41.たぶんそれは、とてもとても遠い時代からの《遺産》【中編】


 『ひみつの隠れ家』であるツリーハウスから少し川を上ったところに、ランディ達が『遺跡』と呼んでいる洞窟がある。


 隠れ家がある岸辺から上流へ向かって歩いていくと、川岸はすぐに崖みたいに急な斜面に変わり、川の中を歩かなければ先へ進めなくなる。

 靴の中を水浸しにしながら浅い流れを遡っていくと、ほとんど壁みたいになった斜面にぽっかりと口を開けた、洞窟の入り口がある。

 そこはもともとは何もなかったところなのだが、先月の大雨で土の一部が崩れて、埋まっていた入り口が露出したみたいだった。


 『遺跡』は入口近くこそ普通の洞窟だが、奥へ進むと壁も天井も石造りの通路に変わって、一番奥はドーム状の大きな部屋になっている。

 その部屋をはじめて見た時、学校のクラスでいちばん頭がよくて神話や歴史に詳しいユーティスが、


『ここ、もしかして遺跡なんじゃない?』


 と言い出し、ラフィやランディが諸手を挙げてこの幼馴染の主張に賛同した。

 そういう訳で、件の洞窟をランディ達は『遺跡』と呼ぶようになった。


 それが本物の『遺跡』――かつて世界に君臨したとされる《真人》たちが遺した旧文明の痕跡であるとわかったのは、もう少し後になってからのことだった。



 『遺跡』にやってきたのも、ずいぶん久しぶりな気がしていた。


 思えばこうして足を運ぶのは、はじめて『遺跡』を見つけたとき以来だ。

 その後はといえば――森の中に魔物が逃げ込んだり、そのせいで森の中が立ち入り禁止になったり。果ては魔物退治のために町中がバタバタして、森への立ち入り自体が禁止されたりで、こうして『遺跡』に来ること自体がかなわなかったのだ。


 『遺跡』は入口こそ普通の洞窟だが、奥へ進むにつれて土に塗れていた壁面が石造りのそれへと変わる。さらに壁面自体が僅かに発光し、その光は奥へ奥へといざなうように、ゆっくりと幻想的な明滅を繰り返すのだ。


 やがて、導かれるようにしてたどり着く『遺跡』の最奥。

 そこはドーム状の大きな部屋になっている。

 ここまでの通路と同様、壁面やドーム状の天井がほのかに照らし出すこの部屋は、森へ逃げ込んだ魔物――《双頭蛇竜アンフィスバエナ》という、本来であれば迷宮の深奥にのみ生息する非常に危険な魔物だ――が潜んでいた場所でもある。


 ランディにはさっぱりわからないのだが、この部屋には――正確には、発光する壁面が露わになったあたりから、らしい――『遺跡』が持つ魔力で満ちているのだとか。

 《双頭蛇竜アンフィスバエナ》がこの『遺跡』を仮の巣穴として潜り込んだのも、魔物本来の生息域に近しい魔力を帯びた場所だったからこそ、なのだとか。


「せっかく見つけた『遺跡』なのに、これでお別れかぁ」


 仄かに輝くドーム状の天井を仰ぎ見て、ラフィがぽつりとこぼした。

 それはほんとうに何の気ないただの感想だったのだろうが、ランディは胸を貫かれたように感じて「うぐ」と呻いてしまう。


「あっ――違うわよ!? ランディに怒ってるんじゃないし、嫌味言いたいんでもないから! あたしは名残りを惜しんでるだけで」


「うわー。リーダー最低」


「ううう、うっさい! 陰険メガネは黙ってろっての!!」


「ふ、二人ともケンカしないで……! えっと、ラフィが怒ってるんじゃないのはぼくもわかってるから」


 揶揄する態度のユーティスに噛み付くラフィ。二人の間に割って入って、ランディはとりなす。


 ――もとをただせばこの遺跡は、自分達五人が見つけた『遺跡』だった。

 より厳密に言えば、今日みたいに何の前振りもなく一人で川辺をさかのぼり始めたリテークを追いかけた先で、木のうろみたいにぽっかりと口を開けた『遺跡』の入り口を見つけた。


 この発見に、ランディ達は心を躍らせた。


 ――冒険者の花形、迷宮探索。

 ――しかも、まだ誰も入ったことのない未知の遺跡!

