27.《すべてのひとの、幸いと可能性のために》・③


 ランディが二階に上がってから、どれほどが過ぎただろうか。


 あの後も、従姉妹のラフィは同じテーブル席に陣取って、熱心に――主に、というかほとんどシオンに対して――冒険の話をねだっていたが。

 しかしそんな彼女も、厳しく眉をしかめた叔父からとうとう「子供はもう寝る時間だ」と叱られてしまい、しぶしぶと宿の奥、叔父一家の生活空間がある一角へと帰っていった。

 実際、子供が起きているには刻限だったので、切り上げ時ではあった。一人でとぼとぼ帰ってゆくラフィが、唇を尖らせて完全に不貞腐れていたとしても。


「……………………」


 そして、現在。

 夜も更けた《黄金の林檎》亭の酒場はもはやシオン達以外に客の姿もなく、ひっそりと夜の静けさで満ちていた。


 ビアンカも。ジーナスも。ロニオンも。

 仲間達はみんな完全に酔い潰れて、各々の寝息を立てている。今からランディを連れて家に帰るにせよ、叔父に頼んでどこかの部屋で寝させてもらうにせよ、こいつらのことは自分が部屋まで運んでやらなければならないだろう。

 ジョッキの底に残った甘い炭酸水で唇を湿しながら、シオンはぼんやりとそんなことを考えていた。


 自分たち以外の客が掃けた時点で、亭主である叔父も気厨房の奥へ引っ込んでしまった。奥の明かりが点いていることからして、今はまだ帳簿なりなんなりの、別の仕事を片付けているようだったが。


「……………………」


 しんと静けさが満ちる酒場で、一人ひっそりと息をつく。

 完全に寝入ってしまった、同じテーブルを囲む仲間達を見渡す。

 

「シオン、まだ起きてたんだ?」


 呼び掛けと共に、線の細い少女が一人。長い三つ編みを揺らしながら二階から降りてきた。

 ユイリィだった。そういえば彼女も、フリスの様子見にランディと二人で上へあがってそれきりだった。


「ランディは?」


「フリスのいる部屋で寝ちゃった。どうしよっか」


「……どうしようかなぁ」


 苦笑混じりにぼやく。おぶって帰ってやってもいいし、フリスと一緒に寝かせておいてやるのもいい。最近はランディのほうが恥ずかしがるようになったせいですることもなくなったが、一昨年くらいまではフリスが泊まりに来るたび、一緒のベッドで寝たがっていたものだった。

 いずれにせよ、ランディは学校が再開するのも来週からで、今夜のうちに焦ってどうこうするだけの理由は何もない。

 テーブルへやってきたユイリィは酔い潰れて眠っている冒険者達を一瞥し、かすかに口の端を緩めたようだった。


「彼らも寝ちゃったんだね」


「昔っからこんな感じなんだよな。冒険を終えて安全な街まで無事に帰れた日には、飲んで食べて酔い潰れるまで騒ぐんだ」


 挙句、翌朝には二日酔いを貰って、昼頃まで屍鬼ゾンビィみたいにくたばっていたりする。


「冒険者って大方がそんな感じなんだってね。彼らだけじゃなくて」


「それはまあ、そうなんだけどな」


 ユイリィの容赦ない直截さに、シオンは苦笑するしかない。


 ――冒険者の天地、多島海。


 ここには冒険者が集い、己が栄光と冒険譚を誇らしく歌い上げ――故にこの地で生まれた子供なら、誰しも一度は冒険者となって世界を渡る夢を見る。

 しかし、その行程の多くは数多の冒険譚に語られるような華やかなものではなく、まして平らかな道のりでもない。

 多くの場合、冒険者の生業なりわいは命懸けだ。命を掛け金として危難を払い、栄誉と財宝、魔物討伐の戦功と遺跡踏破の成果とを持ち帰る。

 ひるがえって、命の危険がないような稼ぎを得るとなれば、日々どこからか舞い込んでくる雑用を片付けるだけの、便利屋仕事くらいしか残らない。

 それは多くの場合、金を払ってでも他人に押しつけてしまいたい厄介ごとや、汚くてきつくて自分で赴くなど考えたくもない面倒な仕事――到底ろくなものではあり得ず、苦労に見合う実入りを得られるのはごく限られた一握り。

