79.闇に潜む刺客を探せ! 《冒険者》達の出撃です!!・⑨


 護衛騎士の囲みを脱出し、《遊隼館》の玄関から前庭へと脱出するスレナメルリィ


「逃がすかっ!」


「待ちたまえ」


 その後を追おうとするユイリィを、トリンデン卿が手で制した。

 玄関から門まで続く石畳の道。その後を、左右から飛び出した数騎の騎馬が追走する。

 館の外に前もって控えさせていたのだろう。追走する騎馬の先頭に跨っているのは、トリンデン卿の側近たる護衛騎士トーマの背中だ。


「我々の勝利条件は、彼女の破壊でも拿捕だほでもない。後のことは我々に任せたまえ」


「でも」


「私の見立て違いなら笑ってくれて構わないが。思うに君の体力も、今は限界が近いのではないかな?」


「……………」


 トリンデン卿の指摘に、ユイリィは応えなかった。

 そしてこの場合、その沈黙はそのまま雄弁な回答だった。


「体力、というのは正しい表現ではないのだろうがね。だが、仮に君が今なお余力を残していたのならば、彼女メルリィを追い詰めるという最後の重大な役回りを、我が護衛騎士達のみに委ねてなどおかなかっただろう」


 ユイリィの表情は動かなかったが、図星を突かれたのは明らかだった。


「君が行ったと証言した『観測』は、魔法と見做した場合きわめて高度の領域にあるものだ。

 実現できる術者がまず卓越たくえつ懸絶けんぜつした一握りに限られ、また仮に実現できたとして、その消耗は余人の計り知れない域にあるだろう――たとえ摂取した食事のでもってまかないつづけていたとしても、その補充とて即座に終わる類のものではあるまい?」


 ふたりの会話を聞いていたランディは、そこで不意に閃く。


「じゃあ、ユイリィおねえちゃんがたくさん食べてたのって」


 ユイリィと出会った最初の日。

 はじめて彼女と一緒に食事をしたとき、ユイリィは最初、躊躇いがちにその誘いを謝絶した。

 もしかして食べられないのだろうか、と内心で訝りながらも、なお諦め悪くランディが呼びけると、ユイリィはそれでようやく折れて、



『――霊素変換での摂取なら、できる。ユイリィは食べものが必要なわけじゃないけど、でも食べられないことはなくて』



 ユイリィはとても気まずそうに、ランディから顔を背けた。

 正解だったらしい。


 トリンデン卿は、はっはと高らかに笑い、あらためてホールを見渡した。


厩舎きゅうしゃから出せるだけの馬を出せ! これより馬術の心得があるものすべてを充てて、スレナとドナの捜索を再開する!」


 銅鑼を打つみたいに強く大きな声が、檄を飛ばすように指示を下す。


「捜索は市内各所の備蓄倉庫を重点的にあたれ! 特に、裏門のある北側市街は入念にな――また騎手が男の場合は、その騎馬に必ず一名以上の女性を帯同することを徹底せよ!」


「女性をですか?」


 怪訝に眉をひそめる若い騎士のひとりへ、「そうだ」と力強く頷き、


「少なくとも、スレナはあの刺客に服を盗られているだろう。まさか此処なる紳士諸兄に、半裸の女性の世話をさせるわけにもゆくまい?」


 茶目っ気を含んだ物言いに、若い護衛騎士達が互いの顔を見合わせる。

 中にはうっかりその状況を想像してしまったか、頬を赤くしている初心な騎士もいたようだった。


「しかし閣下、それは……帯同する女性が危険ではありませんか。あの刺客めに、他に仲間がいないとも限りません」


 年かさの護衛騎士が控えめに指摘するのに対して、トリンデン卿はひとつ頷き、


「その懸念はもっともだ。しかし彼奴きゃつに仲間がいるのであれば、これまで二度の襲撃に及んでまったく動きが見えないのは奇妙なことでもある――ゆえに私は、彼奴の襲撃を単騎、ないし仲間との連携が取れぬ状況にあるうえでのものと判断する」