 

 みんなでひとしきりはしゃいだ末、後日のその『遺跡』をこれからどうするのか――自分達でもっと念入りに調べてみるか、コートフェルにある《諸王立冒険者連盟機構》の支部に報せて迷宮の第一発見者として名前を残すか、それともいっそひみつの隠れ家をあの『遺跡』に移してしまうのか。そんなことを決めようとしていた。


 ただ、その矢先に起こった《双頭蛇竜アンフィスバエナ》の一件。

 そのせいでいろんなことがうやむやになってしまい、最終的に「《諸王立冒険者連盟機構》の支部に報せて迷宮の第一発見者として名前を残す」という形で『遺跡』の扱いは落着した。


 そういう形で決着させた――のは、他ならぬ、ランディだった。

 言い換えれば、この『遺跡』の処遇は、ランディ一人の独断で決着したことであったとも言えた。


 そうなったのは、きちんと相談するための時間がなかったせいではあったのだけれど。でも、それがみんなの――とりわけ、遺跡に強くこだわっていたラフィの意思を聞くことなしに行われたことだったのも、また事実だ。

 だが、


「あたしだって、それは……ランディが『遺跡』のこときちんとしようとしてくれたのちゃんとわかってるわよ。だからもうそのことは怒ってないし、なのにそんなビクビクされたらさ。なんか、あたしばっか悪いみたいじゃない……」


「いや、ラフィばっか悪いんでしょ」


「おぅメガネ。もしかしていっぺん本気で決着つけたいのかしら!? いいわよ、あたしはべつに!」


「だからやめてってば! ユートもそんな、意地悪ゆわないであげてよ」


「そうそう。仲良く仲良く」


 さすがにたまりかねてランディが咎めると、ユイリィも間に入ってニコニコと二人を宥めてくれる。ユーティスは「はぁい」と肩をすくめてぼやき、仕方なしとばかりに了解の意を示した。


 どうもユーティスは、ラフィに対して厳しい。

 というより、むしろ「自分以外のみんながラフィに対して甘いのだ」くらいに思っている節がある。


 ただでさえ怒りっぽいラフィの短気に油を注ぐだけなので正直やめてほしいのだけど、ユーティスは言を左右にして自分の正当性を主張するばかり。


 頭のいい幼馴染みにそんな風に立ち回られると、ランディが口で勝てる見込みがさっぱりなくなってしまう。なので、ほんとうにどうにかならないかなぁと前々から思っていたのだ。

 今は、フォローに入ってくれるユイリィの存在が、ただただありがたかった。


「ここ、むかしはどんな迷宮だったのかなぁ……」


 ぽつり、と。

 壁際にごろっと置かれた石のひとつを椅子代わりにしながら、エイミーがぼんやりと、夢見るようにひとりごちる。

 それを聞き留め、ユーティスは待ってましたとばかりに目を輝かせた。


「僕はこの『遺跡』、《迷宮》の類とは違うんじゃないかって推測してるね」


「? どういうこと?」


 気取った物言いをするユーティスに、エイミーは首をかしげる。


「んと、ユーティスくん。ここって『遺跡』なんだよね? 《真人》さんたちの……」


「もちろん『遺跡』さ。でも、《真人》の遺跡ぜんぶが『迷宮』という訳じゃないってこと。

 たとえばだけど、ここは《多島海アースシー》に渡ってきたばかりの《真人》たちが寝起きしてた仮の宿――バンガローとか、森の仮小屋みたいなとこだったかもしれない。それだったら、一部屋しかない『遺跡』でも別におかしなことはないだろ?」


「? ?? えっと……どういうこと?」


 エイミーは疑問符を浮かべる。

 ユーティスは「ふむ」と少し考えて、話を続けた。


「たとえばだけど、エイミーが座ってるその岩」


 ユーティスはエイミーが椅子代わりにしている岩を指差す。


「この部屋は見た感じ、天井や壁に崩れたところはないね。だとしたらその岩は一体どこから来たんだろう? もしかしたらそれは、今エイミーがしているみたいな椅子の代わりにするために、《真人》が運び込んで加工したものかもしれない」


 言いながら、ユーティスはドーム状の広い室内を見渡す。

 エイミーが椅子代わりにしている岩もそうだが――部屋のそこかしこには、どうしてそこにあるのか分からない光る岩の塊や、さらには岩を組んで作ったオブジェみたいなものがあった。

 岩、といっても、どれも表面のでこぼこがなく、人の手で磨いたみたいに見える。


 部屋の一番奥まったところにある岩のオブジェが形作る、庇の下の浅い窪みのようになったところは、この『遺跡』に潜りこんだ《双頭蛇竜アンフィスバエナ》が寝床にしていたところでもあったそうだ。

 今はもう、魔物の討伐後にきれいに片づけられたその場所から、そうした痕跡を伺うことはできなかったが。


 ランディはドームの隅まで歩いていって、ほのかに光る壁に触れてみた。

 やっぱり表面はつるつるしていて、崩れるどころか傷のひとつもない。壁も、天井もそうだ。


 振り返ってユイリィを見ると、彼女はそれで言を察してくれたらしく、一度コクンと頷いた。ユイリィの目――『』でも、この部屋は壊れたところが見当たらないということだ。

 ここが《真人》の遺跡だとしたら、それこそどれくらい昔かもわからないくらい、ずっとずっとむかしに作られた場所のはずなのに。


「仮にだけど――本当にここが生活空間だったとしたら。当時は僕らにとってのベッドやおふとんみたいなものも持ち込んでたろうね。

 でも、それは彼らが《多島海アースシー》を去って『世界の果てのその向こう』へ旅立つ時に持っていってしまって、あとには特に持っていく理由のないベンチ代わりの岩だけが残った。そんな感じの経緯を想像してしまうね、僕は」


