48.《放蕩貴族》とゆく! 諸王立冒険者連盟機構です!・③


 大陸より東方。

 数百とも数千ともいわれる数多あまたの島嶼が固まり連なるその海域を、《多島海アースシー》と人は呼ぶ。


 神代の終わり、かつて世界に君臨したとされる旧人類――《真人》たちが此処ならぬ果ての異世界へ旅立つとき、彼らはその最後の時を豊かな自然はぐくむこの多島海の島々に降り立ち過ごし、はるかな旅を前にその翼を休めたと、旧き伝承は伝えている。


 伝承の真偽は定かでない。

 しかしその物語を裏づけるように、多島海の島々は旧文明の痕跡――はるかなるいにしえの時代に真人たちが世界へ置き去った遺産、その宝庫であった。


 真人の遺跡は遠き過去の時代に失われた魔法文明を収めた蔵であり、同時にそれらは危険をそのはらにはらんだ迷宮ダンジョンでもあった。


 ゆえにこの地は、冒険者の天地。

 襲い来る危難を払い、暗がりに潜む魔物を討ち、迷宮を踏破して古の財宝と名誉を持ち帰る。


 ある者は夢を。

 ある者は探求を。

 ある者は一獲千金の未来を求めて。


 多島海には冒険者が集い、己が栄光と冒険譚を誇らしく歌いあげ――故にこの地で生まれた子供なら、誰しも一度は冒険者となって世界を渡る夢を見る。

 命知らずの彼らを支え、迷宮踏破を推し進める《諸王立冒険者連盟機構》の組織をもって、未知への探求と冒険を奨励する多島海アースシーは、ゆえにこそ、冒険者の天地と呼ばれて久しい。


 多島海アースシー諸王国の一つにして、多島海最大のルクテシア島に版図を広げる王国――大陸にまでその支部を伸ばす《諸王立冒険者連盟機構》盟主国ルクテシア。

 ランディはこの国で生まれ育った、そしてこの国では誰しもそうであるように未来の冒険に憧れる、ごくごくありふれた八歳の子供。――その、一人だった。



「いかにもその通りである、賢き少年! 私はオルデリス公領の領主にしてコートフェル執政官、フレデリク・ロードリアン・ディル・トリンデン=オルデリス!!」


 ぽかんと口を開けたまま固まっている少年少女を前に、男は胸を張って名乗った。


 即ち彼こそが、ルクテシア王国第三の都市コートフェルをその領都に戴くオルデリス公領の領主にして、ルクテシア島における陸上交通の要衝コートフェルを統べるトリンデン家――その領袖りょうしゅうということである。


 ――そして。

 公爵はゆるりと赤い絨毯から前へと進み出て、ランディ達の前に立った。


「そして今日この日においては、勇敢にして明敏めいびんなる五人の少年少女、未来の冒険者達を《諸王立冒険者連盟機構》へとお連れすべくせ参じる――そのまたとなき名誉をこの一身に預かった、光栄なる一人の男でもあるのだ」


 片膝をついて傅き、深くそのこうべを垂れる。

 騎士の礼を保ったまま、男は顔だけを上げて、ランディ達を見上げた。


「故に、少年少女よ――その小さな体で偉大なる冒険を成し遂げた、未来ある冒険者アドベンチャラー達よ! 諸君の名を、どうかこのフレデリク・ロードリアンにお聞かせいただきたい! その栄誉に浴すること、我が身には叶いますまいか!!」


「えっ!? あ――ゆ、ユーティスです!」


 真っ先に立ち直ったのはユーティスだった。

 男の声に弾かれたように応じ、名前を名乗る。


「ユーティス・クローレンスと申します! ち、父はこの町の長で、あの」


「おお、少年はクローレンス氏の御子息であられたか!」


 男は銅鑼のように響く声を明るくした。


「氏にはかねてより、よくお話を伺っていた! 執政者として優れたる氏には学ぶところ多く、私も同じくコートフェルと公領を統べる一人の執政者として感じ入っている。よもや氏の御子息が、かの偉業を成し遂げし少年少女の一人とは!!」


「は。はい! ええと、光栄です……そのようにトリンデン卿のおぼえめでたいと知れば、父もさぞ喜ぶと」


「うむ。どうか父君にもお伝え願いたい――ではそちらのレディ。貴女の名を伺わせていただいても?」


「へぁ!? あ、らららラフィです! ラフィ・ウィナザード! あたしは、みんなのリーダーで、あと! そこの、宿屋の、娘で! あの!」


「おお、《黄金の林檎》亭! 数多の冒険者が憩いを求めて集う、良き冒険者宿と聞き及んでいる!!」


 男は大仰に驚き、そして何度も重々しく頷いた。


「レディ、貴女はかの名高き冒険者宿の看板娘であられたか――であればこその此度こたびの偉業! 数多の冒険者をよく知る少女なればこそ、未踏の悪路を切り開く先駆けとなられましたか。このフレデリク・ロードリアン、心より敬服いたしました――!」


