34.epilogue:きっとこのときが、ほんとうの《はじまり》の日


 ――それから。


 冒険の支度が整い、シオン達が旅立つまでの十日と少しの間。

 その限られた残り時間が穏やかに終わらなかったのは、主にランディの失言に起因するものだった。

 より具体的に言えば、シオンとフリス、その仲間達が家に泊まって《果てなる海の嵐竜》討伐の冒険譚を語ってくれるという話を、うっかり友人たちのまえでこぼしてしまったせいだった。


「なにそれ、あたしも聞きたい!」


 真っ先に身を乗り出したのは従姉妹のラフィだったが、ユーティスやエイミー、果ては始終ぼーっとしていて自己主張というものに縁がないにリテークまで詰め寄られてしまい、結局ランディは両手を挙げて降伏するしかなかった。


 急遽、ランディの家でお泊り会の予定が決まった。

 シオンとフリス、ビアンカ、ジーナス、ロニオン。ラフィ、ユーティス、エイミー、リテーク、そしてユイリィにランディ。


「いや、無茶だろこれ」


 シオンは匙を投げた。

 この大人数すべてを真っ当に客としてもてなすのは早々に諦め、客室の床一面に布団と毛布を敷き詰めると、全員まとめて一部屋に押し込んだ。


 ラフィ達は去年学校の行事で行ったキャンプみたいだとみんなしてはしゃいでいたし、ランディもわくわくしていた。もっともシオンの方は、そんなランディ達の反応に目を丸くして、なんだかなぁとばかりに苦笑していたようだった。


 この人数の食事を用意するとなれば材料の手配からして大事おおごとで、ユイリィやフリスの手を借りて作った料理もシオン曰く『いつもよりだいぶん雑な』メニューだった。

 が、これもキャンプみたいだと好評だったし、ジーナスやロニオンなんかはランディ達と調子を合わせて騒いですらいた。

 そうした経緯を経て――結局二日目の日が暮れる頃には、シオンも家の中の秩序を保つことを完全に諦めた。


 昼は食事の支度や掃除洗濯を手伝い、学校からたっぷり出された宿題を片付ける。

 そして夜になればみんなでひとつの部屋に寄り集まって、シオン達の冒険の物語に――ジーナスがいつかに言ったところの、『最高にイカした冒険譚』に――耳を傾ける。


 かっこよくて『イカした』冒険の物語は、けど、吟遊詩人が歌にしたそれには一節だってなかったかっこよくないこともおかしなこともたっぷりあって、ラフィなんかは時々、夢を壊されてショックを受けたみたいに表情をこわばらせていた。


 けど、それでも彼らの冒険はやっぱりかっこよくて。

 まるでおはなしの中の、正義の冒険者の物語のようで。


 学校の再開が迫り、二重の意味でハラハラしながら聞いていた冒険の物語は――翌日から登校という日の夜にとうとう《果てなる海の嵐竜》を討ち倒し、大団円のハッピーエンドで幕を下ろした。


「――それから後の俺がどうしたかは、ランディやみんなが知っての通り」


 シオンがまた冒険に出ることを、この頃にはみんなが知っていた。

 ラフィやユーティス達だけでなく、町長さんやお隣のアトリおばさん、町のみんなが知っていた。

 役場で会計を担当しているえらいおじさんが真っ青な顔で上がり込んでシオンを引き留めに来たときは、一体何があったのかと思った。


「――いえ、そうではないんです。あの時の一件とは何も関係ないんです」


「気分を害したとか、そんな理由で町を出るんじゃありません。町長にお伝えしたとおりの理由です。本当にそれだけなんです」


「やるべきことを終えたら帰ってきます。その間――は、その、俺の代わりはこちらのユイリィさんが。彼女はとても頼りになります」


「薬師も頼れる方に代わりをお願いしています。そちらは今日明日に着くという訳にはいきませんから、しばらくはコートフェルの医師せんせいにもお願いすることになりますけど――ですけど、そちらもきちんと俺の方で話をとりつけますから」


 五体投地して泣き喚く大人を、ランディは生まれて初めて見た。

 そんな大人を前にして、いつだって頼もしい兄が言葉を尽くしながらも完全に途方に暮れていた様も、生まれて初めて見た。


 シオンの言う、『きちんとしていかきゃいけないこと』が一体何だったのか。

 言葉で聞いただけのときにはぼんやりしていたそれが、その時になって初めて実感として形を持ったように思った。もしかしたら違うかもしれないけれど、たぶんこういうことなんだろうなぁと、ある種の教訓としてランディの胸に深く刻まれた。


