70.追想:かつて、どこかで彼女が留めた《記録》②


『なぜ、《人形工匠マエストロ》エクタバイナが第五工廠ここを去らねばならないのでしょうか』


 冬――

 

 わたし人形工匠マエストロへそう訊ねたのは、人形工匠マエストロの後に続いて第五工廠の門を出た、そのときのことだった。


 前日から降り続けた雪で足元は白く、重たい結晶を落としきった空は遠くまで青々と澄んでいた。

 足下は靴底で踏むたび荒い音を鳴らす楽器みたいで、わたし人形工匠マエストロの交わすことばに、下からざくざくと鋭く刺さるかのようだった。


『何故、というなら、それは私が第五工廠ここの責任者だからだ』


 答える声は、このひとに拾われたあの日と変わらず揺るぎなく、確信に満ちている。

 ――けれど、


わたしの事故は人形工匠マエストロとがではなかったはずです。あの一件はわたしの起動に起因するものであり、また当時の第五工廠は副長たるロステム補佐官の』


『事故当時の構造にさしたる意味はない。当時の管理をロステム部下が代行していたことも、そも件の事故がお前L-Ⅵの起動実験に起因するものであることさえ、すべては枝葉だ。些事だ』


 雪を踏む人形工匠マエストロの足取りはゆるぎなく、その背中は直立する杉の巨木のように曲がることを知らない。


『それら一切と関わりなく、私は事故当時における第五工廠の責任者であり、責任者とは責任を取るためにいるものだ。ゆえに私は第五工廠の長を辞し、事故原因の究明を果たすことをもって《L-Ⅵ》最終起動試験におけるヴェルナー特務少尉死亡事故の責任を取る。現状はその過程に過ぎない』


『……………………』


『無論、それ以外の理由もある。メルリィ・キータイト、研究者にとって最も重要なものとは何だと思う』


『………………ひらめき、でしょうか』


 少しだけ長引いた黙考の時間に続く回答。わたしが提出したそれに、人形工匠マエストロは微笑ましく、笑ったようだった。


『正解だ――と言ってやりたいが、私の見解とは異なる。研究に伴う予算の確保と事務手続き、これらの代行が確保されること。一言に要約するならだ』


『環境……』


『叡智をもたらす閃きも、それを実現せしめる勤勉さも、雑事に惑わされつづければ容易になまり、擦り減り、消耗する。それは研究者としての死にも等しい才能と時間の浪費であり、ロステムはそれらを阻止しうるよくできた補佐だ』


『……………………』


『私一人が欠けようと才気煥発なる研究者はいくらでもあり、第五工廠には今なお閃きも勤勉さも備わっている。だが、ロステムの役目を代行できる者は他にいない。

 彼奴の後釜たらんとする後継は乏しく、その乏しい後継も未だ十分たる域にはない――煎じ詰めれば工廠とは技術者の集団であり、を担保しうる人材は常に不足するものだ、ということなのだろうな』


 掠れた息遣いは、溜息のそれだったろうか。


『私の目から見て、工芸士クラフトとしてのロステムは凡庸だ。彼奴きゃつが第五工廠に冠たる人形を世に送り出すことは、これまで同様この先にも一度としてないかもしれん――だが、へ最も多くの栄冠をもたらすのは、ロステムのような存在であろう』


 真実、その声には確信の重さがあった。


『彼奴のような者こそが、真に《人形工匠マエストロ》の名に相応しいであると――これは人形工匠マエストロという存在を『工廠を預かるあるじ』と定義した場合の結論ではあるが、私はそのように考える。これが私の見解であり、ゆえに私が責任を取ることは、実利としても理に適う。それは第五工廠を預かる責任者として、理に適う選択であるということだ』


