26.《すべてのひとの、幸いと可能性のために》・②


 その、同い年の男の子に初めて会ったのは、フリスが十歳になった年の春だった。

 《多海海》をまたにかける冒険者の両親に連れられて、お師匠さまのところへ連れてこられたその男の子――『オレたち二人の自慢の息子を、どうか一流の冒険者に育ててやってくださいッ!!』という、暴風みたいに激しいお願いの言葉とともにお師匠さまのところへ預けられ、フリスとも一緒に暮らすことになったその男の子は、なんだか野生の狼みたいに荒んだ目をしたちっとも笑わない男の子で――最初会ったときなんか目も合わせられなかったくらい、フリスはその子のことが怖かった。


 きっと、本当に野生の狼みたいな冷たくて恐ろしい男の子なんだと思ったし、そんな子と一緒にお師匠さまの家で暮らしていかなきゃいけないのだという未来を思うと、目の前が真っ暗になりそうだった。

 でも――そうじゃなかったんだと、程なく気づいた。

 その子は冷たくなんかなかったし、怖くもなかった。

 その子は口数が少なくていつも荒んだ目をしていたけれど、それは彼が常に気を張って、周りを警戒しているせいだった。

 たくさんつらい思いをしてきた子なんだと、フリスは気づいた。


 ――三年の月日が過ぎて、お師匠さまのところを離れて冒険者になる日が来る頃には。

 その子はとてもやさしくて、とても頼もしい男の子になっていた。

 けれどきっと、彼は最初に出会ったときからずぅっとそれが本質で、でもそれを上手に現わすことができなかっただけの男の子だった。


 ずっと一緒だった。

 冒険者になる前も。

 冒険者になってからも。

 冒険者から離れた後も。

 

 冒険者の暮らしから離れて、身に着けるもののひとつひとつに実用性を考える必要がなくなって。フリスは、女の子らしい靴を履くようになった。なるべくだけど、おしゃれをするようにした。

 一度、「前髪を切って町の女の子たちみたいな服に着替えたら、きっととびきり美少女になるな」――だなんてからかわれたことがあって、それを忘れられずにいたから。フリスは彼の言ったようにするなんてとてもできやしなかったけど、でも嬉しかった。

 幼馴染みというだけじゃなく、ちゃんと女の子だと思ってもらえているんだと。

 それが分かったのが幸せすぎて――その日の夜は彼の言葉を頭の中で何度もなんども反芻しながら、いつまでも寝付けなかった。


 長く伸ばした前髪は切れなかったし、魔女のドレスと三角帽子を着替えることもできなかったけれど。 


 だって、長い髪は便利だ。魔女らしいつば広の三角帽子も、とても頼もしい。

 泳いでしまう視線も。熱を帯びる頬も。赤くなった耳たぶも。みんなみんな隠してくれるから。


 そんなものでもなかったら、自分がどんなみっともない顔をして、ずっと彼の背中を見つめていたか。

 ぜんぶ、気づかれてしまうのに、決まってるから。



 フリスが休んでいる部屋は、ビアンカの部屋でもある二階の六号室。部屋の鍵はビアンカに貸してもらった。

 念のため扉をノックすると、「はぁい」とか細い声が返ってきた。


「フリスねえちゃん。入るよー」


「ユイリィも来たよー」


 一声かけて扉を開ける。

 扉から見て左右にひとつずつ並んだベッドの右側で、横になったフリスがもぞもぞと頭だけ起こしてちょうどこちらを見たところだった。


「あ……ランディちゃん。ユイリィさんも、いらっ、しゃぃ……」


「お見舞いきたよ。フリスねえちゃん起きられそう?」


「お夕飯もってきたよ。食べられそう?」


「は、はい……なんとか」


 ベッド横の小ぶりなサイドボードへランディが夕食を乗せたお盆を置く間に、フリスはのそのそと体を起こす。

 ランディはちいさな丸椅子をベッドの傍まで運び、その上にちょこんと腰かけた。


「ひとりで食べれる? あーんしよっか?」


「ありがと、ランディちゃん。……ん、でも、へいき。ひとりで食べられる。から」


 やんわりと眦を細めて礼を言い、フリスは木製のスープ皿とスプーンを手に取った。

 葉野菜と根菜をたっぷり入れたスープ。ちいさく切り分けたニンジンと一緒に掬ったスープを一口して、フリスはほんの少し頬を緩めた。


「……おいし」


「フリスねえちゃん、まだおつかれさま?」


「ぅえ? ううん、へいき。おつかれさまなんかじゃ、な、ないよ? げんき。へいちゃら」


 ――へなちょこなとこはもう散々見ちゃった後だし、そんな見栄張られてもなぁ。


 へにゃりと笑うフリスを見ながらそう思ったことは、彼女のため言わずにおく。それくらいの空気ならランディだって読むし、フリスの意をくんであげる気遣いだってできる。八歳なので。


