94.この夜に、今ひとたびの《決着》のとき・⑧


 身体が無理矢理『く』の字へ折れ曲がる感覚。胴の芯を砕くような硬質の衝撃と共に、視界カメラへ強烈なノイズが走る。

 天地が入れ替わり、耳を塞ぐ雑音と共に暗転し。自分の体勢すら自覚できぬまま。メルリィの身体は投げ捨てられたぬいぐるみのように、中庭の芝を転がる。


「っ、……ぁ……」


 ――それでも、とっさの防御で直撃だけは避けていた。かろうじて。


 急所たる契法晶駆動基へのダメージは少ない。代償として、盾代わりに翳した右腕は、もはや使いものになりそうもなかったが。


 上空からの加速と竜本体の質量を乗せた突撃チャージは、言うまでもなくそれ自体が必殺の凶器だ。硬化外皮キュアリング・スキンの上から受けたとしても、まともにぶつかれば一巻の終わりだっただろう。

 あるいは、


 ――なす術なくそうなっていた方が、よほど楽だったのかもしれないけれど。

 

 衝撃で途絶えかけていた観測が戻る。

 おぞましい数の警告アラートメッセージが意識演算を弄する。

 それでも、軋む四肢を引きずって体を起こそうとしたその寸前、直感――おそらくは、聴音観測パッシブソナーが捉えた風切り音――のまま、無様に芝の上を転がるのを選択する。


 最前までメルリィがもがいていたその場所に、上空から降った矢が次々と突き刺さった。


 上空に竜騎士。もう一騎。

 翼の羽搏きで竜を滞空させながら、弓騎兵用の短弓を構え、矢筒から引き抜いた次なる矢をつがえている。


 遮蔽物を探し、視線を巡らせる。

 あった。間近に、ひとつだけ――生垣ロッジ迷路の庭木。


 自分が追い込まれているのは理解していた。それでも、遮蔽物なしに今の自分は逃げきれない。遠からず矢の餌食になる未来は疑いない。


(――ああ)


 メルリィは薄く笑い、掠れた息をつく。

 転がりながら身を起こし、跳躍して生垣を越える。


 生垣を飛び越えた瞬間、何か――薄い膜を抜けたような感覚があった。

 迷路の通路を形成する内側の生垣へ激突し、墜落同然の体で背中から地面に落ちる。


 矢は、追ってこなかった。


 当たる当たらないは別として、つがえた矢を撃ってすらこないのは奇妙なことだ――ああ、つまりはここが、任務オーダーということか。


 ここが、終点。狩りだされ、追いこまれた果ての――行き止まり。


「……は……」


 もう、どこにも行けない。

 我知らず、乾いた笑いがこぼれて聴音観測パッシブを引っ掻く。


 胸郭が、引きつれた異音で震えていた。自嘲の響きで聴音観測パッシブを幾度も引っ掻きながら、どれくらいの間――そうして倒れたままでいただろう。

 それは決して、長い時間ではなかっただろうが。


 メルリィは軋む体を起こして、ようやく立ち上がる。

 それから、ひどく頼りない足どりで、のろのろと迷路の中を進みはじめた。


「まだ……」


 まだ、何もかもが終わってしまってはいない。それを理解しているから、メルリィは引きずるような歩みを進める。


 たとえその先がただの行き止まりで。自分の終わり方を決めるだけの選択しか、そこに残されていないのだとしても。まだ。


 まだ――わたしは、



 ――その、一連の光景を前に。

 ランディはユイリィの腕の中で、ぽかんと目を丸くしていた。


 メルリィに投げ出されて尻もちをついた後、稲妻のように飛び込んできたユイリィに確保されたのだ。

 瞬く間に踵を返して戦場から距離を取ったユイリィは、芝に片膝をついて、ランディを庇うように自身の胸へと抱えながら――メルリィが二匹の大きな犬に囲まれて、さらには二騎の竜騎士に追い立てられた彼女が生垣ロッジ迷路へ逃げこむまでの間、一瞬も注意を逸らすことなく鋭い眼差しで事の推移を見守っていたが。


 メルリィの姿が生垣の向こうへ消えると、ばっと体を離して、


「ランディちゃん、ケガしてない!? どこか、痛いところある!?」


 と。ユイリィは鬼気迫る蒼白の面持ちで、ランディの体の方々をぺしぺし叩き始めた。


「ん、と……へいき。お尻ぶつけたとこだけ」


「ほんと? ほんとに!? あたま打ってない――痛くないよね!? バイタルは正常だし、落ちたときに打ってないのは見てたけど、でもその前とかに!」


「ほんとだってば」


 ほんとうにお尻以外で特に痛いところはなかったし――というか、落ちた時の痛みだってとっくに引いていたし。

 メルリィに痛くされたところなんてひとつもなかった。彼女はそれらしく見えるようにしていただけで――それどころか、捕まっている間ランディが痛くないようにと気遣われてすらいたのに、戸惑ってしまったくらいで。


