59.招かれてトリンデン邸、四泊五日の《お泊り会》です!・③


 屋敷に入ったランディの目に飛び込んできたのは、まるで物語の中に登場するお城みたいに広いホールだった。

 正面には広い階段。階段は中二階の踊り場で壁に突き当たるのと同時に左右へ別れ、吹き抜けになった二階へと続いている。


 正面の中二階には、馬車にも装飾されていたトリンデン家の家紋を大きく描いた旗が下がっている。

 左右の階段を上り切ったさきはまた左右に別れ、一方は吹き抜けになった二階の廊下へ、もう一方は屋敷の奥へと続いているようだった。


 足元には、金糸で縫い取りをした深紅の絨毯。

 毛足が長いふかふかの絨毯は靴底が沈み込むように柔らかく、その場で寝転ぶことだってできてしまいそうだった。


 だが、ランディの目を真っ先に引いたのは、それらのどれでもなく。

 ホールの高い天井に描かれた、荘厳な天井画だった。


「わぁ……」


 思わず、声が零れた。

 それは、象徴シンボル化した太陽が輝く空を背景とし、その太陽を囲むように配置された七人の、各々怪物を従えた男女を描いた絵画だった。


 一人は、黄金の鳥を片手に抱えながら、もう一方の手で自らの頭上に輝く光輪ハイロゥを誇らしく指差す男。


 一人は、伏せた獅子を玉座として泰然と座り、右手に杖を携え王冠をかぶった男。


 一人は、足元に黒い影のようなものをまとわりつかせ、なまめかしく身をくねらせる妖しげな美男子。


 一人は、青褪めた鱗と角を持ち、蛇のような姿かたちの竜にまたがった筋骨隆々たる大男。


 一人は、獣の耳と尾を生やし、しなやかに伸ばした腕の先――てのひらの上に、角を生やした栗鼠りすを乗せた少女。


 一人は、背中から生えた大きな鷹の翼で裸身を隠し、海から鎌首をもたげる怪物の背に乗った女。


 そして一人は、全身に煌びやかな宝石細工を身につけ、番人を思わせる巨人を従えた少年である。


 ランディだけでなく、先に入ったユーティス達もまた、自失したようにぽかんと口を開けて天井画を見上げていた。


「なにこれ……何の絵だろ」


「《真人》の絵じゃないかな」


 ぽつりと零れた疑問に応じる声は、いちばん後から入って来たユイリィのものだった。


「《天種セライア》《王種ルーラー》《貴種ノーブル》《龍種リヴァイアサン》《獣種ビースト》《翼種セイレン》《宝種オーブ》――神さまの祝福を受けて魔法を極めた七つの種族。これは、彼らの姿を描いた絵、だと思うよ」


 ひとつひとつ、指差しながら口にしてゆくユイリィ。


 ランディは、ほえぇと気の抜けた息をつく。

 これが《真人》――おとぎ話に出てくる、今からずっとずっと昔に世界中で栄えていた、ランディ達とはべつの『人間』。


「《真人》って、こんな感じだったんだ……」


「その可能性もゼロじゃないけど、たぶん画家さんの想像なんじゃないかって思うな」


「そっかー……あ、じゃあ《真人》のひとたちといっしょにいる鳥とか竜はなに?」


 ランディはユイリィを見上げて質問を重ねる。

 ふとユイリィが見下ろすと、その頃にはほかの子供たちも揃って彼女を見上げ、その話の続きを待っていた。


「……ぜんぶ《幻獣》だと思う。たぶんだけど」


 そう前置きし、ユイリィは続ける。


「《輝ける樹上の鳥ヴィゾフーニル》《玉座成す獅子ネメアスレオン》《万変する万影バルトアンデルス》……に、《世界を覆う巨龍ミズガルズオルム》《使令持て疾る栗鼠ラタトスク》《大海より出でる怪物テュポーン》……最後は《宝物庫を護る巨人スプリガン》、かな」


 天井画を指差しながらひとつひとつ名を上げたユイリィに、おお――と感嘆のどよめきが上がる。


「ぜんぶ、《幻獣》って呼ばれてるいきものだよ。それも、神話や《真人》の伝説にしか記述のない――」


 ただ、と。ユイリィは疑念に眉根をひそめて言葉を続ける。


「ただ、神話や伝説に出てくる幻獣の中から、どういう基準でこの子達が選ばれたのかまでは……ユイリィだと、ちょっとわからないんだけれど」


「真人のもとにはべるものたちは、各々の《真人》の在り方をもっともよく表わす象徴シンボルとして描かれたもの」


 まるで、薄刃を滑り込ませるような。

 深くつややかな、女の声が割り込んだ。


「――と。当家にはそのように伝えられております」


 弾かれたように声の先へ目を向けると、そこに立っていたのは古風なメイドサーヴァントのお仕着せを身につけた、背の高い女だった。


 長い睫で霞をかけたようにけむる切れ長の瞳。紫色の口紅を塗った唇。

 胸元まで届く波打つ黒髪ブルネットと、メイドのお仕着せでも隠し切れない肉付きの良い肢体の――女子供でさえうっかり目を奪われてしまいそうな妖艶さを、ごく自然に身にまとった女だった。


