78.闇に潜む刺客を探せ! 《冒険者》達の出撃です!!・⑧


「――――は?」


 スレナが呻く間に。

 《真人》の天井画が見下ろす《遊隼館》の玄関ホール、そこに集まる使用人たちの反応は、大きく二通りに別れた。


 ひとつは、表情を動かすことなくおもむろにスレナを取り囲む護衛騎士達。

 もうひとつは、戸惑いが露わなメイドやふつうの使用人たち。そんな彼ら彼女らを、護衛騎士のひとりに指示された衛兵達が――もちろん彼らも、他の使用人たちと同様に戸惑う側ではあったのだが――命令に従って遠ざけていく。


「これはどういう……ユイリィ様?」


「間違いないのかね? ユイリィ・クォーツ」


「間違いないよ。彼女は入れ替わられた」


「旦那様! この方は一体何をおっしゃって」


「だから、そういうのいいんだって言ったよ?」


 スレナの訴えに、彼女の腕を掴んだ手を離すことなく若草色の双眸をうっすら細めるユイリィの佇まいは、これまで一度も見たことがないくらい冷ややかで、傲然としていた。


「そうだね、じゃあ種明かししようか。べつにあなたのためじゃないよ? あなた以外の、ここにいるみんなのための種明かし」


 走らせる視線の動きだけで周囲を示し、ユイリィは続ける。


「――まず、わたしはおとといこの館に来てから、正確にはルクテシア標準時一四時五三分前後から、ひとつの観測を続けていました。

 通常の場合は真っ先に除外する類の『観測』です。なにぶん数を増やすとノイズの除去が手間ですし、それ以外にも懸念はあったので……ですが現状、『観測』の手数を絞るのは危険であると判断した結果です」


 この館に来た、最初の日の午後。

 ユイリィが最初に客間に来て、いっしょに生垣ロッジ迷路の話をしたくらいの時間だ。


 ――メイド長のアンリエットが嘘をついているかもしれない。

 ――彼女は刺客メルリィに入れ替わられているかもしれない。


 そんな話をした。その時から、既に、


「観測していたのは、この館の敷地内に存在するの体重――より正確には、『地面ないし床面との間の垂直抗力』または『地面ないし床面との間の歩行時抗力ベクトル』から算出した。わたしはその観測を続けていました」


 教本の記述を諳んじるようにして、ユイリィは告げていく。


「もちろん、それひとつを観測したところで誰が誰かなど分かるはずがありません。これと併せて前述の測定を行った対象の映像観測を行い観測した重量と対象の紐づけ、を行っていました」


「それは……」


 絶句するトリンデン卿は、半ば驚愕に、もう半ばは呆れたように、口の端を歪めていた。

 それは即ち、邸宅に入った時点から――敷地の中ににいつづける限り、各人の所在地とその同一性は常にユイリィの観測のうちにあったということ。


 《機甲人形》である刺客メルリィは、基本的に同程度の体格の人間より重量において上回る。つまりこれは、外部において入れ替わりが発生した場合にこれを捕捉――あるいは邸内への刺客メルリィの潜入を捉え、これら観測結果が得られなかった場合に入れ替わりの可能性を、そのための『観測』を行ったという宣言だ。


「……もしやと思いますが、ユイリィ様は高位の魔術師の方でしたか?」


 だが。

 唸るスレナの声音は、揶揄の気配に尖っている。そんな事ができるはずがない、という確信ゆえの、それは揶揄だ。


 話を聞く使用人たちの間にも、むしろ困惑の気配があった。


 ルクテシアでは、学校で魔術の初歩を習う。ゆえに、彼らはみんな知っているのだ。魔術がそこまで万能ではないことを。


 魔術、ないし魔法と呼ばれるもの――その中でも広く一般的な詠唱魔術に限って言うなら、その効果は長く続くものでもせいぜい数分。それ以上の持続を求めるなら詠唱を繰り返して魔術を幾度も張り直すか、附術工芸品アーティファクトという形で効力を実装するしかない。


 他方、附術工芸品アーティファクトはきわめて長く効力を維持可能な一方で、その製作には並々ならない時間と資材を要求される。あらかじめ製作が可能な環境と知識を持っていたとしても、ユイリィには圧倒的に時間がない。


