76.闇に潜む刺客を探せ! 《冒険者》達の出撃です!!・⑥


 話が終わり、ユイリィに促されてベッドに入った後も、ランディはなかなか眠りにつけなかった。


 そのユイリィは、今はいない。

 さっきランディ達の話を聞いた後だから、朝までは起きたまま『観測』をつづけるつもりなのかもしれなかった。


(……眠れない)


 頭の芯がキンと冴えてしまって、目の奥がぎらぎらしているみたいだった。窓辺へ差し込む月明りだけでも明るすぎて、ちっとも眠気がわいてこない。


 寝なきゃいけない。

 寝ないと明日起きられない。


 そう思えば思うほどかえって頭が冴えてしまって、よけいに目を閉じているのがつらくなる。

 そんな風に、まんじりともせずごろごろ寝返りを打っているうち――ふと一緒の時間にベッドに入ったはずのリテークがとっくに寝息を立てているのを見つけてしまい、「何で自分だけ」と釈然としない気持ちを覚えてしまったりもした。


(メルリィ・キータイト……メルリィさん、だっけ)


 トリンデン卿を狙ってる、刺客。


 フード付きの外套を着こんでいたから顔はわからなかったけれど、手足がすらっとしてかっこいい女のひとだった。

 でも、彼女は自由に姿を変えられるのだとユイリィは言っていたし、あれはあの時、戦いやすいように選んだだけの、仮初かりそめの姿だったかもしれない。


 ――ほんとうは、どんなひとなんだろう。


 いや、自由自在に姿を変えられるひとなら、ほんとうの姿なんてものはないのかもしれないけれど。でも、それが仮にあるとしたらどうだろう。

 いったいどんな姿をしたひとなんだろう。姉妹っていうくらいだし、やっぱりユイリィそっくりだったりするのかも。


 姿を自由に変えられるって、どんな気持ちがするものなんだろう。

 そんなすごいことができるひとなのに――どうして悪いひとの手先なんかになって、トリンデン卿を襲ったりするんだろう。


 やっぱり、なにか事情があるのかな。

 ユイリィが、両親から「ランディのお姉ちゃんになってほしい」と頼まれて、家の地下室で眠っていたみたいに。

 悪いことに手を貸す、理由――


(もう、やめにしてくれたらいいのにな……)


 シオンが悪いひとを捕まえてくれたら、そんな風にできるだろうか。

 だって、今さら他人だなんて思えない。彼女はユイリィの『おねえちゃん』なんだって、聞いてしまったんだから。


(……………………………)



 ――ふと気がついたら、差し込む光は朝の陽ざしになっていた。

 ぽかんと目を丸くしながらベッドの天蓋を見上げていたが、やがて、自分がいつの間にか眠ってしまっていたのだという理解が、動きのにぶい頭に染みこんでいく。

 ちっとも眠れそうな気なんかしてなかったのに、案外うまいこと寝られるものだ。


 寝室にある柱時計の針は、ちょうど文字盤の127を指していた。


 七時ぴったり。いつもと同じ時間に目が醒めてしまったらしい。

 むくりと体を起こしたランディは、他のみんなを起こさないようにそっとベッドから降りて、隣の部屋に出る。


 談話室には誰もいない。水音もしないから、洗面所や浴室にも誰もいない。


(ユイリィおねえちゃん、まだ戻ってきてないんだ)


