73.闇に潜む刺客を探せ! 《冒険者》達の出撃です!!・③
――夕方。
「……これは」
『冒険』を終えて別邸へ返ったランディ達を迎えたスレナらパーラーメイドは、揃って目を剥き、ほとほと途方に暮れた面持ちで――その、薄汚れた『冒険者』達の有様に絶句していた。
無理もないことではあった。
突然この別邸で寝起きすることになった子供たちのため、急遽使いを走らせて買い求めた衣服――華美ではなく、主張するところこそなかったが、トリンデン家の格を辱めることだけはまずありえない上等の品だった――は今や、どれもこれも目を覆いたくなるほど泥にまみれ、擦り切れた草の汁で汚れていた。
気弱で温厚なドナですら、愕然と顎を落としていた。
頭痛を覚えたかのようにてのひらで目元を覆ったスレナが、やがてメイド一同を代表する形で告げた。
「まずは、皆さまお風呂ですね。汚れた服は急ぎ洗濯いたしますので、即刻、脱衣所で脱いでいただきます」
「うむ! 大変苦労をかけるが、よろしく頼むぞ! 諸君ッ!!」
「旦那様とは、アンリエット様も交えて別途お話をさせていただきたく」
スレナの声は咎める鋭さに尖っていた。無理もないことであった。
他人事のようにはっはと笑うトリンデン卿もまた、上等のシャツは泥と草の汁に汚れ、さらに言えば枝か何かに引っかけたらしい袖が哀れにも引き裂けていた。
華美でこそないが、精緻な縫い取りがされた、トリンデン家当主の格を辱めることだけはありえない上等の品だった。
トリンデン家ほどの大貴族となれば、よほどのものでなければ破れた衣服を繕って着るなどということはない――こうなってしまったシャツは捨てるか、さもなくば何らかの形で、それと知られぬようこっそりリメイクするしかない。いずれにせよ、当主の衣服としてはもはやまったく使い物にならない。
「うむ、だがスレナよ。私は風呂も説教も後にさせてもらおう。先に片づけておかねばならない仕事があるのでね」
「旦那様、着替えは」
「それも結構! いや、どうしてもということであれば籠なりに詰めて部屋の外に置いておいてくれたまえ!」
メイド達にそう言い置いたトリンデン卿は、踵を返す寸前にランディ達へと振り返り、
「では、少年少女――いやさ、我が冒険の仲間達よ! また夕食の席で会おう!!」
銅鑼を鳴らすような声ではっはと笑いながら。トリンデン卿は力強い足取りで、執務室がある上階へと去っていった。
メイドの誰かが「自由人だ」とぼやくようにひとりごち、スレナにじろりと睨まれていた。
ランディもまた頼もしくも騒がしいその背中を見送って、そこでふと首をかしげる。
「レドさんのおしごとって、何だろ?」
「さあ……? 正直僕も、ちょっと今は想像もつかないよ」
一日中探索を続けてさすがに疲れたのか、答えるユーティスの口ぶりもいささかぞんざいになっていた。
ランディは「ううん」と首をひねり、唐突に閃く。
「もしかしてレドさん、お風呂入るのがイヤで――!」
「はあ? なにバカ言ってんのよ、
はん、とラフィに鼻で笑われてしまった。
ランディは高い天井を仰いで溜息をつく。
いずれにせよ、どうやらこれからのお風呂は避けられそうもない。
ランディは今や茫漠とした諦観をもって、その事実を受け容れるほかない現状を悟っていた。
◆
《遊隼館》別邸、その一階には、広々とした大浴場がある。
ランディ達六人――泥だらけになっていた子供五人と、つきそいのユイリィだ――はまとめてその脱衣所へ押し込まれ、汚れた服は早々に回収された。
なお、クゥは別途連行された。おそらく今頃は自分達とは別のところで、すっかり埃にまみれた毛皮をメイド達に洗われているのだろう。
学校のクラスメイト全員で入ってもまだ余裕がありそうなくらい広々としたタイル組みの湯船は、白い獅子の石像、その口から溢れる湯でいっぱいに満たされている。
メイド――アンネリーという、スレナ達パーラーメイドの中でいちばん背の高いメイドさんだった――の言うところによると、別邸へ客人を迎えた際は常に湯を張り、遊興に
時には主人も共に入浴し、裸のつきあいでさらなる親交を深めることもあるのだとかどうとか。
