89.この夜に、今ひとたびの《決着》のとき・③

 兵装――左腕さわん、《閃掌光撃レイバレット・フィスト》:PLAF近接契法兵装-TypeCⅡ。

 流体聖霊銀ミスリル――残量/規定標準値比:五十七%。残量の大半を装甲と緩衝材に回している現状、最初の襲撃のときのような長剣を形成する余裕はない。


「わざわざ、わたしがこの姿になるのを待ったのですか。あなたは」


「ほんとうはそこまで待つつもりなかったんだけれど」


 失敗を恥じるように、ユイリィははにかんだ。


「あなたが急に服を破りはじめたから。まさか裸で逃げるつもりなのかなぁってびっくりしちゃって、つい。ちゃんとインナー着てて安心したよ」


「当然のことでしょう。《人形ドール》とはいえ、わたしは女性型――恥じらう心性はなくとも、律し守るべき慎みというものがあります」


「あー……うん。そっか、そうだね。そうだよね、うん、そうかも」


 ――途端に。

 なぜか痛いところを突かれでもしたように、ユイリィはぎこちなく表情を引きつらせた。


 あはは、と殊更に乾いた笑いを零す、その反応の意味するところは解らなかったが。

 その真意を訝り、推測するために充てた時間は短かった。現状においては気にするだけの理由がない。


(《万変する万影バルトアンデルス》は上がってこない……)


 屋根の上はユイリィ一人の持ち場ということか。

 最前にトリンデン卿やアンリエットの影から現れたように、足元の影から奇襲を仕掛けてくる可能性は無論ゼロではなかったが、仮に彼らが仕掛けてきたとしても、今の硬度なら並の剣程度はじゅうぶんな余裕をもって受けられる。

 昼間のように機体フレームへの直撃を恐れ、翻弄される状況にはならない。


 ――交戦に時間はかけられない。

 時間をかけた分だけあちらは包囲を固め、メルリィを圧し潰そうと目論むだろう。


「――――――っ!」


 屋根を蹴り、這うように跳躍。踏み込む一歩で拳の間合いにまで肉薄する。


「――つあぁっ!」


 聖霊銀ミスリルで強化した右の手刀。

 疑似魔術構成の導線を通したその指先は、打撃インパクトの瞬間に触れたものをズダズダに切り裂く手刀の形をした『刃』だ。


 ユイリィはその突きを、首を横に倒しただけの紙一重で躱して。

 突き出したメルリィの前腕を軽く叩いて、その軌道を逸らす。


 前腕にまでは、構成が通っていない。

 逸れた手刀の軌道に引かれて僅かに横へ流れたメルリィの身体――その右側へと。ユイリィは伸びきった腕を盾にするように回り込み、無防備な背中を鋭く蹴り上げる。


「せッ!」


「ぐ――!?」


 直撃。大きく吹き飛び屋根を転がったメルリィの身体は、落ちる寸前でかろうじて止まる。

 落下寸前の身体を止めようと爪を立てた右手――その指先に形成した切断輝線が、凄まじい勢いで屋根を砕き割っていた。


 直撃すれば自身が屋根瓦と同じになっていただろう、破砕の光景を前に、ユイリィは眉ひとつ動かすでもない。

 膝をついて体を起こしながら、メルリィは理解せざるを得なかった。戦術を見切られている。


「ぅ――おぉぁぁぁッ!」


 雄たけびを上げ、打ちかかる。

 右の手刀で突き、左の拳で突き、深く踏み込んで肘を叩き込み、手刀で横薙ぎに切り払う。


 ユイリィはその全てを躱し、払い、身を引いていなし――伸びきった腕を下から叩いて上方へ払うと同時にメルリィの懐へと飛び込みながら、胴を撃ち、太ももを靴底で踏み漬け、怯んだ瞬間さらに掌底で喉笛を打ちあげる。


