56.追想:かつて、どこかで彼女が留めた《記録》①


『納得できません!』


 叫び出す寸前にまで膨れ上がった女の怒声と、テーブルを叩く荒々しい音がする。


 強い怒りの発露であるそれらはつくりの薄い壁を容易に貫通して、隣室で膝を抱える『彼女メルリィ』のもとまでよく響いた。


『事故……だなんて。マキシム――ヴェルナー少尉を殺した励起法力のバックファイアは、あの《人形ドール》からの拒絶が原因なのが明白じゃないですか!』


の原因は確かに君の言葉どおりだ。エスメラルダ・ナテル特務曹』


 怒声に応じるそれは、老爺の声だった。

 杉の古木――その樹肌を撫でたときの触れ心地を思わせる、硬く静かな声だった。


『起こった現象、観測された事実に異論はない。私が問題としているのは、それが誰のによって起きたのかということだ』


『だから、あの人形ドールが――』


人形ドール、とあれを呼んだな。エスメラルダ・ナテル特務曹。私に言わせれば君のその選択からして、既にひとつの欺瞞をはらんでいる』


『何を――』


『メルリィ・キータイトは《使令人形マリオノール》として完成するはずだった機体だ。そのように設計し、そのように制作し、そのように試験を重ねた末に、そのようなものとして件の最終稼働試験にまで至った』


 老人は言う。

 燃えるような女の反駁を遮ることばは決して強いものではなかったが、ゆるがせにし難いいわおの重さがあった。


『だが、そうでないことが明らかになった。メルリィ・キータイトには我々の誰もが想定しなかった、存在しない筈の『人格』があった。

 《使令人形マリオノール》として制作された彼女には《機甲人形オートマタ》のような形成人格の実装はなく、ゆえに我々は彼女を従来の使令人形マリオノールと同じに扱った。メルリィ・キータイトの『人格』に相当する領域は、同調接続によって機体へ投射された、マキシム・ヴェルナー特務少尉の思考が占めるはずの場所だった』


 それは、事実を述べるだけの、それ故の重さを孕んだことばだった。


『だが、そこには『メルリィ・キータイト』というが存在した。恐らくは起動の瞬間まで眠り続けていた、その存在を認識していなかった、機体自身の自我だ』


『だから、そうだと言っているんじゃないですか、私は! あの機甲人形オートマタ機主マスターを、マキシムを殺した――!』


『呼び方を変えたな、ナテル特務曹。私はそのようなすり替えを、君の欺瞞だと指摘していたつもりだったのだが』


 老人は、溜息をついたようだった。

 それは女の激情に、さらなる油を注いだ。


『《人形工匠マエストロ》エクタバイナ、言葉遊びはいい加減にしてください! 我々は特務の職責としてここに』


『エスメラルダ』


 女を諫める、別の声が割り込んだ。

 男のものだ。彼女の上官である男だ。


 、あの場にいた士官の一人であった男だ。


 隣室には老人と女と、その上官と――それ以外にも数名の男がいた。いずれも、あの場に居合わせた《特務》の人間だ。


『部下が失礼を、《人形工匠マエストロ》エクタバイナ。しかし、我々は優秀な特務士官一人を、あの一件で永遠に失いました――使令人形マリオノールの権威である貴方が事故だと仰るのであればその事実は受け容れますが、しかし真実それが事故であるならば、事故なりの対処は求められるものでしょう』


 部下に代わって、士官は言う。


機甲人形オートマタによる事故、しかも人形自身の形成人格による事故だ。機体の破壊ないし形成人格の抹消、これが同種の事故に対する従来の処分であったはず。部下の感情に肩入れするつもりはありませんが、せめてそれら処分を否とされる理由はご説明をいただきたいですな』


 老人は揶揄するように、小さく鼻を鳴らした。

 理を説く口ぶりで発せられた一連の物言いを、老人――ガルク・トゥバスにおける使令人形マリオノールの権威たる《人形工匠マエストロ》エクタバイナは、十分以上に個人的な感情の発露と受け取ったようだった。


『君達は、蚊を潰したことがないのか?』


『……は?』


『たとえば、の話だ。君たちの肌にとりつき血を吸う蚊を見つけた場合だ。君達は咄嗟にそれを潰さずいられるのか、ということを聞いている』


『…………蚊、ですって……!?』


 そう、戦慄わななく呻きを発したのは、決壊寸前まで引き攣れた女の声だったが。


『マキシムを――彼が、虫けらだと!? 彼ほどの素晴らしい士官を、この詭弁屋きべんやじじいが!!』


 破壊的な緊張をはらんだ騒音が、がたがたと隣室の空気を圧して重なる。


『エスメラルダ、やめろ!!』


『離してください大尉! このじじい、この爺は、彼を!!』


『これ以上感情任せで暴れるつもりなら、今すぐこの部屋から退出してもらう! この場に立ち会いたいなら理性的になれ、!』


『…………っ、………………!』


 女は唇を噛み、老人は溜息をついた。

 倦厭けんえんの露わな息遣いだったが、それを咎める者はなかった。あるいは、その気配に気づく余裕すらなかったか。


『前述のそれは状況の仮定であり、ヴェルナー特務少尉に対する価値判断ではない。

 ――が、ナテル特務曹の気に障ったのであれば表現を変えよう。たとえば任務中に暗がりから野犬に襲われたとき、君達はその野犬を振り払わずにいられるか。あるいは街中で不意に暴漢に襲われたとき、防御の反撃を試みずにいられるか。私が問うているのは、これら仮定の状況に対する反応だ』