 ――そして、



「じゃあ、行ってくるから」


 《双頭蛇竜アンフィスバエナ》の一件に伴って安全のため休校していた学校が再開してから、数日が過ぎたある五月の朝。

 シオンの、旅立ちの朝が来た。


 早朝。ランディの家の玄関に、シオンとフリス、そしてビアンカ達の姿があった。

 みんなすっかり旅装と旅支度を整えて、見送りに出たランディと、それから少し後ろに控えるユイリィとに向かい合っていた。


「弟クン」


 ビアンカが前に進み出て、ランディの前でちょこんと膝を折って視線の高さを合わせる。

 少しざらざらする肉球つきのてのひらが、ランディの頭をぽふぽふと撫でてきた。


「おにいさん、しばらく借りてくわね。でも、何があっても必ずきちんと返すから。約束」

「はい。あの……にいちゃんのことよろしくおねがいします。にいちゃんずっと冒険行ってなかったし、だから、その」


 何て言ったらいいかわからなくなってもじもじと口籠るランディをニコニコしながら見ていたビアンカだが、ふと首をねじってシオンを振り仰いだ。


「ねぇシオン。やっぱりこの子連れてっちゃダメぇ?」


「甘えた声出しても駄目だ。それだけは断固認めないって今日まで何度も言ったよな?」


 口元を引きつらせて唸るシオンに、「だってぇ」と駄々をこねる。


「かわいいんだもぉん! お泊りの時みたいに夜だっこして寝たぁい、よく眠れるしぃ!」


「ビアンカ……」


「ッとに、このショタケモはよぉ……ホント、マジで」


 嘆息するシオン。うんざりと呻くジーナス。

 ランディもさすがにちょっと困った顔になる――お泊りのときにやられてだいぶん恥ずかしかったやつだ。おまけに結構強い力で抱き締められるので、時々苦しかったやつ。

 あと、件のお泊りが終わったくらいの頃からラフィにちょくちょくからかいの種にされていて、困っているやつでもある。


 ビアンカはそれでもだいぶん長い時間、名残惜し気にしていたが。最後には致し方なしとばかりに溜息をついて、退いた。

 ただ、最後にランディを力いっぱいぎゅっとしてきて、そのハグはやっぱり力が強くて苦しくて、あとほっぺたに当たる毛並みがとてもフカフカしていた。


「といいますかねぇ皆さん。旅立ちが静かになるようにとこの朝早くから出発しようっていうのに、こんなゆっくりしてていいんですか? 乗合馬車の時間もありますし、いい加減、出発しません?」


「うッせ、生臭坊主。空気読めや。黙ってろ」


「そーよそーよ。ロニオン空気読みなさいよ」


「えぇー……私が悪いんですかこれ? そんなバカなぁ……」


 釈然としない様子のロニオン。シオンは頭痛を覚えたみたいな顔でこめかみを抑えながら、「はぁ――――っ」と朝からどっと疲れた息をつく。

 それから、表情を切り替えてユイリィを見た。


「あらためて――ですけど、ユイリィさん。俺が戻るまでの間、ランディのことお願いします」


「まかせて。お風呂とたまねぎ、ちゃんとするからね」


「いえ、それはもちろんありがたいんですけど。もう少しこう、全般的な感じの」


「冗談です。もちろん了解だよ」


「……俺も、なるべくまめに帰ってくるようにするんで。あと、何かあったら《諸王立冒険者連盟機構》を通して郵便を出してください」


「わかってるよ。ユイリィそれ昨日も聞いた」


「確かにそうですが。まあ最後に念押しというか、念のためというか」


「ほんと、シオンはいちいちこまかいね」


 ユイリィは微笑んで言い返し、じっとシオンを見た。

 無言のうちに激しく視線がぶつかり合うこと数秒。シオンはランディへと視線を向け、あらためて言葉をつづけた。 


「…………ランディ、何か困ったことあったら郵便屋さんにお願いして《諸王立冒険者連盟機構》に手紙出しな。そしたら俺のとこまでちゃんと届くし、俺すぐに飛んで帰ってくるから」


「いや、だいじょうぶだって! シオンにいちゃん心配しすぎ!」


「ええ……うん……そうか? そっかぁ……」


「ランディ、ちゃんっ」


 そうかなぁ――と、まだちょっと不安そうにしているシオンを他所に、フリスが前に進み出た。ビアンカが横に退いて開けたランディの正面で両ひざをついて、真っ直ぐに向かい合う。

