63.トリンデン邸の夜は更けて。公爵さまと《夜ふかし》です・①
日が暮れて、夕食の時間。
部屋まで呼びに来てくれたメイドさんの案内で入った食堂には、トリンデン卿の姿があった。
「――庭園の迷路へ行ってみたい?」
「はい! あたし達、その……ああいう迷路って今まで見たことなかったので」
メイドさん達がいったん退室するのを待って、ラフィはさっそくとばかりにその話を切り出した。
まっしろいクロスをかけた食卓の長辺にむっつ並んだ椅子へ、めいめい腰を下ろしたランディ達。それと向かい合う形で対面の席につくトリンデン卿は、逞しく角ばった顎を撫でながら、興味深げな面持ちで彼女の言葉に耳を傾けていた。
「おやしきの迷路は、
ラフィは子供らしい笑顔――ランディ達の目からするとあからさまに見え透いた『大人向け』の媚びをつくって訴える。
ひとしきり話を聞き終えたトリンデン卿は、「なるほど」と深く頷くと、
「委細承知しました――そういうことであれば、私としても大いに歓迎です、レディ。ぜひ、我が家の迷路を楽しんでいっていただきたい」
「ほんとうですか!?」
「無論ですとも」
トリンデン卿ははっはと鷹揚に笑う。
「もともとあの迷路は、我が邸宅を訪う客人をもてなすためのものでもあります。それが未来の冒険者たる少年少女の探索にあずかるとなれば、これはまさにうってつけの舞台というもの。そう、これからの未来に待つ冒険の先駆けとして、少年少女の力で我がトリンデン家自慢の
「ありがとうございますっ!」
ラフィはぱぁっと表情を輝かせて、勢いよく頭を下げる。
首尾よく申し出が受け入れられたことでエイミーがほっと胸を撫で下ろし、ランディも机の下で「よし」と拳を握る。
「ですが」
――が。
トリンデン卿は遮る形でことばを続ける。
「それは今回の一件が落着した
「えぇ!?」
「なんでですか!?」
見事に盤面がひっくり返り、思わずランディまで身を乗り出してしまう。
トリンデン卿は居住まいを正して子供達を見渡し、
「既に少年少女も見てくれていることと思うが、あの迷路は見通しがよくない。もし万が一にも邪なたくらみを抱く何者かが潜んでいようものなら、これを先んじて見出すのは非常な困難というべき舞台だ」
「だから行きたいんです、あたしたち!」
ラフィが身を乗り出す。
勢いこんで訴える彼女を横目に見遣り、ユーティスが苦い顔をする。
「ラフィ、ちょっと」
「トリンデン卿がおっしゃるとおり、そういう場所だから! あの刺客が忍び込んでるかもしれないって思ったんです! 確かめなくちゃ!!」
「ふむ……」
トリンデン卿は、一転して難しい面持ちで口元を撫でる。
その視線が、ふと横合いに流れるのを、ランディは見た。
見遣る視線を追った先、そこにはテーブルのいちばん端に腰を落ち着けたユイリィの姿。
ユイリィは目を伏せ、ふるふるとちいさく首を横に振る。
(……………………?)
その、一瞬の交錯を、ランディが訝る間に。
トリンデン卿はひとつ息をつき、あらためて真摯な面持ちでラフィを見た。
「
「それは……その、どうしてですか?」
そう、問い返しながら。
厳しい面持ちの大人を前に、ラフィは明らかに怯んでいた。なりゆきを見守るユーティスやエイミーの表情にも、鉛のように重たい気まずさがうかがえる。
「あの、なまいきだって思われましたか? あたし達、子供だから」
「とんでもない!
トリンデン卿は心外だとばかりに首を横に振り、一転して声を明るくした。
「そして、故にこそなのです。この邸宅を預かる当主とはいえ、このフレデリク・ロードリアンの一存のみをもってその是非を定める訳にはゆかなくなりました――貴女の閃きとご提案、この館の管理を司る者達のもとで、細心の注意を払って検討されねばならぬものと受け取ればこそ」
僅かに身を乗り出し、トリンデン卿は力強い声で言う。
「真実そこに危険が潜んでいるやもしれぬなら、それを払う先駆けとなるべきは我がトリンデン家に仕える護衛騎士達であり、ひいてはその主たるこの私です。聡明なる
「え。いえ……あの」
予想の範疇を遥かに上回って、真剣に受け取られてしまったせいだろうか。
逆に身を乗り出して訴えるトリンデン卿を前にラフィは完全に勢いをなくし、しおしおとしおれてしまっていた。
「その……はい。おねがいします。なまいきいってごめんなさいでした……」
しゅんと肩を落としてぺたりと椅子に座り込むラフィ。
「どうかそのように仰らないで下さい、レディ。貴女の明晰さ、このフレデリク・ロードリアンは決して無駄にせぬとお約束いたします」
トリンデン卿は慰めるようにやわらかな声で言うと、一転して明るく「さあ」と手を打ち合わせた。
「あらためて食事といたしましょう! 少年少女には我がトリンデン家自慢の料理を、どうか心行くまで味わっていっていただきたい!」
緊張をはらんでいた空気が、一気に緩んだ。我知らず詰めてしまっていた息をついたランディは、自分の目の前を見下ろす。
彼の対面、ずらりと並ぶ、大量のナイフとフォーク、スプーンの存在である。
トリンデン卿が、テーブルに置かれていたベルを手に取って鳴らす。
すると間を置かず扉が開いて、サービスワゴンを押すスレナが入室した。
メイド長であるアンリエットの次くらいにえらそうな雰囲気をした彼女は涼やかな足取りでテーブルの間を周り、ランディ達の前に料理の皿を置いていく。
さっそく食事に手をつけようとして――ランディは寸前で固まった。
「…………………?」
――なにこれ?
