62.招かれてトリンデン邸、四泊五日の《お泊り会》です!・⑥
応接のテーブルの上には、六人分のティーカップと大ぶりのティーポット。
その中央には、ケーキやホットパイ、菓子パンがたっぷり敷き詰められた、三段のケーキスタンド。
地域の名士や貴族の館で、午後のティータイムに供される優雅な一式である。
ケーキスタンドに並ぶお茶請けの量が多いのは、ランディ達が《諸王立冒険者連盟機構》支部での一件に巻き込まれたせいできちんとした昼食を取れずじまいだったのを念頭に置いた配慮であった。
実際、ケーキやパイのいくつかは早くも取り皿に移され、さらにはランディ達のおなかの中へとおさまっていた。
余談ながら、クゥはケーキスタンドの食べ物に興味津々でくぅくぅと鳴き声をあげ続けていたのだが、今はもう誰も食べ物を分けてくれないと理解してか、不貞腐れてすみっこの方でまるくなっていた。
クゥがそうして諦めるまでの間、ランディはエイミー共々、ものすごくつらそうにしながら、せつない鳴き声の攻勢に耐える羽目になったりもしていたのだが。
――閑話休題。
「あの迷路」
ともあれ、そんな応接テーブルを囲む一同を見渡して。
ひとりだけ窓辺に立ったラフィは、すっと腕を伸ばし、てのひらで窓の外を示す。
「ものすごく、あやしいわ」
バルコニーの陰になって部屋の中からでは見えなかったが、ラフィが示そうとしているのは、トリンデン家の庭園に広がる広大な
ランディはうんうんとうなずく。そう、ものすごくあやしいのだ。
なぜなら、
「ラフィちゃん、どうしてそう思ったの?」
ユイリィはケーキをひとつ食みながら、質問を返した。
あまり行儀のよくない行為ではあったが、
みんなお昼を抜いてしまったせいでお腹がすいてしたし、そもそも身内の集まりでいちいち行儀を咎めだてするほどうるさい人間が、この場にひとりもいなかったということもある。
ともあれラフィは「よくぞ訊いてくれた」とばかりにひとつ頷くと、ユーティスを一瞥してえらそうに顎をしゃくった。
その様に盛大なため息をついてから、ユーティスはユイリィに向き直る。
「僕達、ここに来るまでの間にあの迷路の話をしたんです。アンリエットさんと」
ランディは話に入るタイミングを逸した。
「あのメイド長さん?」
「はい。その時、アンリエットさんがこんなことを言っていたんです。昔、あの
「そうよ!」
力強く拳を握り、ラフィが声を上げる。
「でも、さっきケーキと紅茶を持ってきてくれたメイドさんたちに聞いてみたら、そんな話は聞いたことないって言われたの! おかしいと思わない!?」
最前に扉のところでユイリィと行き会った、二人のメイドのことだ。
話を遮られたユーティスはうんざりしているのを隠しもせずジト目で唇を曲げていたが、ひとつ息をついて表情を切り替え、ラフィの話を引き取った。
「この場合考えられるケースはみっつです。『アンリエットさんが嘘をついている』『メイドさん達が嘘をついている』『アンリエットさんはほんとうのことを言っているが、メイドさん達はそれを知らない』」
メイドさん達も実は知っているけど、しらばっくれているだけ。
――というケースも考えられなくはなかったが。ランディはひとまず、その指摘を飲み込んだ。
今の時点で指摘したところで、まぜ返し以上の意味はなさないし、そもそも本題はそこではないからだ。
くちばしを突っこみたいのはやまやまだったが、それくらいの自制はランディだってできる。八歳なので。
「そして、仮にメイドさん達が言うことを正とするなら。なぜアンリエットさんはそんな嘘をついたのかという疑問が浮かびあがります。なぜそんな作り話の怪談をでっち上げる必要があったのか」
「あの迷路に人を近づけたくなかった?」
「その通りよ!」
答えるユイリィを、びしりと指差すラフィ。
「あのひとは、あたし達を迷路へ近づけたくなかった! そしてあのフードの刺客は、他人に化けられる力を持っている!!」
ラフィは力強く両腕を振り回し、かたく握った拳をわななかせた。
「あの刺客を甘く見すぎていたわ……メイド長さんはもう、あの刺客と入れ替わられてしまったのよ! 本物のメイド長さんは、きっとあの迷路の中でっ――!」