人形工匠マエストロ――』


『訂正が遅くなったが、メルリィ・キータイト。第五工廠の長という職責から離れた今、私は既に人形工匠マエストロではない』


 杉の木を思わせる人形工匠マエストロの背中は、古木のような堅牢さで告げる。

 前を行く彼の背を見つめながら、わたしは歩みを進める。


『理由はまだある。第五工廠の長として留まりつづければ、自ずとこの央都パレスに留まざるを得なくなる』


『それは、何か問題が?』


『特務どもが煩い。どうも彼奴らは、メルリィ・キータイトを罰することなしにはおさまりがつかんらしい。愚かなことだ』


 一瞬、雪を踏む足取りがにぶりそうになった。

 ついぞ歩調を緩めない人形工匠マエストロを追って、わたしは己の歩みを修正する。


『実に愚かなことだ。そして原因究明の間にせよその後にせよ、連中に耳元でさえずられつづけるのはわずらわしい。なにより、やつらので事実を曲げられるのは、私がもっとも御免被るところだ』


 前を行く人形工匠マエストロの背中は、第五工廠から一番近い列車の駅を目指している。

 央都パレスの都市中央駅。そこからみっつの列車を乗り継いで、わたしたちは《人形工匠マエストロ》エクタバイナの生家へ向かう。


『調査と研究だけならあちらにも設備がある。留守中は管理人をつけていたから掃除も不要だ。足りないものはあるだろうが、それは買い足せばよい――老いらくの我が身ひとつでは難儀な仕事だが、幸い今の私には《機甲人形オートマタ》がついている』


 彼は振り返らなかったが、わたしは――諧謔かいぎゃくを含んでをわたしを見る、人形工匠マエストロのまなざしを感じたように思った。なぜか。


『あてにさせてもらうぞ。メルリィ・キータイト』


『はい』


 だから、わたしは応える。

 理由は、何一つわからなかったけれど、


『はい。人形工匠マエストロ


 彼はやはり振り返ることなく、ただ肩を震わせて笑った。

 人形工匠マエストロではない、と訂正する声は、笑みを含んで暖かかった。



『なぜ、わたしは《L-Ⅵ》として造られたのでしょうか』


 春――


 わたし人形工匠マエストロへそう訊ねたのは、事故の原因究明とその報告、あるいは人形工匠マエストロが立てた仮説の検証を終え、新造義肢の試験運用に従事していたころのことだった。


 人形工匠マエストロの生家があったのは風の冷たい土地で、人間であれば一年を通して上着が手放せない場所だった。

 海に面した豊かな土地のようにあたたかくなる日はない。けれど、春に萌える緑は――とても美しい土地だった。


『それは何かの哲学的な問いかけか? メルリィ・キータイト』


『いいえ、人形工匠マエストロ。純粋に、《L-Ⅵ》の開発・製造目的に対する疑問です』


『私は既に人形工匠マエストロではない。これは以前から繰り返し言っていることだが』


『………………………』


 人形工匠マエストロはひっそりと溜息をつく。


『お前の疑問は曖昧模糊あいまいもことして情報が不足している。説明の追加を求める』


 その間も人形工匠マエストロは作業の手を――実験結果の記録と検証を止めることなく、耳だけをわたしに傾ける。

 胸の内側にほんのりと光が灯る様を幻視しながら、わたしは言葉を続ける。


『《L-Ⅵ》の製造目的は、国外で活動する密偵スパイの支援――密偵本人を本国へ置いたまま、国外で活動せしめるとなる操令人形マリオノールの開発であったとされています』


『そのとおりだ。理解しているではないか。――今度は左手の親指、第一関節だけを曲げてみろ。十度だ』


『はい。――ですがこの目的設定には疑問符がつきます。仮に《L-Ⅵ》が想定通りの稼働を見たとして、この目的が達成されることはありえません』


 なぜなら密偵スパイとは、時にその生活そのものが『任務』となる職責であるからだ。

 朝に目覚めた時から、夜に眠る瞬間まで。絶えることなく異国の町へと溶け込み、潜伏し、任務に携わりつづける。


 そうして『第二の肉体』が任務に従事する間――本来の肉体はどうするのか?