 もしかしたら、ランディが寝ている間に戻ってまた出ていったりしていたのかもしれないけれど。

 ただ、どうしてか。


 奇妙に胸の内側がぴりぴりするような予感が消えなくて、ランディは部屋の外に出てみた。

 すると、


「――いた?」


「だめ……けど、もうお客様も起き出してきちゃうかも」


 廊下のところでメイドがふたり、立ち話をしていた。

 何があったのか、ふたりともひどく深刻な様子だったが、


「あの」


 呼びかけた途端、メイド二人は飛び上がらんばかりの勢いで振り返る。

 パーラーメイドの中でいちばん背の高いアンネリーと、彼女と同じ部屋で寝起きしているらしいエレオノーラ。


「お、おおおはようございます、ランディ様!」


「……おはようございます」


「今日は早起きですねぇ!? まだ寝ててもいいくらいの時間なのに!」


「きのうも、これくらいの時間でしたけど。起きたの」


「あ。あー……そうでしたっけ? いやあ、早起きですねぇ!」


 あはは、と乾いた笑いを零すアンネリーを、エレオノーラが「ばか」と肘で小突いて咎める。


 ――様子がおかしい。

 昨日までの優雅な所作とまるで違って、ふたりとも見るからに気もそぞろだった。


「なにか、あったんですか?」


「ぁえ!? あ、あった……といいますか、その」


「恐れ入りますが、当邸宅の身内事でして……お客様のお心配りたいへん嬉しく存じますが、どうかお気になされませぬよう」


 露骨に目が泳ぐアンネリーに代わって、エレオノーラが完璧な笑顔で代弁する。

 ――もしかして、と。唐突にランディの中で閃くものがあった。


「レドさんに、なにかあったんですか!?」


「レド?」


「あっ。じゃなくてえっと、トリンデン卿に!」


「ああ……」


 最初は不思議そうに目をしばたたかせたエレオノーラも、ランディが言い直すとすぐに腑に落ちたようだった。

 最前の輝くような笑顔を繕いなおし、生垣ロッジ迷路や花壇がある中庭のある方を手で示してみせる。


「旦那様でしたら先ほど、外の庭園で朝の運動をされていたのをお見かけしましたよ。この時間は毎朝の習慣ですので、お部屋のベランダからでもご覧になれるかと思います」


 ベランダ――行って確認するべきか、迷う。たぶんこのひとたちは、ランディがそうしているうちにどこか別のところへ行ってしまう気がする。

 けど、たぶんトリンデン卿に何かあったのでは、ない。だとすると、


「あの! それじゃあ、ドナさんとスレナさんは!?」


 二人の表情が、ぎくりと強張る。

 まさか、という顔だった。ランディの口からその名前が出るなんて、露ほども想像していなかったというような。


「なにかあったんですか!?」


「――ランディちゃん?」


 詰め寄りかけるランディの背中に、耳慣れた声がかけられる。


 ユイリィだった。ランディと、そのランディに問い詰められる寸前だったパーラーメイド二人を交互に見遣り、静かな面持ちを変えるでもなく腰が引けた様子のメイド達の方を見る。


「わたしから話していい?」


「っ……ユイリィ様、困ります。いくら貴女に旦那様のお許しがあるとはいえ」


 エレオノーラが眉を吊り上げて強い声を出す。

 が、ユイリィが眦を細めて一瞥すると、その彼女も続く言葉を詰まらせてしまう。


「知らせる理由はじゅうぶんあると思うな。今回の件は、


「それは……」


 厳しい面持ちで項垂れ、完全に押し黙ってしまうメイド達。

 どういうことだろうか。


 ともあれ、それでふたりとの話は終わりという事なのか。当惑するランディの傍でしゃがみこんで視線の高さを合わせ、ユイリィはあらためて口を開く。


「あとでラフィちゃん達にもおはなしするけど、ランディちゃんにはここで伝えちゃうね」


 いつしか、心臓が痛いくらい早鐘を打ち始めていた。

 若草色の瞳をじっとランディに合わせて、ユイリィは告げる。それは、



 ――スレナ・ティンジェル、及びドナ・フィッシャー、

 今朝がたに確認された、ふたりの失踪だった。



 《遊隼館》の別邸は、朝から騒然としていた。

 言うまでもなくそれは、トリンデン=オルデリス家に仕えるメイドふたりが姿をくらましたという事件のためである。


 状況として刺客の関与を真っ先に疑うところだが、仔細を確認するにつれて単純にそうとも言いきれなくなってきていた。


 裏手の門――主に、使用人たちが出入りするためのちいさな門だ――についていた早番の衛兵達が、夜明け頃に出かけていく二人の姿を見たと証言した。

 だが、その時は衛兵達の誰一人として、特段それを不思議とは思わなかったという。


 厨房の支度中に急遽足りないものがあるのに気づき、手空きのメイドが早朝の朝市まで急ぎの買い出しに出る――といったことがこれまでにもあり、さらに言えばそれがさほど珍しいことではなかったからだ。


 特に、客人を迎えているときは。


 内々だけのことなら、いざとなればありあわせで取り繕うこともできなくはない。多少お叱りや御咎めを受けることはあるかもしれないが、せいぜいがその程度――当代の主人がそうした鷹揚な人格であることを、使用人たちの皆が知っている。


 が、これが客人相手となればそうはいかない。


 事と次第によってはトリンデン家の評判に関わるし、特にこれが意地の悪い客であれば、トリンデン=オルデリス家の品位を貶めんと方々で揶揄を撒くことすらやる。


 ルクテシアで有数の貴族家で食卓を預かるだけあり、厨房の使用人は皆プライドが高い。なので、主人の名誉に瑕をつけるそうした事態は、能うる限り回避しようと試みる。


 朝早くに出ていったドナとスレナは、揃って手提げの買い物かごを下げていたという。

 それは、衛兵達にそうした状況を想起させるのに十分な小道具だった。


「だが実際は、厨房はおろか屋敷すべてに聞き込んでも、メイドを早朝の買い物に向かわせるような事態は確認できなかった」


 朝食の席である。

 事情を知り、揃って落ち着かない様子の子供達とテーブル越しに向かい合い、トリンデン卿はあらためて今の状況を説明してた。


「一方で、ドナ・フィッシャーの部屋をあらためたところ、箪笥たんすから数日分の衣類が、他にも歯ブラシやタオルといった身の回りの品が消えていた」


 なくなった衣類やそれ以外の小物は、ふたりが下げていた買い物籠に詰めて持ち出したのだろう。

 ではスレナの方はどうだったかというと、こちらは特にそういったことはない。


「二人がばらばらに消えたのであれば、まずドナ・フィッシャーが何らかの理由で屋敷を出た後、これに気づいたスレナが彼女を探しに出た――という可能性も俎上そじょうにのぼる。しかし今回に限って言えば、ふたりは間違いなく行動を共にしていただろう」