 冬の空色をした長い前髪の下。上気してほのかに朱を散らした頬の上。

 ネコみたいな金色のきれいな瞳が、今にもおでこがくっつきそうな距離でやわらかく微笑んでいた。とても幸せそうに。


「あの……いって、くる。ね? わたしたち」


「うん」


「ランディちゃんが、好き、ってゆってくれた、肉団子のシチュー……ユイリィさんにね、作り方……覚え、て、もらった。から」


「うん」


「いつでも、ね? 食べられる。よ。いつでも。毎日でも……へいき」


「……うん」


 ――旅立ちの準備が終わるまでに、学校が再開してから数日。

 その前のお泊りの間も含めれば半月近くもかかったのは、町で薬屋をしていたフリスの存在が理由らしかった。

 次の薬屋さんが来るまでの間の、常備薬の準備。

 持病で通っているひとたちについて、街の医師せんせいへの引継ぎ。

 注文されていた《附術工芸品アーティファクト》の仕上げ。

 他にも、いろいろ。


「あの――」


「ランディ、ちゃんっ!」


 フリスは膝立ちになって、ランディの体を胸に抱きしめた。


「ありが、とう……」


「………………」


「おみやげ、いっぱい持って、帰る。……から」


「……………………」


「いってくる。ね。いって、きますっ……」


「…………うん」


 ――フリスは旅立ちの朝でもやっぱりへなちょこで。抱きしめる腕は細くて、ビアンカのそれと違ってちっとも力なんか入ってなくって。

 こんなにかよわくて、ほんとうにシオンにいちゃんたちと冒険なんてやってけるのかな――なんて余計なことまで思ってしまうくらい、ひ弱で優しい抱擁だったのに。


 なのにどうしてか、ビアンカに抱きしめられたときもよりも、ずっと、


 胸が痛くて、息が苦しい。


 体を離したとき、どうしても顔を上げられなかったランディの目に、フリスの足元が飛び込んできた。

 いつもの靴とは違う、今まで見たことのなかった頑丈そうなブーツ。

 ちょっと古ぼけていて、けれど、とてもたいせつに手入れされてきたものみたいだった。そうなのだと、その一瞬で理解した――分かってしまった、から。


 ランディは顔を上げて、夜に眠るとき何度も聞かせてもらったおはなしの五人――今日旅立つ冒険者達を見渡した。

 ロニオン。ジーナス。ビアンカ。シオン。フリス――最後にフリスを見るのは何だかおかしい気がして、躊躇われて、もう一度シオンを見上げる。


「いってらっしゃい。シオンにいちゃん!」


「ああ。行ってくる」


 最後にもう一度だけ。髪がくしゃくしゃになるくらい強くランディの頭を撫でて。

 素晴らしい仲間達と共に、シオンは旅立っていった。



「……いいの?」


 時折振り返って、大きく手を振る弟を見るシオン。そんな彼に向けて、ビアンカは問いかけた。


「あなたを引っ張り出した私が今更だとは思うけど……もし本当に気が進まないんだったら、今からでも」


「あいつに言わせるとさ」


 手を振る弟を見つめながら、シオンは答えた。


「俺は、『正義の冒険者』なんだそうだ」


「正義の……」


「笑っちゃうだろ? 俺は――俺はさ、そんな冒険者ものだったことなんて、そんなものであろうとしたことだって、これまで一度もありゃしなかったのにな」


 自分はそんなたいそうなものじゃない。

 栄誉と財宝を求めて迷宮へ潜り、その力を認められて多くの魔物を討った。

 他にできることがなかったからそうして、ただ仲間との冒険が楽しかったというだけでそれを続けていた。ただ、それだけのもの。


「けどランディにとってはそうなんだ。なら、俺はそうなろうと思う」


 弟の期待を放り出して、今更やっぱり一人で帰る、なんてことは。

 そんな格好悪い真似は、『』のやることじゃない。


「どうあれ俺は、ランディを置いて冒険に出ちまったんだから――せめてそれくらいできなきゃ帳尻が合わない。そうだろ?」


「ええ……そうね。そうかもね、確かに」


 ビアンカは小さく笑った。フリスやジーナス、ロニオンも、また。


「なら、私たちも弟クンの『正義の冒険者』らしく、心機一転頑張りましょうか。ね!」


「うわメンドくせ……ショタケモ女まで調子乗りはじめやがった」


「えー……では当面の方針は、件の魔物を運ばせた何某の捜索ということで?」


「西……んと、王都。の、ほう……だっけ」


「いや、まずはコートフェルだろ。俺とフリスの資格復旧、それからパーティ再登録。他にも挨拶しとかないといけないとこ、結構あるし」