 だから、町に帰り着いた冒険者は飲んで食べて騒いで、『冒険』で溜まりに溜まった憂さを晴らす。

 冒険者ならざるあたりまえの人々が一日の終わりにそうするのと、まったく同じように。


「なのに、シオンはお酒飲まないんだね」


 テーブルに並んだ空のジョッキを見ながら、ユイリィは言った。

 これが普通の人間なら、一目見た程度でジョッキに注がれていた中身など分かろうはずもないが、彼女はそもそも人ではない。


「深酔いしない程度になら飲むこともあるよ。けど、一人くらい後始末をできるやつがいないと困るだろ?」


 てのひらを広げて、同じテーブルの仲間たちを示してみせる。

 酔い潰れた仲間を介抱して部屋まで運んでやるのは、昔からシオンの役回りだった。フリスも酒は飲まない性質たちだが、これがビアンカ一人だけなら別として、男どもの介抱まで彼女にやらせる気にはなれなかった。

 お世辞にも力があるとは言い難い幼馴染に、酔い潰れた仲間を運ばせる力仕事をさせられなかったのもあるし、シオン自身が酔い潰れて前後不覚になるのを単純にいとったということもある――だが恐らくは、もっと即物的で感情的な理由も、それらと別に確かにあった。馬鹿みたいな理由だと、自分でもおかしくなるような。


 ランディと暮らすようになってからは、それらとはまた別の理由もできた。

 頼れる兄と尊敬してくれる弟がいるところで、酒精に浮かれたみっともない醜態など晒せようはずがない。兄としての意地とプライドだ。


「あなたにも、お礼を言うべきなのかな。ユイリィさん」


「うん? どうして?」


「ランディがビアンカたちを訪ねたとき、あなたも弟と一緒に来てくれていたんだろう?」


 まだ八歳の子供だ。一人で歩いていれば、《黄金の林檎》亭にたどり着くまでの道中で間違いなく見咎められた。

 大人――とまでは言えずとも、年長の少女と一緒。さらに言えば、その少女が今回の一連の事件で一匹目の《双頭蛇竜アンフィスバエナ》を仕留めた実力者であることは、検分に立ち会った大人たちの間では周知の事実だ。

 経緯を詳らかに訊いたわけでは無論ないが、ランディが無事目的を果たすまでには、間違いなくユイリィの存在が貢献を果たしている。

 人形の少女は頬を染めて、ニコリと微笑んだ。


「ユイリィは職責オーダーを果たしただけ。でもありがとう、嬉しいな」


「お礼を言うのはこちらの方だよ。けど、どういたしまして」


「お礼をもらったついでに、あらためて訊いてもいい?」


「何をだ?」


「シオンはこれからどうするの?」


「……どうしようかな」


 シオンはあらためて、苦笑混じりでテーブルの仲間たちを見渡した。ある者はテーブルに突っ伏し、ある者は背もたれにもたれかかるようにして、実に幸せそうな赤ら顔で寝こけている。

 だがまあ、こいつらを全員部屋に運んでベッドへ放り込んでやる程度の手間なら取ってやってもいい。

 何のためらいもなくそう思えるくらい、気分がよかった。今日はとても充実した一日だった。森に潜んだ魔物の存在に緊迫していた時間すら、今にして振り返れば悪くない思い出、いつか誰かに語って聞かせる話の種だ。

 このまま眠って、今日を終わらせてしまうのが、惜しく思えてならないくらいに。


(……いや)


 それは違う。そうではない。

 アンフィスバエナの討伐を終えてから今に至るまで、ビアンカもジーナスもロニオンも、何一つ決定的な言葉を告げようとしなかった。これでまるで何もかもがきれいさっぱり解決したのだと言わんばかりに、飲んで騒いで、挙句にこうして酔い潰れた。


 ――


 その可能性に、気づいていないはずがないだろうに。

 なのにまるであの頃と、四年前に冒険者だった頃と、まったく同じみたいに。彼らは。


 これでシオンが何も気づかなかったふりを通して彼らと別れれば――今日の一幕はほんの一時、ただただ必要に迫られて挑まざるを得なかった冒険の、忌々しくも楽しかった思い出で終わる。あるいは彼らはシオンと別れたその先で、次なる冒険としてを相手取ることを選ぶのかもしれない。