「ねえユート。もしそうなんだったら、ちょっと気になることあるんだけど」


「うん? 何かな、ランディ?」


 ユーティスは先生を気取るみたいな調子で、眼鏡をくいっと動かす。


「ユートはここが《真人》の家だった、みたいに言うけどさ……ここ、おトイレもお風呂場もなくない?」


「確かにその通りだ」


 いい質問だ、というように、ユーティスは何度も頷く。


「森の仮小屋って、僕は行ったことないんだけどさ。あくまで狩りで森に入り込んだときに寝起きするためだけの場所だから、お風呂は特に作らないし、トイレも小屋と別に離して簡単なのだけ作るんだって。そういうのは、お父さんが狩人のリテークの方が詳しいと思うけど――」


 ユーティスはくるりと後ろを振り返る。

 そのリテークはといえば、他の皆に背を向けてぼやーっと奥の壁を見つめているばかり。


 その背中は、『遺跡』への名残を惜しんでいるように見えないこともないではなかったが。


「――仮にそうした構造の建物だったとしたら。あくまで推測だけど、真人が使ってたトイレが、この『遺跡』の周りのどこかにあるのかもしれないね」


「《真人》のトイレ!?」


 遥かいにしえの昔。過去の時代に失われた魔法文明をもって世界中に栄えたといわれる《真人》の――トイレ!


「彼らだって生きものなんだし、トイレくらい行ったでしょ。けどまあ、もし彼らのトイレが残っていたとしても、この『遺跡』みたいに周りのどこかで埋まっちゃってるんじゃないかな……つまりね、発掘調査でそうしたものがあるかどうかを確かめて、『遺跡』の正体を推定するのが考古学の」


「長い。蘊蓄うんちく語りはどーでもいいっつの」


 イライラした調子で、ラフィは切って捨てる。


「証拠もないのにぐだぐだくっちゃべってるくらいなら、隠し通路のひとつでも探してみなさいってのよ。メガネはほんっと口ばっかなんだから!」


 ふんぞりかえって「ふん」と鼻を鳴らす。あまりに身も蓋もない言い草に、ランディはどっと脱力しかけた。

 正味、ラフィもラフィでこういう言い方をするから、ユーティスとの間にケンカが絶えないのだと思う。


 ただ、今回は発端になったエイミーもだいぶん苦笑気味にしていて、今の話はあんまりよく分からなかったみたいだった。


 女の子二人の態度に、ユーティスは落胆したように肩を落として「はぁ」と溜息をつく。ブリッジを押し上げて眼鏡の位置を整える彼は、「そんなことだろうと思ったよ」とでも言いたげな力のない横顔をしていた。


 ――ちゃりっ。


「……ぅん?」


 不意に。

 まるで、わずかな沈黙の合間を縫うようにして。何か硬いものを擦り合わせたときのようなが、『遺跡』のドームに反響する。


「ちょっと……なによ、今の」


「みんな、何かした?」


 慎重に周りを見渡すユーティス。

 真っ先に視線が合ったエイミーが慌ててぶんぶんと首を横に振り、リテークものっそり振り返って同様に『否』を示した。


 ――ちゃり。


「また聞こえた!」


「あそこからだね」


 裏返りかけた声を上げるランディ。

 その隣に進み出て、ユイリィが一点を指差す。


 ばっ――と一斉に振り返ったみんなの視線が、その一点に集中する。

 ドームの壁際を飾るオブジェのようなもののひとつ。背の高い光る岩が、折り重なるようにごろりと固まったその場所。


 息を殺して耳をそばだてていると――「ちゃりっ」という三度目の音が、その岩の陰から聞こえた。

 不意にランディは、それをではないかと思った。


 同時に、ひとつの名前が電撃のように脳裏を走る。


 ――《双頭蛇竜アンフィスバエナ》。

 尾の先にもう一つの頭を持ち、二つの頭から毒の吐息ブレスを吐く魔物――!


「や、やだ……もしかして、魔物……っ?」


「バカ言わないでよエイミー! 魔物なんてとっくにシオンさん達が――」


 怯えて縮こまるエイミー。後ずさりながら声を荒げるラフィ。

 ランディは我知らず――怯える二人を庇うように、靴底を擦るような擦り足で前へと進み出ていた。


 ちゃりっ。ちゃりっ――


 川辺の小石を擦り合わせるような、軽い足音を立てながら。


 は物陰から、ランディ達の前へと姿を現す。 


 抱えるほどのちいさな体。

 ふかふかの白い毛並み。あんまり長くない手足。


 形よく伸びた口吻、斜め後ろに伸びたぴんと長い耳、くりっとした黒い瞳――やっぱりふかふかのしっぽ。


 ――それは、


「……犬さんだ―――――――っ!!!」


 ぱあぁっ……!

 と、笑顔を咲かせたエイミーが、エメラルドの大きな瞳を輝かせて叫んだ。


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