「いっしょに出かけていったんだものね」


 ぽつりと口を挟むユイリィ。トリンデン卿が「うむ」と頷く。


「そういうことだ。事情はどうあれ、スレナが傍についている以上そう滅多なことはないと思いたいが、しかし今は状況が状況だ。急ぎコートフェル各所の市門へ伝令を飛ばすと共に、手勢の護衛騎士を割いて市内で二人の行方を探させている」


 ――と。

 そこで言葉を切り、トリンデン卿は食卓のテーブルを見渡した。


「食べないのかね? 少年少女――いや、我が朋友なる仲間達よ」


「えっと……」


「もしかして、今日の朝食はお口に合わなかったかな?」


「そんなことないです! けど」


 今日の朝食は、焼いた白パンとスグリのジャム。

 ベーコン入りのスクランブルエッグに、新鮮なレタス。

 刻んだ玉ねぎが浮かぶコンソメのスープや、新鮮なミルクまでついていた。朝から立派なごちそうだ。


 けれど、食事の進みは目に見えて悪い。


 正直に言えば、ランディは食事どころの気分ではなかった。ラフィやユーティス、目に見えて顔色の悪いエイミーも同じ気持ちだっただろう。


「パンのおかわりいいですか?」


「おれもおかわり」


「セシェル! こちらのふたりに追加のパンを!」


 ――いや。そうでないのももちろんいた。


 ユイリィとリテークだ。

 ユイリィは――まあ、《機甲人形オートマタ》だし大人だし、そういうものなのかもしれないけれど。


「リテーク、あんたよく食べられるわね。こんな時に」


 ぼやくラフィはただただあきれた様子だったが、ランディには察せられるものがあった。

 だって、リテークは昨日、ドナとスレナがひそかに話していた内容を聞いている。


 あのふたりがあやしいと先んじて睨んでいたのなら、現状はむしろ、『あっておかしくないこと』だろう。


少女レディ。先に差し出口を詫びさせていただくが」


 そのラフィに応じたのは、リテークではなかった。


「このフレデリク・ロードリアンが思うに、それはまったく逆のことではないのだろうか」


「逆?」


 眉をひそめて唸るラフィに。

 「そう」と、彼は頷く。


「冒険者であるならば、こんな時だからこそまず食べるべきではないのか。食べられる時に食べておかなければ、いざ必要な時に力を出すこともできないのだから」


 トリンデン卿はスグリのジャムをたっぷりとパンに塗り、大口を開けて頬張る。


「冒険者とは、己が身を『冒険』という危険に晒す生き様。故に、いつ、いかなる時でも相応しい力を発揮できるよう、常に己を鍛え、整えていなければならない――それが我々、冒険者という存在に求められる日々の在り方ではないのか」


 ぐっと言葉を詰まらせるラフィに、それからランディ達へと。

 トリンデン卿はやんわりと細めた眦を滑らせていく。


「そうではないかな? 諸君――いやさ、このフレデリク・ロードリアンと冒険を共にする、麗しき朋友達よ」


「……………………」


 言葉もなく俯き、食卓に並ぶ朝食を見下ろす。

 出されてから時間が経ってしまったせいで、スープも卵も、だいぶん冷めてしまっていたが。


 ランディはスプーンを掴んだ。

 もう一方の手でお皿を持ち上げ、ふわふわの卵を一気に口の中へかきこんでいく。お皿が空になるなり今度はスープ皿を手に取って、喉を鳴らして飲み干す。


「ら、ランディ?」


「食べよ! レドさんの言うとおりだと思う!」


 カリカリになるまで焼いた白パンにジャムをたっぷり縫って、端から貪るようにかじり取っていく。

 ひとたびそうして食べ始めると、食欲は今まで体のどこに隠れていたのかというくらい、後から後からわいてきた。


「確かに……まあ、そうだよね。僕らは冒険者。トリンデン卿が仰るところの小さな冒険者達リトル・アドベンチャラーズってやつ。でしょ? リーダー」


「……うっさい。ちっさくないし。一人前の冒険者よ、あたし達は」


 唇を尖らせて反駁し、ラフィは「ほら」と隣のエイミーを促す。

 食卓に垂れこめていた重たい空気を切り払うように、ようやく食器のこすれ合う音が響き始めた。


「すみません。卵もおかわりいいですか?」


「……ユイリィおねえちゃんはさ、なんか食べすぎじゃない?」


「うん。ユイリィも自分で思うんだけどね。今はちょっと」


 もしかして、そんなにここのご飯が気にいったんだろうか。

 思えばユイリィは、《遊隼館》に来てからずっとこの調子だ。いや、たしかにおいしいけれど。


 ランディは、気が引けるような心地で訝りながら――コップに口付けて、口に詰めこみすぎたパンをつめたいミルクで流しこんだ。

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