 だが、


「今の彼らをどうするかじゃなくて」


 ユイリィはかぶりを振って否定する。

 怪訝に眉をひそめて見上げるシオンへ、ユイリィは言った。


「彼らはシオンを冒険者として誘いに来た。シオン・ウィナザードには、彼らと共に旅立つ意思がある?」


 冷水を浴びたように、一瞬で目が醒めた。

 酒精の靄も。懊悩の澱も。覚醒の衝撃に跳ね散らされて、消える。


「……何を」


「シオン・ウィナザードは自由にそれを選ぶことができる。もしあなたが彼らと共に旅立つのなら、あとのことはユイリィが、ランディちゃんのおねえちゃんとして」


 少女の眼前を、鋼の切っ先が掠めた。

 椅子を蹴倒して立ち上がるのと同時に抜き放った剣の切っ先は、あと寸毫でも押し出せばユイリィの額へ刺さる距離に迫っていた。

 それで、ユイリィが怯むことこそ微塵もなかったが。

 しかし、それまでの友好的でなごやかな空気は、掃いて清めたように失せていた。


「そんなことを言うためにわざわざ起き出してきたのかよ――ご苦労じゃないか、《機甲人形オートマタ》」


 鋼の切っ先よりなお鋭く狂暴な眼光が、ユイリィを見据えていた。

 少女の応えはない。シオンは忌々しく舌打ちする。


「要は最初っからそれが目的だった訳か? そいつはいったい誰からのオーダーだ。クソ親父からか。それともお袋からか?」


「なにを言われているのか分からない」


「白々しいんだよ今更。おおかた、俺の代わりにランディの面倒を見てやって、また冒険に出るよう仕向けろとでも言われてきたんだろ。ついでにランディを自分らのところへ連れてこいとも言われたか?」


 少女を睨み据え、シオンは口の端を歪める。

 ぎりぎりのところで封をした、今にも怒鳴り上げそうになる発火寸前の感情が、引き攣った笑みへと変わって温厚そうな細面を歪ませていた。 


「どちらであれ、うちの親ならやりかねないな――あんたがそういう役目だってハナシならそれは仕方ない。だがこのタイミングは最悪だよ、ふざけるな」


「シオン」


「全部吐け」


 威圧する。


「あんたがあの親どもに命じられてきたこと全部。今すぐにだ」


 ユイリィは微動だにしなかった。

 怯え一つも見せず、自らに突き付けられた刀身を挟んで、若草色の瞳でじっとシオンを見つめ返している。


 その佇まいは豪胆さのそれではない。何かの確信ゆえのものでもない。

 自らに突き付けられた切っ先に、――それゆえの静けさだった。


「………………………」


 人形の、静けさだった。

 その静けさをようやくにして破ったのは、ユイリィの側だった。


「ユイリィ・クォーツが命ぜられた職責オーダーは、ランディちゃんのお姉ちゃんになること。命ぜられた『姉』の役割のもとランディちゃんマスターへとかしずき、彼の意と彼をとりまくすべてのために機能を尽くして、その幸福と可能性に奉仕する。それがユイリィに与えられた使命オーダー


「そういうことを訊いてるんじゃ――」


「シオン・ウィナザードもその一人。ユイリィ・クォーツはあなたのためにも傅く」


 要領を得ない問答に焦れたように、シオンはきつく歯噛みする。強く噛み締めすぎた奥歯が、不愉快な音を立てて軋む。


「何があなたをそこまで激昂させたのか、ユイリィ・クォーツは判断する材料を持ちません。情報の開示を求めます」


「……………………」


「情報の開示を求めます。でなければ私はシオンの、詰問に対する回答を持ちえない」


「………………………………」


 張りつめた沈黙が、騎士と機甲人形の間にわだかまる。果たしてどれほどの間、そうして向かい合っていただろう。


「………………くそ」


 悪態を吐き捨て、シオンはその切っ先を引いた。

 剣を下ろし、鞘に納める。その間にビアンカたちを一瞥し、三人とも完全に寝入ったままなのを確かめて、ひっそりと安堵の息をつく。


「……本当に何も聞いてないのか」


「その問いに対する立証は困難です。ユイリィ・クォーツの観測は、検証のための材料を欠いています」


 シオンは苦い面持ちでユイリィを睨み、やがてため息混じりにそれをやめた。

 《人形》の真意を探ろうなどと、試みるだけ意味がない。


(いや――)


「……そうだな。確かにあんた、うちの地下室へ来たのは三年前だったか」


「?」


「場所を変えていいかな。さすがにこれ以上ここで騒ぐと、こいつらを起こしそうだ」


「はい」


 先導するシオンの後に続いて。ユイリィは《黄金の林檎》亭を出る。

 扉をくぐる直前、一瞬だけ、ユイリィは脚を止めて中を振り返ったが――シオンがそれに気づくことはなく、あるいは気づいていたとしても、それの意味を問い質すことはしなかった。


 ――いってくるね。


 と、声には出さずに囁く様を、シオンが見出すことはなかった。

 

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