28.《すべてのひとの、幸いと可能性のために》・④
夜の町を歩く。
家々の灯火も眠りに沈み、月と星の明かり以外何一つ照らすもののなくなった町を、砂利をひっかく靴音が切り裂いていた。
シオンの後ろを、ユイリィがついてゆく。
二人分の足音が無音の町に大きく響き、夜の空へと溶けていた。
「さて――どこから話したもんかな」
そう、シオンが切り出したのは、《黄金の林檎》亭から離れてだいぶん経ってから――ラウグライン大森林へと踏み込む、森の入り口に着いてからのことだった。
脚を止め、黒々とそびえる森を背にして、シオンはここまで文句も言わずについてきた《
「なあユイリィさん。あんた、うちの親父とお袋のことはどれくらい知ってる?」
「おじーちゃんの命の恩人。熟練にして練達の冒険者」
ユイリィは淀みなく答えた。
「二人はユイリィ・クォーツを報酬として、GTMM014-LⅩ《ユイリィ・クォーツ》の隠匿とおじーちゃんの護衛、これらを受託した冒険者です」
「そっか……まあ、そんなとこか」
シオンは静かに息をつく。
引っかかる発言はいくつかあったが、今はいい。一旦、隅に置いておく。
「だいたいあんたの言った通りだよ。二人はルクテシアでも指折りの、《多島海》どころか大陸でもちょっとは名が知れてるってくらいの、腕利き冒険者だ」
――大陸云々の話は、さすがに幾許か話を盛っているかもしれないが。
それでも一昔前なら――練達の冒険者として、まず第一に名が挙がっただろう腕利きだ。まだ駆け出しだった頃、先輩にあたる冒険者たちから嫌になるほど聞かされた。
シオンがあのデルフィン・ウィナザードとエルナ・ウィナザードの息子なのだと知る――あるいは、そうと察する――なり目を輝かせて寄ってきた冒険者の数は、十や二十ではきかない。
「二人はどうも、『冒険の虫』とかいうのを腹の中に飼ってる、生まれついての冒険者ってやつらしくてね。同じ所に長く根を下ろせない
そんな二人の間に生まれた最初の子供が、シオンだ。
二人は自分たちの間に生まれた後継たる息子を、正しく自分たちの後継者として育てることを望んだ。即ち、自分達に並び立ち、あるいは越えてゆくような、無双の冒険者として育てることを、である。
「だから俺も、物心ついたころには、親父とお袋と三人であちこち旅してたよ。ひとつところに留まってたことなんてほとんどない。何かの依頼を受けて旅の路銀を得ては、次の街まで渡り歩くみたいな毎日だった」
幼いシオンの、それが日常だった。
安全な街ばかりではなかった。
危険な目に遭ったことも一度や二度ではない。
二人が仕事で留守にしている間に、強盗に襲われたこともある。両親が冒険者として仕事に出ている間はシオン一人で留守番をするのが常のことだったが、ある時、宿の亭主に手引きされた強盗に部屋へと踏み込まれた。
間一髪で悪漢の手から逃れ、窓から外に逃げ出したが――それからシオンは両親が依頼を終えて戻るまでの間、見知らぬ街で一人、逃げ隠れしつづけた。
七つかそこらの子供だ。金を持ち出す余裕も機転もなく、這いつくばるようにして逃げるしかできなかった。
おりしも秋の終わり。飢えと寒さに夜毎しゃくりあげながら幾度かの昼と夜をしのぎ――たんまり報酬を受け取ってほくほく顔で帰ってきた両親と再会できたのは、ひとえに幸運の賜物であっただろう。
泣きながら再会を喜ぶシオンから事の顛末を聞いた両親は、息子を手放しで褒めちぎった。
『すごいわ~、シオンったら。その歳で一人で強盗から逃げて、一人でがんばってただなんて~!』
『そうだな! よくぞ一人で危難を乗り切ったッ! さすがはシオン! オレたちの息子だッ!!』
――何一つ、嬉しくなんかなかった。
シオンを誉めそやし、笑顔で頭を撫でる両親に対して湧き上がったのは、得体の知れないどす黒い感情だった。
夜、宿の部屋で眠るとき、内鍵とバリケードなしには眠れなくなった。
あれから随分時間が経って、今ではそれもだいぶんマシになったが、それでも鍵のかからない部屋ではどうあっても目が冴えてしまう。自分の家でさえ。
「シオンの部屋に入るには鍵が必要だった。あれは」
