87.この夜に、今ひとたびの《決着》のとき・①
――トリンデン卿の邸宅を脱出し、コートフェルの市街へと突入した後。
メルリィ・キータイトは、護衛騎士達の追走を振り切れていなかった。
馬術に長けた騎士達の追走はひとつふたつ角を曲がった程度では振り切れず、左右の細い路地へと逃げ込むのも難しい――速度を上げた状態から急制動をかけて進路を切り替えるのは、現状の耐久負荷限界では不安が大きかった。
また、騎士達が大声をあげながらメルリィを追う間に、騒ぎに目敏い冒険者達が、通りの左右で動き始めているのも見えた。都市の内側でこれ以上長く逃げ続ければ、騎士達のみならず彼らの追跡をも受けることになるだろう。
ゆえに、日中は開け放たれた市門を強行突破し、距離を稼ぐことを選択した。
直線の速度だけであれば、少しずつだが馬を引き離せている。いかな馬術に長けた騎兵といえど――あるいは長けていればこそ、都市内の騎馬を全速で走らせるリスクは避けていたようだった。
門を突破し、ラウグライン大森林へと入る間道を選択した。
見通しの悪い森の中なら、追手を撒ける目は十分にあると見込んでだ。
後続を十分に引き離し、視界が木々に遮られたところで間道の脇、木立の上へと跳躍した。能うる限り静かに制動をかけ、生い茂る枝葉に身を隠す。
「止まれ」
先頭の護衛騎士――トーマが命じる。
どう、どうと馬に呼びかけ、三騎の騎馬が脚を止めた。
「……見失ったかもしれんな」
枝葉の作る影――その下方から、男のひとりごちる声が届く。
「戻りますか、トーマ隊長」
「いや、ここは二手に分かれる。お前達はこのまま道なりに追跡を続行せよ。私はここを起点に森の入り口までを捜索する」
「トーマ隊長おひとりでですか? 危険なのでは――」
「役割を逆にはできん」
力量を鑑みての評であろう。部下の騎士達は「はあ」と唸ったきり、あとは押し黙ってしまった。
「彼奴を街へ戻らせてしまう方が厄介だ。左右の木々や木立の間にも目を走らせろ、どこに潜んでいるか分からんぞ」
「は。トーマ隊長もどうかお気をつけて」
「無論だ」
手綱を操り、二騎の騎馬がさらに森の奥へと向かう。
その間にトーマは馬を降り、手綱を手近な木の幹へと繋いだようだった。
(好機――か……?)
手のうちを知られているだろうとはいえ、あちらの力量もおよその見当はついている――奇襲であれば、十分に制圧可能。
静音性は、《L-Ⅵ》最大の長所だ。あるいは擬態機能以上の、暗殺者としての長所である。人間のように呼吸を乱すことなく、熱を放出することなく、潜むことができる。
熱源となる動力基はとうに落としている。霊素残量――問題なし。
流体
部下を行かせたのは誤りだ。
この男は自分一人で奥への追跡を続行し、部下二人をこそ残すべきだった。
(二度、あなたは見誤った――
――油断なく左右へ目を走らせ、気配を探る男の直上から。
音もなく、メルリィは初撃を仕掛ける。
◆
――夜。
屋敷の使用人すべてを集めた祝宴も終わり、トリンデン卿の邸宅たる《遊隼館》はひっそりとしていた。
無論、今夜の夜番に立つ衛兵や護衛騎士達は祝宴の席にはいられなかったのだが、彼らは明日あらためて、いっとう上物の果実酒と料理をもってねぎらう手筈を整えている。
本邸は静かだった。
明日に備えて休むこととした者。酔い潰れて眠っている者。場所を変えて祝宴の続きを楽しんでいる者達もあるだろう。
そんな、夜の静けさに沈む本邸の一室――トリンデン卿の執務室である。
「――失礼いたします」
招集を受けた最後のひとりである護衛騎士トーマが入室したとき、室内には今回の一件への対処に携わった、主だった者が集まっていた。
邸宅の主たるトリンデン卿。
その側近たる
トリンデン卿を守護する護衛騎士の筆頭たるトーマ。
そして、本件の協力者たる少女――ユイリィ・クォーツの姿もあった。
部屋の片隅で壁に背を預けるようにひっそりと立ち、感情の伺えない無の表情でどこか床の一点を見下ろしていた。
「
「ご苦労、トーマ。休んでいたところを呼び立てて済まなかったな」
「いえ」
執務机を立ってトーマを迎えるトリンデン卿。
追跡から戻った後、トーマは早々に祝宴の場から席を外して休息を取っていた。今は鎧も外し、剣を腰に下げているだけの軽装である。
「さて――此処なる諸君を招集した理由は言うまでもないことだろう。メルリィ・キータイトの件に関する確認――及び今後の対応に関してを定めるためだ」
トリンデン卿は居並ぶ一同を見渡した。
「まず現状の共有である。ジアノ=バストーの《諸王立冒険者連盟機構》支部より、シオン・ウィナザードら一行から我々への連絡が届いている」
言いながら、トリンデン卿が取り上げたのは羊皮紙の紙片である。
「
近年実用化されたばかりの、新式術式通信――
「話の腰を折っちゃうかもだけど。ジアノ=バストーっていうのは?」
「叔父の所領、ミスグリム伯領の領都だ。この領都近隣の森の奥に、叔父は隠し屋敷を持っていたようだ」
ユイリィの質問に答え、トリンデン卿はあらためて一同を見渡す。
「この文面がコートフェル支部へ届いた時間から見て、今時分は既に何らかの決着がついている頃だろう。そして我が朋友たる彼らから