『食事・排泄・入浴・睡眠――操令人形マリオノールを操作し続ける限り、機主マスターは人形との同調接続を解除できません。そしてその間、本来の肉体は日常のありとあらゆる行為を妨げられることになる。これでは第二の肉体どころか、元の肉体が損なわれます』


『そのとおりだ。当初の目標を達成するためには、《L-Ⅵ》完成の後もさらに二つ三つの段階を踏む必要はあっただろう。しかしそれらは同時に、操作する操令人形マリオノールそのものがない段階で勘案かんあんする意味のない課題でもあるな』


 つまりは、そうした形でされた課題だったのだろう。

 わたしは仮の回答として、それを保留する。


 わたしが親指の第一関節だけを曲げようとすると、引っ張られるように第二関節――てのひらにより近い関節が連動して曲がる。

 人形工匠マエストロは表情を動かすことなくその様を見遣り、計器の数値を参照して記録を取る。これは満足いく値が取れたときの反応だ。

 

『また、《L-Ⅵ》本体の完成のみでも十全に活かす余地はある。たとえば前線へ赴く兵士だ』


『兵士ですか』


『かつて《北辺戦役》の折、各地から徴兵した兵士が酷寒の前線へと動員された。多くが故郷へ帰ることなく死に、さらに多くが己が手足、あるいは目や耳を失った』


『……………………』


『命を拾った彼らは、死んだものよりはまだしも幸運だったろう。だが、故郷へ帰った彼らの中に、元通りの生活へ戻れたものはどれほどいるか。そも手足どころか指一本を失っただけでも、それまで通りの稼働をし得なくなるのが人体というものだ』


 果たして、何を思い返しているのか。

 人形工匠マエストロの声は深く沈んで聞こえた。


『機械と同じだ。僅かな欠けが時に全体の稼働へ影響する。だが《L-Ⅵ》の量産がなされた場合、これらの問題は自動的に解消される。彼らは各々の故郷にいながらにして、前線の兵士となることができるからだ』


 彼らは故郷に在りながら、彼らが操る『第二の肉体』が戦場へと赴く。

 『第二の肉体』がいくら損なわれようと、彼らの手足が、感覚器官が損なわれることはない。


『彼らは夜ごと交代で家に帰り、あるいは贔屓の店へ駆けこんで温かい夕食を採ることができる。命どころか、手足を失う危険からさえ遠ざけられながらだ。これは非常に価値ある成功であると私は考える』


『その達成は、従来の操令人形マリオノールでは叶わないものだったのでしょうか。思考による操令人形マリオノール操作とそれを成立せしめる同調接続は、わたしの完成を待たずとも過去に確立済みの技術であったはずです』


 それは他ならぬ、目の前の人形工匠マエストロによって、だ。


『プランに要求される長距離間の同調接続は、従来の操令人形マリオノールでは実現されることなくあった課題だ。疑似霊脈網群デミ・レイライン搭載型フレームの採用は、この課題を解消するためのものでもあった』


 人形工匠マエストロは言葉を止め、彼の言葉に聞き入っていたわたしを見た。


『疑似霊脈に異常はないか?』


『? 計器の数値に異常があったのでしょうか』


『数値上の問題はない。私はお前メルリィの所見を聞いている』


 わたしは答えに窮した。

 その沈黙に何を思ったか、人形工匠マエストロは厳しく顰めた双眸でわたしを見る。


『異常を感じたか?』


『違います。いいえ。異常は、何も』


 真実、異常は何もない。だが、焦燥にうわずったわたしの声では、余計に疑念を増やすだけだったかもしれない。


 だが、それは真実だ。

 わたし本来の左腕と異なる形状・密度の疑似霊脈構成を備えたは、わたし本体へ何らの異常をもたらすことなく正常に稼働しつづけている。

 それは、本来の腕と異なる義肢を装着した『人』に対しても、同様の正常稼働を保証できるということだ。


『……そうか』


 やがて、人形工匠マエストロは厳しくしかめた眉間の皺を緩めた。


『正常か。であれば、問題はない』


『はい』


 わたしは安堵した。そして然る後に、己を戒めた。


 ――もっと適切な。もっとよりよい形で。

 わたしはこの方の役に立たなくてはいけない。否、役に立ちたい。


 そう――在りたい。わたしは。



『たとえば手話だ。何らかの理由で聴覚を喪った者は、手話を用いることで周囲とのコミュニケーションをはかることができる』


 夏――

 