「それに……きっと、たいへんなの、明日からのほう」


「そうなの?」


「うん……」


 《黄金の林檎》亭に着いた時点で今にも倒れそうだった理由は、ランディにもなんとなく察しがつく。

 フリスはもともとへなちょこだし、それに人混みが苦手で話し下手だ。魔物の討伐もさることながら、魔物を討伐した後の事後処理で町のえらいひとたちと話すのもきっとものすごく大変だっただろう。

 けど――それより大変なことが、まだ残っていただろうか。


「ん……と、薬屋の」


「あ」


 そうか、と。フリスの口から言われてようやく気がついた。

 シオンを追ってから今まで、フリスの薬屋は、留守番の《パペットくん壱号》が店番をしていただけだ。本当なら今日のうちに手をつけていたはずの仕事は、手つかずのまま積まれている。

 そも、一昨日の夜にリテークのお父さんに呼ばれて出かけていってから今日までの間、フリスはほとんど魔物退治にかかりっぱなしだった。今日のぶんだけでなく、その間の仕事だってまるまる残っているのだ。


「フリスねえちゃん、それだいじょうぶ? なんかぼくらで手伝えることある?」


「ふえぇ!? あ、ぇえ? それ、悪いよ。ランディちゃん学校」


「学校は来週から。ぼくじゃできることあんまりないかもしれないけど、今ならユイリィおねえちゃんだっているし。ね?」


「もちろんお任せだよ。ユイリィおねえちゃんはたのもしいのです」


「ほら」


 ランディに頼られたユイリィは、誇らしげに薄い胸を張る。

 そう、ユイリィは強い。力もあるし、たくさんのことを知っている。できることはランディよりずっと多いはずだ。

 自分の身の回りのことをランディ自身でちゃんとやれば、その分をフリスの手伝いに回してもらうことだってできる。ユイリィ自身がどう考えるかは分からないが、ちゃんとお願いすれば断られることはないだろうというのは、数日の短いつきあいでもなんとなくわかってきた。

 唯一、問題があるとすれば、


「その……めいわくなんだったら行かないけど。ごめんなさい」


「ぅうん、そんなこと! ちゃんと、嬉しい。よ?」


 真っ赤になりながら、フリスはぶんぶんと首を横に振る。


「とっても、助かっちゃう……あ、シオンくんもね、ビアンカさんたちもゆってたの。手伝って……くれる、って」


「ビアンカさんたちも?」


「うん」


 フリスは嬉しそうに頬を染めて、はにかんだ。


「だから、だから、ね。明日からはたいへんだけど、ちょっとだけ……嬉しい。みんなで一緒なの、久しぶり。だから」


 色白の頬をほんのり染めて、はにかむフリス。

 フリスの元気が出たみたいで、ランディも嬉しくなる。


「そだ。今日はもう遅いし、歩いて帰るのつらいだろうからこの部屋で泊まっていってもいいって。おじさんとビアンカさんがゆってたよ」


 宿代もオマケしてもらえるらしい。危険な魔物の討伐を果たした冒険者への、ささやかな親切だ。

 だが、それを聞いたフリスは途端に肩を落とし、ひっそりと溜息をついた。


「フリスねえちゃん?」


「あ、うん。その……情け、ない、なぁ……って」


「えっと、もしかして自分だけばてちゃったこと? でもそれって靴のせいじゃない?」


 フリスの靴はヒールがついた、町歩きのためだけのデザインをしたかわいい靴だ。でこぼこした森を歩くのには向かない。

 前に興味がわいて一度だけ履かせてもらったことがあるのだが、ぐらぐらするし地面を踏んでる感じがしないしでただただ歩きにくかった。

 あんなので森の中を歩くなんてとてもではないができないし、したくない。ランディは内心、なんでフリスはこんなひどい靴を履いてるんだろうと疑念を覚えてしまったくらいだ。


