31.またふたたびの、新たな《旅立ち》に至るまで・前


 一夜明けて、翌日。

 ランディはフリスの薬屋――ランディの家からもう少し町のはずれへ歩いたところにぽつんと佇む、大樹の下のちいさな小屋にいた。


 この数日、アンフィスバエナへの対処で完全に滞っていた薬屋としての仕事、そしてフリスのもうひとつの仕事である《附術工芸師》としての仕事――主に町のひとたちからの頼まれものである附術工芸品アーティファクト作りを手伝うためである。


 附術工芸品というといかにも大袈裟だが、実情はちょっと便利な道具くらいのものだ。

 簡単に火がつく魔法の火口箱ほくちばことか、ランディの家にもある魔光灯――火を使わない照明――とか、暑い時に使える冷たい懐炉かいろとか、寒い時に一枚かけると一晩中あったかい魔法の毛布とか。まあ、そんな感じのもの。


「シオン、くん。三番の導法線、取って……もらっていい……?」


「三番――て、ええと、どれだ?」


「た、棚っ、棚に番号……ふってある、から」


「番号……あー、あった。これか」


「フリスー。頼まれたたきぎ、暖炉のとこに置いといたわよー」


「あ。わわ。ありがと、ビアンカさん……」


「ジーナスたちが薬草採りから帰ってきたらご飯にしましょ。私とユイリィちゃんで支度しとくから」


「う。うん……」


「フリスはなにか食べたいのある?」


「え? お、オムライス……?」


 ………………………………。


 シオンは工房でフリスの助手。

 ジーナスとロニオンは森で薬草採り。

 ユイリィとビアンカは家の中の片付けとその他雑多な仕事の肩代わり。

 手伝いに来たとはいうけれど、実のところランディにできる仕事なんてそう多くはない。

 今みたいに奥の工房から聞こえてくるやりとりを聞きながら、パペット君壱号と一緒にぼんやり店番しているくらいだ。

 ひとつ、溜息をつく。これもお手伝いだと思って我慢するしかないが、それにしたってさすがに退屈すぎた。


「こんにちはぁ」


「いらっしゃいませー」


 お隣のアトリおばさんだった。

 「おばさん」なんて呼ぶとシオンから「このひとはお姉さんと呼べ」と叱られるくらいには若いらしいのだけど、正直ランディには大人のひとが若いかどうかなんてよくわからないので、友達のお母さんたちを呼ぶのと同じ感じで「アトリおばさん」と呼んでいる。


「あら、ランディくん。今日は薬屋さんのおてつだい?」


「はい。フリスねえちゃん――じゃなくて、フリスさん、ちょっと忙しくて。シオンにいちゃんやみんなでおてつだいに」


「まあ、えらいのねランディくん。おばさん感心しちゃう」


「ありがとございます。……えっと、アトリおばさんの注文って、おじいちゃんの腰痛のお薬とかぜ薬のシロップですよね。聞いてます」


 ランディはひとまず気を取り直して、カウンターの下の棚から付箋つきの紙袋を取り出した。

 袋の中には薬が詰めてあって、付箋には渡す相手の名前が書いてある。

 おばさんはランディが「どうぞ」とさしだした袋を受け取ると、封を開いて付属の処方箋を確認する。やがて、その表情が安堵の色で朗らかに緩む。


「うん、だいじょうぶみたい。ありがとうねランディくん。お手伝いごくろうさま」


「いえ。とんでもないです」


 仰々しくそう言ったのは、謙遜ではなく本心である。朝から今までこんなことくらいしか、ランディにはできていない。

 もっとも、こんな程度のお手伝いでもフリスはとても助かると言ってくれた。なにせパペット君壱号は喋れないし字も書けないので、本当に『店番』しかできないみたいなのだ。

 それ以外だと、どうも泥棒が入ってきたときに撃退するといった形でしか役に立たないみたいで、泥棒なんてごはんをかっぱらっていく野良猫くらいしかいないトスカでは、活躍する機会もあまりなさそうだった。


「わわっ……わああぁ――――――――――――――――っ!!?」


 唐突に。

 奥の工房から、フリスの悲鳴が上がった。

 びっくりして振り返るランディの後ろで、「あらあら」とおっとり頬に手を当てるアトリおばさん。

 その間も奥の工房からは、「わわ、お水っ。水うぅっ」とか、「フリスそこ水はまずい水は! ああもう、くそっ!」「ひゃ、はぅぅ。あ、これ、これとこれ退けて……水うぅ……!」なんて具合に、微妙に噛み合わないせっぱつまった応酬が聞こえてきて、アトリおばさんは「あらあらあら」と途方に暮れたみたいな顔になる。


「何があったのかしら……」


「よくわかんないですけど、えっと……」


 嫌な予感を覚えながら、しかしランディはカウンターから動けなかった。工房で何があったかはもちろん気になっていたが、この時は混乱しながらも、お手伝いを完遂しなければいけないという義務感が勝ってしまった。