「そ、そうですかぁ……!?」


 呻くラフィの表情はわかりやすく引き攣っていた。

 目の前の大柄な大人の男に対する困惑と怖れ、手放しで褒められている嬉しさと誇らしさがないまぜになって、理性も情緒もぐちゃぐちゃになっているみたいだった。


「して、そちらにおわすもう一方ひとかたのレディは!?」


「ひぅ!?」


 エイミーは飛び上がらんばかりに竦み上がり、リテークの後ろに隠れてしまった。

 怯える小動物のようなその様子を見て、公爵は再びはっはと声を立てて笑う。


「おおっと、失敬。どうやら恥ずかしがりやの乙女を困らせてしまったようだ。一人の男、一人の騎士として、これは汗顔の至りというもの」


「か、彼女はエイミーです! エイミー・ノーツ……トスカの聖堂に勤める司祭夫婦の娘です!」


 怯えるエイミーを見兼ねてか、ユーティスがフォローに入った。

 公爵は「ほう」と感嘆の唸りを零す。


「ノーツ夫妻といえば、夫婦共に聖堂の司祭位を預かる方と聞き及んでいます。この国に創世の神々を讃える聖堂は数あれど、夫婦共に司祭の位を戴く神の家は決して多くあるものではない」


「そ……そうなん、ですか……?」


 一転、抑えた声で敬意を表する公爵に、エイミーはおずおずと、リテークの背中から顔を覗かせる。


「ええ。良き聖堂に恵まれ、この地の信仰厚き人々は幸いなること――誇らしき方々をご両親に持つ貴女を、フレデリク・ロードリアンは心より羨ましく思います」


「ふぇ……」


 エイミーはまだ目を白黒させていたが、両親を褒められたことだけは正しく伝わったらしい。

 頬を染めて嬉しそうにはにかむエイミーに、公爵は満足げに口の端を吊り上げた。


「して、そのノーツ嬢を背に庇う勇敢な少年よ。君の名を伺いたい!」


「リテーク」


 一切、物怖じすることなく。リテークは名乗った。


「リテーク・ファリダン」


「ファリダン――ファリダンと聞いて私が思い浮かべるのは、このオルデリス領でその腕前随一と謳われる一人の狩人の名だが、もしや少年はその?」


「そのファリダンかは知りません」


 けど、と静かに続ける。


「けど、おれの父ちゃんは森の狩人です」


「であれば、それはまさしくこのフレデリク・ロードリアンが知るファリダンその人のことでしょう。私は未だ氏のご尊顔にまみえたことはありませんが――しかし、我がトリンデン家の狩猟区を管理する管理人ゲームキーパーに弓を習っていた頃、彼がそのように語るのを聞きました」


 公爵は懐かしむように目を細める。


「いずれ機会あらば、是非その弓の冴えを見せていただきたいものです」


「どうも」


 ぺこりと頭を下げるリテークはいっそ素っ気ないくらいの態度だったが、これは単なる彼の常態である。

 どちらかというと、そんなリテークを見守るユーティスやラフィの方が、幼馴染の口の利き方にはらはらしていたみたいだった。


「では、最後となりましたが。少年――君の名を伺わせていただきたい」


「ランディ・ウィナザードです。こっちはユイリィおねえちゃんです」


 結果的に順番が最後になったおかげで、ランディは落ち着いて答えられた。ユイリィのことも併せて紹介するくらいの余裕があった。


「ユイリィ・クォーツです。この前ぶりです」


「え」


「おお……貴女は《双頭蛇竜アンフィスバエナ》の一件の時の」


「ええ!?」


 ランディは驚き目を丸くする。てっきり初対面だとばかり思って、ユイリィのことも紹介したのに。

 ユイリィは「ほら」と人差し指を一本立てて、


「この前の《双頭蛇竜アンフィスバエナ》のとき、ユイリィはシオン達の様子を見てきてほしいってランディちゃんに頼まれたじゃない。それでユイリィ、町長さんとこまで行ったでしょ?」


