80.それから先の顛末。いくつかの《後始末》に関すること・①


 行方知れずになっていたスレナとドナの二人は、コートフェル北市街に点在する保管倉庫のひとつで、縛られたまま放置されていたのが見つかった。


 幸いにして二人とも、怪我らしい怪我はひとつもなかった。

 が、トリンデン卿が事前に懸念した通り、メルリィ・キータイトに服を奪われた状態で縛られたスレナは、あられもない半裸の下着姿であったという。


 トリンデン家のメイド服、とりわけ来客の応対を担うパーラーメイドの制服は、並のそれとは一線を画す仕立ての良さだ。屋敷を出た後、二人は早々にメイド服を脱ぎ、あらかじめ籠に詰めて持ち出した――二人が屋敷を出る時に下げていた、大ぶりの買い物籠だ――私服へと着替えていた。


 ゆえに、これも幸いというべきか。屋敷を出た時のメイド服は、彼女達と諸共に備品倉庫へ放り込まれた籠の中へ、まとめて詰め込まれていた。そのおかげで、スレナへ着せる服には困ることなく済んだのだが。

 そして、


「スレナ先輩! ドナ!」


「二人共、よく無事で――!」


 日が西へと大きく傾きはじめた夕方。

 二人が無事に帰ったとの報を受けて、ランディ達――ランディとユイリィ、従姉妹のラフィ、幼なじみのユーティス、エイミー、リテークが本邸のホールへ向かったとき。


 捜索にあたっていた護衛騎士と帯同していた女性使用人に伴われて《遊隼館》へ戻った二人は、同僚のパーラーメイド達に囲まれ、三方からきつく抱きしめられていた。

 涙の滲んだ声で「よかった」と繰り返し、抱き合って喜びあうメイド達。そんな彼女達の間に割って入るのはさすがにランディ達も憚られて――それくらいの空気は読める。もう八歳なので――遠巻きに、ただ胸のうちを安堵で温かくしながら無事の再会を見守っていた。


「よかった、ほんとぉによかったよぉ……無事で……!」


「そうですよ! めちゃくちゃ心配したんですよ!?」


「だいたい、二人揃ってお屋敷を抜け出すなんて何やってたんですか一体! ただでさえややこしい今みたいなときに、こんな」


 三人がかりで、押しつぶさんばかりの力でドナごと抱き締められたスレナは、いくぶん苦しげに眉をたわめていたが。

 涙を流して喜ぶ彼女達の様子に苦笑を広げると、その頭をひとりずつ、宥めるように撫でていった。


「勝手をしてすみませんでした――心配をかけてしまいましたね、皆さん」


「「「……スレナせんぱぁ~い!」」」


 いっそう強く、ぎゅうっ、とふたりを抱きしめるメイド達。

 やがて、


「……きゅう」


「あっ、ドナ!?」


「うわぁ、ごめん。ドナしっかり。お水飲む?」


「の、飲みますぅ……すみません……」


 三方からめいっぱい抱きしめられ押しつぶされたせいで完全に目を回してしまったドナを、慌てて離れたメイド達が介抱しはじめる。


 もっとも。

 その場にへたり込んでしまった彼女の顔色が、血の気が引いたように真っ青なのは――何も、抱きしめる同僚たちの勢いに押しつぶされたことだけが理由ではなかっただろうが。


「二人共。無事の帰りを嬉しく思う」


 ホールまで迎えに出たトリンデン卿が、彼女達の傍らまでやってきた。


「だが――そのうえで、だ。二人にはまず確認させてもらわねばならぬことがある。分かるね?」


「……………………」


「……申し訳ありません、旦那様」


 今にも吐きそうなくらい青褪めた面持ちで縮こまってしまうドナ。

 スレナは彼女を庇うようにトリンデン卿の前に立ち、深く頭を下げる。


「心配をおかけし、のみならず捜索のため多大なご迷惑をおかけしたこと、申し開きのしようもありません。今回の一件、すべては私の浅慮が招いた混乱です」


「違っ――!」


 へたりこんでいたドナが、弾かれたように顔を上げる。


「違います旦那さま、スレナせんぱいは何も悪くなんかありません! もとはといえば、あたしがっ――ぜんぶ、ぜんぶあたしのせいなんです! スレナせんぱいはあたしの相談に乗ってくれて、力になってくれただけで!!」