 テラスに出した長椅子で寝そべる人形工匠マエストロの言葉を聞きながら、わたしは一階の窓という窓を開け離し、ここ数か月の試験・検証ですっかりものが増えてしまった家の中を片付けていた。


『手話は必要に基づき生まれた言語だが、完全ではない。聴覚を失った者と五体満足な者、双方に習熟のための意思と勤勉さを要求し、これらを欠きたる者の数だけ言語としての利便性を欠く宿命にある。好奇心、義務感、高潔さ――どのようなものであれ、ある種の動機なくしては成り立たず、母語のように万民に通ずるものではない』


 必要なものを収納し、不要なものを廃棄し、人が生活しうるぎりぎりの水準にあった家の中をよりよい環境へと整えてゆく。

 そう。環境は大事だ。環境の良し悪しはあらゆるものごとに影響する。

 人形工匠マエストロには休息が必要であり、研究開発には整然たる環境が必要であり、そしてわたしには役目オーダーが必要だった――ああ、なんて素晴らしき利益の共存!


『だが、それはやむを得ない限界ではないのか。つまるところ人の学習領域とは、人生の在り方に依拠するものだ。

 山間のきこりが海の漁を学ぶ必然はなく、海辺の漁師が材木の伐採を学ぶ道理もない。必要がないから学ばない、そも学ぶという発想にすら至らない。仮に学んだところでいかほどのえきになるかすら定かでないものを義務として学ばされるくらいならば、より卑近に己の人生に役立つ学習を、己が自然な好奇心に基づく学問を、人は望むだろう。それは一面において不合理ではあるが、また別の一面においては合理的なことだ』


 一年を通して温かいとは言い難い土地柄だが、それでも夏が来れば沿岸の春ほどには暖かくなる。

 陽を浴びて転寝うたたねするにはいい季節だ。もっとも、人形工匠マエストロがそのように午睡に耽る姿というのは、想像しづらいものではあった。


『怠惰なりと弾劾する者もあろう。勤勉たれと啓蒙する者もあろう。だが、私はそれらを正しい姿勢とは思わない。文明とは、あらゆる人間のを実現すべく高められるものであると、私は考えるからだ』


 洗濯ものも集めておく。後でまとめて洗うためだ。

 人形工匠マエストロの稼働試験に従事する間はこうした日常のための時間をなかなか取れず、また夜ともなればわたしは睡眠をとることを求められる。家事をまとめて片づけられる機会は、たいせつにしたい。


『そも手話という言語そのものが、聴覚の喪失という『マイナス』を『ゼロ』へ戻すための発明だ。本来ありうべからざるマイナスを標準的な人類の標準域たるゼロへ戻すために、勤勉さと意思を要求される――これはそれらを満たし、何らかの障害によって挫折することなくいられた限られた人々の間にしか広まり得ない、そうした性質のものであるとも言える』


 形成人格にも睡眠は必要である――というのが、人形工匠マエストロの持論だった。

 生命維持のための必要はなくとも、記憶――つまるところの観測情報を整理するための時間は、メルリィのような機甲人形にも要請されるものなのだ、というのが理路だった。


『より容易な形で解消され、漸次的ぜんじてきに不要なものなってゆくべき文明だ。スポークの発明が車輪の形状を一新したように、あぶみの発明が裸馬への騎乗術を不要としたようにだ。すべての文明とは、やがて道を譲るべき、より優れたる後進を得てゆくものだ』


 それは、『それ』そのものの価値や素晴らしさとは、何ら関係ない。

 あらゆるものはそうして後進にその道を譲るものなのだと、人形工匠マエストロは常々語っていた。

 より平易に、よりちいさな労力で目的を果たす、もっと別の何かへ。


『何より、失われたものはその能うる限りにおいて回復されねばならない。それは財産であれ権利であれ、肉体であれ――等しく同じことだと私は考える』


『だから人形工匠マエストロは、義肢の研究・開発を望まれるのですね』


『そうだ』


 腕を喪った者に義腕を。足を喪った者に義足を。

 目を喪った者に視覚を。耳を喪った者に聴覚を。


『私一人の研究ですべての喪失を埋めることは到底叶うまい。仮にそれが達成されたところで、それは枝分かれする新たな課題を生むだろう。たとえば《L-Ⅵ》の量産によってすべての兵士が故郷へ帰されたとき、いかなる損壊をも無視しうる『第二の肉体』の存在は、操者の心に致命的な油断をもたらすやもしれない』