「うっへェ、世知辛いねェ~。正義の冒険者サマもお役所としがらみにゃ勝てねえデスか、ハハ」


 揶揄するジーナスのむこう脛を、思いっきり蹴り飛ばしてやる。

 悲鳴を上げて悶絶するエルフを他所に、シオンは笑いながら――軽やかに、その歩みを早めていった。



 何度もランディを振り返りながら遠ざかる兄の背中を、手を振りながら見送って。

 その姿が完全に見えなくなるまで大きく大きく降り続けた手を、ランディはようやく下ろした。


「寂しい?」


 どきりとした。

 ずっと後ろに控えていたユイリィを、ぎょっとしながら振り仰ぐ。


「べつに……そんな、さびしくないし」


 ぷい、とそっぽを向く。ニコニコしながらじっと見つめてくるユイリィの目を、今は見ていたくなかった。


「ぼくがいいって言ったんだし……シオンにいちゃんは正義の冒険者なんだから。それにぼくだって大きくなったら、シオンにいちゃんみたいな冒険者になって旅に出るんだもん」


「知ってる。でも、それはまだ未来のおはなしだから」


 ユイリィは――まるでフリスがそうしたみたいにランディの前で膝をついて、胸の中に抱きしめた。


「っ、ちょっと! ユイリィねえちゃ」


「シオンが冒険者としてまた旅立ったこと。ランディちゃんがそれをちゃんと嬉しく思ってるの、ユイリィは知ってるよ」


 耳元で、今まで聞いた中で一番やさしいユイリィの声がささやく。

 はじめて一緒のベッドで眠った夜を思い出した。ユイリィの、『心音』を聞かせてもらった夜のこと。


「でも、がいなくなったのは、やっぱりさびしいことなんだってユイリィは思う。きっとぜんぶはわからないし、ちゃんとはわかれないけれど……でも、わかるよ。たぶん」


 わかるよ。

 だから、大丈夫だよ、と。

 優しい声で繰り返す。


「すべてのひとの――たとえそうでなくとも、より多くのひとの幸いと可能性のため。ユイリィ・クォーツは、その在り方が素晴らしいことだったって信じる。ランディちゃんはとっても強くて、とっても素敵だった」


 ――ああ。


 その瞬間、本当に突然、堰を切ったみたいに何かの限界が来た。唇を噛んで、声を殺して――泣いてしまいそうになるのを、おなかに力を込めてぎゅっと堪える。


「わたしはランディちゃんあなたを心から誇りに思う。――ランディちゃんはとっても、とってもかっこよかったよ」


 それでも、少しだけ滲んでしまった涙を、気付かれないようにこっそり拭って。どれくらいの間、そうしていただろう。

 ランディの涙が乾いた頃。まるでそれを見計らったみたいに、ユイリィは体を離して立ち上がった。

 なんにも、ひとつだって気付かなかったみたいな、そんな屈託ない笑顔を広げながら。


「――さて! 朝ごはんにしよっか。ランディちゃんなに食べたい?」


「朝ごはんって……今から?」


「まだ、いつもならやっと起きてるくらいの時間だよ。これからランディちゃんと一緒に暮らすんだから、ユイリィはますますきちんとしてゆかないといけないのです」


「そっかー……」


 妙に肩肘張ったような、そのくせ弾むみたいに冗談めかした言いように、ランディはちょっとだけ笑った。

 寂しい――きっと、そう。自分は寂しいのだ。

 シオンが冒険者であってくれたことが嬉しかったけど、でも同じくらい、それとは別の湿った感情がある。

 へなちょこで頼りなくて、いつだってランディが護ってあげなきゃいけないと思っていたお姉さんは――けれど、彼女のためにそうするのは、ランディの役目なんかじゃなかった。


 かっこよくて頼もしくて、おはなしの中でもそうでないところでもいつだってヒーローだった、シオンにいちゃん。

 へなちょこで頼りなくて守ってあげなきゃいけないひとは、正しいことのために旅立つシオンの隣にいて――きっといつだってそんな風にしていたかったのだと、きっとランディが初めて出会ったころからずっとそうだったんだと、さっき、どうしようもなく気付いてしまったから。


「ランディちゃん」


 先を歩いていたユイリィが、くるりと振り返る。

 両手を後ろで組んで。まっすぐに背筋を伸ばして。


「ユイリィおねえちゃんを、これからどうぞよろしく!」


「うん。えっと、ぼくも……どうぞよろしく、おねがいします!」


 だから、きっとこのときが、本当のはじまりの日。


 ふたりの旅立ちを見送った八歳のランディに。

 《機甲少女オートマタ》の『お姉ちゃん』が、増えた日だった。

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