「が、ぅ……!?」


 呻く。

 防御を固めた硬化外皮キュアリング・スキンと軟化緩衝材の上から、機体フレーム内部にまで衝撃が貫通する。


 ――強い。

 防御の薄い領域へ直撃が通ってしまえば、今のメルリィであってもひとたまりもない。


「――このっ!」


 身を捻り、回し蹴り。

 ユイリィは身を沈めてその下をかいくぐり、伸びあがるように身を起こしながら深く踏み込んで。

 人間であれば心臓があるだろう、胴の中心――契法晶駆動基を内包する一点に、渾身の肘を叩き込んだ。


「ぁ、が……!」


 機体フレームが軋む。

 全身を巡る霊素の循環が乱れ、視界の観測領域に強烈なノイズが走る。


(違う――これは)


 防御の固い場所に当たっているのではない。

 彼我の戦力差は明白だった。狙う気があれば、ユイリィはメルリィの顎でも脛でも、より防御の薄い打撃点を容易に狙い打てた。


 彼女は、メルリィの防御の固い面を狙い打っている。


「なんの、つもり……ですかッ!」


「何が?」


 よろめきながら後退するメルリィに、ユイリィは問い返す。

 メルリィはきつく歯噛みする。


硬化外皮キュアリング・スキン――こちらの防御面ばかりを狙って! 手加減のつもりですかッ!」


「うん」


 微塵の躊躇もさしはさむことなく。ユイリィは認めた。


「そうだよ。ユイリィとあなたは同じ《Lナンバー》――『姉妹機』だもの。できれば壊したくなんかないよ」


「後悔しますよ!?」


「そうかもしれないね」


 淡々と応じ、ユイリィは苦笑を広げるだけだった。


「……ほんとうのこと言うとね。ユイリィはあなたに対して、そこまでのこだわりはないんだ。姉妹機って言っても、起動前登録インプリントされた知識データでそうと知ってるだけのひとだし」


 構えは隙なく。

 けれど、メルリィを見つめる双眸は朗らかなほどに明るく――ユイリィははにかむ気配を含んで、困ったみたいに笑っていた。


「でも――あなたのことを姉妹機だって、『姉妹』だってゆっちゃったから。だからメルリィ姉妹を壊しちゃうわけにはいかないの。いかなくなっちゃったの。わたしは――」


「訳の分からない――れ言ッ!」


 左前腕へ霊素充填。

 圧閉装置起動。

 青褪めた光が、振りかぶったメルリィのしょうへと宿る。


「《閃掌レイバレット――」


「――――――」


 ユイリィの拳から、青白い光が溢る。

 《閃掌光撃レイバレット・フィスト》――だが、遅い。先手はこちらが取った。

 仮に最大出力はあちらユイリィが勝ったとしても、充填の差で押し切れるはずだ。

 ダメージを与える必要はない。ただ、わずかの間だけでも怯ませられればいい――今のメルリィが最優先で果たすべきは、この場からの『離脱』なのだから。


「――光撃フィスト》ッ!!」


熱した鉄板の上に水を撒いたような、じゃっ――と鋭い音が重なる。


 メルリィの左手と、ユイリィの右手。

 青白い光を帯びた熱衝撃波が、二人の間で激突する。


 ふたつの熱衝撃波はぶつかり合い、拮抗し――

 互いにその霊素を打ち消し合い、消滅する。


「………………そんな」


 ――今度こそ。

 メルリィは戦慄し、愕然と立ち尽くした。


 《閃掌光撃レイバレット・フィスト》が通じなかったから――では、ない。

 先手を取った一撃でまったくダメージどころか、怯ませることさえできなかったという事実も、無論のこと衝撃ではあったが。

 目の前で起きた事態は、そんな表面的な結果を遥かに凌駕して深刻な脅威だった。


相殺そうさい……した? わたしの《閃掌光撃レイバレット・フィスト》と、完全に、拮抗……させて……」


 ユイリィはメルリィの《閃掌光撃レイバレット・フィスト》――その威力を完璧に把握し、熱衝撃波でこれを相殺した。


 メルリィの熱衝撃波が放たれるまでの、僅かの時間に。


 ユイリィはその観測から熱衝撃波の威力を導出し、完全に拮抗・相殺をはかる分の出力を充填、放った――これは、単純な充填速度の差だけでもたらされた結果ではない。


 ――観測の精度が違う。


 ――反応の速度が違う。

 