 四つん這いで猛然と迫り、トリンデン卿のズボンを掴んで訴える。

 日頃は気弱でおどおどしているドナの恐るべき剣幕に、むしろ意表を突かれたような空気がその場へ広がる。

 そもそもの問いを向けたトリンデン卿すら、この時は常ならぬ彼女の勢いに圧倒され、面食らっていたようだった。


「いや……うむ、つまり、そいつはどういうことだね?」


「…………結婚が決まったんです」


 罪を告白する罪人のように項垂れながら。ドナは言った。


「三日前です。実家からの手紙で……あたしの結婚相手が決まったから、メイドのおしごとを辞めて、家に戻ってきなさい、って……」


「ご実家――フィッシャー家からかね? 手紙が?」


 その時だ。

 ランディは『結婚』の二文字でふと思い至るものがあって、何の気なしに問いかけた。


「もしかして、ドナさんって行儀見習いのメイドさんなんですか? エレオノーラさんみたいな?」


「「「「えっ!?」」」」


 ぎょっとしたメイド達の視線が、ランディの一身に集中する。


「ら……ランディ様? どうしてわたくし達の、『行儀見習い』のことを……?」


「てゆーか、エレンが貴族のご令嬢だって知ってたんですか!? えっ。いつ? どうして!?」


「アンネリー。エレオノーラも。口調が素。お相手、お客様ですから」


 動揺と困惑を露に呻くエレオノーラとアンネリーへ、セシェルが途方に暮れた面持ちでぼそりとツッコむ。

 だが、反応の差こそあれ、疑問符を浮かべているのは彼女も同じだった。


 それどころか、ドナやスレナ、果てはラフィ達までもが同様である。


 ランディはおろおろと周りを見回してしまう――もしかして自分は、うっかり余計な藪をつついてしまったのだろうか。


「え、と……えーとそれはその、この前にちょっと」


「ちょいと、こみみにはさんじまったんだぜ」


「そ、そう! そうなんです!!」


 ニヒルぶった口ぶりでうそぶくリテークの言葉に乗っかって、ランディは何度も首を縦に振る。


 言うまでもなく、それでパーラーメイド達の疑念と疑問符が消えたわけではなかったが。

 しかし、それ以上の問いもすぐには浮かばなかったのか、彼女達は言葉もなく互いの顔を見合わせる。


 あるいは――まがりなりであれ――相手が『お客様』だという遠慮も、そこにはあったかもしれなかった。


「ええと……」


 トリンデン卿も含め、誰もが口を開くタイミングを逸して困惑する中、ユーティスが場を仕切り直した。


「つまりランディが言ったとおり、ドナさんとエレオノーラさんは貴族のお家柄の方、ということなんですか?」


「あ、はい……あたしのとこは、ちっちゃいおうちですけど」


 恐縮したように肩を縮めるドナ。

 トリンデン卿も同意を示して首を縦に振る。


「ということは、ドナさんのご実家ってハーリンデンごうのフィッシャー伯爵家ですか? トスカのふたつ隣の、テヴェール川上流のルタにお屋敷がある」


「や―――――――!!!」


 ユーティスの質問に、ドナは頭を抱えて喚く。


「なんでー!? なんでですかー! ランディさまといいユーティスさまといい、そんなちっちゃいのになんでそんなこと詳しく知ってるんですかー! どうしてそんなあっさり身元が割れちゃうんですかー!! どうしてー!?」


 何でと言われてもランディからすれば完全に藪蛇やぶへびというか事故の類だったので、訊かれたところでただただ気まずいばかりである。

 一方、恥も外聞もなくべそをかいて喚く大人の女性にさすがに同情したか、あるいは完全に引いているのか、ユーティスは遠慮がちに明かす。


「どうしてって……その、僕は、父がトスカの町長なので。

 近隣とのおつきあいもありますから、町村の長とオルデリス領内の貴族家の名前はぜんぶ覚えておくようにと父から言いつかっていたんです。いつもではないですけど、ときどき父のお供で近隣町村の集まりに出たりもするので……」


 そこまで言ったところでいったん言葉を切り、今度はエレオノーラの方を見る。


「エレオノーラさんのご実家は、コートフェル都市貴族のカレット子爵家ですね? 当代の御当主がコートフェルの判事をされている」


「……本当にお詳しくていらっしゃるのね。その御歳で」


「幸いなことに父譲りで、記憶力にはよく恵まれています」


 答えるユーティスのそつのなさに、エレオノーラは頭痛を堪えるようにこめかみを抑え、大きなため息をつく。

 子供のくせにかわいげがない、くらいに思われているのが、ランディにもなんとなく察しがついた。


「……ね、ユイリィおねえちゃん。都市貴族ってなんだか知ってる?」


 ――それはそれとして。

 目の前で展開する話についていけず、こっそり訊ねてみる。

 問われたユイリィはちょっと困った顔をして、


「ごめんねランディちゃん。それはユイリィも知らないことなんだ」


「待ちたまえランディ少年、その疑問には私から答えよう。我がトリンデン=オルデリス家のような所領を持たず、宮仕えや商売でもって生計たつきを立てる貴族家を『都市貴族』と呼ぶのだよ」