 ゆえに。

 ユイリィが語った内容は――仮に理屈のうえでは可能だとしても――実現に際してはあまりに現実味を欠く。この場にいる誰もが、それを感覚的に理解しているのだ。

 だが、


「それは事実に整合しません。わたしは《機甲人形オートマタ》であり、魔術は扱えないのです――ただ、その代わりになるものを持っているだけで」


 ユイリィはあっさりと首を横に振り、その前提を棄却する。


異層領域走査網アザーレイヤー・ネットワーク、といってもわかりませんよね。わたしの機体フレームは大地の霊脈、《龍脈》への接続アクセスを可能とする機能を実装しています」



 ――契法晶駆動基:起動スタート・三基連携・同系機シリーズ間越権連携網:接続アクセス


 ――最上統括アドミニストレイター権限:承認・異層領域■査網アザーレイヤー・ネットワーク潜航■イブ■了ク■ア



「この《龍脈》を介し、わたしは固有観測の領域と距離、観測域の拡大が可能です。理論上は《龍脈》が巡る範囲――すなわちまでを、わたしの観測可能域へおさめることができるのです」


 世界を動かす、見えざる手を伸ばす。

 必要なものを、必要なだけ、必要な形で。それが、魔法の、正しい『在り方』なのだという。

 ユイリィは魔術を扱えない、そうなのかもしれない。だが、その在り方に則るなら――たしかにそれは『魔術』に連なり、それに代わる何かだ。龍脈を通じ、観測の、それを、


「いい加減にしてください! さっきから貴女は、そんな世迷言で」


「待って!」


 飛ぶように割り込んだその声に、瞠目する一同の視線が集中する。

 声の主――ホールへ踏み出した、ランディの一身へ。


 トリンデン卿すら、意外そうに目を見開いていた。

 感情の動きの一切を見せなかったのは、ユイリィただひとりだった。


「ぼく……ユイリィおねえちゃんがそれをするところ、前に一度だけ見たことがあります。たぶんですけど、でも」


 ――そうだ。ランディはたしかにそれを見た。

 それは、兄のシオンとその仲間達が《双頭蛇竜アンフィスバエナ》討伐のために『遺跡』へと踏み込んだ、その帰還の時に。


 ラフィの家である冒険者宿、《黄金の林檎》亭でその帰りを待っていたランディに、ユイリィはたしかにこう言った。



『シオンが勝ったよ』


『今はちょうど『遺跡』から出てきたところかな。フリスがちょっとこけそうになってた』



 思い出した。それを、覚えている。


 その時は、どうやってそれを確かめたかなんて気にしてもいなかった。

 シオンやフリスが無事だったことへの安堵が先に立ったし、何よりユイリィはびっくりするくらい目も耳もよくて、遠くのものごとを見聞きしていたから。だからその時だって、彼女が遠くのことを一人だけわかっていたのを、不思議に思うことなんてなかった。


 でも、よくよく考えてみたら、それはおかしなことではなかったか。


 あの時のユイリィは、いったいどうやってを知ったのだろうか。


 《黄金の林檎》亭の屋内から『遺跡』への視界は通らない。

 仮に窓から外を見ていても、周りの家や森の木々が邪魔になる。


 音だってそうだ。たとえシオン達の足音を聞いていたとしても、トスカの町中の音や、『遺跡』の傍に流れる川の水音みたいな他の音ぜんぶを無視して、シオン達の足音だけを聞き分けることなんてできるのか。まして、町の真ん中にある宿屋の内側から。


