88.この夜に、今ひとたびの《決着》のとき・②
「くっ――」
トーマ・ステフ――否、その姿を借りたメルリィ・キータイトは、腰に下げた剣を抜剣する。
標的は眼前のトリンデン卿。その距離は僅かに数歩。
腕を伸ばせば、剣の切っ先が瞬きの間にその喉へと届く距離にある。
「残念だが」
ぐずり――と。
トリンデン卿の足元で、その影が生き物のように
まるで水面から大魚が飛び出すように、あるいは深い霧の奥から危険な獣が吶喊するように。大きく伸びあがったトリンデン卿の影を引き裂いて
長剣の刃が火花を散らして噛み合う。
トーマが抜き打ちに放った一閃をかろうじて剣で受け、
「一手遅かったよ、メルリィ・キータイト。最前に言っただろう? 《
その対象は人や動物――生命に留まらない。
服。鎧。武器。彼らにとって、それらすべては等しく『情報』だ。
「しかし――あまり人間離れした真似をするべきでないぞ、トーマよ。誰か事情を知らぬ者に見られでもした日には、言い訳が大変なことだ」
「申し訳ありません。御身をお護りするためでした
「冗談だ。無論知っているとも――お前の忠実もな」
「光栄です。閣下」
観測した情報を、《
人も。物も。等しく《
――だが、
「貴様、は――森に縛り付けた、はず……!」
直上から飛び降りざまの一撃で意識を刈り取り、気絶したトーマに
必要な道具は――おそらく、メルリィを捕縛するためのものが――鞍と一体化したポシェットにおさまっていた。
「我々は端末だ、メルリィ・キータイト」
「ぐ……」
告げて、トーマは剣を押し込む両腕に力を籠める。
「我々に『位置』は関係ない。我々はひとつの影であり、我々は拡大した影のどこにでもいるもの。ゆえに我々は『
半歩、
同じ顔が二つ、噛み合う刃を挟んで、今にも額が触れんばかりの距離で対峙する。
「私は閣下の護衛騎士である。閣下の御身を護る者である。私は閣下の上意を受け、もっとも容易な形で貴様が此処へ至るよう、我が身を囮に貴様を招き入れた」
――誘いこまれた。
あの時、トーマ・ステフは意識を失ってなどいなかった。否、仮に真実その意識を失っていたとしても、おそらくはどちらでも意味などなかった。
最もトリンデン卿の身近にある護衛騎士筆頭。
であるがゆえに、ひとたび入れ替わりさえすれば最も容易にトリンデン卿へと近づくことのかなう存在。
容易であるがゆえに、余計な手順を踏まずに済む。単純であるがゆえに余計な計略を巡らすことなく、不確定要素を撒くことなく安易にこの場へ到達してしまう。
トーマ・ステフを囮に、彼がメルリィに容易に倒されたふりをすることで。
「閣下への接近を狙うにおいて、貴様の選択は誤りではない。だが――あの場を逃げ延びた己を幸運と思わず、姿をくらまさなかった、その時点で貴様は遠からず、こうなる運命だった」
「まさか――」
ずるり、と。
「私の直属も『
「たまには欲をかいてみるのもよいものだな、メルリィ・キータイト。こうして首尾よく、獲物がかかることもある」
傲然と。揺るぎない勝者の余裕で、トリンデン卿は告げた。
「いかな寛容なるこの私とはいえ、
「くそっ――!」
刃の角度を変え、ぎりぎりと鍔迫り合いを続けるトーマの刃を右へと流す。
その瞬間、剣を放り出し、
「――ふんっ!」
瞬きのうちに体勢を立て直して横薙ぎに刃を振り抜くトーマ。
半月の弧を描く銀閃を、直下にかがんで紙一重でやり過ごし、黒々とした夜を映すガラス窓へ向けて突進する。
破壊音。
窓枠ごと薄いガラスを砕く甲高い破砕の音を引いて、
――疑似魔術構成展開。
指先から疑似霊脈を外部へ伸ばし、その先端に
見えざる霊脈の糸を、館の屋根――そこに鎮座する煙突へ向けて伸ばす。
「行け――!」
霊素伝導。疑似魔術構成に沿って流体
展開した疑似魔術構成に則り、
引き上げた
屋根の上を転がって