 それはたとえば、『第二の肉体』でなく本来の肉体を動かしているときに、今現在の肉体に対する誤認によって取り返しのつかない事故をもたらす遠因となるかもしれない。


『《L-Ⅵわたし》の量産計画は、正式に破棄が決定されたそうですね』


『特務どもの横槍だ。彼奴らの政治の結果だ。嘆かわしいことだ』


 それは本気の憤慨なのだろう。けれど、倦厭けんえんが滲む人形工匠マエストロの嘆きようが、わたしには少しおかしい。


 同時にわたしは安堵している。そう――なぜならこの先、第二のマキシム・ヴェルナー特務少尉が生まれることだけは、決してなくなったのだから。


『すべての問題が解消される日は、来ると思われますか?』


『その問いに意味はない。その日が訪れることなど未来永劫ないとしても、目の前の問題を捨ておく理由にはならないからだ』


人形工匠マエストロ


 わたしが振り返った気配に、気づいてくれたのかもしれない。人形工匠マエストロはポーチの長椅子で首をねじり、背もたれ越しにメルリィを見た。

 この頃にはもう、人形工匠マエストロは訂正を諦めていた。わたしはそれがおかしく、わたしはそれが嬉しい。


『今日のお昼ご飯はなにがいいですか?』


 返答が戻ってくるまでには、少しだけ間があった。


『……煮魚だ。身がよくほぐれ、味が芯まで染みた、味蕾に幸福をもたらす煮魚が食べたい』


『了解しました人形工匠マエストロ。今日の昼食には、人形工匠マエストロのご要望どおりのものを支度いたします』


 ああ、と答える声は、気が抜けてしまったみたいに脱力したものだった。

 前日に記録していた食料保存庫の中身をバックグラウンドで参照しながら、わたしは目の前の仕事オーダーをこなしてゆく。

 鼻歌を歌いたくなるくらい、わたしは充実していた――それはたとえるなら、この土地の夏に降り注ぐ穏やかな日差しのように。



『――申し訳ありません、人形工匠マエストロ


 秋――


 秋の終わり、わたし人形工匠マエストロと共に家を離れ、街へ来ていた。

 央都から離れる時に一度だけ列車を乗り換えた、ちいさな地方都市。

 夜は更け、わたし達はこれから宿へと帰る。


『お前の謝罪は意図が不明瞭だ。いったい何に対して謝っている?』


人形工匠マエストロは御姪孫てっそんの誕生祝いのため、わざわざ遠方より御身を運ばれたはずです。ですが――』


 秋の終わりのころ。

 人形工匠マエストロは姪孫――弟の孫、そのひとりの誕生日を祝うため、列車を乗り継いでこの地方都市まで足を運んだ。

 誕生日のプレゼントを抱えて。わたしを連れて。


『同じ遊び相手ならば、枯木のような老爺より年の近い娘の方がよほど好まれよう。何かおかしなことがあるか?』


『ですが、人形工匠マエストロ


 ちいさな子供たちの興味は、わたしに向いた。

 祝いのために訪った人形工匠マエストロにではなく、ただついてきただけのわたしに。

 かけっこの速さを競い、鬼ごっこに興じ、ボードゲームを囲んだ。人形工匠マエストロをそっちのけで。


 ――また来てね、と。

 彼らが真っ先に、無邪気に手を振ったのは、わたしに対してだった。


『私はそのためにお前を連れてきた。姪孫らは喜ぶだろうと見込んでのことだ。

 第三世代型――完全人間型ヒューマノイド・タイプの機甲人形は未だ希少だ。央都パレスをはじめとする中枢都市から外れれば、その主流は第二世代型以前の機甲人形へと型落ちする』