 貴族家――いわゆる世襲貴族の中で、権力や財産の基盤となる土地を持たない者を総称して都市貴族と呼ぶ。

 内実としては、相続人不在で断絶した家名を金で買い取った商人、仕事を認められ新たに爵位を授かった官僚といった、新興の貴族家がその多くを占める。


 『都市貴族』という呼称は、それらの生業ゆえに都市へその邸宅を置くことから――中には地方の大農園を基盤とする家柄もあり、例外はある――各々の所領たる土地に家を持つ旧来の貴族たち、地主貴族ないし在郷貴族との対比でつけられたものだ。


 とはいえ、この区分も絶対的なものではない。先祖代々の財産たる土地を失って都市貴族となる地主や、逆に主が不在となった土地を所領に与えられる形で平民から在郷貴族へ成り上がるような者もいる。


 総じて、よほどの歴史と財産を持ち合わせた名だたる家門でもなければ、ルクテシアにおける貴族の地位は流動的だ。興衰著しいその様は、『三代続けば名門』などと冗談交じりに言い交わされることすらある。


「あの……」


 おずおずとエイミーが手を挙げる。


「わたしの覚えちがいだったらごめんなさい、なんですけど。ドナさんもエレオノーラさんも、貴族みたいなおなまえじゃなかったような……」


「それはまったく、明晰なる少女レディの記憶通りのことだ。貴族の子女がなんらかの理由で市井へ奉公に出るときは、名を省略し平民風の名乗りとするのだよ」


 本来、ドナのフルネームはドナ・アンネ・エア・フィッシャー=ハーリンデン。

 エレオノーラの本名はエレオノーラ・クラリス・エア・カレット――都市貴族であるカレット家は所領を持たないため、家名のみがうじとなる。


「さて。思わぬ形で横路へそれてしまったが、そろそろ話を戻そう――ドナ、フィッシャー家からの手紙とはいったいどういうことか?」


 あらためて話を振られたドナは目に見えて動揺していたが。それでもどうにか覚悟を決めた末、昏く沈んだ面持ちで掠れた声を絞り出した。


「どうも何も、最前におはなししたのがすべてです。あたしの結婚が決まったから、メイドを辞めて戻ってこいって……おとうさまとおかあさまから」


「ねえ。それは……その、さ」


 おずおずと、長身のアンネリーが気まずげに切り出す。


「ドナ、結婚おめでとー……とかって、言っていいやつ?」


 しん――と幕を下ろした緞帳のような沈黙の時間は、いくぶんか長引いた。


「…………おめでたくは、ないですね。両親にとっては知りませんけど、あたしには」


 ぎり、ときつく奥歯を噛み締める軋みを、聞いた気がした。


「まだ、約束の二年まで二ヶ月あるのに……あたしはまだこのお屋敷に、コートフェルにいたい。帰りたくないんです! でないと――でないと、あたし」


 呻く声に、湿った啜り泣きが混じる。


「もう…………!」


「えぇっ――!?」


 引き攣れた、悲鳴のような叫びをあげたのは――

 これまでこの場でいちばん物静かだった、小柄なパーラーメイドのセシェルだった。


「……セシェル?」


「ドナ……それは、ほんとうの話?」


 トリンデン卿がいぶかるのも耳に入っていない様子で、今にもその場で倒れてしまいそうなよろめく足どりでふらふらとドナに近づくセシェル。

 ドナはそんな同僚の反応に当惑しながら、おずおずといった風で首を縦に振る。

 途端、小柄なパーラーメイドは今にも卒倒せんばかりの勢いで仰け反り、よろめいた。


「わわっ。せ、セシェル?」


「じゃあ、来月の新刊は!?」


 喚いた。


は!? 原稿は――書き上がってるの……!?」


「え? 原稿? まだ……」


「ウソでしょ!? もう新聞広告だって出てたのに、どうしてそんなややこしいことに! 来月の新刊、出せないの!? あんな引きで待たされて、ワットマン卿はいったいどうなってしまったの、ねえ……!!」


「はわっ? あわわ? はわわわわわ!?」


 最前までの物静かな様子が嘘のように真っ青な顔で声を荒げ、ついには肩をがっくんがっくん揺すって訴えはじめるセシェルの剣幕に、ドナは完全に目を回していたが。


 いや。

 そんなことより何より。


(今……)


 セシェルさんは、

 なんて言った?


 なにか――

 なにか、すごく、聞き捨てならないことを叫んでいなかったか?


(ドニー・ポワソンの……)


 新刊。ランディも発売を楽しみにしていた、『冒険者探偵ドニー・ポワソンの探求』の最新刊。その、


 ――


「……ぅえええええええ―――――――――――――――――――っ!?」


 今日一番の驚きに、ランディは叫んだ。

 叫ぶしかなかった。

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