74.闇に潜む刺客を探せ! 《冒険者》達の出撃です!!・④


 トリンデン邸でいただく二度目の夕食は、やはり豪勢でおいしかった。


 今日のメインディッシュは何と、『クジラ』なる海の生き物の肉を使ったステーキだった。

 漁醤ガルムという調味料に漬けてたっぷり味をしみ込ませたお肉は、昨日の牛肉に比べるとだいぶん硬くて歯ごたえがあったけれど、変わった風味があってついつい次から次へと口に運んでしまう、そんなおいしさだった。


 どうして肉料理でお魚が出るんだろう? と、ランディは内心不思議に思っていたのだが。その後の食事中の歓談で、鯨がお魚の類ではなく『哺乳類』――牛や馬と同じ分類の生きものなのだと知り、「海の生き物なのに!?」とほんとうにびっくりしたものだった。


 しかも、そればかりではない。


 スープは貝類のクラムチャウダー。

 パンの代わりに、海老がいっぱい入った炊き込みご飯パエリア

 魚料理には、サーディンというちいさな魚がいっぱい入ったグラタンが出た。


 どれもこれも海辺の料理で、生まれてこのかたトスカから出たことのないランディにはすべてが未体験の味だった。


 ランディ的には、特にグラタンがよかった。

 アツアツのグラタンを鰯ごとパンにはさみ、漁醤ガルムを軽く散らしてむしゃぶりつく――すると口の中で塩辛い漁醤ガルムと絡みながらほろほろとほぐれたお魚の風味が、舌の上から口の奥まで馥郁ふくいくたるかおりを広げるのだ。


 家に帰る前にもう一回くらい食べてみたいくらいだ。

 けど、さすがに難しいかな、という気もしている。なんといっても、遠く海から運んできた食べ物で作る料理なのだし。


 何にせよ、珍しいご飯をおなかいっぱいいただいて、ランディは満足していた。



 そして、現在。



 就寝の時間を迎えて、夜のお屋敷は静かだった。


 部屋や廊下を照らす魔光灯のも落ちて、窓から差し込む青褪めた月明り以外に足元を照らすものはない。

 そんな遅い時間にどうしてランディが起きているのかとなれば――煎じ詰めればお手洗いに行きたくなって、目が醒めてしまったせいだった。


 ランディ達が寝起きしている客間は談話室の左右にふたつの寝室、それに浴室と洗面室まで用意されていて、あの客間ひとつあれば普通に生活できてしまいそうなくらいなんでもあるのだけど。なのに、どういう訳かトイレだけは備えがなかった。


 トイレは別邸の廊下は各階の南側の角、長い廊下を歩いた左右の突き当たりのところにしかない。


 何でトイレだけわざわざ部屋から離れたところにあるんだろう――と、暗い廊下を歩きながらため息をつかずにいられなかった。

 広いお屋敷なので、正直この配置は、今みたいに夜遅い時間にトイレへ行きたいとき不便でならない。


 おねしょなんかやらかすよりは、ずっといいけれど。

 もしもみんなとおんなじベッドで寝てる翌朝におねしょなんてやらかしたら、と思うと、ゾッとするとしか言いようがない――が、だからといって、暗い廊下をひとりで歩くうそ寒さが気にならないという訳でもない。

 ユイリィなら頼めばきっと一緒についてきてくれただろうけれど、それは二重の意味で気が引けた。


 そういう訳で。

 目下、ランディはひとりで水洗式のトイレまで行き――暗い廊下を歩いてトイレに行くのは気が進まなかったけれど、レバーを引くとざざあと水が流れる水洗トイレは珍しくて面白かった――用をすませて、部屋へと帰る途上にあった。


(明日でもう三日目かぁ……半分過ぎちゃうんだなぁ)


 ――あと三日。

 いや、もう今日は寝るだけだし、最後の日は家に帰るのだし、実質的には残り二日と少しか。


 その間に、シオンにいちゃんたちが悪いひとたちをみんな捕まえてくれて、ランディ達は家に帰る。

 できればその前に、悪い刺客は自分達とレドさんの力で捕まえたいけれど――でも、それはさすがに難しいかもしれないなぁと思う。そうやって自分を客観視できるくらいの感覚は、ランディにだってある。


 ふぅ、と小さく息をつく。


 はやく部屋に戻って、寝よう。寝坊なんかしたらお屋敷のひとたちに悪いし。

 廊下を進む歩調を早めようとしたその寸前、ランディの視界の隅に『それ』がひっかかった。


 ほんの少しだけ開いた、扉だった。

 ランディ達の客室がある並びの――たぶん、そこも客室のひとつ。


 部屋の内側から、かすかに光が零れていた。

 窓から差し込む月明りとは違う。もっと別の、暖かに黄色っぽい、ランプみたいな人工的な灯りだと思った。


「……………………」


 行きは手洗いに行くことしか考えていなかったから気付かなかったのだろうか。それとも、ランディが手洗いに行って帰ってくる間に誰かが開けたのだろうか。


(……誰が?)