 実際、ユイリィの『観測』のとおりなら、『遺跡』の入り口あたりでも一人だけこけそうになっていたみたいだし。


「それも……なんだけど。わたし、さぼって――だいぶん、さぼってたんだなぁって、思って」


「?」


「冒険者としての鍛錬を、ってことかな?」


 首をひねるばかりのランディに代わって言ったのは、ユイリィだった。

 フリスは恥じ入るように面を伏せて、赤くなった顔を長い前髪で隠した。


「そんなのしょうがないじゃない、フリスねえちゃん薬屋さんしてるんだもの。それにシオンにいちゃんだって、そんなのしてるとこ見たことないよ」


「ううん、シオンはちゃんとやってるよ。鍛錬」


「そうなの!?」


 あっさりと、ユイリィが否定する。

 驚愕の声を上げるランディに、ベッドのフリスが「あ」と掠れた呻きを零す。


「あの、ユイリィさ」


「そうなの。毎朝ランディちゃんが起きる前とランディちゃんが学校行った後ね」


 ちっとも知らなかった。

 ランディの知っているシオンはたいていいつも家事をしているし、そうでなかったら町のえらいひとたちの相談に乗るため出かけたりしている。


「《棺》の観測で音だけだから、ユイリィの推測半分だけどね。身体能力スペックを落とさないため、あとは技術的な勘を忘れないための訓練かな。『冒険者』としてどうなのかはユイリィだと評価が難しいけれど、『戦士』としての力量を維持する努力はずっとしてるみたい」


「そうだったんだー……」


 感嘆の、呆けた吐息を零しながら。ランディの中で閃くものがあった。


「じゃあさ、じゃあさ。それじゃシオンにいちゃん、また冒険に行ったりするのかな?」


「将来の可能性を含めて『否』と判断する材料は、今のところないと思うよ」


「あ、あの。あの」


「そっかー……!」


 興奮気味にぐっと拳を固め――「あれ?」と。そこでランディは首をかしげる。

 もし本当にそうなら。シオンに、冒険者を続けるつもりがあるのなら。


「じゃあ、どうしてビアンカさんに誘われたときは断っちゃったんだろ」


 何で、あんなに怒っていたんだろう。


「あ、の……」


「今回の一件に関してだけなら、シオンの言葉通りで筋道は通るよ」


 ――シオンは町から離れるつもりがなかった。

 故に、森の奥まで探索に向かうことはできない。今回の《双頭蛇竜アンフィスバエナ》はたまたま町に近い『遺跡』を巣穴としていただけで、可能性としては安全な巣穴を求めてもっと森の奥まで入り込んでいたケースも十分にあり得た。

 シオンの目的は『町の防衛』だった。

 故に、『魔物の討伐』ないしそれによる報酬を目的とする冒険者とは、ある時点から行動の足並みが合わなくなる。


「それ以上の意味では判断材料が足りないね。もしランディちゃんが気になるなら、過去の観測から検索してみるけど」


「っ――ユイリィ、さんっ!」


 突然の大声にびっくりして、弾かれたようにフリスを振り返る。

 彼女が声を荒げるところを、ランディははじめて見た。


「そっ、そういうの、よくない、です。って、思います……! わわ、わかるからって、勝手に、そういうの! ぜんぶ、話しちゃうの……っ!」


 慣れない大声を出したせいか、フリスは肩で息をしていた。

 ユイリィは叱られてしまったときのネコみたいに、目をまん丸にして固まっていた。

 弾みで器が揺れたのか、スープが零れて上掛けの毛布を濡らしていた。フリスが「あっ」と焦った声を上げたのでそれに気づき、ランディはポケットに持っていたハンカチでポンポンと上掛けを叩くようにして水気を取った。