 目や耳がよくたって、どうにもならない。

 なのに、ユイリィはそれをした。何でもないことみたいに。


 町から遠く離れた、魔物を退治して『遺跡』から出てきたばかりだったシオン達の無事を『観測』していた。

 町からでは到底見えも聞こえもしないところにいた、シオン達を。


「ユイリィおねえちゃんは……そういうことができる力を持ってます。どうやってるのかはわかりませんけど、たしかにぼくは、それを見ました!」


「ありがとう、ランディちゃん」


 ユイリィは微笑んだ。大輪の花みたいな笑顔で。


「うれしいな、ランディちゃんがわたしのこと信じてくれて。とってもうれしい」


 ――けれど、と。

 刃のように眦を細め、ユイリィは薄い笑みを広げる。


「けれど、貴女の正体を暴くのに、そもわたしの能力を証明する必要はないのです。だって昨日と今日とで体重がのは、この館で貴女ひとりしかいないのですから」


 ランディはぎょっとする。一・九倍……ということは、


「ちょ、ちょっと待って。仮にスレナさんが五十キロだとしたら……今、九七キロ!?」


 ユーティスが呻く。


 今のスレナは裾の長いワンピース姿。荷物ひとつ持っていない。

 長身とはいえ、女性らしく絞った体格のスレナでは、到底ありえない数値である。


 仮にワンピースの裏一面へ鉄板を張り巡らせていたとしても、これは現実味を欠く値だ。

 全身金属鎧プレートアーマーですら、近年の品はせいぜい二十キロかそこら。四十二キロという値は、分厚い板金を張り合わせ内側に鎖帷子チェインメイルを着こむ、旧時代の全身金属鎧プレートアーマー一式の装備重量に匹敵する。


「トリンデン卿」


 ユイリィは視線を滑らせ、腕組みして状況を静観していた彼を見遣る。


「この館に体重計はありますか?」


「ああ、あるとも。本邸と別邸の湯殿、その脱衣所各所にひとつずつ」


「では、どなたかそれを持ってきていただけますか? 仮にこれまでわたしが語ったことばの一切が虚言妄言にすぎなかったとしても、彼女に体重計へ乗ってもらえさえすれば、わたしの正しさは検証可能です」


 朗らかに。ユイリィは論理の切っ先を突きつける。


「もちろん、仮に計測値が正常であった場合、わたしの正しさは棄却され、代わりに貴女の潔白が証明されます。構いませんよね? メルリィ・キータイト」


 ユイリィはやわらかく微笑む。

 喉元へ剣の切っ先を突きつけるような、それはの笑みだった。


「いいえ――スレナ・ティンジェル、とお呼びすべきでしょうか。


「――――――ッ!」


 スレナが、ユイリィの腕を振り解いた。

 踵を返して駆けだそうとするその先を、抜剣した護衛騎士達が遮る。


 行く手を阻む人の壁を払うように振るったスレナの右腕から、輝く銀の刃が伸びる。


 手甲剣――聖霊銀刃ミスリルブレード


 形成が早い。

 だが、


「狼狽えるな、我が騎士達よ! あらかじめの決め事通りにやればよい!!」


 正面の騎士達へ刃を振るおうとするスレナメルリィへ、側面へと回り込んだ騎士が打ちかかる。

 狙いは彼女ではない。その腕から伸びる聖霊銀ミスリルの手甲剣。

 剣の平を叩き、刃同士を嚙み合わせるようにして、剣の振りを封殺する。


 その隙を突いて、正面の騎士達が挑みかかる。

 スレナメルリィは剣をずらすようにねじって手甲剣の拘束を解き、横っ飛びに跳んで騎士達の間合いから逃れる。


 だがその先には、先んじて他の騎士達が走り込んでいる。

 先行して躍りかかった一人が聖霊銀刃ミスリルブレードを封じ、その間に残る騎士達がスレナメルリィ本体を追撃する。


 聖霊銀刃ミスリルブレードはあくまで『刃』だ。形成される魔力刃もまた『刃』であり、魔術は魔術であるがゆえにその概念を超える術を持たない。


 ゆえに世に数多ある剣がそうであるように、その刃は『押す』か『引く』かしてはじめてその切れ味の真価を発揮する。


 聖霊銀刃ミスリルブレードの魔力刃は、鋼の剣をバターのように切り裂く無双の刃だ。

 しかしその威力を発揮しうるのは極めて限られた『線』の領域――刃筋を正しく立て、正確に振り抜かなければ、その真価を実現することは叶わない。


 正しく刃筋を立てることを許さず、振り抜く前のでこれを封殺する。

 スレナメルリィ聖霊銀刃ミスリルブレードはこれのみを以て、その性能を殺すことができる。


 相手の得物にのみ注意を向ける行為は、尋常の立ち合いであればただの下策だ。素人かそれ以下の、愚か極まる立ち合いだ。


 だが、今この時にはそれこそが優位に働く。既にスレナメルリィは刃を封じる拘束を振り解きながら、騎士達の追撃から逃げ回るしかできずにいる。

 なぜなら、


閃掌レイバレッ――」


「させるかっ!」


 一足飛びに飛び込んだユイリィが、スレナメルリィが構えた左腕を蹴り上げる。

 スレナメルリィは大きく身をねじり、左腕を狙った蹴りそのものをする。


(やはり――)


