37.ある日、人形少女が《着替え》をもらうだけの話【後編】


 ソースをかけて食べる肉団子は、最高においしかった。やっぱり肉団子は最高。


 焼いたパンに、やはり焼いたハムととろとろのチーズをのせたのも――パラッとさりげなくかけた胡椒がきいたアツアツのチーズと肉汁がしたたるハム、カリカリのパンが口の中いっぱいに広がって、手が止まらないおいしさ。


 しかも、お昼時に散々待たされたぶんの空腹が最高の調味料となって、その美味しさへさらなる美味を上乗せする。ランディは夢中になってむしゃぶりついた。

 一方、テーブルを挟んでランディの斜め前の椅子に座ったアトリおばさんは、早々に自分の昼食を済ませた後は、そんなランディの様子を頬杖をついて眺めては、嬉しそうにまなじりを緩めていた。

 程なくお昼ごはんを完食し、ランディは心から満足の息をついた。


「ごちそうさまでしたぁ……!」


「はい、おそまつさまでした」


 牛乳で口の中のモノを飲み干してすっかり充たされたランディに、アトリおばさんは声を弾ませて応じる。


「それから、これ。デザートの焼きマシュマロ」


「わ。やった!」


 ランディが食べ終わりそうなタイミングを見計らって予め用意しておいた焼きマシュマロだ。鉄串に刺して竈の火であぶったそれを串ごと受け取ると、ランディは横あいから慎重に歯を立てて、とろっととろけそうなマシュマロを、千切っていった。

 口の中ではふはふと空気を当てて冷ます間に――そうしないと、熱いマシュマロでうっかり口の中を火傷してしまいそうだ――痺れるような甘味と一緒に、砂糖の芳醇な香りが口いっぱいに膨れ上がって内側から鼻孔を刺す。

 ランディはたまらないというように頬を緩ませ、幸せいっぱいにひとりごちる。


「おいしいー……!」


「マシュマロ足りなかったら言ってちょうだい。また焼いてあげるから」


「ありがと、アトリおばさん! マシュマロもういっこ焼いてもらってもいい!?」


 アトリおばさんは満面の笑顔で、「あらあら」と頬に手が当てる。


「ランディくんったら気が早いんだから……もちろんいいわよ。でも、ちゃんと残さず食べてちょうだいね?」


「はぁい! もっちろん!」


 弾んだ声を上げたランディは、まず目の前の焼きマシュマロをいただくことに専念する。

 ちょっと冷めてきた焼きマシュマロはちょうど食べやすくなっていて、食むたび口の中いっぱいに広がる甘さでほっぺたが落ちてしまいそう。

 兄のシオンはコーヒーに溶かして少しずつ食べるのが好きだと言っていたけれど、やはり焼きマシュマロこそがマシュマロの王道。ランディはそう信じていた。


 学校の行事で行ったキャンプでも、みんなでマシュマロを焼いて食べた。

 夜に焚火を囲んでみんなで焼いたマシュマロの想い出は、澄んだ夜の空気や焚火の臭いを伴って、いつだって鮮やかに瞼の裏へ描き出せる。

 あんな素晴らしい夜はきっとこの先の人生でだってそう何度も訪れることはないにちがいない。

 痺れるような甘さが想起させる思い出に浸って、静かに気取った息をつく。

 ふと――その時になって、ランディは気づいた。


「アトリおばさぁん」


「はーい、なあにぃ?」


 ランディの呼びかけに、台所の竈で追加のマシュマロを焼いていたアトリおばさんの声が応じる。


「ユイリィおねえちゃんにもマシュマロあげたいんだけど、ユイリィおねえちゃんずっと戻ってきてないよねぇ?」


 少しの沈黙を挟んで。

 マシュマロを刺した鉄串を両手に持って、アトリおばさんはぱたぱたと台所から戻ってきた。


「……そういえば、そうね。どうしたのかしら」


 食卓の席――ユイリィがいつも使っているランディの対面は、空席だった。

 ユイリィは、アトリおばさんに着せられたセイラーズ・ドレス姿で昼食の席についていたのだが、彼女は早々に自分の昼食を終えるなり席を外していた。

 日頃あまりそういうことをしない――いつもならランディのご飯が終わるまで、今日のアトリおばさんがそうしているみたいに一緒に食卓のテーブルを囲んでくれる――のでちょっと不思議に思ったのだが、その時はそういうこともあるかなと思ってあまり気にしなかった。