くっ――と痛恨の呻きを零すラフィ。
「メイド長さんの仇は、あたし達が取ってあげなきゃいけないわ!!」
「いやラフィ、いくらなんでも先走りすぎ。きみ、よくそこまで無根拠にえぐい妄想膨らませられるね?」
「はぁー!? なにが無根拠だってのよこのメガネ! あんただってさっき調子よく、考えられるケースがどうとか言ってたじゃない!!」
「現状で明らかなのは、アンリエットさんが嘘をついた可能性があるってことだけだよ。ラフィの
「なによ
「妄言は妄言だよ。だいたいね、ラフィ」
憤然と喚くラフィの抗議を、ばっさりと切り捨てて、
「アンリエットさんが嘘をついた理由くらい、他にいくらでも考えられるだろう?」
「理由って、たとえば?」
ほわんと首をかしげるエイミー。
ユーティスは肩をすくめて、
「一番わかりやすいのは、僕達の案内を早くすませて自分の仕事に戻りたかったから、かな。あの時はランディが迷路に行きたがってしね」
「ぼく?」
いきなり名前を挙げられて、どきりとしてしまうランディ。
「そう。仮にあの場で迷路へ行くことになったら、トリンデン卿から案内を任されているアンリエットさんは僕達を放っておくわけにいかないだろ? 僕達が迷路を探検して満足するまで中庭で待ってなきゃいけなくなる。さっき紹介されたメイドさん達だって待たせることになるよね」
ユーティスの説明を聞くうち、ランディは気まずくなってきた。
あの時はつい好奇心で迷路に行きたがってしまったが、言われてみるとアンリエットや他のメイドさんみたいなお屋敷の人達のことは、確かに何も考えていなかった。
「お客さんの応対は本来、これくらいのお屋敷ならパーラーメイドの領分だ。メイド長さんみたいな立場のひとがする仕事じゃない」
メイドの中でも、特に客人の応対や給仕を担うメイドは『パーラーメイド』と分類される。多くの使用人を雇う上流の邸宅では、メイドもその職務ごとに細かな分業が発生するのだ。
たとえばだが、先ほどランディ達の世話を担うメイドとして紹介されたスレナ達は、このパーラーメイドにあたるだろう。
「あの時はあの場に都合よく人がいなかったからアンリエットさんが案内してくれたんだろうけど、あのひとも早く自分の仕事に戻りたかったんじゃないのかな」
「もったいぶってないでもっとパパっと言いなさいったら。何なのよその、じぶんの仕事って」
早々に話の腰を折られてむくれるラフィに、ユーティスはよどみなく答える。
「家政全体の管理。メイドの管理から出納まで、主人ないし女主人の代行全般を担う
ユーティスの家はトスカの町長、地元の名士だ。家にはお手伝いさんもいるし、コートフェル近郊の名士や、貴族のひととのつきあいまであるらしい。
「これは使用人の中では
「ぐぬぅ」
もともと仲良しの幼馴染みたちの中でいちばん頭のいいユーティスだが、そういった理由で貴族みたいな上流の家のことはみんなの中で誰よりいちばん詳しい。さらに言えば、その実情を多少なりとも肌で知っている。
だから、たぶん、ユーティスの言うことは正しい。正しいのだと思う。けれど、
「……でも、ぼくはラフィのゆってることもおかしくないと思う」
なお、ランディは従姉妹の側についた。
ラフィと同じ勢いで撥ねつけるのを躊躇ってか、ユーティスはちょっと困った顔になる。
「……ランディ、そうは言うけど」
「ユートがゆってるのはたぶん正しいんだろうなって、ぼくも思うよ。でもさ、あやしいと思う直感って、けっこうたいせつなんじゃないかな、冒険者には」
む、と唸るユーティス。
きゅっと拳を握って熱っぽく訴えるランディに、とっさに言い返す言葉が見つからなかったようだった。
そう――ユーティスが言うことはきっと正しい。より分かりやすく、筋も通る。けれど、それがほんとうだとは限らない。
わかりやすく筋が通ることとほんとうに正しいことは、イコールとは限らない。
だからランディは、力強く訴える。
「ほんとうのことは、ちゃんと確かめなくちゃわかんないよ! ドニー・ポワソンだって言ってた――直感と推理は似て非なるもの、直感は推理を導くが実証なくして推理なし!!」
ん?
