30.《すべてのひとの、幸いと可能性のために》・⑥
「……こんなところかな」
長い話を終えて、シオンはユイリィを見やった。
「理由っていうなら、これが理由だ。納得してもらえたかな、ユイリィさん」
長めの休暇を終えてコートフェルの定宿へ帰ってすぐ、仲間たちに自分の意思を告げた。冒険に出る両親に代わって弟と暮らすため、冒険者を辞めるつもりでいることを、だ。
当然、ビアンカ達からは猛烈に反対された。
それはそうだろう。大仕事の後の休暇を終えて、次はどこへ行こうか、それとももうしばらくだらだら休暇を愉しもうかと胸を弾ませながらそれぞれ心算を立てていた矢先の、シオンのパーティ離脱宣言である。
ビアンカもジーナスも、ロニオンも、果てはほとんど自分の意見というものを口にしないフリスまでもが、言葉を尽くしてシオンを引き留め、翻意を促した。
だが、どれだけ説得されてもシオンの意志は変わらず、最後には仲間たちが折れてくれた。
冒険者をやめたことに後悔はない。
もちろん、自分の都合で一方的に別れを突きつけた仲間たちへの申し訳なさは、常に胸のどこかでわだかまって事あるごとにその頭をもたげていたし、自分の我が儘につきあってトスカに残ってくれた幼馴染みに対しては、感謝と裏腹に縫い付けられた後ろめたさも抱いている。
だが、決断を誤ったと思ったことは一度もない。
「ランディが冒険者になりたがってるのは、俺も知ってる。もう少し大きくなって、それでもあいつの意思が変わらなかったら……俺が鍛えてやるのもいいかなって思ってる」
――けれど、もし叶うのなら。
その夢は当たり前の暮らしの中で多くを知って、冒険者以外のいろんな道を知って、その果てに見定めるものであってほしい。
シオンのような、他にできることも他の在り方も知らないからと惰性と諦観で選ぶような、そんな道であってほしくない。
勝手な願いだろうか――いや、疑うまでもなくそうだろう。それは紛れもなく、シオンの身勝手な願望だ。
恐怖に震えながら明かす夜も。仲良しの友だちと引き離されて泣く朝も。弟の身の上にはあってほしくない。自分はそんな風にはなれなかったから、せめてかわいい弟にだけはそうあってほしい。
それと引き換えに冒険者の道から外れなければならないというなら、別に構わない。喜んで外れよう。元よりシオンは、望んで冒険者の道を選んだ訳ではない。
冒険者になりたいと思ったことなど、一度だってありはしない。
冒険者でありたいと思うようになったのは、フリスやビアンカ達と出会って、多島海を旅する日々の中――その中で初めて芽生えただけの、後付けの感情だった。だから、何一つ構いやしない。
たとえ――
「ありがとうございます、シオン・ウィナザード。あなたが怒り激昂したその理由を、ユイリィ・クォーツは了解しました」
ユイリィは深く頭を垂れた。
「余人には話しづらいことであったと理解します。謝罪と、感謝を」
「え? ああ――」
ユイリィの思いがけない殊勝さに、シオンは戸惑った。
だが、シオンが当惑して怯んだ分を踏み込むように勢いよく面を上げ、ユイリィは声を大きくする。
「次に回答を。『全部吐け。あんたがあの親どもに命じられてきたこと全部』――ユイリィは何も命じられてなんかない。シオンが危惧することは何も」
《黄金の林檎》亭で、シオンが切っ先と共に突きつけた問い駆け。
「ユイリィが命ぜられた
慇懃な《人形》の仮面が壊れて、崩れていた。
声は強く、言葉は矢継ぎ早に。困惑するシオンの脳裏によぎった直感に誤りがなければ、ユイリィは一目でそうとわかるほどに――《人形》の彼女にそうした感情があるのなら、彼女は見間違えようもなく『怒って』いた。
「ユイリィはランディちゃんの意思と、ランディちゃんをとりまくすべてのために機能を尽くす。今のユイリィはそれ以外ない。わたしにはそれしかない」