 けれど、あれからランディのお昼ごはんが終わるくらいの時間が経ったのに、ユイリィはいっこうに戻ってくる様子がない。

 何かやり残しの家事を片づけているのかなとも思ったけど、もし本当にそうならユイリィはきちんと何か言い置いていく。まだそれほど長く一緒にいる訳ではないけれど――ユイリィがそういうお姉さんだということを、ランディは子供なりに理解していた。


「ぼく、ユイリィおねえちゃんさがしてきます」


「あ、ランディくん。私も一緒に」


「アトリおばさんはマシュマロおねがいします! ぼくのとユイリィおねえちゃんのぶん!」


 ランディはぴょんと椅子から飛び降り、勢いをそのままに部屋から廊下へ飛び出した。


 探してくる、と言っても所詮は家の中である。それほど多く心当たりがある訳でもない。

 だが、いくつか心当たりはあったにも関わらず迷わず二階へ駆けあがったのは、何かしら予感めいたものがあったのかもしれない。


 玄関横の階段を上がった二階は、狭い廊下に扉がみっつ並んでいる。いちばん手前が兄・シオンの部屋、真ん中がランディの部屋、そして一番奥が客間――今はそこがユイリィの部屋ということになっている。

 一番奥の扉までぱたぱたと走っていき、ドアノブを捻って開ける。


「ユイリィおねえちゃん、いるー?」


「えっ?」


 いた。

 だが、何の気になしに入室したランディの目の前にあったのは、思いもかけない光景だった。


 きれいなドレスを身につけたお姫さまが、姿見の鏡の前に立っていた。

 振り返った彼女は若草色の瞳をまんまるにして、びっくりしたみたいにぽかんとランディを見つめ返していた。


 スカートの裾が長い、色とりどりのビーズで飾った長衣ガウンだった。

 細く絞った腰の細さと対照的に、胸元はふんわりと柔らかく膨らんで、どちらも可憐なレースで飾っている。

 いつもは三つ編みにしている翡翠色の長い髪は、首の後ろで大きなシニヨンにまとめて、透けるようなレースの髪飾りで飾っていた。


 見慣れた部屋の中で、まるで鏡の前だけが別の世界みたいにキラキラと輝いていた。

 ぽかんと口を開けたまま、ランディは呆けたように少女を見つめる。


 見たこともない姿のユイリィが、そこにいた。


「ユイリィおねえちゃん、おっぱいおっきくなってる……」


「あ、これ? これは詰め物してるだけ」


「じゃなくて! そうじゃなくて、どうしたのその服!?」


 思ったことがうっかりそのまま口をついて出てしまった。慌てて言い直したランディは、ぱたぱたとユイリィに駆け寄っていく。

 ユイリィは自分の格好を見下ろし、いくぶんぎこちなく「ああ」と唸った。

 

「これはアトリが持ってきた長持に入ってたの。たぶん、お祭りみたいなときに着るやつ」


「へぇー!」


 そういえば年に一度のお祭りの夜は、ラフィやエイミーもいつもと違う、華やかな晴れ着を着ていた。

 フリスだけはどうしてかそういったものに縁がなくて、ランディは内心ちょっとだけがっかりしたりもしていたのだが。


「試しに着ただけだから。すぐ着替えるし、ランディちゃんおへやの外で待っててくれる?」


「え。どうして? それすっごく似合ってるよ。ユイリィおねえちゃんお姫様みたい!」


 あと、エイミーが喜びそう。幼馴染みの彼女は、お姫様とかキラキラしたかわいいものが好きだから。

 ランディの素直な賞賛に、ユイリィは微笑んだ。やっぱり、どこかぎこちなく、


「ありがとう、嬉しいな。――けど、お姫さまっていうのかな、これは……なんていうんだろうね」


「あらあらあらあらあら」


 開け放した扉の所に、アトリおばさんが立っていた。いつの間にか。

 頬を染め、目を輝かせるアトリおばさんに気づいて、ユイリィがちいさく「うげ」と呻くのが聞こえた。


「まあまあユイリィちゃんとっても素敵! よく似合ってるわ!」


「あ、うん。どうも」


「やっぱりそれ着てみたかったんじゃない! もう、素直に言ってくれたら着付けのお手伝いしてあげられたのに――それ着るの大変じゃなかった? 背中の方とかふつう一人じゃ無理でしょう? それに着方だって」


「ユイリィは肩の可動域が広いからへいき。着方は――前に、似たようなの着てたことあるから」


「そうなの?」


 ランディは思わず問い返していた。何がどうという訳ではなかったはずだが、ただ、意外に感じた。


「文化圏が近いんだと思う。このデザインそのものではないけれど、似ているところから類推できるくらいには。こういうの着ていくこと、時々だけどあったんだ。わたしがまだおじーちゃんといた頃に――」