「じゃあ、昨日もこっちのお風呂使わせてもらえばよかったかな」
と。ぼやくともつかない口ぶりでぽやんと零したのは、ユイリィだった。
こんなものがあるなら、昨日ユイリィが支度した部屋に備えつけの浴室とバスタブはなんなのか――という話だが、あちらはひとりで気ままに風呂を使いたい客人のために、わざわざ部屋ごとに
そしてランディに言わせれば、そのすべてが至極どうでもよかった。
もう枝や草切れが引っかかってた髪も洗ったし、泥だらけになった体も洗ったのだから、早くお風呂を終わらせて湯気が立ち上って
「ランディちゃん、まだだめだよ。ちゃんとあったまってからじゃなきゃ」
「うぐぅ」
昨日お風呂を免除してもらった手前、今日のランディは引き続き立場が弱かった。
「それに、まだメイドさんが替えの服持ってきてくれてないみたいだから、今出ても着替えがないよ?」
「うぐぅ……!」
「にしても、結局なーんにも手がかりなかったわねぇ……」
浴槽のへりに頭を預けて天井を仰ぐようにしながら、ラフィがぼやいた。
そんな彼女にエイミーがクスリと笑い、「そうだね」と頷く。
「おばけもいなかったね。よかったよ」
お化けがいないと分かったのがよほど嬉しかったのか、ニコニコしながら声を弾ませている。ラフィは「はん!」と鼻で笑った。
「ったりまえでしょ! いてたまるかって話よ――まったくもう。あのオバサンの悪趣味のせいで、こっちはとんだ迷惑千万だわっ」
「ラフィ。メイド長さんだから」
ユーティスがツッコむ。ぷい、と頬を膨らませてそっぽを向くラフィは、聞こえてはいても聞くつもりはないみたいだったけれど。
――そう。
朝から夕方までかけて、途中でユイリィお手製のお弁当でお昼ごはんをとったりしながら、
結局、あの
ただ、何も見つからなかったと言ってしまえば、それはそれでウソになる。
四方を生垣に囲まれた空白。
入り組んだ通路の作り方で巧妙に誤魔化していた、迷路の只中にぽっかり空いたその空間を、ランディ達は入念なマッピングの末に見つけ出したのだった。
ユーティスと二人で突き合わせながらマッピングを続けていたランディは、その空間の存在に気づいた瞬間、快哉を上げてふたりで手を打ち合わせた。
果たして、そこにはそれがあった。
地下へと続く、跳ね上げ扉の入り口だ。
◆
本来なら
下まで続く鉄製の
「隠し通路!」
「すごぉい……!」
「ねえ、これ――あたし達、『当たり』を引いちゃったんじゃないかしら!?」
「行ってみよ!」
「いやいや待ちたまえ諸君。さすがに明りもなしでは危険だ」
埃にまみれた服のことも、一日を探索に費やした疲れも、その一切を忘れて興奮する子供達を、トリンデン卿が制する。
「じゃあ、ぼくランプか何か取ってきます!」
「いいやランディ少年、心配りはありがたいがその必要はない。ここはひとつ、私に任せてもらおうか」
トリンデン卿は両腕をまっすぐ伸ばし、掌相を組む。
深く息を吸い、そして告げた。
「――
掌相の前に、
それは四つの光球へと変わり、するすると竪穴の中へ入っていった。
等間隔で縦に四つ並んだ光球――魔術の明かりが、梯子の続く先、いちばん下までを照らしていた。
「さほど深くはないな。よし、では」
「ユイリィが先に降りて様子を見てくるよ。何もなかったら呼ぶから、ひとりずつ降りてきて」
意気揚々と乗り込みかけた鼻先を制されて渋い顔をするトリンデン卿を他所に。
じぃっと梯子の下を見下ろしていたクゥを胸に抱え――クゥは「何をする」とでも言いたげに、くぅくぅと抗議の声をあげていた――ユイリィはニコリと微笑む。
「もし何かあって落ちちゃっても、下でユイリィが受け止めるからね。安心して、ゆっくり降りてきて」
結局、全員何事もなく――梯子を降りきった先は、まっすぐに北へ向かって伸びる
大人が二人並んでゆうゆう歩けるくらい広い隧道は、側面もアーチ形の天井も頑丈な石組みで覆われていた。
トリンデン卿が先行させた魔術の明かりを頼りに奥へ進むと、突き当たりには広くなった一室があり、正面に両開きの扉が鎮座していた。
三本の