 涙の滲む息遣いで、女は奥歯を噛み締めていたようだった。

 ふ――――っ、ふ――――っ、と圧すら伴う強い息遣いは、上官の静止に圧しとどめられた、彼女の総身で荒れ狂い溢れ出さんとする情念の発露そのものだった。


『恐らくだが、諸君らは蚊を潰し、野犬を振り払い、暴漢に抵抗するだろう。そして件の事故において起こったのはこれと同様のことだ。覚醒の瞬間、自らの領域を侵襲しんしゅうする異物の存在に気づき、彼女は咄嗟の防衛行動として異物をした』


『……L-Ⅵに、形成人格は存在しなかったはずです』


『そうだ』


『この前提が誤っていた――その点には、同意をいただけると?』


『違う。実装上の誤りという可能性は低いと見ている。その場合にはまず、『メルリィ』として実装された形成人格がどこから調達されたかという問題もあるな』


 《使令人形マリオノール》の研究・開発工廠たる第五工廠に、《機甲人形》のための形成人格を製作する設備はない。


『では……あれはマキシム・ヴェルナー少尉を狙って仕組まれた、何者かによる殺人であるとでも仰るのですか?』


、そう言ったばかりだ。まあ、可能性がゼロとは言わんがね』


 物分かりの悪い生徒へ言って聞かせるように、老人は苦笑混じりの辛抱強さで続ける。


『私の仮説は異なる。現時点における私のそれは、《メルリィ・キータイト》という人格が、機体起動の瞬間にされたというものだ』


 老人の言葉に、異を唱える反駁はなかった。

 特務たちは絶句したようだった。


『形成されたばかりの人格メルリィは、自らの領域を侵襲する異物マキシムに排除した。それを我々の側から観測したものがあの事故――接続拒絶によるバックファイア、同調接続を形成していた励起法力の逆流によるヴェルナー特務少尉の死亡事故だ』


『何を……』


 ようやく、誰かが呻きを零した。


『人形の形成人格が……あの場で形成された、などと』


『人の霊脈に似せて、人形の疑似霊脈網群デミ・レイラインを作ったのだ。人に似せたものが、人と似た自我ものを持つ。その可能性の検討は、君達にとってそこまで理解し難い代物だったかね?』


 揶揄するように放言し、使令人形マリオノールの権威は静かに息をつく。


『無論、これは仮説の段階にあり、真実はこれから検証を行わねばならんことだ。メルリィ・キータイトの廃棄処分を否とした第一の理由は、まずそこに求められる』


 それは彼の、研究者としての在り方ゆえだ。

 だが、そればかりが理由ではない。


『私の仮説通りであれば、メルリィには自身が排除を行ったという自覚すらなかっただろう。生命であれば誰もがなしうる無意識の防衛行動――そも覚醒の瞬間まで眠り続け、ないしは存在しなかった可能性すらあるその人格に、事故の原因たる拒絶をあらかじめ防止しうる余地はない」


 自分の在処ありかを本能的に護った。

 それは意志あるものならば、誰もが当然になしうること。


「逆に、その人格が予め内在されたものであったと仮定するならば、それに気づくべきは我々の側であった。誤った操作を行えば誤った結果をもたらすのが人の被造物たる機械の宿痾しゅくあであり、それを防ぐのは人為だ――我々はそれを怠った』


 老人は結論を口にする。


『つまり、あれは我々第五工廠と、起動実験に立ち会った君達 《特務》の結託による事故だ。責任を問われるべきはメルリィ・キータイトではなく、我々こそということになるな』


『――そんなバカな話があるものか!!』


 声を荒げたのは、士官の男だった。理解し難い事態への拒絶ばかりではなく、突然に目の前へ立ち現れた自分達の責任問題への動揺が、振える声音に透けていた。


 老人は失笑した。

 士官が後に続けるべき言葉を失ったのは、その老人に睨まれたか何かした結果、なのかもしれなかった。


『バカな話かね? では私からも一つ確認させてもらおうか。あの日、私が不在の第五工廠で起動実験を強行したのは《特務》の側であったはずだ。何故なにゆえに特務は、私の立ち合い可能な予定を待たなかったのか?』