 ユイリィは目を伏せた。

 僅かに言葉を切った彼女は、ふと遠くを見るような目をして、そして続ける。


「……たぶん、そういうこと。そういうことなんだと、思う」


「ユイリィちゃん」


 アトリおばさんが呼び掛けた。


「そのガウン、あなたにあげるわ。他の服と一緒に」


「……これは、普段使いには」


「向かないのは分かってるわ。でも、お祭りみたいなハレの日に着るドレスなら、一着くらいあってもいいでしょう?」


「……それは」


「フリスちゃんはそういうのに縁がなかったけれど、あなたは違うでしょう?」


 それに、と。アトリおばさんはふとランディを見た。


「ランディくん。お祭りの夜にフリスちゃんがいつもと同じ格好だったの、ちょっとガッカリしてたでしょ」


「うぇ!?」


 ばれてた。だからどうということでもないはずなのに。ランディは急に恥ずかしくなる。


「あ、えと――アトリおばさん! それはぼく、違くて!!」


「着てほしい、とまでいうつもりはないわ。もちろん、そうしてくれたら嬉しいけれど――ユイリィちゃんがそうしたくなったときに着てくれたら、それでいいの」


 喚くランディの頭をぽんぽんと撫でて宥めながら、アトリはユイリィへと言う。


「もしそんな日が来た時に、いつでも手の届く場所にそれがあれば、慌てることも諦めることもなくいられる。そういう風に、思ってもらえないかしら」


「……………………」


 ユイリィの黙考は長引いた。

 どこか困ったみたいに強張った面持ちで、長く躊躇い――


「……わかった」


 踏ん切りをつけるように一度頷き、ユイリィは降参だと言わんばかりに肩を落とした。

 力のない笑みを浮かべて、アトリおばさんを見る。


「アトリがそれで構わないなら、ユイリィはいただきます」


「うん。ありがとう!」


 両手を軽やかに打ち合わせ、アトリは少女のように微笑んだ。



 その後――

 長持におさめてあった服をひととおり着せて(暇になったので宿題したり自分ひとりでできる家事を片付けたりしていたランディは、着替えが終わるたびに呼び出されて、新しい服に着替えたユイリィの感想を求められた)、夕飯の支度まで引き受けてから、アトリおばさんはすっかり暗くなった頃合いにウィナザード家を辞した。

 三軒分ほど離れたお隣の家にアトリおばさんが帰るまで外で見送ってから、彼女が用意してくれた夕食をいただき、寝支度に入った。


「アトリおばさんのごはん、おいしかったね」


「そうだね。今度レシピを教えてもらおうかな」


 歯を磨いて、灯りを消して。寝間着に着替えて、二人でベッドに入る。

 珍しいことに、お風呂に入るようにとは言われなかった。お風呂嫌いのランディには都合がよかったので、敢えて藪をつつくようなことは言わずにいたが――どうやらユイリィは、ランディにそうさせることを忘れてしまっていたらしい。

 彼女がそれを思い出したのは、ベッドに入ってすぐのことだった。


「ランディちゃん、お風呂」


「明日はいる。今日はもうねむいし」


「……わかった。じゃあ、今日はしかたないね」


 ユイリィはあっさりと引いてくれた。珍しい。

 思えば昼にきれいな長衣ガウンを着ていたあたりから、今日のユイリィはぼんやりしていることが多かった。アトリおばさんが夕食の支度を申し出てくれたのも、もしかしたらそのせいだったのかもしれない。


「ね、ユイリィおねえちゃん」


「なに?」


「ユイリィおねえちゃんって、おじいちゃんといたころはどんなとこに住んでたの?」


「……《大陸》の国だよ」


 《機甲人形》は、《大陸》の魔術師が造る機械仕掛けの人形だ。

 友達の中でいちばん頭がいいユーティスが、確かそんなことを言っていた。


「寒い国でね。ふつうの人が外で働くとすぐに凍えちゃってたいへんだから、代わりにユイリィみたいな《人形》がたくさんいて、ひとの代わりに働いてたの」


「寒いってどれくらい?」


「ランディちゃんは、雪を見たことはある?」


「去年のはじめに、一回だけ」


 おはなしの中でしか見たことがなかった『雪』というものを、ランディはそのとき生まれて初めて見た。

 雪だるまを作ったり、雪玉を作ってユーティス達と投げ合ったりした。

 と言っても、降った雪が少なかったせいで雪だるまは泥が混じっておはなしの挿絵みたいに真っ白にはならなかったし、雪玉は水っぽくてべちゃべちゃなうえに固くて、当たるとめちゃくちゃ痛かった。おまけにせっかく作った土混じりの雪だるまも、次の日の朝にはすっかり溶けて水になってしまった。

