64.トリンデン邸の夜は更けて。公爵さまと《夜ふかし》です・②


 ――十分ほどして。

 トリンデン卿に倣って野菜のテリーヌをつついたり食べたり――野菜を固めるゼリーっぽいものはほんのりコンソメの味がして、ランディ好みの味つけだった――している間に、サービスワゴンに乗った料理が次々とメイド達の手で運ばれてきた。


 大きな寸胴鍋いっぱいに入ってかぐわしい香りの湯気を立てる、じゃがいものポタージュ。


 デミグラスソースをかけたフォアグラのホットスライス。


 濃厚なバターの香りが食欲をそそる、ボイル野菜を添えたますのムニエル。


 メインディッシュは柑橘のソースで仕上げた、鴨のローストとベオク牛のレアステーキである。


「このフレデリク・ロードリアンはじゃがいものスープに目がない男でね。これはこうして皿に盛ったスープに――こうして茹でたアスパラを添えパセリをひとつまみ、最後にクリームを垂らして完成なのだ!

 味蕾みらいの奥まで染み入るクリーミーな味わいとほのかなじゃがいもの芳香――これぞまさしく、多島海アースシーで一番の美味なるスープと言って過言ではあるまい!」


「あ。ほんとだ、おいしい!」


「そうだろうともそうだろうともランディ少年! このフレデリク・ロードリアン、このスープが少年少女の口に合ったことをいっかな不思議とは思わないぞ。何せ我が家のじゃがいもポタージュは、かのシオン・ウィナザードらも舌鼓を打たずにいられなかった絶品であるのだからね!」


「シオンにいちゃんも?」


「シオンさんもですか!? ほんとに!?」


 食いつきのいい子供達の反応に、はっはと高笑いするトリンデン卿。


「でも、いいのかなぁ……本当ならぜんぶコース料理だったんだよね、これ」


「いいじゃない、おいしいし。メガネは博識ぶれなくて残念だったかもだけどね」


「誰もそんなことしてないだろ。僕は君達が知らないなら教えてあげようってね」


「うわ、お肉おいしい! これほんとおいしいやつだよ! ユイリィおねえちゃんも食べて、ほら!!」


「そうだね。お肉とっても柔らかい」


「なんかソースが不思議な味するんだよね。オレンジっぽいの」


「然りだランディ少年! まさしくその通り!!」


 ユイリィのお皿へステーキの肉を切って分けていたランディを、トリンデン卿がびしりとてのひらで示す。


「本日のメインディッシュは名高き牛の生産地ベオクの一等牛によるフィレステーキ! ソースはルクテシア最南の港湾都市オーベサス=シグレオンから取り寄せたる完熟オレンジによる柑橘ソースである!!」


 ばばっ! と大仰にポーズを決め、舞台俳優のように朗々と語るトリンデン卿。


「さらに牛フィレといろどりを成す鴨肉は我が栄えあるオルデリス領より! ルクテシア全土にその名を轟かすロズレム産の鴨、王宮の食卓にも供される逸品だ!

 それを我がトリンデン家の料理長、肉料理を最も得手とするシェフが手掛けたるこの一皿、まさしく今宵の少年少女をもてなすに相応しいメインディッシュと自負するものである!!」


「お、おおー……!」


 なんだかわからない。なんだかわからないけど、すごいことだけはわかった。


「? リテークくん。なにしてるの?」


「ねこを描いてる」


「わ。クリームのねこさんだ! かわいい!!」


「何と!? このスープ、我が好物たるポタージュに、そのような奥深い楽しみ方まであろうとはっ――!」


「旦那様」


 ――と。

 いつの間にか背後に忍び寄っていたパーシュバルが、身を乗り出しかけたトリンデン卿を掣肘する。

 途端、ぴたりと騒ぐのを辞めて振り返る青年貴族。老家令は主君たる彼へ、冷やかに枯れた声で諫言する。


「お行儀が悪うございますので、何卒なにとぞお控えくださいますよう。幼子らの無邪気な娯楽なればいざしらず、旦那さまにおかれましては一人前にしてひとかどの男子、また公爵家の領袖りょうしゅうたる御方おんかたの威厳というものも御座いますゆえ」