「ユイリィさ――」
「最後に抗議を。もう一度繰り返します。ユイリィ・クォーツはあなたのためにも
「え。あ」
「ランディちゃんの望みをかなえるために。のみならずシオンの無事のためにもユイリィは働いた。なのにシオンはユイリィに刃を向けた。いわれのない嫌疑をかけた。謝罪を要求します」
シオンが後ずさればその分だけずいと前に進み、細い眉をめいっぱい吊り上げて憤慨を表わす。
そう――《
「あやまって」
「……ごめんなさい」
戸惑いながら、しかし逆らうことなく頭を下げるシオン。
ユイリィは「ふん」とわざとらしく鼻を鳴らし、ひとまず留飲を下げたようだった。
「シオンが最初ユイリィに冷たかったのも、ユイリィがデルフィンとエルナの手先だと思ったから?」
「あなたの『最初』がどこを指してるかは知らないけど、まあ、そうだよ。その通りだ……あなたは両親に言われて、ランディのところへ来たようだったから」
「それはシオンの理解で正しい。ユイリィはふたりに譲渡された、仕事の報酬だから」
「仕事――」
――二人はユイリィ・クォーツを報酬として、GTMM014-LⅩ《ユイリィ・クォーツ》の隠匿とおじーちゃんの護衛、これらを受託した冒険者です。
「そっか。じーさん――製作者を護衛する代わりに、あなたを受け取ったんだったっけか」
「そう」
厳密には、ユイリィを収めた《棺》を、か。
まるで人身売買だ。いや、あくまでユイリィが《人形》である以上、たとえどれほど精巧な人型であったとしても、その構図は成り立たないものなのだろうが。
「……本当に、二人から何も言われてないのか? 俺を冒険に行くように仕向けろとか、そういう」
「ない」
短く断言し、それからユイリィは不意に
「ないけど、それを証明する手段も、ない――観測の結果をどれだけ提示したとしても、それがつくりものの偽装、不利な情報を隠蔽した偽証である疑いは消せない」
不承不承の体で唸る平坦な声音は、ユイリィの悔しさが滲むように聞こえた。
「シオンには、検証のための手段がないから。比較検討の材料を提供しうる第三者がいない――ユイリィ一人が提供する情報は、ユイリィ一人の都合で歪曲できてしまうものだから。だから、ユイリィはシオンに信じてもらうしかないし、信じてもらえないならどうにもできない。それでおしまい」
「悪かったよ。そうだよな……疑って悪かった」
「……二人からの
問いかけが、一周巡って最初に戻った。
「これまでのあなたに選択肢はなかった。シオンとフリスが冒険の旅に出れば、それはランディちゃんを置いていくことになる」
「……ああ」
「一人で置いていくのでないなら、選択肢は二つ。《黄金の林檎》亭の主人夫妻のような親類ないし隣人に養育を委ねるか、シオン自身が連れていくか」
「ああ」
「けれどシオンは、そのどちらも選べない。選ぶことを許せない。シオンが話してくれたのはそういうことなのだと、ユイリィは理解しています」
「ああ……ああ、そうだ。そうだよ」
それは、両親がしようとしたのと同じことだ。
他ならぬシオンが、拭い難い憎悪をもって拒絶した選択だ。
――あの二人みたいになんて、なりたくなかった。
俺は、ずっと、
(ずっと、それだけだった……俺は)
だから、冒険者になんて戻れない。
あの二人が「ほれみたことか」と高笑いするような、そんな冒険者には戻らない。
冒険の虫なんて知らない。そんなものあろうとなかろうと、自分の知ったことではない。
だって、自分は冒険者になりたいと思ったことなんて、生まれてこの方一度だってありはしなかった。
ランディみたいに憧れたことはない。
フリスやビアンカ達みたいに真っ直ぐ向き合えたこともない。
ただ、フリス達と旅をするのが、冒険に挑むのが楽しくなってしまったから。それを覆してまでやめる理由がないというだけで続けていた、それだけのもの。