「く……ぁ……!」
――この擬態では不利だ。
機体重量に近しい大柄な男を選んで擬態したが、おそらくはそう選択すること自体を読まれていた。
大きく展開したフレーム全体を補助するには、流体
「あ……が……ぁあ……!」
擬態:強制解除――契法晶駆動基へ記録した
全身の
高速の再形成で外皮が発熱する。
全速でスライドし、折り畳み、収縮させたフレームが全身のあちこちでぶつかり合い、悲鳴のように軋みを上げる。
それらの、痛みにも似た感覚に呻きながら。それでも機体を
この服自体が《
流体
高速形成した
「はあ……はあ……っ、は……ぁ……!」
後に残されたのは、花のように可憐な少女の姿だった。
緩く波打ち肩にかかる、やわらかな亜麻色の髪。
睫の長い、どこか夢見るようにけむる瞳は
形成終了直後の熱を持って、うっすら紅色の火照りを帯びた
腕も、脚も。肩も、腰も。喉も、
「はあ……は、ぁ……っ」
――排気。
――排熱
高速機体変形直後の、無理な変形で機体そのものが持ってしまった熱を排出する間、メルリィは耳を澄ませて、追跡のため屋根に上ってくるだろう何者かの出現に、警戒を鋭く尖らせていた。
――Lナンバー最新機、《L-Ⅹ》。
Lナンバーの始祖にしてLフレーム原型機たる《L-Ⅰ》リトリィ・クォーツを制作した《
あの機体なら、三階からこの屋根まで登る程度は容易なことだろう。量産型の《
ユイリィ・クォーツはメルリィを追跡するため、必ずこの屋根へ上ってくる。
だが、擬態と奇襲効果を失っても、先んじて動いたことで位置の優位は確保した。あちらが姿を見せたその瞬間に、迎撃を――
「――驚いた」
音もなく。
ただ、ぽつりと零す声だけが、風に乗ってメルリィの耳へと届く。
「びっくりしちゃった。ユイリィの持ってる
「……お前、は」
三つ編みに編んだ若草色の髪を、吹きつける風になびかせながら。
屋根の頂点、
「ユイリィ――クォーツ……!」
どうして。何故、彼女がここにいる。
三階の執務室からここまで、メルリィの観測外だけを辿って、何の音も立てずに移動したというのか。
いや――
「下にいたのは……あれも、《
「そうだよ。ユイリィは最初から『こっち』にいたの」
あの執務室で囲まれてなお、メルリィが逃走を図ったときのための。
最後の、『詰め』として。
「はじめまして――は、おかしいかな。《L-Ⅵ》とはもう何度も会ってるし。でも、その姿のあなたと会うのはじめてだよね。それは誰の擬態?」
屈託なく明朗で、無邪気な声が、問いかける。
「その姿が、あなたの『最強』の形態ということ? たしかにその姿は今まで見た中でいちばんの、堅牢で強固な姿だものね――そうやって機体のサイズを絞り込めば、単位面積あたりに充填できる流体
それとも――と。
淡い紅色の唇に、ほやんと人差し指を宛がいながら。
ユイリィは小鳥のように首を傾げ、おっとりと問いを重ねる。
「それとも、もしかしてその姿が『メルリィ・キータイト』?
「――ええ。そのとおり」
ゆらり、と。
陽炎のようにゆるやかに、立ち上がる。
薄い胸にてのひらを当て、確かめるように熱を帯びたことばが夜に溶ける。
「これが……わたし。これが、
あの日。第五工廠の最終稼働試験の日。
はじめてこの世に目覚めた日の
敬し仰ぐべき御方に救われ、はじめて手を差し伸べられた日の
いくつも一緒に季節を越えてきた、
多くのことを教えてもらった、
『希望』、と。
『幸い』、と。
そう――あの日々に、呼んでもらった、
「そうですね――はじめましてです、《L-Ⅹ》ユイリィ・クォーツ。これが
いつだって、あの背中を追っていた。
はじめて
「――《L-Ⅵ》メルリィ・キータイト。これが、本当の
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