「う、うむ……うむ、分かっているとも。分かっているぞゥ、パーシュバル。このフレデリク・ロードリアン、いかなる時であってもオルデリス公爵家当主としての在り方を忘れるつもりはない。本当だぞ?」


「それはようございました。――それと厨房からの言伝ですが、デザートにアイスクリンを用意しているとのことで。メイドらには頃合いを見てお運びするよう、既に申し伝えてあります」


「おお……そいつは助かる。諸君の気配り、ありがたく頂戴しよう!」


 うむうむと何度も大袈裟に頷くトリンデン卿の所作は、誤魔化す気配が濃厚で、大変ぎこちないものだった。


「あの」


 ――と。そこへ控えめに呼び掛ける声があった。

 ユイリィだ。


「スープ、おかわりいいですか?」


「おお、ユイリィ・クォーツ! 《機甲人形オートマタ》である君の感性にもこのスープは心地よく感ぜられるものか、実に善い!!」


「それもなんですけど、今はちょっとおなかがすいてて」


 えっ?

 ――と、ランディは思わず声を上げかけた。


 珍しい、と真っ先に思った。ユイリィが、『おなかがすいている』だなんて。

 ユイリィがそんな風に空腹を訴えるところを、ランディは彼女と出会ってからはじめて聞いた。


「そうであったか、それは申し訳ない……では、何か追加の料理なり用意させよう」


「べつにそこまでしてくれなくても、パンとスープだけでいいんだけど」


「なに遠慮はいらない! パーシュバル、ひとっ走り行って厨房の者達にへ伝えてくれ。今宵のお客人は我が家の料理を大変気に入られ、より多くの絶品を味わいたいと仰せである、とな!」


「畏まりましてございます、旦那様」


「頼んだぞ!」


 家令スチュアートの老人は恭しく首を垂れると、足音どころかドアの開け閉めの音すら立てずに食堂から退出していった。

 そうして老家令を送り出すなり、トリンデン卿はもはやスプーンを使うのも面倒だとばかりに、直接スープ皿に口付けてぐいと傾けはじめる。


「うまぁい! やはり我ら冒険者アドベンチャラーのテーブルとは、斯様かように豪放に気取りなくあらなくてはいけない!! さあ少年少女よ、君達も遠慮などすることなく、好きなものをガツガツいってくれたまえ。さあさあさあ!!」


 続いて、手酌でグラスに注いだワインを一息に干してしまう。


 そして青年貴族に言われるまでもなく、この頃にはもう、誰も遠慮などしてはいなかった。

 トリンデン卿の快哉に「はあい」と声を合わせて応じながら、めいめいおいしい料理に心置きなく舌鼓を打つ。


 程なく追加の料理――精緻を尽くしたこれまでの料理と比べれば、やはり急ごしらえの体ではあった――も端からいただき、トリンデン家で最初の夕食時は、まるで真実、大仕事を終えたばかりの冒険者達が囲む祝いの食卓であるかのように、賑々しくその時間を過ごしていった。



「おいしかったー……!」


 ――夕食後。

 ぽんぽんに膨らんだおなかを抱えてベッドへ仰向けに飛び込み、ランディは心からの快哉を上げた。


「アイスもおいしかったねぇ……」


 エイミーもおなじベッドに反対側から横になって、ほわほわと感想を口にする。

 客室のおおきなベッドは、ランディたち全員が横になってなお余るくらいの大きなしろものだった。


「わたし、アイスクリンってはじめて。つめたくって、お口のなかでほわぁって溶けて、とってもおいしかったねぇ」


「あーでもむり。今はもーだめ入らない。アイスでもむり」


 食べ過ぎてぐったりしているラフィに、リテークもそうだそうだとばかりに何度も頷く。


「まあ、テーブルマナーも何もなかったけどね」


 そう苦笑気味にしているユーティスでさえ、その表情は実に満ち足りてほくほくしたものだ。

 そんなランディ達を見渡し、ユイリィは微笑ましく眦を緩める。


「みんなおなかいっぱいになったし、あとはお風呂に入って寝るだけだね」


「ん-……」


 ――と。

 生返事を返した、その直後。


(……ん?)


 ランディは唐突に、さぁっと血の気が引いた。今の今まで、まったく思い至っていなかったが――


 もしかして、これはものすごーくピンチなのでは……!?