 もっと沢山降ったらよかったのに――とガッカリしたし、それ以上に、雪だるまが溶けてしまったのが悲しかった。この先同じように雪が降っても、また同じように雪だるまを作ろうと思えるかは、微妙なところだった。


「ユイリィの生まれた国は、一年のほとんどが一面の雪だったよ。窓の外は毎日真っ白。都市から出るとどこまでも雪で、遠くの方の森も、ずっと白い帽子をかぶってた」


「え。なにそれ、すごい! そんなに雪あったら雪だるま作り放題じゃん、いいなぁー……!」


 ランディが目を輝かせる様に口の端を緩めて、ユイリィは彼を胸の中に抱き寄せた。


「とっても寒い国だったよ。あんまり寒いから、雪がいっぱいあっても雪だるまを作るひとはあんまりいなかったかな。家の中やストーブの前で、あったかくしてるほうがよかったみたい」


「ええ……なにそれ、もったいない……」


 そんなに雪があったら雪だるまどころか、かまくらだって雪像だって、本の中で見たものなんだって作れるのに。

 去年のはじめに雪が降ったとき、材料不足で作れないまま涙を飲んで諦めるしかなかったものが、一体どれだけあったことか。


「そうだねぇ」


 抱き寄せたランディの頭を、ユイリィは優しく撫でる。


「でも、仕方ないんだよ。とってもとっても、寒いからね……」


「もったいないなー……ぼく、大きくなって冒険者になったら、ユイリィおねえちゃんの国にも行ってみたい」


 そして、目の前いっぱいの雪をざくざく集めて、でっかい雪だるまを作る。他にも、かまくらとか雪像とか、あと北の国で作るという氷の家なんかも作ってみたい。

 寒いところだと何もしないでも氷が解けないから、氷をレンガみたいにして家を建てられるのだという。すごい。一度この目で見てみたいし、できれば作ってみたい。


 そんな未来を思い描きながら、ランディはいつの間にか眠っていた。


 その夜は、ユイリィやシオンや友達と行く、真っ白な雪国の夢を見た。



「――儂は、誤ちを犯したのだ」


 最後の、眠りの日。三年前。

 液化霊晶ジェムを通して青褪め、円筒の硝子を介した歪んだ視界の先で、一人の枯れた老爺が彼女を見上げていた。


「誤ちの末にお前を造り上げた。儂の後悔と、弱さがお前を造った。それは決してお前の咎ではない――だが、ユイリィ」


 暗い、暗い、床のあちこちにものが溢れた、狭く閉ざされた地下の一室だった。

 液化霊晶ジェムそのものが光源となって、暗がりの中に老爺の姿を朧に照らし出していた。開け放した天井の入り口――梯子が伸びるその先から明るい光が差し込んで、木漏れ日のように切り取られた光が落ちていた。

 だが、それらとは関係なく。

 彼女はただ、「暗い」と感じていた。


「だから、なのだ。お前にはこの新しい土地で、儂の過ちに縛られることのない、新しい役割を得てほしい。我がの孫娘」


 いいや、と。老人はかぶりを振った。


「LⅩ――我が手が生み落とした最後の《機甲人形オートマタ》。もはやこの先、儂がお前の後継を送り出すことはない」


 老爺が歩み寄り、操作盤のスイッチを押す。

 やめて、と訴えたかった。おいていかないで、と彼を呼びたかった。

 だってわたしはそんなの知らない。わたしは、


 わたしは、あなたの、


 だが、それは叶わない。封印処理を施され、眠りにつくだけの《機甲人形オートマタ》には、もはやその身を稼働せしめる一切の権限が存在しない。最後に与えられた命令が、少女の今と未来を縛る。


 防盾シャッターが降り、目の前が壁に閉ざされる。


 目の前が暗く閉ざされたその瞬間、少女の意識もまた途絶えた。



【ある日、人形少女が《着替え》をもらうだけの話・了】


――――――――――――――――――――――――――――

「セイラーズ・ドレス=セーラー服」くらいのイメージで、どうかひとつ。


もし何かしら気に入っていただけたところがありましたら、評価やフォローをいただけると嬉しいです。励みになります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る