「あ」


 そう言われて、ようやくランディも思い出した。


 少し前――この町の東にある《ラウグライン大森林》へ、他所から輸送されてきた危険な魔物が逃げ込んでしまうという事件があった。

 その際、兄のシオンは冒険者としての経験と知恵を請われて町長さんの家に向かい、ランディは自分が学校に行っている間、そんなシオンの様子をユイリィに見てきてもらっていたのだ。


 そういえば――というには今更だが。

 確かにその時、トリンデン卿の話も出ていた。


 隼の紋章が入ったマント留めをつけたえらい感じのひとがいたとか、そんな具合の話が。


「そちらの子犬……犬、ですか? こちらは此度、初めてまみえますが」


「この子はクゥちゃんです。ちょっとあって、今日のご用事のついでに《諸王立冒険者連盟機構》へ連れていきたくて」


「ふーむ……」


 公爵は角ばった顎を撫でながら、クゥのことをためつすがめつしていたが。


「……この子犬。犬ではなく、何らかの《幻獣》の類ではありませんか?」


「分かるんですか!?」


 トリンデン卿の慧眼に、思わず声を上げてしまうランディ。ばか、と即座に咎める声が小さく上がるが、もはや手遅れだった。

 自分の失敗に、真っ青になって慌てふためくランディ。そんなランディを見遣り、公爵は力強い口元を好ましげにほころばせた。


「失礼。あらためて、お初にお目にかかるランディ少年。君は私のことなど知るよしもあるまいが――しかしこのフレデリク・ロードリアンは、君のことを以前からよく知っていた」


「え……ぼくを、ですか?」


「そうとも。我が心の友――シオン・ウィナザードの口からね。君という『弟』のことはかねてより聞いていたのだ」


「えっ……うええぇぇ!?」


「こ、公爵さま、シオンさんのお友達だったの!?」


「うむ!」


 驚くランディ達に、公爵は重々しく頷いた。


「いかにもシオン・ウィナザードは我が友。冒険の中で互いに背中を預け、心で繋がった、真の仲間と呼ぶべき朋友なのだ!」


「仲間……!?」


 呻くランディ。では、このひとはむかし冒険者だったのだろうか。

 公爵は思い出を懐かしむ面持ちで遠く空を見つめ、深く息をついた。


「かつて、未だこのフレデリク・ロードリアンが父の後目を継がずにいた頃のこと。私はシオンらと共に三度みたびの冒険に挑み、共に力を合わせてこれを乗り越えた……」


 どこか陶然と語るトリンデン卿の瞳は、空のように深く澄んでいた。


 ランディはその視線の先を追う。真っ青に晴れた、中春ののどかな空――空の青さは深く澄み、そして往々にして、底が抜けているものである。


「それはまさに、未知への探求! 血沸き肉躍る命懸けの冒険! 力を合わせ、数多の困難を打ち破った私達は!――その日より互いの手を取り合い、友と呼びあう仲間となったのだ……!!」


「公爵さま、シオンにいちゃんと冒険したの!?」


しかぁり!!!」


 銅鑼を打ち鳴らしたような大声で答え、公爵は胸のマント留めを拳で叩く。


「故に! たとえ私が冒険より離れ、領地を預かる公爵の地位についた今もなお! 我が心は常に、あの素晴らしき仲間達と共にあるのだ――そう、このフレデリク・ロードリアンは片時たりとも忘れたことはない。あの素晴らしき冒険の日々……仲間達とのあたたかなる語らいの時を……!!」


「いや――ちょっと、ちょっと待ってくださいトリンデン卿!」


 感極かんきわまったように声を昂らせるトリンデン卿に対し、ユーティスが口を挟んだ。

 挟まずにいられなかったという様子だった。


「失礼を承知でお言葉を遮ります。ですが、その……それは変です! 僕たちはシオンさん達の冒険譚をたくさん聞いてきましたけど、でも、トリンデン卿の名が語られる冒険譚は聞いたことがありません……!」


 ひとたび異議を挟んでしまった以上、最後まで言わなければ余計に失礼だと思ったか。ユーティスの声は震えていたが、言葉は止まらなかった。


「ご、ご気分を害されたのでしたら謝ります! もしかしたら僕達の知らない冒険譚があって、その中にトリンデン卿のご活躍があったのかもしれません! ですが、もしトリンデン卿ほどの御方おかたがその名を連ねた冒険なら、吟遊詩人たちが歌として謳わないはずがないと――」