「鍵のこと知ってたのか。あれは我ながらどうかしてるとは思うんだけどな……こんなにのどかな町の、自分の家にいてさ、玄関も窓もぜんぶきちんと鍵がかかるってのにだぜ? なのに自分の部屋の扉にまでいちいち鍵を掛けなきゃ神経が逆立って眠れないんだ。今も」
「シオンがデルフィンとエルナを快く思わないのは、そのことがあったから?」
シオンから見た両親の像と二人への距離感を、ユイリィは今の話だけで汲み取ったようだった。
あるいはとうの昔に、どこかの時点で察していたか。人ならざる《人形》だというのに、下手な人間よりよっぽど精緻に物を見ている。それともそれは、彼女が《人形》だからこそ、だろうか。
「……それもないとは言わないけどな」
森の入り口にそびえる木立へ背中を預け、シオンは空を仰いだ。
晴れた夜空に、遠く月が浮かんでいた。
「とにかくそんな感じで旅してたんだが……八つのときだったな。今のランディと同じ歳の頃だよ。一度だけ――そのとき受けてた仕事の都合だったのか、珍しく同じ街に、何か月もいついたことがあったんだ」
強盗に踏み込まれて死にかけてからまだ間もない、部屋を出るどころか、親がいない時に扉を開けることさえ恐ろしくてならなかった頃の話だ。
締め切った宿の部屋。その窓からちょうど見下ろせる場所にあった、猫の額のようにちいさな空き地に集まって、自分と同じ年頃の子供が遊んでいるのを見つけた。
目を奪われた。
なんて楽しそうなんだろうと思った。
だから、怖くて怖くて仕方なかったけど――扉を開けて、部屋から出て、彼らのところへ行った。仲間に入れてもらうために。
『あのっ!』
『おれも……いっしょにいれてもらって、いいかな……っ?』
――他所から流れてきた見ず知らずの子供。
そんなうさんくさいやつを、彼らは一度互いの目を見かわしただけで、あとは何のためらいもなく自分達の輪の中に受け容れてくれた。
はじめて友達と呼べる相手ができた。
それからは毎日一緒に遊んだ。
友達の一人は宿の息子で、彼を通じて宿の亭主夫妻にもなにくれと面倒を見てもらえるようになった。
楽しかった。
楽しくて楽しくて、夜眠る時には目が覚めて明日が来るのが待ち遠しくて。仕事に出向いた両親がいつまで経っても戻ってこないことさえ、ちっとも気にならなくなっていた。
そんな風にして数か月が過ぎたある日。
依頼を終えて戻ってきた両親が、満面の笑顔で宣言した。
『待たせたなシオン、明日この町を出発するぞ! 次の目的地は、ななななぁんと、王都リジグレイ=ヒイロゥ!! 今までで一番大きな街だぞ、楽しみだろォう!?』
――耳の奥で、ざぁっと血の気が引く音を聞いた。
いつかに感じたどす黒い感情が再び臓腑の底で蠢いて、喉元までせり上がってくるのを感じた。
記憶にあるうちでは生まれて初めて、両親の決定に異を唱えた。
いやだ、行きたくない。まだこの町にいたい。友達と別れたくない。
ほとんど涙声で訴えるシオンの言葉を聞き終えると、父はそんな息子の前に膝をつき、その頭を優しく撫でた。
『いいかシオン、よく聞きなさい』
父は、息子の訴えに真摯に向き合い、そして優しく言った。
『お前には、友達なんて必要ないんだ』
――何を言われているのか分からなかった。
『シオン。友達なんて軽薄で移り気なものは、おまえの人生にはまったく必要ないんだ。お前がこの町から離れたら、お前が友達と呼んでいるあいつらだって、どうせすぐお前のことなんか忘れてしまうに決まってるんだからな』
父親は真っ直ぐシオンの目を見つめながら、力強い笑顔で言いきった。
石膏を流し込まれたみたいに真っ白になった頭は、その意味を理解することを拒否した。
『シオン――お前の人生に必要なのは、友達なんて薄っぺらくて浮ついたものじゃあない! 仲間だッ!! お前と目的を同じくし、背中を預けられる頼もしい仲間だッ!!
そう、たとえるなら父さんにとっての母さん! 母さんにとっての父さんのような! 自分の背中を任せられる仲間さえいれば、人生はそれだけでかけがえなく素晴らしいものになるッ!!!』
父は勇気づけるように力強く、大きな両手でがっしりと息子の肩を叩く。
『なあに! 今はほんのチョッピリ辛いかもしれないが、心配いらないぞゥ! いつかお前にも、それが分かる日が来るッ!!