『起動実験の日程はあらかじめ決まっていた! 所用と仰って実験から離れられたのは、《人形工匠マエストロ》エクタバイナの方ではないのか!!』


『そうさな、姪孫てっそんの誕生祝いのためにな。祖父の兄に過ぎん私のような者であってもよく懐き慕ってくれる、可愛い幼子だ。枯木程度の老爺に過ぎない身ではあるが、あの可愛い幼子の誕生祝いなれば……枯木なりの華となりたかった』


 老人は鼻で笑った。自嘲の気配があった。


『いずれにせよ、私は日程の変更を求めた。万一の場合の事故という可能性、その防止を理由に沿えてな』


『特務にも予定がある! いかな《御前円卓会議ラウンズ》に名を連ねる人形工匠マエストロとて、私情でそれを』


『特務の予定を優先した結果が現状だということは正しく理解すべきだな、特務大尉。私があの場に立ち会えてさえいれば……そう、ヴェルナー特務少尉を襲う異変にいち早く気づき、事態を阻止できたやもしれん』


 男は息を呑み、絶句した。


 ――自分がいれば事故はなかったかもしれない。そうしなかったのは《特務》の側。


 ――だと、老人は言外に突き付けていた。


『……詭弁だ! そんな仮定に、何の意味があるというか!!』


『意味はないな。そも、私にとってさえ疑似霊脈網群デミ・レイライン実装型の使令人形マリオノールは未知の存在だった。所詮は後知恵に過ぎん以上、私がいたとしてもあの事故を防げた保証はないが』


 ――だが。

 老人のつく息は、熾火おきびのような熱に乾いていた。


『だが、私は最後まで万全を期したかった。それを妨げられた結果が、今だ』


 目の前の《特務》に対する、怒りと苛立ちの熱だった。


『ヴェルナー特務少尉の死は事故であり、その責任は起動実験を行った第五工廠、ならびに起動を強行した《特務》の瑕疵と怠慢に求められる。《機甲人形》メルリィ・キータイトの覚醒、その可能性を予見できなかった関係者すべての落ち度が産んだだ――以上が私の結論だが、何か確認はあるかね?』


 、と。老人は言った。

 抗議も、異論も、認めないと。


 至尊の冠を戴く老人は温度のない声で、喚き立てる者達へそう突きつけた。



 ――そして。

 そこに至るまでの、すべての言葉を。


 メルリィ・キータイトは、薄い壁ひとつを隔てた、隣室で聞いていた。

 抱えた膝に顔を埋めながら。


 自らに向けられた怒りと弾劾の、そのすべてを、聞いていた。


 やがてその声が遠ざかり、隣室に静寂が落ちた後も。彼女メルリィは膝を抱えたまま、そこから動くことをせずにいた。


 かちゃり、と掛け金の音を立てて、隣室へ続く扉が開いた。

 メルリィが顔を上げた時、そこに立っていたのは杉の木を思わせる痩せた長身と、樹上に成った杉の実を思わせる面相をした老爺だった。


 大陸北辺の皇国ガルク・トゥバスにおいて至尊の冠を戴く八人の人形師、その一人――《人形工匠マエストロ》エクタバイナである。


『来なさい』


 顔を上げたきり、身じろぎもしない少女へ、老爺は呼び掛けた。

 メルリィは差し伸べられた手を、意味が分からないというようにぽかんと見つめ、やがて再び彼を見上げる。


『今日よりしばしは、私が仮の機主マスターだ。より正確な事態究明のため、また今後のさらなる検証のため、お前は私の管理下に置かれることとなる。だが――』


 老人は不意に失笑した。扱いにくい子供を前にしたときのような、大人の苦笑が広がる。


『だが、それではお前が納得すまいな。恐らくお前は。だからこの場でもう一つ告げておこう――メルリィ・キータイト、お前の存在は私にとっての希望でもある』


『え……?』


『人の霊脈に似せて作った疑似霊脈網群が、人のようなものを備えた。然るに疑似霊脈網群とは、人形の身体を技術であると仮定できる』


 訳が分からず見上げるしかないメルリィに向けて、老人は続ける。


『今でこそ使令人形マリオノールの権威などと呼ばれているが、私はもともと義肢の研究開発のために学んだ男だ。それがたまたま人形工匠マエストロの誰ぞに見いだされ、自分の研究にも好都合だからと人形工芸士ドールクラフトの肩書を羽織ったにすぎん。お前の存在は、私の本分を推し進める支えになる。が――』


 老人はふと、苦笑の色をさらに深くした。


『お前は泣くのだな、メルリィ・キータイト』


 言われ、メルリィは自分の頬に手を当てた。

 瞳から零れ、頬を濡らす冷たさを、指先に感じる。


『いや、当然か。お前は人を装い、人をするための機体だ。そのために必要な機能はすべて備えている。我々がお前をそう作り、お前はその機体が生んだ人格なのだ』


 老人は、もう苦笑してはいなかった。


 その、枯れた面差しに浮かぶ微笑みを――まるで呆けた子供のように、メルリィは見上げる。


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