呑む心地だった。

 それが彼女ユイリィの――いや、機甲人形オートマタ基本概念アーキタイプにして行動原則。

 操令人形マリオノールとして世に送り出されるはずだったメルリィが、与えられることなくあったもの。


「なら……わたしは何なんですか。わたしは――わたしはずっと、正しく操令人形マリオノールであった、と……?」


「そんなわけないじゃない」


 ユイリィは呆れたように溜息をつく。


「あなたみたいにめんどくさい《操令人形マリオノール》、いるわけないよ。

 ユイリィ現物は見たことないけど、操令人形マリオノールがどういうものかくらいは起動前登録インプリントしてもらって知ってるんだからね」


「じゃあ、わたしは――」


「なんでユイリィに訊くの。自分で知ってるでしょ、あなたは」


 メルリィの前で片膝をついて。

 薄く頼りない胸の中心を、とん、と人差し指で小突く。


「わたしが答えなくたってね。あなたはもう、教えてもらってる」


 ――それを表わすことばが何であるか、お前には分かるか。


「……


「うん」


 何らの理由を持つことなく、ただ生まれるために生まれた被造物。

 ――己ならざる他者。あなたにとっての。


「わたしがやったのは機主マスター登録の書き換えだけ。正機主マスターがあなたに新たなオーダーを下すことはこの先二度とないし、新たな答えをもらえることも、きっとない」


 ――けれど。


「あなたの記録を見たよ。だからわたしも知ってる――答えがなくても、あなたは『彼』を知ってる。彼がなにをしとし、何をしとするのか。彼はあなたを教導し、そこには常に、彼の価値判断があった」


 ああ、そのことばを知っている。そこには彼のすべてが、

 が、あった。


「オーダー以外何もないなんて、嘘だよ。あなたが勝手に喚いてるだけの嘘っぱち。答えがもらえなくても、しるべならたくさんある」


 ユイリィの指が、メルリィの胸を小突く。


にある。『より良く生きよ』とあなたに命じた――それはきっと、彼の信念からのことばだもの」


 この、ちいさな胸のうち

 記録の中。記憶の底。思い出の間。


 何度もわたしの手を引いた。

 何度もわたしの無知を正した。


 そうして語られた多くのことばの中に、それはある。


「たぶんね、ひとってそういうものなんだ。それが、ランディちゃんの理由――わたしがあなたを連れて帰る理由。わたしに託された祈りオーダー



 『わたしはです』

 『そうおっしゃってくださったのは、あなたです』



人形工匠マエストロ――」


 それが、あなたの至上命令オーダーだったのでしょうか。


 正しいことはぜんぶ、脚を止めて振り返る過去、その先にあって。

 たとえ追うべき背中が、もう目の前のどこにも見えなくなったとしても。


 あったのでしょうか。

 望まれた未来も、希望も――敷き詰められたしるべ、その示す先に、いつだって。


「わた、しは……」


 不意に。

 そのとき、ひどく暖かな水が、すぅっとメルリィの頬を伝った。


「え……?」


 頬に触れる。

 頬を伝って濡らす雫。メルリィの瞳から零れて伝った温度を、指先に感じる。


「あ……わた、し……え? あれ? これ……何で」


 渦を巻く衝動が、機体の裡を荒れ狂っていた。

 自分の状態に対する困惑とは違う。もっと深い別のところ。あの日――固定座ハンガーで目覚めたときにこの身の奥底にあったのと同じ、胸郭を充たす衝動。


 いつの頃からか、ずっと、ずっと――それは一体、いつからそこにあったのだろうか。


 ――お前は泣くのだな、と。

 それは、あのひとにそう言われて自分の頬へ手を当てた、あのときと同じに。


 あの日、遠く遠くどこまでも青褪めた空の下――彼だったものを見送った、その日からずっと、この胸の奥にあったもの。


 それに気づいた。気づいてしまった、瞬間。


「っ……ぁ、ああぁ……っ、わああぁぁ! あああぁぁぁ―――――――――!」


 まるで堰を切ったように、激しい嗚咽がメルリィの喉から溢れ出した。

 ぼろぼろと溢れる涙を何度もてのひらで拭いながら、それでも後から後から溢れ出る涙に頬も喉も濡らして、まるでいとけない女の子のように、押しとどめようもなく泣きじゃくった。


「ああぁ! ぅあああ、ぁぁあっ……! 人形工匠マエストロ人形工匠マエストロ……マエス……トロ……どうして、マエストロ……わたし……わた、し……!」


 慟哭に喉を嗄らして。何度も何度も、ここにいないひとを呼びつづける。


 ――わかってしまった。今更。正しいことは、もう過去にしかない。


 答えを問いかける背中がどこにも見えないから、探すその脚を止めて、ただしるべを示すすべてを振り返るだけ。


 答えはいつだってそこにある。

 より良く生きよと言い残した――その、祈りの根源みなもと


「ごめん……なさい……っ、ごめんなさい……!」


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。ごめんなさい、人形工匠マエストロ


 あなたを救えなくてごめんなさい。だめな人形でごめんなさい。

 何もできなくて。ちゃんと生まれることができなくて。何ひとつまともにできなくて、ごめんなさい。


 だけど――それでもわたしは、ずっとあなたの背中を追いかけていたかった。

 あなたが語ることばを、いつまでだって聞いていたかった。


 知識なんていらなかった。

 しるべなんかほしくなかった。

 ほんとうは正しさなんかなくたって、明るいところにいられたらよかったの。


 ああ――わかってしまった。わたしは愚かだ。どうしてこんな今更なんだろう。

 あの日、まっさらな墓石の前で、わたしが本当につたえたかったことは、


「ごめん……なさい……ごめんなさい……っ! ごめんなさい人形工匠マエストロ……ぅう……ごめん、なさ……ごめん、っ……まえすと、ろ……!」


 そばにいて。


 おいていかないで。


 どこにもいかないで。


 どうか。おねがいだから。




 あなたの背中を追いかけていたかった。ただそれだけで、あの日々は何もかもが暖かく、まばゆいほどに輝いていたから。


 わたしはそこにいたかった。

 その輝きの中に、ずっと――ずっとずっと、いられたら、よかった。


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