見たことのない料理だった。
トマトとかニンジンとかインゲンとか……たぶんぜんぶ野菜の類だと思うのだけど、それらをゼリーみたいなものでぎゅっと四角く固めた、寄木細工みたいな感じの何か。
おいしそうとかそうでもないとかいうより先に、何がなんだかわからないものへの困惑が先に立った。
「……あの、これ何てお料理ですか?」
おそるおそる、たまたま後ろを通りかかったスレナに訊ねてみると、
「茹で野菜のテリーヌでございます」
「てりーぬ」
何も情報が増えなかった。
野菜のお料理だという確信が得られただけだった。
いや――いい。とにかく野菜だということは分かった。
ぱっと見キュウリと玉ねぎが入っていないのはいいことだ。野菜はそんなに好きなほうじゃないけれど、キュウリと玉ねぎ以外はだいたい食べられるし茹でたお野菜ならまず問題なくいける。
問題はそこだけじゃない。ランディは目の前に置かれた皿の左右、まるで武器屋さんの品ぞろえみたいにずらりと並んだ
……どうやって食べたらいいのこれ。
ランディだけじゃない。ラフィもエイミーも、それにリテークも、料理を見下ろしたまま固まっている。リテークは単にぼーっとしているだけかもしれなかったけれど。
唯一そうでなかったのは、迷いなく小ぶりのナイフとフォークを手にしたユーティスくらいのものだった。
そのユーティスは、周りで石像みたいに固まってしまった幼馴染み達を不思議そうに見渡していたが、やがておそるおそる訊ねてきた。
「……みんな、もしかしてコース料理は初めて?」
「あ、っ……!」
ラフィが喚きかけ、寸前で声を抑えた。
「――たりまえでしょ? てか何? なに一人だけ知った風で余裕かましてんのよむかつくわね……!」
「いや、知った風って言われても……僕は知ってるってだけだし。そっか、うん」
「えっと、なんだっけ。食器をつかう順番があるお料理、だっけ?」
「そうそうエイミー。それで合ってる。一番外のから使えばいいから、みんな僕の真似して」
ひそひそと言い交わす声で、ざわめく食卓。トリンデン卿はそんな子供達を顎を撫でながら見渡し、「ふむ」とちいさく唸っていたが。
やがて、おもむろに適当なフォークの一本を鷲掴みにすると、
「ふうむ! どうも昔話など多くしたせいかなっ? 今日の私は若き日に船大工として働き、また冒険者として鳴らした時のように、テーブルいっぱいの料理をガツガツといただきたい気分だ――スレナ!」
「はい?」
「急なことで大変すまないが、料理は完成次第すべて持ってくるよう厨房に伝えてくれ! 今宵は客人を招いての食卓だからと大人しくするよう努めていたが、やはりこう堅苦しいのは私の性に合わん!!」
大声でのたまった青年貴族はテリーヌをざくりとフォークで一突きし、豪快に大口を開けて一口でほおばってしまう。
ゼリー――のようなもの――で支えきれなかったらしい野菜が、ぼろぼろと皿の上に落ちて跳ねて転がる。
呆然とランディ達が見守る中、野菜をかみ砕くぼりぼりという音が大きく響く。
「と、トリンデン卿……?」
「うぅむ旨い! やはり我が家の厨房が作るものは美味い!」
続けざまに、皿の上へと零れていた野菜をざくざく突き刺し、端から口の中に放り込んでゆくトリンデン卿。
「ふーむ、しかし、やはりあれだな! 一皿ずつ出てきたものをちまちまいただくというのは、冒険者の食卓ではあるまじきみみっちいものであるなあ!! そうは思わないかね、未来の冒険者なる少年少女達よ!!!」
「え。え……?」
その間、ずっと困惑を露に目を白黒させていたのはユーティスだったが。
とはいえその困惑は、顔を見合わせるランディ達全員に共通する感想ではあっただろう。
食事のマナーも何もあったものではない。
そういうことに心得のないランディから見てさえ、そうと分かる。
最後はほとんどかき込むようにして皿の上の野菜を食べ尽くしたトリンデン卿は、とどめとばかりにぺろりと唇を嘗めると、
「スレナ! 他の
「承知いたしました」
ぱんぱんと両手を打ち合わせて催促する主人の呼びかけに、スレナは苦笑混じりで応じる。
「スープはいっそ鍋ごと持ってきてほしいくらいだな――よおし、ここで手ずから取り分けていただくことにしよう! 今日はジャガイモのスープだったろう? あれは私の大好物なのだよ!!」
「伝えます」
――だが、時ならぬ主人の
苦笑気味の口の端に、それでもどこか微笑ましげな気配を滲ませながら、スレナはしずしずと退室していった。
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