閂は大人でも手に余るくらいの太さをした金属製で、こちらも扉と同じ深い藍色。扉の左右には、スライドさせた閂を受け止めるためのレールのようなものが配置されていた。
くぅ、くぅ、と鳴き声をあげながら真っ先に駆け寄ったクゥがすんすんと扉の匂いを嗅ぎ始める。そのはずみで埃か何か吸い込みでもしたか、「ぷしゅん」とちいさなくしゃみをする。
「これは……この扉は
「でぃらーる?」
聞き慣れない単語に首をかしげるランディへ、トリンデン卿は「うむ」とひとつ頷き、
「霊性金属を配合した合金の一種だ。我ら冒険者に縁あるものを挙げるなら、金属製の護符や防具、その中でもいわゆる
耐魔術性に秀でるのみならず非常に硬く、しかも軽い。
様々な魔術特性を容易に附与することが可能な性質を持ち合わせ、
「シオンも一時期、
「あ、ぼくそれ見たことあります! たぶんだけどこんな感じの、青い鎧ですよね!?」
「うむ。恐らくな」
ランディの家の地下室――階下の物置ににしまわれている品のうち、シオンがむかし使っていたという鎧の中にそんなものが確かにあった。
「そして、この扉に関しては私に心当たりがある。我が《遊隼館》の建築以前にこの地にあったとされるいにしえの要塞――その非常用脱出路だ」
「脱出路!」
ランディは目を輝かせる。おお、と声を上げたのはラフィだろうか。なんだか一気に冒険っぽくなってきた。
「お屋敷が建つ前からあったってことは、もしかしてここ、《真人》の遺跡なんですか!?」
「いや、生憎ながらそこまで古くはないな。せいぜいが二百五十年ばかり前……ルクテシア統一以前の、このオルデリス地方が国境であった時代のしろものだよ」
「その割に、扉は新しいね」
ぽつりと指摘するユイリィ。
トリンデン卿は
「
トリンデン卿が指差す先には、確かにそれがあった。
魔術の明かりに照らされて。左右の扉に、彼のマント留めと同じ隼の意匠が象られているのを伺うことができた。
「でも」
ややあって、ラフィが口を開いた。
「こうして扉があった……ってことは、やっぱりあの刺客、ここからお屋敷の中に忍び込んでるってことなのかしら……」
「ううん、それはまだないと思う」
まだ、今のところは、だけど――と補足しつつ。
ユイリィが否定する。
「閂にいっぱい埃がついてる。これ、もう長い間ずっと動かしてないんだよ」
リテークがつかつかと扉の前に立ち、一番下の閂にすーっと人差し指を滑らせる。
煤みたいに真っ黒な埃が、指先の腹にびっしりとついていた。クゥとじゃれていたエイミーがその汚れた指を見て、「わぁ」と驚き半分呆れ半分の息をこぼす。
ユイリィの指摘通り、ずっと閂を動かしていなかったせいだろう。
「もしかして、むかし王子さまが迷路で探偵ゲームしたときから……?」
ぽそりとエイミーがつぶやくと、「ああ」と得心の空気が広がった。
トリンデン卿が「ふむ」と得心いった体で、てのひらでたくましい顎を撫でる。
「成程……この通路を『庭師の脱出路』という設定にした可能性か。それは十分に考えられるな」
むかし、当時十一歳になったばかりの王太子――現在はルクテシアの若き国王たるアルトレオンをはじめとする王家の子供達と随員の貴族子弟が、知恵と体力、そして勇敢さを競いあったという探偵ゲーム。
ゲームの設定上、行方不明になったとされる庭師は『迷路内に存在した隠し通路を通って外に脱出した』ということになっていたそうだが。
「ほんとにそうだとしたら、それほんとによかったのかしら? そんな風に使っちゃってさ。ここって秘密の隠し通路なんじゃないの?」
「隠し通路だから秘密にしとけばいいってものじゃないでしょ。下手に隠し立てしてしまうと痛くない腹を探られてしまうこともあるだろうし、そもそも大昔の通路だし」
思慮深げにそう言ったユーティスは、「つまり」とあらためて扉を見上げ、
「どちらにせよ、
「そういうことだな」
ニッ、と口の端を吊り上げながら。
トリンデン卿が、場を締めくくるように首肯した。
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