 中枢都市以外の地で第三世代型の機甲人形を所有するのは、ごくごく限られた上流の人々に限られる。そうでなければ、軍所有の局地型機甲人形だ。

 それ以外は旧式の亜人間型デミヒューマノイド・タイプ、それも大多数は労働型ワーカロイドだ。

 現行第三世代型の主流たる民生型機甲人形は、この都市ではきわめてまれなる存在だった。


『私の目論見通り、姪孫らはこぞってお前に群がり、お前に懐いた。そうなることを期待した、目論見通りの結果が出たことの一体どこに、謝罪すべき理由があるというのか』


『……申し訳ありません』


『メルリィ』


 杉の木を思わせる矍鑠かくしゃくと伸びた背中が、その歩みを止める。

 街灯の灯りがこぼれ落ちる街路。キンと空気が冷え切って、外皮スキンが凍るようだ――次に雨雲が空の天蓋となったときには、きっと今年最初の雪が降るだろう。


『《機甲人形オートマタ》の形成人格は、いずれも例外なくある一つの指向性に基づきその形成が行われる。その指向性とは一体何だと思う』


『……………………』


 見当もつかなかった。

 脚を止めたまま、しかし振り返ることはせず、人形工匠マエストロは息をついたようだった――僅かに落ちた肩の動きで、わたしはそうと理解した。


。形成人格の基盤としてすべての機甲人形へ刻まれる基本概念アーキタイプであり、行動原則だ。だがメルリィ、お前はこれを持たない』


 ――メルリィ・キータイトは、《機甲人形オートマタ》として生まれ落ちるはずのない《人形》だった。だから、


『人に似せて造り上げたものが、人に似た人格を得た。指針を定められることなく、無から形成されたまったく固有の自我だ。しかし機甲人形オートマタである以上、お前もこれを知り、この原則に則って在るべきだろう。メルリィ』


わたしは――』


『難しいことではない。たとえば今日、お前の存在は姪孫らの遊び相手となり、あの子らの喜びに貢献した。それは彼らの両親の喜びであり、祖父母の喜びであり、また私の喜びでもあった。大人達は労せずして子供らの幸福と笑顔を手に入れた。あの家に集った人々すべての幸いだ』


 子供達はこぞってわたしにたかり、遊び相手となることをねだった。

 メルリィは疲れを知らない。少なくとも、人のそれと同じ意味においては。


『また、出会いとはそれ自体が可能性だ。お前という存在がひとつ追加されることで、姪孫らの選びうる未来は分岐するだろう。それは同時に、彼らの両親と祖父母の未来に対する分岐でもある。あるいはお前の性能スペックが彼らの直接的な助けとなる可能性も存在する――私に対するお前がそうであったようにだ』


 人形工匠マエストロに拾われ、人形工匠マエストロの研究に携わり、人形工匠マエストロのための環境を形作るべく尽くした。

 わたしは、


『手話のようなものだ。確固たる自我を得て後、新たに学ぶ――本来であれば当たり前に獲得されていたはずの、お前の同胞達が共有する原則だ。本来得るべき時に得られなかったがゆえの喪失を、後から埋めるための試みだ』


『……今までどおりにやればよい、ということでしょうか』


 自分でも驚くほど頼りなく発せられた問いかけに、人形工匠マエストロは笑ったようだった。


『そうだな――では、それでよしとしよう。今までのように尽くし、それを果たす対象を広げてゆけばよい』


『なら、わたしは理解できます。わたし人形工匠マエストロの幸いと可能性に奉仕するものです』


 だとするならば、何を躊躇うことがあっただろう。


 不安に揺れる理由もない。

 答えは既に、わたしが観測し、記録したすべての中にある。


『そうか。頼もしいことだ』


 笑みを含んでちいさくひとりごち、人形工匠マエストロは歩みを再開した。

 歩調と歩幅を合わせ、わたしはその背に続く。


 より多くに対し、このように在ればいい。それは決して難しいことではない。

 しるべはいつだって目の前にある。だから何一つ、怖気て震える理由はない。たとえ降りこめる雪に閉ざされようと、それを見失うことはない。わたしは。


『帰るぞ、メルリィ』


『はい――人形工匠マエストロ


 秋が過ぎ、冬を前にして。

 けれどわたしの胸のうちには、今も暖かな夏の日差しが差している。


 ………………。


 …………………………。

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