54.お祝いの壇上へ。《来訪者》たちの登壇です・④


 フード付きの外套と口元を隠す布で顔を隠した何者かが、群衆の壁を割ってランディ達の前へと躍り出る。

 厚手の外套、その袖口からは、くすんだ輝きを放つ広刃の剣が伸びている。


 手甲ガントレットに刃を固定した、『手甲剣』と呼ばれる武器である。

 その切っ先と視線は明確に、威風堂々たる演説の只中にあったトリンデン卿を狙っていた。


「曲者!」


 真っ先に反応したのは、扉の脇に控えていたトリンデン卿の護衛騎士、トーマだった。

 腰に下げた長剣を抜剣し、いち早くフード付きの刺客とトリンデン卿の間に割って入る。


 抜き放ちざまに斜めに斬り上げる一閃を、フード付きは手甲剣の平で滑らせ受け流す。

 だが、そうして初撃をいなすために膝を曲げて態勢を低く構え、突進の脚を止めた僅かな隙を、公爵付きの護衛騎士が見逃すことはない。


 振り上げた抜き打ちから返す刀で、真っ向から斬り下ろす。

 剣に体重と膂力を乗せ、たとえ手甲剣で受けようとその刀身ごと斬り伏せる、剛剣の構えだ。


 受けの手はない。

 仮にこの一撃で仕留められずとも、フード付きが回避して左右か後方に逃れたならば、主君との距離を稼いで体勢を立て直せる。


 ――ぱきんっ!


 澄んだ金属のが、甲高くトーマの耳をろうした。


 刺客は受けも避けもしなかった。

 代わりに刃筋を正しく立て、弧を描くように手甲剣の刃を振り抜いた。


 護衛騎士の剣は、その半ばから先が失われていた。

 折れたのではない。まるで焼けたナイフでバターを切るように、鋼の剣身が易々とのだった。


 驚愕に目を剥くトーマの胴を、フード付きは横薙ぎに蹴り飛ばす。

 胸当ての防御がない腰元を狙ったきゃくあやまたずトーマを捉え、屈強な体躯を軽々と吹き飛ばした。


 群衆の一部を巻き添えに、もんどりうって転がるトーマ。

 持ち主が倒れ伏すのに僅かに遅れて、断ち切られ、高々と宙を舞っていた剣先が、事態を把握できずに固まっていた群衆――その最前列の、足元に落ちる。


「ひっ――」


 息を呑むのは一瞬。

 次の瞬間――絹を裂くような女の悲鳴が上がった。


「きゃあああああ――――――――――――――!!」


「うわっ、うあああぁ―――――――――――――――っ!!」


「ひいああぁっ、助けてくれえええ―――――――――――!!」


 まるでつつみが決壊する様だった。連鎖して悲鳴を上げ、我先にと散り散りで逃げ出そうとする群衆。


 人垣に加わっていた冒険者の中には、トーマの剣が折れたのを見て助太刀に入ろうとする者もいたのだが――彼らは逃げ惑う群衆の波に呑まれて身動きが取れず、完全に出遅れてしまっていた。


 邪魔な護衛を排除したフード付きの切っ先が、トリンデン卿をその射程に捉える。


「――《閃掌光撃レイバレット=フィスト》!」


 ――じゃっ!!!