 ――演算容量の、ケタが違う。


 それは、攻撃も、防御も、メルリィのそれら一切が通らないということ。

 返す刀で、彼女はいつでもメルリィを破壊できるのだということ。


 今この時に、そうしてみせたように。すべてを『後の先』で捌ききれるのだという――無言のうちに放たれた、明確な宣告だった。


(ここまでの……)


 ――何てコト、だろう。


 こんなにも――こんなにも、差があった、なんて……


「ごめんね」


 ぽつり、と。

 メルリィから視線を外すことはしないまま。小鳥のように小首をかしげて、ユイリィは告げる。


「あなたはわたしを牽制して逃走をはかるつもりだったんだろうけど、それは無理。一度まわりをちゃんと見た方がいいよ」


「何を……」


 反駁しかけ、その瞬間に気づく。映像観測カメラの映像拡大すら必要なかった。

 周囲を見回す必要すらなかった。ユイリィの後方――夜に沈んだ暗がりの中、ちらちらと光を放つ淡く輝きがある。


 ――魔力の輝きだ。

 構成によって編まれた、の輝きだった。それは、


(魔術障壁……!?)


 《遊隼館》の内と外を隔てる塀を高く拡張するように。魔術構成に基づき広く強固に展開する障壁が高々と屹立し、敷地の四方を覆っている。


「夜間に視認可能な強度の魔術障壁――魔術を行使できないわたし達オートマタじゃ、突破は難しいよね」


 その起動によって障壁を編む附術工芸品アーティファクトだというなら状況は理解可能であり、またその製作も不可能とは言うまい。

 だが、この館にそんな代物の備えはないはずだ。


 少なくとも、メルリィはそんな情報は受け取っていない。そんなものがあれば、がそれに気づかなかったはずがない。


「お屋敷に備え付けの附術工芸品アーティファクトじゃないよ。あれは人の構成した魔術だから」


「魔術師、だというのか……?」


 詠唱魔術による、魔力障壁。

 だが、この屋敷全体を覆うような魔術障壁を持続的に構成し続けているのだとしたら、魔術師の数は十や二十ではきかないはずだ。

 そんな人数を、どうやって――


「《諸王立冒険者連盟機構》……冒険者か――!」


 《諸王立冒険者連盟機構》コートフェル支部。

 ルクテシア第三の都市コートフェルに拠点を置き、王都に次ぐ規模を誇る連盟の支部は、拠点として籍を置く冒険者の数も群を抜く。無論――魔術士の類も。


「招集したのは祝勝会の間。あなたが、トーマ・ステフへの擬態がばれないよう一人で休息していた間のこと。人員の手配は昨日のうちにしていたみたいだけど」


「そんな、出鱈目でたらめな話が――わたしが襲撃に失敗し、同日のうちに再度の擬態と潜伏を試みるまで、最初から読んでいたと? 不確定要素だらけの状況で、そんな未来予測が成り立つ訳が!」


「使わないまま終わるならそれでよかったんだと思うよ。準備はしておいたってだけで――ってそういうものでしょ?」


「……………………」


 絶句するメルリィに、ユイリィは苦笑する。

 それはかすかに湿った、憐憫の温度を帯びていた。


「トリンデン卿は怖いひとだね。ユイリィも、あんまり敵にはしたくないな」


 ぼやくように、そう、ひとりごちる。

 そして、


「そして、わたしも。もうあなたを見失うことはない。

 わたしには異層領域走査網アザーレイヤー・ネットワーク――龍脈接続による走査があり、この《遊隼館》の敷地という限定領域下、あなた個人を追うだけなら、それはさして困難なことじゃない。あなたが逃走を断念し、この館の敷地のどこかで潜伏をはかったとしても、わたしがあなたを見失うことはない」


 ――『油断』、ではなかった。

 これは――『余裕』、だ。


 わずかに数日。たった三度の襲撃で。

 メルリィは、幾重にも張り巡らせた包囲の裡へと取り込まれていた。既に――


「ユイリィも、今はちょっと本気だから。できれば降参してほしいかな――あなたには」

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