 その無理な回避行動で、ユイリィは確信に至る。カタログスペックの時点で、おおよそ予測のついていたことではあったが。


 『擬態』をその大前提に置き、伸縮可変機構を実装して制作されたメルリィ・キータイトのフレームは多数の可動部を擁し、部品数も多い。それゆえにその機体は、『負荷』に対して脆弱だ。


 複雑な機構を機体各所に搭載した彼女の身体は、純粋な強度においても通常の機体フレームに劣り、またフレーム内の可動部が大幅に増えた結果として、ひとつのパーツのわずかな歪みが機能全体の阻害に直結する。

 その軋みは即座に腕一本、足一本分の機能阻害にまで波及しかねない。


 きわめて複雑で、繊細な――『脆い』人形ドール


 その脆弱さを補うのが、硬軟自在の流体聖霊銀ミスリルだ。だが、これは同時に『擬態』という彼女本来の機能を担うための装備でもある。


 長身のスレナへ化けた結果、『擬態』に要求される流体聖霊銀ミスリルの量は増加しただろう。

 加えて彼女は《諸王立冒険者連盟機構》支部での交戦で、聖霊銀刃ミスリルブレードの形成にまわしていたぶんの流体聖霊銀ミスリルを失っている。


 伸縮可動部を保護し、機体フレームの防御を行うための聖霊銀ミスリルが、もとより足りていないのだ。


 メルリィ・キータイトは直接戦闘に秀でた機体ではない。そも、直接戦闘を志向した機体でさえない。

 彼女の性能、有為の本質は、あくまでも可変フレームと流体聖霊銀ミスリルによるなのだ。


 騎士達は練達だ。

 互いの距離と位置、スレナメルリィの死角を測り、ひとりが振り始めの刀身を的確に抑え、他の騎士達が挑みかかる連携に即応している。

 無論、スレナメルリィとて騎士達の妨害をかわして剣を活かそうとしてはいる。が、騎士達の技量と連携がそれを許さない。


 ――圧している。


 にも関わらず決定的な一撃が通らないのは、騎士達に迷いがあるせいだ。

 同じ屋敷で働く同僚の姿をした、ましてや、かよわいメイドを相手に剣を振るうことを、屈強の騎士達は明らかに躊躇している。


 それでも、遂に騎士のひとり――誰より最も深く思い切って踏み込んだひとりが、遂にスレナメルリィを狙って剣を振るう。

 後ろに下がって回避しようとした女は、「あっ」と短く呻いて転倒する。


「――覚悟!」

 

 尻もちをついたスレナメルリィへ向けて、とどめの一撃を振りかぶる。

 だが、


「いやあっ――!」


 その瞬間、真実ただの無力な女のように。

 彼女は固く目を瞑り、両腕を翳しながら縮こまった。

 きつく瞑った瞼に浮かぶ涙の雫。それを見止めてしまった瞬間、騎士は撃たれたように動きを止めてしまっていた。


「ダメ、止まっちゃ!」


 それはほんのわずかな隙だったろう。だが、それですべては事足りた。

 スカートに隠して膝をため、一蹴りで床を蹴って低く飛び出したスレナメルリィの身体が、騎士達の囲みの間をすり抜ける。

 ましらのような俊敏さで走り抜けるその先には、唖然と立ち尽くすパーラーメイド達の姿があった。


「ひっ――」


 籠った悲鳴を上げたのは、果たして誰だったか。メイド達の背後へ回り込むと、スレナメルリィは彼女達の背中を次々と突き飛ばした。

 彼女を追っていた騎士達はとっさに剣を引き、押しやられたメイド達の身体を受け止める。


 そのわずかな時間の間に。

 女は、館の外へと駆けだしていた。


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