 胸の中心が、すぅっと冷える感覚がした。

 ごくり、と。我知らず、重い唾を飲みこむ。


 絨毯の上で、靴底を滑らせるように。

 足音を殺して、細く開いた扉のところへ近づいてゆく。

 壁にぴったりと背中をくっつけながら、じりじりとにじり寄って――中の明かりがこぼれるその隙間から、そっと、中を覗き込む。


 ――魔法陣。


 部屋の壁に、大きな魔法陣が広がっていた。


 煌々と輝く魔法陣が、山吹色の輝きを強く強く放っていた。


 その部屋は緞帳どんちょうのように分厚いカーテンを完全に閉じていたが、そうでなければその輝きは、《遊隼館》の敷地どころか、コートフェルの街のそこかしこからさえも見つけることができたかもしれない。


 その、強く強く光を放つ魔法陣に右の掌をあてがって。膝をついて座るその姿が、魔法陣と比べればあまりにちいさな――ひとりのがいた。


 影として浮かび上がるツンツンの黒髪。

 魔法陣の光に照らし出された、口元を覆うマフラー。


「リテーク……?」


 ――ぐるんっ!


 零す、そのちいさな声を聞き留めたのか。『彼』は発条ばね仕掛けのように一瞬で首をねじって振り返り、その茫洋とした瞳の中に、戸口の向こうに立つランディの姿を捉えていた。


「     見   た    な   あ    」



 ・


 ・・


 ・・・・・・



「……いや、『見たなあ~』じゃなくてさ」


 ランディはほっと胸を撫でおろしながら、戸口の隙間から部屋の中へ体を滑りこませた。ついでに扉をきちんと閉じて、魔法陣の光が部屋の外に漏れ出ないようにしておいてやる。


 てほてほと寄ってくるランディがまったく怖がる様子がないのに、リテークはだいぶんがっかりしていたみたいだった。口に出しては何も言わなかったが、さっきよりがくんと落ちた肩と、マフラー越しにこぼした溜息とで、そうなのだとバレバレだった。


「リテークも起きてたんだね。トイレ――とかじゃないみたいだけど。こんな時間まで起きててへいきなの?」


 リテークはコクコク頷く。


「で、なにしてるの? これ……魔法? 魔法だよね?」


 うきうきと訊ねるランディに、今度はふるふると首を横に振る。


「魔術」


「おんなじようなものじゃない?」


「かも」


「でも、リテークが言うなら魔術で。それよりこれどうしたの? リテーク魔術が使えたんだね。どうやって覚えたの? あ、これってどんな効果の魔術? ねえねえ」


「うい。情報収集。使えた。教科書を読んだ。効果は」


 ナイフですぱすぱ切って落としたベーコンみたいに簡潔なことばが、そこでふと止まった。説明がめんどくさくなったんだろうな――というのは、なんとなく察しがついてしまったけれど。


 代わりにリテークは、ランディへ向けて空いた左手を差し出してきた。


「ん」


 てのひらを上にした左手を、上下に揺するように軽く振る。


 ――手を置け、ということだろうか。

 ランディはリテークの隣に膝をついて腰を下ろし、差し出された左手に自分の手をつなぐ。

 すると、


『じゃあ、エレン結婚決まったんだ?』


「わ!?」


 リテークが口元に人差し指を立てるジェスチャーで、「静かに」と注意してきた。ランディは手刀を切って無言で詫びる。


『決まったっていうか、結婚自体は前から婚約者がいたわよ。決まったのは式の日取り』


『いつ?』


『来年――の、七月?』


『え、なんだぁ。まだ一年以上も先なんじゃん』


 ふたりの女性の声だ。どちらも聞き覚えがある。


 館に来てからお世話になっているパーラーメイドの中のふたり。

 ひとりは、五人いる中でいちばん背が高いアンネリー。もうひとり――エレン、と呼ばれていたほう――はエレオノーラというひとだ。


『たしかに式は先のことだけどね。それまでの支度がいろいろあるから、お屋敷のメイドを辞めるのはもっと早い時期になるわ。……今日明日ってことまではさすがにないと思うけれど』


『さびしくなるねぇー』


「……これ、魔術で聞こえてるの?」


 ランディの問いに、コクンと首肯するリテーク。


魔術」


「へえー……」


 ――そんな魔術があったのか。しかも教科書に。

 来月からは学校で魔法の授業が始まることになっているが、つまりランディ達も授業でこの魔法――いや、魔術か――を習う機会があるということなのだろう。

 と、そこでふと引っかかるものがあった。


「ね、リテーク」


「?」


 ――後からこうやってちゃんと説明してくれるなら、最初からふつうに口で説明すればよかったんじゃ?