「いや、実にもっともな見解だユーティス少年」


 公爵は気分を害することなく、むしろユーティスの疑義が好ましいとばかりにまなじりを細めた。


「そして、敢えてこの場で詳らかに語らせてもらうならば――私がシオン達と共に挑んだのは、かの有名な『凪の船を巡るみっつの冒険』だ」


「《凪の船》――!?」


 それは《雷光の騎士》シオン・ウィナザードとその仲間達――《渡り鳥》の名で知られた五人の冒険者の物語の中でも、とりわけ有名なひとつ。


 いにしえの先史時代に《真人》達が遺した文明の遺産、そのひとつである《凪の船》――あらゆる風と波を鎮め、凪いだ湖面のごとくなった海をく力を持つ船を巡る、みっつの冒険譚である。


 だが、その冒険譚の中にトリンデン卿の名が現れることはない。

 そんなものがあったなら、その多くが冒険者に憧れ、未来の冒険者たらんと夢見るルクテシアの子供たちである。知らないはずがない。


 ユーティスであれラフィであれ、エイミーやリテークであれ、もちろんランディだって、知らないはずがないのだ。


「少年少女も知っての通り、かの物語に私の名はない。それは吟遊詩人の歌に私の名が出ることなどなきよう、あらかじめとりはからってもらった結果である」


 ――だが、と。

 トリンデン卿はランディを見た。


「あるいはランディ少年であれば、シオンから私の物語を聞かされているかもしれないね。《凪の船》を巡る冒険へ共に挑んだ、一人のの名を。君ならば」


 公爵の言葉をぽかんと聞きながら。

 ランディは頭の中の戸棚を引っ繰り返して、シオンが話してくれた冒険譚を思い返す。


 凪の船……凪の船を巡る冒険。

 そうだ。たしかに自分はそれを知っている。


 あらゆる風と波を鎮める《凪の船》と、


「ああああぁ――――――――――――――――――――――――っ!!!」


 ――思い出した!

 思わず公爵を指差しながら、ランディは叫ぶ。


「謎の放蕩貴族、っ……《謎の放蕩貴族》の、レドさん!?」


「まさしく!!」


 公爵は雄々しく立ち上がり、今にも上着がはちきれんばかりに逞しい胸を張った。

 両腕を広げ、天を仰ぎ、朗々と声を張り上げる!


「我こそはフレデリク・ロードリアン・ディル・トリンデン=オルデリス! オルデリス公領の領主にしてコートフェルを治める執政官! 母ノーザリア・シェリンデンより生を享け、父ドミニコス・アグラムよりその冠を受け継ぎし世子にして後継者! しかして私はそればかりの男ではない。即ち我こそは!!」


「んん!」


 ――と。

 わざとらしい大きな咳払いが響いた。

 朗々たる長広舌ちょうこうぜつをぴたりと止めた公爵は、翼のように雄々しく広げた両腕をそっと下ろすと、自分の後背を振り返る。


 そこには、二人の男性がいた。

 一人は、背筋の伸びた痩身に燕尾服を一分の隙もなく身につけた老紳士。

 もう一人は、板金の胸当てを身につけ腰に剣を下げた一人の若い騎士である。


 二人とも、トリンデン卿の随員ずいいんなのだろう。

 彼らは己が主人たるそのトリンデン卿を、どことなく冷やかな――乾いた眼差しで、じっと見つめていたようだった。


「おお……パーシュバル、トーマ。うむ、どうかしたかな? 二人共」


「旦那様、既に約束の時間まで時がありません。続きのお話は馬車の中で」


「そも、閣下。ここは天下の往来おうらい御座ございます。にも関わらず、まるで劇場の舞台役者がごとき御身おんみ御振舞おふるまい――いかな閣下と言えど、いささか節度を欠いたものではなかろうかと存じます」


「う、うむ! すまぬっ……だがな、もう少しだけ時をくれ。ここからがいちばん大切なところなのだ!!」


 相次ぐ冷やかな諫言かんげんにこころもち口の端を引きつらせ、ぎこちなく言い訳するトリンデン卿。

 ひとまず老紳士と騎士の追求から逃れた彼は、すっ――とその場に座り込む。そうやってランディ達に顔を寄せると、おごそかな小声で囁いた。


「そう――我こそは《謎の放蕩貴族》レド。

 シオンらと共に三つの冒険を乗り越えた、六人目の仲間なのだ……!」


「「「「…………………!」」」」


 それは――

 突如としてランディ達の前に明らかとされた、驚愕の事実であった。


 しかし。

 その、あまりにもこそこそと、二人分の冷たい視線をはばかりながらみみっちく明かされた、事実を前に――


 ランディ達は完全に驚くタイミングを逸し、今更びっくりしなおすなんて器用な真似も到底かなわず――中途半端にたるんだ空気の中で互いの目を見かわすほか、何もできなかったのであった。

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