なぜならおまえは、オレたちの息子だからだッ!! オレたちはお前の強さを、そして賢さを信じているッ!!!』
父は言った。力強く、豪放に笑いながら。
だが、もはやその言葉はザアザアとうるさいだけで意味の分からない雑音にしか聞こえなかったし、その笑顔は――得体の知れない化け物が浮かべる奇怪なそれにしか、見えなくなっていた。
…………………………。
………………………………。
◆
「それが、理由?」
「あげつらおうとすれば他にもいろいろあるよ。でも一番決定的だったのはあの時だって、今も思ってる」
何より――結局その旅も、それからさほど長くは続かなかった。
十歳になるのと同時に『師匠』なる人物のところへ預けられ、そこで冒険者としての修行を積むことになった。自分達にとっても『師匠』であるというその人物に息子を預けた後、両親は二人だけで、さっさと次の街へ旅立ってしまった。
シオンは枯葉のように乾いた心地で、その背中を見送った。
そして、どうしようもなく荒んだ心地で思った。
どのみちこうやって置いていくのなら、はじめて友達ができたあの街で――あの宿屋に置いていってくれたら、よかったのに。
フリスとは、『師匠』のところで出会った。
幼馴染と呼べる唯一の――子供の頃から友達で、今でも友達だと呼べる、たった一人の女の子。仲良くできる相手だったのは、おそらくとても幸運なことだった。
彼女は親元を離れて『師匠』のもとで養育されていた女の子で、一言で言えばシオンと同じ境遇で――こちらは魔術だか魔女術だかの修行のために、『師匠』のもとへ預けられたのだと聞いた。お互いの境遇が似ていたことも、内気で言葉少なな、見知らぬ女の子との親近感を育む一助になったことだろう。
十三歳の時に、二人揃って冒険者になった。
いつだったかに父が、『背中を預けられる頼もしい仲間』がどうとか言っていたのがふと思い出されて、それで『師匠』の下での三年間と、フリスの存在が腑に落ちた。
ビアンカやジーナス、ロニオンと出会って、五人でパーティを組んだ。
気の合う仲間との冒険は楽しかった。
山ほど失敗をやらかしたが、同じくらいの成功もつかみ取った。あらゆる意味で幸運に恵まれたのは間違いないだろう。
十五の未踏迷宮を踏破してその名を知らしめ、《果てなる海の嵐竜》を討って護国の英雄となった。
病に
大仕事の後の休暇。
久方ぶりにコートフェルの定宿に帰って、ついでに両親の生まれ故郷で宿を営んでいる叔父叔母のところへ顔を見せてこようとトスカまで足を延ばして――
「――親父とお袋が、トスカにいるって話を聞いた」
それまで一度か、せいぜい二度しか会ったことのない叔父夫婦がシオンのことを覚えているかは微妙なところだったし、もし忘れられていたらただの冒険者として休暇を過ごしてくるくらいのつもりで訊ねた《黄金の林檎》亭だったが。叔父夫婦はシオンのことをよく覚えていた。
ただ、叔父はチェックインを頼むシオンにどういうわけか困惑を露にし、不思議なものでも見るような目ちらちら向けてきた。
その態度を訝って訊ねたところ、叔父はほとほと呆れきった渋面で零した。
『……シオン。おまえ、まさかあの二人から何も聞いてないのか』
ため息交じりの苦々しさで、叔父は言った。
『あの二人な……今、この町にいるんだ』
――場所を教えてくれた叔父に礼を言うなり踵を返し、《黄金の林檎》亭を飛び出した。
四年前にふらりと故郷へ帰ってきた二人は、元は祖父母の家だった空き家を買い取って改装し、そこに住んでいるという。
息を切らして言われた通りの場所まで走っていくと、果たしてその言葉通りの光景があった。
庭先で薪割りをする父。その横で、物干し竿に洗濯物をかけてゆく母。
二人から少し離れたところで年頃の近いちいさな子供が数人、転がるように駆け回って遊んでいた。両親はそれぞれの仕事を続けながら、それとなくその子達の方へと目を光らせ、見守っていた。視線の動きでそうと理解できたのは、冒険者として培った眼力のなせる業だった。
息を弾ませながら呆然と立ち尽くす、見知らぬ大人――シオンのことだ――に真っ先に気づいたのは、子供たちの中の一人だった。
シオンと同じ髪、同じ瞳の色をした男の子が真っ先に駆け寄って、好奇心たっぷりにシオンを見上げてきた。
『おとーさんとおかーさんのおきゃくさんですか?』
まだ舌っ足らずの子供らしい声が、そう訊ねてきた。
――それが、『弟』との出会いだった。
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