「……ううん、やっぱりいい。なんでもない」


 そう、思ったが。


 そのことばは呑み込んでおいた。たぶん説明を聞いたら聞いたでどのみち自分は「ぼくも聞いてみたい」とねだっただろうし、つまりそれは、ものごとの順序がちょっと入れ変わっただけなのだ。


 ふるふると首を振って、口にしかけたことばをなかったことにして。

 ランディは壁を通して聞こえてくる声に、耳を傾けた。


『ねえ』


 エレオノールの呼び掛ける声に、ランディはどきりとした。

 それはたぶん、彼女の声がそれまでよりも少し低く、沈み込むように昏さを帯びたせいだった。


『前から思ってたんだけど……わたしに腹が立ったりしないの。アンは』


『なんで?』


 問い返す言葉。僅かの間、口籠くちごもるような湿った息遣いが混じった。


『……あなたやセシェルはお給金をいただくために、きちんとしたお仕事として、お屋敷で働いている。それに比べて、わたしは――わたしは結婚前ののためで、結婚の予定が決まった途端に昨日までのお仕事を放り出すみたいなお気楽な有様で』


『それ言ったらあたしらの前の先輩たちにだってそういうひとはいたし、だいたいどうして行儀見習いでメイドしてるんだかさっぱりわかんないなぁ、ってことの方が気になってたよ。どういう理由でそうなっちゃってるのさ。なんか、おうちのならわし? みたいなやつ?』


『……パーラーメイドは顔立ちと姿勢の良さ、所作の気品、お客様の前に出しても恥ずかしくない節度と礼儀正しさが求められるでしょう?』


 ため息混じりに、エレオノーラ。


『そうした所作の美しさ、見栄えの良さってね、貴族家の奥方として求められるものでもあるの。そういうことよ』


『いやあ』


 突然へにゃりとした声を出すアンネリー。


『まいったなぁ~、エレンってば褒めすぎだよぉ~……そりゃあたしだってちょっとは美少女のつもりだけどさー! でも姿勢よくて気品があって礼儀正しい、お貴族様みたいな美人だなんて言われたらさぁ、もう! 照れちゃうよぉ、やだねぇ!』


『誰もそんなこと言ってねーわよ。あと背中叩くのやめなさいバカ力』


『えー、言ったじゃーん! 今! パーラーメイドは顔と姿勢よくて気品があってお客様の前に出しても恥ずかしくない美人で、貴族の奥方くらいのやつなんでしょ!? ほら、あたしパーラーメイド! パーラーメイドー!!』


『あーはいはいわかりました。わかりました。いいわよ、そういうことでもう』


『ぐわぁー投げやりぃー』


 ――仲いいんだな。

 壁越しに魔術で聞こえてくるふたりの話を聞きながら、ランディは胸が暖かくなる。きっとふたりは、仲良しの友達なんだ。

 昨日今日とお世話になってる間、ちっともそんなこと気づけなかった。


『まあ……話を戻すけどさ、エレン。いいんじゃない? べつにさ』


『……………………』


『あたしやセシェルだって、結婚が決まってからもお屋敷でお仕事続けてくかなんてわかんない訳だし。特にあたしなんかさ、ほら』


『……そうね。ご実家の家業があるんだったわね、あなたは』


『そ。クリーニング屋。男兄弟は末っ子の弟ひとりだけだし、父さん母さんもうトシでいいかげん力仕事しんどそうだしさ。今の感じだとたぶん、お婿さんもらってあたしが店を継ぐんだろうなーって』


『昨今はやりの職業婦人ってやつね。当世風モダンで素敵だわ』


『単なるおうちの手伝いですぅ。そんなかっこいいもんじゃないってば』


 ひっそりと。エレオノーラが息をついたようだった。


『……結婚式のドレス』


『ん?』


『使い終わったら、アンのお店で綺麗にしてもらおうかしら』


『ええ? いやいや、うちの店って中流向けのクリーニング屋だよ? 貴族さんちのドレス扱うってのはねぇ、さすがにちょーっとばかり畏れ多すぎかなぁ』


『アン』


『なぁに?』


『……式に呼んだら、来てくれる?』


『もちろん』


 一瞬のためらいもなかった。それが当たり前、みたいな答えだった。


『平民の娘でもよかったら、だけどね。あー、でも着てく服どうしよ。あとさあ、おうちのひとに怒られない?』


『ドレスなら私のやつなり貸服屋のなり貸すし、両親にも婚約者様にも文句なんて言わせないわよ。あなた、わたしの友達でしょ』


『へへ、ありがと。てかさぁ、そんならあたしだけじゃなくてドナやセシェルも、いっそスレナさん達も呼びなよ。みんなおんなじお屋敷のメイド仲間なんだし、エレンの結婚式だったら喜んできてくれるって』


『……だといいけど』


 ――二人して、けらけらと笑う。


『もー、エレンの後ろ向き根性めぇ。そろそろ灯り消すよー、明日また早いし』


『ええ、そうね。おやすみなさい』


『おやすみぃ』


 ――急速に、ふたりのメイドの声が遠ざかる。

 それ以上声を聞く必要はないということなのだろう。ふたりが、もう寝るところなんだと分かったから。


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本編に関し一点だけ補足。


「ガルム」というのは古代ローマ時代に使用されていたという漁醤の名前なのですが、作中における漁醤ガルムはこれとは実情が違う感じのしろものであろうと思われます。なにぶん当方が実際に見たことも食したことも(少なくとも、ちゃんとそれと知ったうえでは)ないまま、イメージで書いているもので……。


余談ながらその漁醤ガルム、どうやら現在は、復元か何かしたらしきものが売られているみたいでしたが。さて。

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