 まず、ランディはいつもユイリィと一緒に寝ている。お風呂も一緒に入ってる。

 それは、半分はなりゆきから、もう半分はユイリィがそうしたがるから――という理由なのだが、果たして今この時、ラフィ達みんながいるときに、「お姉ちゃん」といっしょにお風呂に入ったり、同じベッドで寝るのは果たしてどうなのか?


 以前、幼馴染みみんなとシオンの仲間達まで集まって、大勢でお泊り会になったときのことを思い出した。

 あのとき、毎晩ビアンカに――シオンの仲間のひとりである狼人のお姉さんに抱きしめられながら寝ていたのを、後になってラフィからだいぶんからかわれた。


(そういえば、あんまり気にしたことなかったけど……)


 いっつもユイリィと一緒に寝てたのって――もしかして、けっこう恥ずかしいやつだった?

 仮にそうだとして、今からそれを、どうやってユイリィに伝えたらいい?

 ほかのみんなには知られず、ユイリィだけに……!


「じゃ、お風呂はいろっか。お部屋に浴室ついてたし、ユイリィ準備してくるね」


「あ、ちょ! ユイリィおねえちゃんちょっと待っ」


「失礼いたします」


 ユイリィがくるりと踵を返したその時、ちょうど寝室のドアをノックする訪問者があった。


 入ります、と一声かけてから扉を開いて入室してきたのはパーラーメイドの一人――メイド達の中で一番背が高い、スレナだった。

 その胸元には、くぅくぅ鳴いているふわふわの白い生きもの。


「御夕食の間お預かりしていた、クゥさまをお連れいたしました」


 わぁ、とエイミーが表情を輝かせる。


「クゥちゃんだぁ、おかえりなさいっ!」


 ぴょん、とベッドから跳ね降りて、エイミーがぱたぱたと迎えにいく。

 もぞもぞ暴れるクゥをスレナから受け取ると、エイミーはそのふわふわした毛並みをぎゅーっと抱き締めた。


「クゥさまの御夕食も、当家でご用意をさせていただきました。僭越かとは思いましたが、トイレの始末やブラッシングも私どもの方で」


「いいえ、そんなこと。ありがとうございます、なにからなにまでお手をかけてもらって」


 ユイリィが微笑んで礼を言う。

 スレナは「とんでもない」と、表情をほころばせた。


「私どもも、動物は好きなので――それにとても人懐っこい子で、ちっとも手なんてかかりませんでしたわ」


「なら、よかったです」


 どうやらこの幻獣(?)、連盟の冒険者さん達に続いて、このお屋敷のメイドさん達にもかわいがってもらっていたみたいだった。


 ……そういえば、クゥはいったい何を夕ご飯にもらったのだろう。

 もしかして、あのステーキのお肉とか?


 ついつい内心で想像をめぐらせてしまうランディだったが、ふと、そんな彼へとスレナの目が向いた。


「それと、もうひとつ……ランディ・ウィナザード様にお願いが」


「え。ぼくですか?」


 はい、と頷くスレナ。


「旦那様がランディ様をお呼びになっていらっしゃいまして……お休み中のところご足労をいただきますが、今からお時間をよろしいでしょうか」


「ランディちゃんを?」


 ユイリィが訝る体で眉をひそめる。


「どうして?」


「さあ……詳しくは伺っておりませんが、個人的にお話がしたいとの仰せです」


「個人的に?」


「はい。『男二人で膝を詰め、我が朋友シオン・ウィナザードの話をしたい』、と」


 ランディはぴんときた――これはタイミングがいいのか、それとも悪いのか。

 だが、いずれにしてもこれは間違いない。


 ランディがドナにお願いしたことが、アンリエットを通してトリンデン卿にまで伝わってくれた結果だ。


「わかりました。じゃあ今から」


「あたしも行きたい!」


「ええっ?」


 急に眼の色を変えてベッドから体を起こし、ラフィが元気に手を挙げる。


「えっと、なんでラフィまで?」


「だってシオンさんのおはなしなんでしょ? あたしもしたいわ。公爵さまからのおはなしだって聞きたいし!」


 ――そう言われてしまうと、確かにちょっと断る理由が見当たらない。

 けど、ランディが本当にしたいのはその話ではない。


 どう言い訳してこの場をおさめたらいいんだろう。

 内心狼狽するランディだったが、しかし彼が何かの言い訳を口にするより早く、スレナが深く頭を垂れた。


「申し訳ありませんラフィ様。今宵の旦那様は弟君おとうとぎみと二人きり、シオン様がかの冒険譚をいかに弟君へと語られていらっしゃったか――その忌憚のないおはなしをと、お望みになっておられまして」