 どちらかというと今は、体の具合を確かめようとしてか必死にぺしぺし叩かれているところの方が、ちょっと痛いくらいだった。


「ごめんね、ユイリィおねえちゃんなんにもできなくて……あんなことになって、怖かったよね? ごめんね!」


「ううん、それもへいき。こわくなかったよ」


 むしろ――と、ランディは思わずにいられない。


「ぼくの方こそ、ユイリィおねえちゃん達に迷惑かけちゃって。ごめんなさい」


「そんなこと!」


 ユイリィは長い三つ編みをしっぽみたいに揺らして、ぶんぶんと首を横に振った。それからぎゅーっと力いっぱい、ランディを抱きしめる。


 昼間のときと違ってめいっぱい力が入っていて、今日一番苦しかった。思わず「ぐえ」と呻きそうになって――かろうじて喉元でこらえた。がんばった。


 ――そう。

 ほんとうに怖くなんかなかったのだ。それは、ハルアと別れて振り返った途端、すぐ目の前にメルリィがいたときは心臓が止まるかというくらいびっくりしたし、たぶん怖かったりもしたのだけど。


(でも……)


 今はもう、ちっとも怖くなんかなくなっていた。

 むしろ、怖かったのは――


「どうもー、騎兵隊の宅配でーす!」


「閣下ー! お待ちどうさまでしたーっ!」


 その時だ。上空から、二騎の飛竜が中庭へと舞い降りてきたのは。


 飛竜に取り付けられた鞍から、乗り手たる竜騎士が中庭へ降りる。

 どちらも年若い娘だった――といっても、もちろんランディから見ればふたりとも年上の『お姉さん』だったが。


 ふたりは、ランディも知った顔だった。

 少しの時間だったけれど、ほんの数日前に顔を合わせたばかりの相手だ。


「ブルーネ、フライア。ふたりともよくぞ駆けつけてくれた!」


「お呼びとあらば即参上です! あ、伝令してくれたヴィムくんとこの妖精さんフェアリーにも、あとでお礼言っといてくださいね。ちゃんと!」


「でも、追加報酬は弾んでくださいよー? めちゃくちゃ急いだんですからね!」


 ひらりと手を振りながら、陽気に声を合わせる竜騎士たち。


 数日前、はじめて《諸王立冒険者連盟機構》コートフェル支部を訪ったとき――クゥをかわいがってくれていた、冒険者のお姉さんたちだった。

 トリンデン卿が律動的な足取りで進み出て、彼女らふたりを迎える。


「成程、承知したとも――いやはや、そういうことか。外縁で待機してもらっていたはずの君達がこのタイミングで駆けつけられたのは」


「ですです。邸内に入ってたひとらより、死角になる上から仕掛けた方が奇襲になるからって」


「で、飛竜なら障壁の上を飛びこえて中に入れるなぁーって感じだったんで、私達が。まず上から様子見して、あとは流れで」


 年若い娘らしい無邪気な陽気さで口々に報告するふたりの竜騎士。トリンデン卿も相好を崩して笑う。


「うむ、実に頼もしい騎兵隊だった。それに、かの刺客めを『』の中へ追い込むこともできた」


 そしてトリンデン卿は、やれやれとばかりに肩の力を抜く。


「だいぶん手札は切ったがね。これでようやく、彼奴も袋の鼠だ」


「あ!」


 ――と。

 唐突に、竜騎士の片割れ――フライアと呼ばれていたほうだ――がランディの姿に気づき、軽やかな足取りで駆け寄ってきた。


「きみ、さっきあの刺客に捕まってた子だよね?」


「へっ? えと、はい……」


 急に話しかけられたせいで頭の切り替えが追いつかず、へどもどとした応答になってしまったが――彼女にはそれで十分事足りたようだった。

 しゃがみこんで視線を合わせたフライアは、ニカッと歯を見せて笑いながら、ランディの頭をくしゃくしゃに撫でた。


「ぜんぶ見てたよー! あんな怖そうなのに捕まってたのに、よく泣かずに我慢したね。えらいっ!」


「そうそう。かっこよかったよ! さっすが男の子、強い子!!」


 こちらもいつの間にかやってきていたもう一人――ブルーネが、横からきゃっきゃと誉めそやす。


 目を白黒させるランディの様子を見兼ねてか、ユイリィが割って入ろうと口を開きかけるが――ひとつ息をついて、それをやめる。見守る表情こそ複雑なものだったが、ひとまず害はないものと見做したようだった。