 鼓膜をつんざく異音と共に。

 今まさに突き出され、その切っ先に公爵を捉えんとしていた刃が、青褪めた閃光に呑まれて失せた。


 青褪めた閃光は、圧縮霊素――純粋魔力によって形成された熱衝撃波だ。

 突き出した剣を、斜め下方からようにして放たれた閃光に圧され、フード付きはたたらを踏む。


 その瞬間――既にその懐まで飛び込んでいたユイリィの姿が視界いっぱいに飛び込み、フード付きはカッと瞠目する。

 手甲剣を折られた右手を力任せに振り下ろすが、ユイリィはその手首を弾き、迎撃の一手を殺す。


 そのまま、振り抜く腕の勢いも乗せて、右足を軸にくるりと旋回するユイリィの体。


「――ふっ!」


「――――――!」


 眼前で向けた背中を盾に間合いを隠し、踵を横薙ぎに叩きつける左足の後ろ回し蹴り。

 頭を狙った踵を、フード付きは大きくのけぞって躱す。その勢いのまま後方へと転がり、後転の要領で素早く立ち上がる。


 熱衝撃波でその半ばから折り飛ばされた広刃の剣、その剣身が庭園の芝に落ち、とすん、と重い音を立てた。


 その頃には、逃げ去る群衆はひととおり連盟支部の前庭から消え去り、場に残った冒険者達がそれぞれの得物を手に、フード付きの刺客を取り囲んでいった。

 また、連盟支部の建屋の中にいた冒険者達もこの頃には異変に気付き、前庭へと飛び出してくる。


「閣下、ご無事ですか!?」


「フライアか……遅いぞ」


「面目ありません。あいつが敵ですね」


 愛用の短槍を構え、刺客へその穂先を向けるフライア。

 その隣に並んだもう一人の女冒険者――ブルーネも、小剣と短槍を一つずつ両手に構え、不敵に笑う。


「冒険者連盟にひとりでカチコミかけるなんて、いい度胸してるよね! 誰だか知らないけど、こてんぱんにのしてやるから!!」


 だが――


「…………………」


 この状況においても、なお。覆面のフード付きは、武器を失った右手を見下ろすだけだった。

 まるで、自分を囲む冒険者達の存在など、端からないもののように。


 やがて。

 覆面に隠した面をゆるりと上げた刺客は、その左手をかざす。

 革の手袋を嵌めたてのひらに、青褪めた光が灯る。


 ユイリィは誰より早く、瞬く間に膨れ上がるその光の正体を悟った。


閃掌レイバレット――」


「みんな伏せて!」


 警告の叫びと同時に、地を蹴って低く這うように距離を詰める。

 トリンデン卿と執事のパーシュバルがランディ達を抱えてその場に伏せ、周りの冒険者達もとっさに伏せて身を護る。


(撃つより先に、左腕を叩いて射線を――)


 ――ずらす。撃たれるものがない上方へ向けて。

 低く、刺客の足元へ飛び込むのと同時に打撃の狙いを定める。

 だがその時、既に。


 刺客は青褪めた光をまとった左手を、高々と天に掲げていた。


 攻撃のためではない。

 霊素の圧縮がまったくなされていない――これは、


「――《光撃フィスト》」


 目の前を腕で覆うユイリィ。

 直後――まるで地上に太陽が降りたような強烈な閃光が、連盟支部の前庭に広がった。


 瞼を瞑り、腕で目を覆って閃光からカメラを護るユイリィの眼前で、刺客が返した踵が砂利を蹴る。


(逃げる……!)


 ――気配が遠ざかる。


(観測対象指定:固有解析・起動スタート/捕捉マーク――!)


 ――駄目だ。追いつかない。捕捉が間に合わない。

 やがて閃光がおさまり、庭園が常態を取り戻した時には、もはや、


 フード付きの刺客の姿は、影も形も残さず消え去っていた。



 刺客が姿を消した後。

 《諸王立冒険者連盟機構》コートフェル支部は案の定と言うべきか、騒然となった。


 一度は算を乱して鼠のように逃げ出した記者達は、安全と分かって戻ってくるなりトリンデン卿と連盟支部へのインタビューをしつこく要請し、そのことごとくが連盟職員達の手でにお帰りいただく運びとなった。


 負傷者や建屋の破壊がほとんどなかったのは、不幸中の幸いと言ってよかっただろう。


 唯一、フード付きの刺客と正面から打ち合って叩き伏せられたトーマはしばらく衝撃と痛みで起き上がれなかったようだが、それでも骨や内臓にまで深刻なダメージはなかったらしい。

 門の外が静かになる頃には彼も回復し、主たるトリンデン卿へ深く頭を垂れていた。


「閣下の護衛騎士の任にありながら、不逞の賊に後れを取りました。面目次第もございません」


「よい、気にするなトーマ。お前をああも易々叩き伏せられるほどの相手となれば、一対一でまともに立ち会える者など、真実数えるほどしかいなかっただろう」


 トリンデン卿は宥めるように静かな声で言い、片膝をついて首を垂れる護衛騎士に面を上げさせた。


「そも、鋼の剣をバターのように切り裂く武器が相手でもあった。向こうが何者かも未だ定かではないが、立ち会って命があっただけでも儲けものというやつだ」


「は……」


 ランディは前庭の、彼らから少し離れた木陰に座って、主従のやりとりをぼんやりと眺めていた。

 さっきまでは、目の前で起こった事態への衝撃で頭がうまく動かなかったり、門の外から物凄い怒声や怒号が響いてくるのが怖かったりしたのだが――静かになった今は全身から、力が抜けて、すっかりくたびれ果ててしまったみたいだった。


「なんだか、すごいことになっちゃったねぇ」


「うん」


 同じ木陰でぽつりぽつりと零すエイミーに、それ以上返す言葉が浮かばない。


「もう、おうち帰りたいねぇ……」


「うん……」


 ユーティスやラフィ、リテークも同じ木陰でめいめい座り込んでいたが、誰が何を言うでもない。リテークは元から口数が少ないので、彼の常態であると言ってしまえばそれまでと言えないこともなかったが。