――と。途端に首をかしげる空気が、一同の間で広がった。
「??? ランディくん。それ、なんだかおかしくない?」
「待ってランディ。たぶんそれ引用するとこ間違ってる」
「てかさ、あんたほんとそれ好きよね。ドニー・ポワソン?」
「そう、ドニー・ポワソン! 『冒険者探偵ドニー・ポワソン』!!」
――著、アノッド・ハンターによる小説本『冒険者探偵ドニー・ポワソンの探求』シリーズ。
その主人公である冒険者探偵ドニー・ポワソンは、ランディの中でシオンとその仲間達の次かその次くらいに憧れの冒険者だ。
旧知の従軍医師ワットマン卿と二人、王都リジグレイ=ヒイロゥはイーニッド街の定宿に下宿しているドニー・ポワソンは、《大陸》帰りの高名な冒険者にして稀代の名探偵である。
彼はその明晰なる灰色の脳細胞と類まれな探求心をもって、自らのもとに持ち込まれる数々の難事件を鮮やかに解決へと導いてゆく――その冒険と活躍を描くのが、『冒険者探偵ドニー・ポワソンの探求』シリーズである。
なおランディのいちばんお気に入りは第三巻、『ルサヴィ孤城の殺人』だ。
「えーと、だからね? ぼくが言いたいのは、その……確かめもしないでこうだって決めつけるのはよくないなってこと! ドニー・ポワソンだって推理のときは、ちゃんと事件現場に行って地道に調査するんだからね!」
ずれかけた話の導線を無理矢理戻し、力強く訴えるランディ。
「『机上の論理は理想と夢を映す鏡のようなもの。論理の見えざる欠損、鏡の裏側を埋めるのはささやかなる事実ひとつひとつの積み重ね、即ち探求である。ゆえに安楽椅子探偵などという存在は怠惰が生み出す幻想、さもなくば身のほど知らずの
「すごい。ランディくん、もしかして小説のセリフぜんぶおぼえてるの?」
「あたし、そのおはなしのことはよく知らないんだけどさ……えーと、その、ドニー・ポワソン。ランディの話聞いてる感じだと、だいぶん嫌なやつっぽくない?」
「たまに忘れそうになるけど、ランディってラフィの従兄弟なんだよね。こういうとこ見るとちょっと納得かも」
「あ? メガネそれどういう意味よ」
「もー!」
「ランディちゃん」
いまいち心無い言葉をぶつけてくる幼馴染みたちににヒートアップしてしまうランディの肩へ、そっとユイリィの手が置かれた。
何? と問いかける寸前で、ユイリィの指が唇に当たる。
『静かに』のジェスチャー。
ユイリィは部屋の入口、廊下へ続く扉へ目を走らせる。
ランディが目を白黒させている間に、すたすたと――いななる技によるものか、足音もなく滑るように歩いていったリテークが、おもむろにその扉を開く。
「ひゃ――!」
途端。
内開きの扉もろとも、メイド服姿の娘が室内へ倒れ込んできた。
最初の集まりに遅刻してきたメイドだ。癖のある栗色の髪にメガネの、どことなくとろくて頼りなさそうな雰囲気のパーラーメイド。
ドナだった。
自らの一身に集まる視線に集まるランディ達の視線に気づくと、メイド――ドナはぱっと顔を赤くして、あたふたと両手を振る。
「ち、ちちちちがうんですお客様! ああ、あたし、これはその、あの」
だが、そのわたわたした言い訳も――ぽかんと見守る子供達の視線を前にして、じわじわと下火になってゆき、
「し、っ……つれい、しましたぁ――――――――っ!!」
音程の壊れた悲鳴みたいな叫びの尾を引きながら、ドナはバタバタと廊下へ飛び出していった。
開け放した扉の先、遠くの方から、何かを盛大に引っ繰り返す音と、「ぁ痛ったぁ――――――――!?」というすさまじい悲鳴が聞こえた。
――ぱたん。
リテークが扉を閉める。
てほてほと戻ってきた彼がソファに座り直すのを待って、ユイリィもそっとランディの唇から指先を離した。
「僕達、迷路の一件ばかり気にしてたけど……」
口元に手を宛がいながら、ユーティスがぽつりとひとりごちる。
「あやしいのは、メイド長さんだけじゃないのかもしれないね」
「……複雑怪奇な
「ふわ。リテークくんなんだかかっこいい……」
「え? ちょっと待ってエイミー、あたしわかんないんだけど、いったい今のどの辺見てその感想になっちゃったわけ!?」
仲良しの幼馴染みたちが口々に言いあうのを、ランディはほとんどまともに聞いていなかった。
というより、ろくに聞こえていなかった。心臓が音が耳元で鳴るみたいに大きくて。
さっき口にし損ねたことばの名残りが栓になって、ばくばくと煩い胸の上のほうでつっかえているみたいで。
一気に騒がしくなったその場を制するように、ぱしん、とユイリィが手を打つ。
「ランディちゃんもみんなもみんな気になることいっぱいあるみたいだし、調べてみるのはユイリィも賛成かな」
ぱっと振り返って注目する子供達を見渡し、ユイリィはニコリと花のように微笑む。
「でもユイリィ達だけで勝手にいろいろ始めちゃったら、トリンデン卿やお屋敷のひとたちの予定や考えとぶつかっちゃうかもしれないからね。そこはまず、ちゃんとおはなししてからにするのがいいと思うよ」
そう、話を締めくくる。
ランディ達は互いの目を見かわすが、誰からも『これ』という反対意見は出なかった。
ゆえに、ひとまずはユイリィの見解がこの場における結論となり。
こまかい話に関しては、いったん棚上げのかたちで落ち着いたのだった。
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