 気づかわしげながらも明瞭なスレナの謝絶に、ラフィは「むぅ」と唇を尖らせる。


「そんなの……あたしだって、シオンさんからおはなし聞いてるのに」


「《果てなる海の嵐竜》の話だろ? それなら僕も――っていうか、ここにいる全員聞いてるやつじゃないか」


 呆れたようにツッコミを入れ、ユーティスは顎をしゃくってランディを促した。


「行っておいでよ、ランディ。公爵さまじきじきのお呼びなんて、こんな光栄なこと滅多にないぜ?」


「ん。うん……じゃ、行ってくるね」


 ありがとう、スレナさん。ありがとう、ユート。

 望外の形でラフィを説得できたのにほっとしながら、心の中でふたりに感謝する。


「いってらっしゃい。もどったら、レドさんとどんなおはなししたか聞かせてね」


 頬を染めてにっこり笑い、手を振るエイミー。リテークもごろごろと仰向けになったまま、ひらひらと手を振ってきた。

 ふたりに了解を示してひとつ頷いてから、ランディは踵を返しかけて――その寸前で、ユイリィの方を見た。


「……えっと、ユイリィおねえちゃんも。いってきます」


 脳裏を占める『本当の目的』の存在ゆえに。

 胸の内側でちくちくと疼く、ユイリィへの後ろめたさを感じながら。


 出掛けに自分を振り仰ぐランディへ、ユイリィはニコッと微笑んで、


「いってらっしゃいランディちゃん。トリンデン卿とおはなしはいいけど、あんまりよふかししちゃだめだよ?」


「……うん」


 ランディは頷く。

 笑い返す表情は、後ろめたさの重さぶんだけ、ぎこちなくこわばり、引きつってしまっていたかもしれなかった。



 スレナと一緒に客室を出る。

 それから、ランプを手にした彼女の後に続いて、すっかり灯りが落ちて暗くなった別邸の廊下を、おっかなびっくり進んでいく。

 廊下に並ぶガラス窓は月明りに白々としていて、


 トリンデン卿の私室は、階段をひとつ降りた二階にあった。

 客室のそれよりいくぶん凝った意匠の――館の主人のそれであることを示す立派な扉の前で立ち止まり、スレナはノックと共に室内へ呼び掛ける。


「スレナです。ランディ・ウィナザード様をお連れいたしました」


「入りたまえ」


 失礼いたします、と一声おいて、入室する。

 天井と床とを、緑を基調とした絨毯と壁紙クロスで統一した室内は、トリンデン卿のお仕事部屋なのではないかと一目見て思った。

 ペンや本立てが並ぶ、シックな色合いの重々しい仕事机。立派な椅子。その後背には、分厚い革張りの本がずらりと天井の高さまで並ぶ本棚。

 欠けになって隣の本が斜めになったところは、机の本立てにおさまり、あるいは机上の片隅で積まれているぶんなのだろう。


 入り口から見て仕事机と反対側には、背の低い大理石のテーブルを囲む、応接のソファセット。

 そこには、首をねじってランディへ振り返るトリンデン卿と、その傍らに詰めている護衛騎士トーマの姿があった。


「ようこそ、ランディ少年」


 トリンデン卿はポットと茶器の乗ったお盆を両手に持ち、手ずから紅茶の支度を整えていた。

 茶器一式を乗せた盆をいったん背の低いテーブルに置き、「座ってくれ」と応接のソファを手で示す。


「よくぞ来てくれた。今宵こよいは男同士冒険者同士、存分に語らいあおうではないか」


 明朗に告げ、男らしい面に笑みを広げるトリンデン卿へ。

 ランディはとっさに返す言葉を思いつけず――まるで、はにかんででもいるみたいにおずおずと、頭を下げるのがやっとだった。

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