「ランディちゃん。みんな」


 高いところから、明るい声が降ってきた。

 ユイリィだ。方形のお盆に五人分のカップを乗せて、朗らかにランディ達を見下ろしている。


「飲みものもらってきたよ。はちみつとレモンのジュース。飲むと元気が出るんだって」


「ユイリィおねえちゃん……」


 護衛騎士トーマが退けられた後は謎の刺客と一騎討ちを繰り広げ、騒動の後も職員達を手伝っていたにも関わらず、ユイリィの顔には疲れの色ひとつない。

 機構人形オートマタの面目躍如というところだが、ランディからすれば『すごい』の一言に尽きるというほかない。


 はい、とお盆の高さを下げるユイリィから、ランディは木製のカップを受け取ろうと身を乗り出して手を伸ばし、


「うわっ!」


 その時、身を乗り出すためについていたもう一方の手に、何か冷たいものが触れた。

 びっくりして、体ごと手を引くランディ。それまでぐったりしていたラフィ達が、一斉に振り向く。


「どうしたのランディ! なんかあった!?」


「あ、や。なんかつめたいのが……」


 ぱたぱたと払うように手を振って。指差した先に、はあった。


 それは一言で表現するならば、溶けた銀。あるいは、銀色のスライムのようなものだった。

 液化した銀色の金属が広がって、ちいさな水たまりのようになっていた。

 よくよく見れば、それはひとつだけではない。ぽつぽつと、金属の光沢を宿した水たまりが芝生の上に点在し、緑の隙間から銀色の輝きを放っていた。


「何だろこれ。水銀?」


「水銀……なの? ユーティスくん、見たことあったの?」


「ううん、ないけど。でも常温で液体の金属なんてそれくらいしか」


「――流体聖霊銀ミスリルだね」


 ぽつり、と。

 笑みの消えた、鋭い面持ちで。ユイリィが零した。


 おもむろに面を上げ、声を張り上げる。


「トリンデン卿!」


「む? 何かなユイリィ・クォーツ」


「こっち! 来てください、見ていただきたいものがあります!」


 仮にも公爵を呼びつけようとするユイリィの振る舞いに、傍らの護衛騎士が露骨に眉をひそめたようだったが。

 当のトリンデン卿はいっかな構わず、足取り軽くランディ達が集まっていた木陰までやってきた。


「……これは」


 そしてトリンデン卿も、芝生に散らばる銀色の水たまりに気づいたようだった。


「これは、水銀……のように見えるが。しかし、だとするとそんなものがここに散らばっている理由がわからんな」


「水銀じゃありません。流体聖霊銀ミスリル――魔力を『通す』ことで硬質・形状変化する性質を持った、液状金属です」


聖霊銀ミスリルだと……!?」


 トリンデン卿の目が、驚愕に見開かれた。


 ――聖霊銀ミスリル

 『真なる銀』『聖別されし銀』とも称される、それ自身が魔術的な特性を有する霊性金属のひとつである。

 霊性金属と総称される中でも特に《破邪》の性質を強く有し、聖霊銀ミスリルを打ち鍛えた武器はいにしえより、魔術を払い、悪霊を滅ぼし、使い手の意思に応えて竜の鱗をも裂く聖別の刃たると広く言い伝えられている。


 吟遊詩人の歌によれば、かの《雷光の騎士》シオン・ウィナザードが《果てなる海の嵐竜》の眉間を断ち割った剣もまた、七日七番清めた聖水で聖霊銀ミスリルを打ち鍛えて生み出した、聖なる法力剣であるという。


 なお、当のシオンの言うところによれば、


『実を言うと、あれがどういう剣なのか俺もよく知らないんだよ。師匠から独り立ちの時にもらった剣ってだけで』


 ――と、いうことらしく。

 ランディが知る限り、どうもシオンの剣が聖霊銀ミスリル製だという話は、吟遊詩人たちの創作の疑いが濃厚なしろものみたいではあったのだけれど。


「……そうか。確かにミスリルの刃ならば、鋼の剣を易々と斬り落とせたのも道理ではある」


 トリンデン卿は深く頷き、それからほろ苦く口の端を歪めた。


「だが、そうなると……その刃をあっさりと折ってみせた君の技が、なおさら空恐ろしいものということにもなる訳だが。ユイリィ・クォーツ、君は一体どのようにしてあれほどの力を」


「それは違うの」


 ユイリィは即座に否定した。


「あれはのとは違う。流体聖霊銀ミスリルの形状を決定していた外部霊脈構成が、《閃掌光撃レイバレット=フィスト》の圧縮霊素と干渉・攪乱されたせいで、形状を保てなくなっただけ」


 ユイリィは芝生に散らばる銀の水たまりを見下ろす。


はその結果。構成から弾かれた流体聖霊銀ミスリルが、本来の状態にもどったもの」


「まるで見てきたように言うのだな。よもやだが、君はあの刺客を」


「知ってる。外部霊脈構成――の形成をもってその形状を定める、流体聖霊銀ミスリルの性質を採用した新式機構の運用を前提に開発された、新式マトリクスフレーム。機体開発・機能実験のデータはぜんぶユイリィの中にも入ってる」


「………ならば問おう。彼女は何者か?」


「《L-Ⅵ》。ガルク・トゥバス第五工廠の制作による第三世代型 《機甲人形オートマタ》。

 GTEM513-LⅥ――Lナンバー新式機構運用試験機、《メルリィ・キータイト》」


 淀みなく、ユイリィは答えた。


「ユイリィの。その六番目の機体フレームが――彼女」

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