「この天井画は三代前の当主ロードリアン・マルカスト様の御代みよの頃、当家を訪った二人組の画家が描き残していったものだそうでございます。

 どうしたことか、作者の名はどこにも残されておりませんが――しかし、描かれた幻獣に象徴される《真人》達の伝承は、書庫の記録として当代まで残し伝えられております」


「あなたは誰ですか?」


 完全に雰囲気に吞まれて言葉をなくしているランディ達に代わり、ユイリィが訊ねた。

 女は口元をほころばせ、嫣然と微笑んだ。


「これは失礼を致しました――お初にお目にかかります、皆さま。わたくしは当家のメイドサーヴァント女性使用人を束ねるメイド長、ニーナナスと申します」


 メイドはエプロンの前で両手を重ね、楚々とした所作で深く一礼してみせる。


「今日より五日の間、皆さまのお世話を務めるようにと。旦那様より言いつかっております」


 顔を上げたメイド長の視線の先にいたのは、ランディ達の誰でもなかった。

 ニコリ――と、まるで三日月のように妖しく細めた眦が見つめる先にいたのは、ちょうどホールへと入って来たばかりだった、トリンデン卿だった。


「おお、アンリエット。出迎えご苦労」


「お帰りなさいませ旦那様。今日これまでの経緯に関しては、連盟からの早馬にて委細承っております」


「うむ。支度に滞りはないか?」


「ご指示をたまわりましたとおりに。離れの別邸にて、お客人の皆さまがたのためのお部屋を用意させているところでございますわ」


「そうか――では、我が賓客ひんきゃくたちを案内あないして差し上げてくれ。私もおっつけそちらへ向かおう」


「旦那様も、でございますか?」


 たっぷりした唇を曲げ、不可解そうに睫の長い瞼をしばたたかせるアンリエット。

 トリンデン卿は「そうだ」と首肯する。


「今日から五日の間は、私も別邸で寝起きする。来客はパーシュバルへ報告のうえ、その承認が下りたもののみを直接別邸へと通してくれ。屋敷の皆にもそう伝えるように」


 そこまで言うと、トリンデン卿は自らの随員であった従者たちを振り返る。


「本邸の仕切りはパーシュバル、お前に任せる。護衛騎士の配備はトーマが指揮をるように」


かしこまりました、旦那様」


「汚名返上の機会をいただき、幸甚こうじんに御座います」


 うやうやしく首を垂れる二人の従者に、トリンデン卿は厳しく続ける。


「件の刺客が別邸の私を標的に定めるとは限らぬ。また、彼奴きゃつと正面から打ち合う危険は、トーマ、お前が重々承知していることのはず。厳に慎むよう騎士達へ周知するように」


 そして、トリンデン卿は再び踵を返すと、今度はユイリィを見た。


「ユイリィ・クォーツ。貴女は連盟での交戦において、唯一かの刺客を退けた御方だ。あの聖霊銀ミスリルの刃へ対抗する知恵を是非にお貸し願いたいのだが、いかがであろうか」


「ぅえ」


 申し出るトリンデン卿の態度は丁重なものだったが、対するユイリィの反応は引き気味で、常の彼女のそれと比しても、多分に礼を欠いたものだった。


「……ユイリィは、あんまりランディちゃん達と離れたくないんだけど」


「ユイリィおねえちゃん」


 ランディが、その上着の裾を引く。


「助けてあげようよ。力をあわせてがんばろうって、レドさんもゆってたじゃない」


「ランディちゃん……」


 むしろ途方に暮れた面持ちで、ユイリィは唸る。

 さらに、


「そうよユイリィさん! さっきのやつだって一度失敗したばっかりなんだし、そうそういきなりここまで攻めてきたりなんかしないわ!」


「むしろ、今のうちにあのフードの刺客に対抗できる手段を備えたひとを増やせるのは、こちらのチャンスと見るべきですよ。この屋敷が安全になるなら、そのぶん僕達もより安全になります」


「それは…………そうかもだけど」


 ラフィとユーティスの追撃に、さらに圧されるユイリィ。


「ユイリィおねえさん、ふぁいとっ」


「がんば」


「ええ……その、でもね? ユイリィは」


 さらに追撃。

 そして、


「あやしいやつが入ってきても、ユイリィおねえちゃんがすぐにわかるでしょ? ちょっとの間くらい、ぼく達だけでもへいきだって!」


「………………………」


 ――とどめに、ランディからのダメ押し。

 ユイリィは「むぐぅ」と唸り、未練がましく天を仰いだ。


 それでも、天を仰ぎながらも、ユイリィはなお難しい面持ちで黙考を続けていたが――やがて、肩を落として、


「……わかった」


 と、申し出を了承した。完全なる降参の体だった。


「流体聖霊銀ミスリルを含む《L-Ⅵメルリィ》の装備に関して、ユイリィが記録している範囲で情報を提供、併せて対策を提案します。それでいいですか?」


「十分以上だ、ありがたい。すぐにでもお願いしよう――アンリエットは少年少女を部屋へ案内して差し上げてくれ。我々も話が終わり次第、そちらへ移動する」


「承知いたしました。さあ、皆さまどうぞこちらへ」


 はぁい、と声を合わせて応じ、子供たちは先導するアンリエットの後に続く。

 ランディも、ユイリィからクゥを受け取ると、駆け足で彼らの後を追った。


「ユイリィおねえちゃん、また後でね!」


「うん、また後で。気をつけてね、ランディちゃん」


「はーい!」


 脚を止めずに振り返り、めいっぱいの笑顔を広げるランディに。ユイリィは微笑み返し、ちいさく手を振る。


 その花のような微笑みは――どうしてか力なく、精彩を欠いていた。


 ――その背が見えなくなるまで、見送って。

 ユイリィはひっそりと、ちいさな唇を噛んでいた。


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メイド長さん、フルネームは「アンリエット・ニーナナス」です。

自己紹介の際には苗字の方を名乗ってたんですね。


余談ながら、トリンデン卿の従者二人のフルネームは、「パーシュバル・メイザー」「トーマ・ステフ」となります。

せっかく設定したのにどうもこの先出す機会がなさそうなので、ここで書いておこうかと思いました。

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