だからそれは、より大切な何かのために道を譲って然るべき願望だ。いつかランディがシオンの手を離れて、果たすべき全てを果たし終えたと信じられる、その日が来るまでは。
自分一人のための願望など――すべてを正しく果たし終えたその時に、初めてもう一度向き合うことを許される、そうしたものであるはずだ。
「でも今は違う。シオン・ウィナザードは自由にそれを選ぶことができる。ユイリィはあなたの望みを代行できる――ユイリィ・クォーツは、ランディちゃんの養育・護衛・教育・その他それらに類するすべてを担う準備と性能があることを約束します」
繰り返し訴える。
それは、初めて彼女が現れた日にシオンへと語られたことばと同じ、
「だから俺は好き勝手冒険に行っても構いませんってハナシか。だとしたら結局、あんたの存在はあの二人の差し金と変わらないな……」
「それは違う。シオンは本当に自由に選んでいいのだと思う。もしシオンがこれまでどおりランディちゃんと暮らすことを選ぶなら、ユイリィはその選択を支持し、これからもあなたたち二人のために傅く」
――今までほんッッとうによく頑張ってくれた!! おめでとう!!
――我が一人目の息子よ、晴れて今日からお前は自由だ!!!
「ランディちゃんはシオンを慕っている。ランディちゃんはシオンを尊敬してる。シオンが話してくれた、冒険のおはなしが好きだって言ってたよ。けれどランディちゃんは――シオンが冒険に行かないのは、自分のせいじゃないかって疑ってる」
「っ――それは、違う!」
「知ってる。ユイリィ・クォーツは既にそれを了解しています。シオンはシオンの理由でこの町に留まり、ランディちゃんの傍にいた。それは確かにランディちゃんのためであったとしても、それだけの理由ではなかった」
始まりは、そう。それだけの理由ではなかった。
ただのあてつけだ。
かわいい弟を――仲良しの友達や危険なもののない日々や、あの頃のシオンが欲しかった沢山のものに包まれて、冬空の寒さもおそろしい怪物も知らず無邪気に笑っていた弟を、あの頃の自分みたいにしたくなかった。
そんな風にさせないための――両親への、あてつけだった。
「けど、ランディちゃんが思い悩むのは、きっとそうした理由とは関係ない」
告げて、ユイリィは一度言葉を切った。
「ランディちゃんは、《果てなる海の嵐竜》の物語を聞きたがってた。シオンの、最後の冒険のおはなし」
「……ああ」
かつてシオンが冒険者だった日々の、最後を飾る物語。
自分達五人の一番有名な、
――ああ、だってそうだろう。
それを語ってしまったら、本当に全部おしまいなんだから。
そこから先にはもう、話せることなんてない。
もう、ほんのひとかけらだって、残ってやしないんだから。
そんなもの、誰にも聞かせられるはずがない。
ただ、もう少しだけ――もっと、旅をしていたかった、なんて。そんな、
(そんな……)
未練がましい――気持ちは。
「ユイリィの働きに不安があれば、どうか
「それでいいのか? あんたは、だって」
「ユイリィはランディちゃんのための
心から、誇るように胸を張って。
機甲少女は優しく告げた。
「すべてのひとの、幸いと可能性のために――ランディちゃんの養育・護衛・教育・その他それらに類するすべてを担う準備と性能があることを、ユイリィは約束します」
「ああ、そうだ。確かにそんなこと言ってたな。あなたは――最初から」
そして、彼女はそれに見合うだけのことをした。ほんの数日のうちに。
ランディを支え、その望みをかなえてみせた。シオンを助けるために。
ユイリィは、「はい」と応じた。
「ユイリィはランディちゃんのための
誇らしく――きっと、心から微笑んで、
「ランディちゃんの、おねえちゃんですから」
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