その言葉に周囲からの否はなかったが、トリンデン卿は敢えてユイリィへと問いかけた。
「然る後、メルリィ・キータイトもまた撤退を選ぶものと私は推測しているが――どうであろうかユイリィ・クォーツ。能うるならば私は、これを捕らえて完全勝利に花を添えたいと思うのだが」
「メルリィ・キータイトの捕縛は、ユイリィ達の勝利条件じゃない。そうゆったのはトリンデン卿じゃなかったっけ?」
「それはそうだ。しかし次に我が朋友達とまみえる際、彼らへ胸を張れる
無論――と前置きしながら、大仰に肩をすくめる。
「それが能うるものならば、という前提に立ったものである。たとえば件の刺客が今なお私の暗殺を諦めず、虎視眈々とその機会を伺っているならば、ということだ」
「刺客の捕縛とは仰いますが、旦那様」
アンリエットが、ため息交じりに言葉をさしはさんだ。
「いかようにそれをなすものか――そこはお考えがおありなのですか? わたくし達は現状、かの刺客の行方を見失っているのですよ?」
「おなじ欲をかくなら、昼間のうちにかいておくべきだったね。あれはチャンスだったよ」
「いや、あの時はあの時だ。欲をかいて自滅の種を
アンリエットに続いてユイリィにまで冷たく水を差され、トリンデン卿は反論しながらも、たじたじとばかりの苦笑を浮かべていた。
「だが、二人の言うことももっともだ。その話をするにあたって――そうだな、先にひとつ、別の話をさせてもらおう」
「別の?」
訝るトーマ。トリンデン卿は首肯する。
「諸君は本邸のホール、そこに描かれた天井画のことは知っているな?」
「《真人》種族と幻獣の天井画だよね?」
「その通りだ、ユイリィ・クォーツ。我が曽祖父の代に、今はその名も知れぬ二人の画家が描いたとされる、《真人》種族の天井画だ」
《
《
《
《
《
《
《
神々の祝福を受けて魔法を極めた七つの種族。
彼らの在りし日を描いた、想像の絵画。
その絵画の中で彼らが従える、各々の種を象徴する七種の《幻獣》。
《
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《
《
「私は若き日に、冒険者としてシオン・ウィナザードらと共にひとつの迷宮へと挑んだ。そう、かの《凪の船》を巡るみっつの冒険。その第一の舞台たる、《海に眠る蒼石の洞窟》へだ」
シオン・ウィナザードが弟たるランディに語った冒険譚のひとつ。
後に《果てなる海の嵐竜》が巻き起こす嵐を越えてかの竜を討伐する
「私もまたシオンらと同様、ひとつの目的を胸に抱いてかの遺跡へと探索に赴いた。《凪の船》のためではない。かの船と共に遺跡へ封ぜられた、もうひとつの『遺産』を手にするためだ」
「ランディちゃんがいてくれたら、詳しいおはなしがわかったのかもしれないけれど」
ユイリィが零す。
「で。なんだかもったいぶってるけど、その『遺産』って?」
「船員だよ」
どこか得意がるように、トリンデン卿はにんまりと目を細める。あるいは、悪童がとっておきの打ち明け話をするように。
「洞窟の深奥に隠された《凪の船》をどうやって持ち帰る? 冒険者のポケットに入るものではない。乗って帰るしかないな――そこに操船に十分な数の船員がいるとは限らず、そも操船の術を持つものすら一人もいないかもしれない。前提として、《真人》は船など必要としない。あれは彼らの遊興のためのシロモノだ」
《真人》は瞬きのうちに千里を跳んで渡るという。
船などというのろまな乗り物を、『移動』という意味において彼らは必要としなかった。
「《凪の船》を航行せしめる船員にして、かの洞窟を守護する《幻獣》。
「その《
「《
人であればその肉体・精神・記憶・この後の時間経過に伴うあらゆる変化の可能性――すべてを観測して自身の中へと記録し、それら記録した情報を基に、自身の分け身にして観測機たる『端末』を編纂する!」
歌劇のように朗々と、大仰に、トリンデン卿は声を張り上げる。
「そう――『船員』とは
だが、《凪の船》はフリス・ホーエンペルタが製造した《
「閣下」
眉をしかめて、トーマが苛立ったように促す。
「そろそろ本題に入ってもよいのではありませんか。今この場で俎上にのぼるべきは、メルリィ・キータイトへの対抗ではないのですか」
「おいおいトーマ。何を言う」
ははは、と笑って、トリンデン卿はおどけたように両手を広げる。
「そうつれないことを言うものではないぞ。此処なる語り、そのすべてはお前達の話ではないか」
「―――――――――――」
「パーシュバル!」
それまで終始無言で影のように控えていた忠実な
頭を垂れる家令へ、彼は問うた。
「念には念を入れて確認させてもらおう。此処なるトーマ・ステフ、これはお前達か?」
「いいえ、旦那様」
頭を垂れたまま、老家令は答える。
「それは我々ではございません。人ならざる《
「と、いうことだ。トーマ――いや、違うか」
――謀られた。
今や執務室に集った者すべての視線が、トーマの――トーマ・ステフに擬態したメルリィの一身へと集中していた。
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