 剣の鋭さで断定したトリンデン卿はくるりと踵を返し、未だ最前の事態を処理しきれずに呆けていたアンネリーら、パーラーメイド達へと歩み寄る。

 揃って血の気が引いた娘達を勇気づけるように、彼は力強いてのひらで、メイド達の肩を叩いた。


「案ずるな。スレナもドナも、二人ともきっと無事でいる!」


 力強い、確信の宣言だった。

 ためらいがちに互いの顔を見合わせたメイド達は、やがて主人たる彼の表情を仰ぎ見て――めいめいコクンと頷き、胸をざわめかせる不安を飲み込んだようだった。


 剣戟けんげきの緊迫が去り、ようやく緩みはじめた空気の中、館の人々がめいめいに再び動き出す。


 互いにひとまずの安堵をつきあい、最前の一幕を回顧するように語り合う使用人たち。

 邸内に他の異変がないかを確かめるべく、隊に別れて散ってゆく衛兵たち。

 開け放した玄関から外へ向かうのは、捜索のため馬を取りに向かう一群であろう。


 ユイリィは、そんな彼ら彼女らを凪いだ面持ちで見渡していたが。やがて別邸へ続く廊下の方へ、くるりと振り返った。

 より具体的には、ランディと、そのさらに後方――渡り廊下へ続く角のところから身を乗り出すようにして固まっていた、彼の幼なじみ達へと。


「ランディちゃん」


 ぎくりと肩を縮めるランディの前で、膝を抱えるように腰を落として、低い位置からじっと顔を見上げる。


「おへやにいて、ってゆったよね?」


「それは……その」


 ユイリィの表情も声音も、怒ってはいなかった。

 ただ、じっとみつめてくる若草色の瞳を見ていられなくて、ランディは顔をそむけてしまう。


「ランディちゃん。今回はたまたまそんな風にはならなかったけど、さっきはあぶないとこだったかもしれないんだよ?」


 それは、言われてみればそうと分かる。

 少し何かが違っていれば、スレナに化けた刺客メルリィは騎士達の囲みを突破した後、ランディ達の誰かを人質にしようと目論もくろんだかもしれない。

 パーラーメイド達を押しやって障害物代わりとし、稼いだ時間と距離をもって玄関から脱出を図ったのは、彼女がたまたまそちらを選択したからでしかない。


「ユイリィさん違うの、ランディは言いつけを破ったんじゃないわ! その――」


 割って入った声は、ラフィのものだった。

 別邸へ続く角のところから大声で叫んだ彼女は、せわしなく自分の足元を見まわして――カリカリと犬みたいに顎の下を描いていたクゥをがばっと抱き上げると、


「この子! この子が! この子が部屋を出ちゃったから。追いかけてきたの! だからランディはユイリィさんとの約束やぶりたくてやぶったんじゃないし、あとあたし達もたまたまここに来ただけだから!」


「ラフィちゃぁん……」


「リーダー、台無し」


「なによ!? エイミーもユーティスもそのガッカリ顔!! あたしホントのことしかゆってないでしょ!?」


 ぎゃあぎゃあ言い合っている子供達を見遣り、ユイリィはやがてひっそりと息をつく。


 《機甲人形》であるユイリィにとって、呼吸そのものにさしたる意味はない。それはひとえに人間らしさとしての所作であり、状況に踏ん切りをつけるための仕草だ。

 ユイリィは膝立ちになると、しゅんとしょぼくれているランディを胸に抱き寄せ、ぎゅっと抱き締める。


「ゆ、ユイリィおねえちゃん……?」


「ここに来ちゃったことは怒ってるけど……でも、さっきはちょっと嬉しかったよ。信じてくれてありがとう」


「え、と。信じる、っていうか、その。ぼくは……ほら、ほんとに見てたもの。前に。だから」


「うん」


 とっさのことで混乱したのと照れくさいのとで、たどたどしい、言い訳みたいな物言いになってしまう。

 なのにユイリィはちっともがっかりなんかしなくて、「わかってるよ」と伝える代わりに、抱きしめる力をほんの少し強めて。それから、ぽんぽんと宥めるようにランディの頭を叩く。


「でも、ほんとにほんとにさっきは危険だったんだからね? わかってる?」


 ぱっ、と身体を離したユイリィは、「怒ってるんだよ?」とアピールするみたいに眉を吊り上げて、拗ねた声を出す。


「あぶないって、そんなに?」


「そんなにだよ。ユイリィ実はすっごく心配してたんだから」


 空いた両手でわしゃわしゃとランディの髪をかき回し、ほっぺたをふにふにする。


「それにかっこわるいとこまで見られちゃったし。ほんとにもう、さんざんだよ」


「かっこわるいとこ?」


 いったい何を言っているのだろう。

 訳が分からずきょとんと目をしばたたかせるランディに、ユイリィは唇を尖らせて、


「メルリィを逃がしちゃったもの。最後の最後で詰めを間違えるなんて……おねえちゃんはそんなみっともないとこ見られたくなかったよ。ぷんすか」


「あー……」


 ぷんすか、とわざわざ口に出して怒ってるのをアピールしてくる。

 そのせいで、かえってユイリィが怒ってるんだかどうなんだかわからなくなってきて、ランディは逆に肩の力が抜けてしまう。


「でも、えっと――す、すごかったと思うよ! スレナさんが入れ替わられてるんだってわかったの!」


 それだけは、心からそう思う。ランディは声を弾ませる。


「アザー……なんとか? んっと、よくわかんなかったんだけどさ。それって前にシオン兄ちゃんたちが『遺跡』から出てきたのがわかったやつでしょ? ユイリィおねえちゃん、ずっとそんなことやってたんだね」


 昨日の夜に、聴音観測パッシブ――音での観測を切っていたと言っていたのを思い出す。

 あの時はランディ達を気遣ってそんな風に言ってくれたのかと疑ったりもしたけれど、最前の一幕を経た今ならそうと分かる。ユイリィはそこまでしなきゃいけないくらい、余裕がなかったのだ。


 生垣ロッジ迷宮を探検したり。

 おいしいご飯を堪能したり。

 ランディが《遊隼館》でのお泊り会を満喫している間、ずっとひとりで。


「うん。でもそのせいで、最後の詰めで霊素パワー切れだったんだけどね。情けないよ」


「そんなことないし! レドさんだってゆってたじゃない、ぼくらの勝ちだって!」


「そうかなぁ……」


 ユイリィはまだ納得いかないみたいで、へにゃりと力のない苦笑を広げる。

 すっかり気落ちしている『お姉ちゃん』に、ランディは殊更に声を明るくしながら、


「そうだよ!」


 ――と。

 きっぱり力いっぱい、首を縦に振ってみせた。



 結果から言えば、ユイリィに対するランディの励ましは――あるいは、メイド達を勇気づけるトリンデン卿の宣言は、正しい形で報われた。


 北市街のある備蓄倉庫に縛り転がされていたドナとスレナ。

 このふたりを無事に保護したとの一報が屋敷に届けられたのは、それから三時間あまりが過ぎたころのことであった。

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