「トリンデン卿」


 代わりに。ブルーネとフライアのふたりに続いてやってきたトリンデン卿へ、ユイリィは問いかけた。


「……『これ』は、どういうこと?」


「君の言う『これ』がどれを指しているかが、いまいち定かでないが――まあ」


 角ばった顎を撫でながら、トリンデン卿は「ふむ」と唸る。


「そうだな。まず、彼女達は障壁を張っている魔術師たちと同じく、私が雇った冒険者だ。これは別邸に詰めているヴィム・マクアイネンらも同様だ」


 ヴィム・マクアイネン『ら』。

 つまり、邸内にいる冒険者は一人ではない。先ほどの会話からして、敷地外周の障壁を飛び越えて突入してきたらしいふたりの竜騎士は別として、他にもいる。


 ユイリィは腰を上げ、トリンデン卿と向かい合う。

 その背中を、ランディは――ブルーネとフライアにもみくちゃにされながら――目で追いかける。


「いつの間にそんなのを……」


「手配したのは少年少女らとの生垣ロッジ迷路探索後――君達が別邸の湯船につかっている間だ」


 ――そうだ。

 自分達がスレナ達の手でお風呂場へ放り込まれたとき、トリンデン卿だけは仕事が残っているのを理由に、ひとりだけ部屋へ戻っていったのだ。



『私は風呂も説教も後にさせてもらおう。先に片づけておかねばならない仕事があるのでね』


『旦那様、着替えは』


『それも結構! いや、どうしてもということであれば籠なりに詰めて部屋の外に置いておいてくれたまえ!』



「幸い、連盟へ書状を届ける手段も手元にあったのでね。コートフェル支部長の命として、集められるだけの冒険者に声をかけてもらった」


 ――そして、これはランディ達のあずかり知らぬことだったが。

 トリンデン卿の手元には、連盟の伝書鳩がいた。クゥの正体がいかなる《幻獣》であるか、ヴィム・マクアイネンによる調査の第一報を預かり飛んできた鳩だ。


「冒険者達をいつ招き入れたか――ということであれば、スレナに擬態したまま逃走するメルリィ・キータイトを追跡させていた間だな。およその配置もその段で定めた」


「……裏口からでも招き入れたということ?」


「裏口は可能性があったのでね。隠し通路を使った」


「隠し通路――」


 ランディはぴんときた。ユイリィは怪訝に唸ったが、しかし彼女もすぐに思い至ったようだった。


「もしかして、生垣ロッジ迷路の地下の? あんなところからどうやって」


「おおっと、見くびってもらっては困るな、ユイリィ・クォーツ。私はこれでも、トリンデン=オルデリス家の当主たる男だそ?」


 トリンデン卿は胸を張り、はっはと高らかに笑った。


「隠し通路の『存在』と、その『開け方』であれば、書庫の記録で調査済みだったとも――あいにくと隠し通路の正確な場所、その現状までは把握できていなかったがね」


 信頼できる腹心――支部を預かる理事のひとりだ――に、鳩を飛ばして地下通路の扉を開ける『鍵』を送り、隠し通路から邸内へと引き込んだ。


生垣ロッジ迷路の構造も、ランディ少年とユーティス少年が制作した地図でもって完全に把握済みだ。足音と気配を殺して迷路を踏破し、別邸へ身を隠してもらうのは、さほど難しいことではなかったぞ?」


「……あきれたよ。そんな、勝手に」


 このやりくちに懸念すべき点があるとすれば。それは、メルリィないしそれと同等の性能を持つ同型機が冒険者の中に紛れ込み、邸内への侵入と潜伏を図る可能性だ。


 だが、トリンデン卿はユイリィがメルリィ・キータイトを看破した観測方法――機体重量の観測だ――を知り、なおかつこの館には《万変する万影バルトアンデルス》という監視者がいた。

 外見の姿かたちを誰のものに変えようが、機体内部を観測された瞬間、即座にその正体は看破される。


 《遊隼館》への侵入先と、侵入後の潜伏先が明確に定められていれば、冒険者の一団に《万変する万影バルトアンデルス》を張りつかせておくだけで監視は可能だ。

 職責を伴って邸内をばらばらに動き回る使用人たちを監視するのに比べれば、それははるかに容易なことであっただろう――つまり、隠し通路というを通して招き入れることには、これら観測を容易にするという効果も期待できる。


「……トリンデン卿は、いったいどこまで」


「君の苦情は甘んじて受け容れよう、ユイリィ・クォーツ。

 だが、奥の手は最後まで隠しておくものだ。これは本来、切り札とすることなきはずの『備え』だったということでもある。が――」


 トリンデン卿はあらためて、生垣ロッジ迷路を見遣った。


「それでも、甲斐はあったというところだろうね。今やメルリィ・キータイトに逃げ場はない」


「? それ、どういう――」


 ユイリィは青年貴族の視線の先を追って不審げに生垣ロッジ迷路を見遣り、そこでどきりとしたように言葉を途切れさせた。

 生垣ロッジ迷路の外周が、と蠢く様を見た――シャボン玉の表面に虹色の光がきらめく様を思わせる、どこかあやしげなゆらぎだった。


「そう。だ」


 青年貴族は首肯する。


「今の生垣ロッジ迷路は、入り込んだものすべてを決して外へと逃がさぬ蟻地獄――『片面浸透障壁』に囲われたおりうちだ」

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