「フリスー、お昼の材料――ってフギャー!? なにこれどうしたのこの有様!」


「すまんビアンカ! そこ踏まれるとまずいものあるからちょっと入らないでくれ! あ、台所から何か拭くもの持ってきてくれると!」


「し、シオンくんっ! そこも、そこも踏んじゃだめ……!」


 アトリおばさんは薬屋の奥から響く騒動に、心から不安そうな顔になる。


「大丈夫かしら、フリスちゃん……」


「えっと……その、シオンにいちゃんたちいるし、きっとだいじょうぶだと思います。友達の冒険者さんたちも」


「ああ、ビアンカちゃんたちのこと? 宿屋さんに泊まってたって聞いてたけれど、みんなってあの子たちのことだったのね」


「え?」


 と、そんな話をしていると。

 とぼとぼとした足取りで、シオンが工房から店にやってきた。


 ため息交じりに出てきたシオンはご近所さんが来ているのに気づくと、すぐに表情を切り替えて微笑んだ。


「ああ――こんにちは、アトリさん。なんかお久しぶりです」


「おつかれさま、シオンくん。大変だったみたいねぇ」


「そんなでもないですよ。魔物の討伐は事後報告もコミで昨日のうちに終わりましたし」


 シオンはかぶりを振る。


「残りのこまごましたことは叔父さんが代わりにやってくれることになりましたから。なので、大丈夫です」


「あらあら。確かにそっちもだけど、あっちの」


「ああ……」


 おばさんの奥を見遣る素振りで、ようやく意図するところに気づいたらしい。

 シオンはばつの悪い顔で頭を掻く。


「工房から追い出されちゃいました。俺がいると却って面倒増えるみたいだから、店番か薪割りでもしてろって」


「あらあらまあまあ」


「アトリさんは買い物ですか?」


「おばさん、おうちのひとのお薬もらいに来たんだって」


 横から口を挟むランディの物言いを、シオンは「こら」と然る。


「ランディ。おばさんは失礼だって」


「あらあらいいのよそんな。アトリおばさんだもの、私」


 ねー、と冗談めかした口ぶりで、楽しげにランディに笑いかける。

 シオンはまだ納得いっていないようだったが、当のアトリおばさんがおっとりとそう言うので、それ以上何も言えず複雑な顔をするしかないみたいだった。


「それじゃ、私はもう行くわね。ランディくん、フリスちゃんに『いつもありがとう』って、私がお礼言ってたって伝えてもらえる?」


「わかりました。フリスねえちゃんに伝えます」


「ありがとう。お願いね」


 満足そうに笑って一度頷き、アトリおばさんは帰っていった。

 その背中が見えなくなると、シオンは盛大に溜息をついた。


「シオンにいちゃんは怒られるの?」


「何がだ?」


「アトリおばさんのことおばさんって呼ぶと」


「別に怒らないけどさ……そもそも、あのひとが怒るとこなんて今まで見たことないけどさ。ただ、あのひとにはいろいろと世話になってるんだよ、俺もフリスも」


「ふーん……それって、ビアンカさんたちも?」


 その問いにしばし絶句するシオンは、意表を突かれたようだった。

 だが、ランディがそう訊ねた理由にはすぐ思い至ったのだろう。強張りかけた肩を落として、どこか笑みの混じった力のない声音で続ける。


「そうだよ、俺達みんなが世話になったひとだ。だからランディも、アトリさんには丁寧にな」


「はぁい」


 結局、突っ込んで聞いてみてもよくわからなかった。気の抜けた返事を返して、ランディはカウンターの下を覗き込む。

 事前に用意されていた予約の薬は、今ので最後。あとはもう、本当に店番くらいしかやることがない。

 お昼まではまだ時間があるし、そもそも薬草採りに行ったジーナスたちがまだ帰ってきていない。午後は薬を作ると言っていたからそのお手伝いができるかもしれないけれど、それまでは本当に暇になってしまいそうだ。


 どうしたものかと思案しながらカウンターから顔を上げると、ちょうどシオンが店から出ていこうとしているところだった。 


「にいちゃん、どこ行くの?」


「表で薪割り」


「ぼくも行っていい?」


「別に構わないけど……あ、薪割りならやらせないぞ。お前じゃまだ危ないしな」


「わかってる。見てるだけだから」


「そう。ならいいぞ」


 店番はいいのか? とは訊かれなかった。

 シオンはパペット君壱号の方を一瞥し、それで納得してくれたようだった。



 ――ひゅん。すこんっ。

 ――ひゅん。すこんっ。


 シオンが鉈を振り下ろすたび、切り株へ無造作に据えられた薪の一本一本が軽い音を立てて、面白いように割れてゆく。

 トスカで売られている薪は、森の樵がラウグライン大森林から切り出してくるものと他所の町から入ってくるものがおよそ半分ずつ。町の薪売りから買えるのは丸太の状態のもので、そこから手ごろな大きさに割るのはそれぞれの家の仕事になる。別料金を払えば代わりに割ってもらうこともできるが、そうすると量が量だけに意外と馬鹿にならない値段になってしまう。

 フリスは力仕事がてんでダメなので、シオンは毎年春になるとフリスの家の薪割りに行く。今ランディの目の前でしているのと同じように。


 慣れた所作で鉈を振り下ろすと、また一本。両断された薪が軽やかな音を立てて倒れる。

 無心に続ける一連の所作は淀みなく、傍で見ていてもいっこうに飽きない。


「なあ、ランディ」


「うい?」


 毎年そうであるように――どれくらいの間、そうしていただろう。

 シオンは不意に薪割りの手を止めて、薪の束を椅子代わりにしていたランディへ振り返った。


「こんな時にどうかと思うんだが、少しだけ話いいかな」


「いいけど、なに? どんな話?」


 続く言葉との間に挟まった沈黙は、いくぶん長引いた。

 不意に、ランディの脳裏で閃くものがあった。確たる形でそこに思い至った訳ではなかったけれど、どういうことを言わんとしているかは、予感めいたものを感じ取っていた。

 シオンは言った。


「今回の――《双頭蛇竜アンフィスバエナ》討伐の、後始末の話、かな」

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