 しゅんと肩を落とす彼女の表情を、ランディは伺うようにそっと仰ぎ見る。


「フリスねえちゃん、みんな一緒なの嬉しいってゆったよね」


 この、どうしても頼りなくて仕方ない、自分やシオンが護ってあげなきゃいけない女の子を怖がらせないように。ゆっくりと、


「もしお店のおしごとが終わったらさ。フリスねえちゃんは……ビアンカさんたちと、冒険に行く?」


 問いかけたランディを、フリスはぽかんとランディを見つめていたが。

 やがて、抱えた膝の間に視線を落として、俯いた。


「どう……かなぁ」


「どうって、そんな。ビアンカさんたち、フリスねえちゃんとも一緒に冒険したいって、それでうちに来たんだって言ってたよ? シオンにいちゃんだけのためじゃないよ」


 応えが返るまでには、長い時間が必要だった。

 じれったくて、急かしそうになって。でもきっとそうしたら何も答えてくれなくなるのがわかってしまったから、ランディはぎゅっと唇を噛んで待った。


 ――ふと。

 フリスは落としていた金色の瞳をランディに向けて、胸を貫かれたようにはっと息を呑んだ。


「……ごめん、ね。ランディちゃん。……ありがと、う」

「え……?」


 お礼を言われる理由が、分からなかった。

 ただ、ランディがそうして戸惑う間に、フリスはとつとつとした言葉を零し始めた。


「わたし……わたし、ね。冒険にこだわる理由が、ない……から」


 だから、みんなとは違うのだと。長い髪を揺らし、ゆっくりとかぶりを振る。


「だから、だからシオンくんが、ここに残るって言ったときも――わた、し、わたしね、一緒に……一緒に、いたく、て」


「シオンにいちゃんと?」


 コクンと頷く。

 長い前髪で隠れた顔は、それでもそうと分かるくらい、耳まで林檎みたいに真っ赤だった。


「つまり、フリスはシオンが好きなんだ?」


「ひゃわあぁぁ――――――ぁああ!?」


 決定的な一言を突き付けられたフリスは、ウサギのように飛び上がった。

 膝に乗せていたスープ皿が今度こそひっくり返って、中身をぜんぶ上掛けにぶちまける。


「ぁあー!? わ、ひゃ、わわわあぁあ――――! ふふふ拭くものぉ――っ! 布っ、ハンカチ……っ!」


「フリスねえちゃんだいじょぶだから! ぼくハンカチ持ってる! 持ってるから、おちついて!」


「ああぁぁあごごごごごめんねランディちゃんっ! ほんと、ほほ、ほんとごめん、なさいっ……」


 あうあう言っているフリスを宥めながら、こぼれたスープを拭きとっていく。

 フリスはさっきよりいっそう真っ赤になって、今にも泣き出しそうに金色の瞳を潤ませていた。


「あの……えっと、それじゃあフリスねえちゃんは」


 その続きを口にしようとして、どうしてか――胸の奥がずきずきした。

 喉の奥に重たいものが引っかかって、うまく言葉が出てこない。


「シオンにいちゃんが、好きだから……えっと、シオンにいちゃんと一緒にいたくて、トスカで薬屋さんしてたの?」


「…………………最初は」


 蚊の鳴くような小さな声は、最後まで紡がれることもなく掠れて消える。


 やがて、きゅっと唇を結んで。

 フリスは一度だけ、コクンと頷いた。



 すっかり静かになった二人部屋に、フリスが立てる小さな寝息の音が溶けていた。

 結局、フリスはあのあと晩御飯も食べないまま上掛けにくるまって、それでいつの間にか寝息を立て始めてしまった。

 きっといろいろ恥ずかしくなったせいもあるだろうし、それ以外の理由もあったのだと思う。ランディの知る限りでも、フリスは一昨日の夜からろくに眠っていなかった。森を進むのに向かない町歩きの靴を履いたまま探索に出て、『遺跡』の入り口でこけそうになっていたらしいのも、もしかしたらずっと寝てなくて疲れていたせいもあったのかもしれない。


「……………………」


 ランディは部屋の左右に並んだベッドのもう片方に座って、ユイリィがその隣に腰を下ろしていた。

 手持無沙汰に、ベッドの縁に腰かけて足をぶらぶらさせているだけのランディの隣に、彼女は何も言わずについていてくれた。


「……やっぱり、ぼくのせいなのかな」


「なにが?」


「シオンにいちゃんが冒険に行かなくなったのって」


「それをユイリィが判断するには、まだ情報が足りていないかな」


 でも、と。ユイリィは言う。


「少なくともシオンには、シオン達にとっては。それは違うことなんだと思うよ」


「でもさ……」


 本当に、そうなんだろうか。確かにシオンがそんな風に言ったことなんてランディの記憶にある限り一度もないし、ビアンカやジーナスもランディの問いに首を横に振ったけれど。


「フリスねえちゃんがさっきみたいに怒鳴るの、はじめて見たんだ。それにシオンにいちゃん、ちゃんと冒険者の訓練してたんでしょ? シオンにいちゃんはやっぱり正義の冒険者で」


 ――たとえばそれは、冒険のおはなしに出てくるみたいな。

 わるい魔物をやっつけたり困ってる人を助けたり。ときどき失敗してたいへんな目にあったりもするけれど、でも最後はぜんぶうまくいってめでたしめでたしになる、かっこいい正義の冒険者。

 ついにはこの国の王様から頼まれて、《果てなる海の嵐竜》なんてすごい魔物をやっつけたことだってある。

 誰より何よりかっこいい、みんなの正義の味方。


「いつだって冒険に行けるのにさ。なら、やっぱり変だよ。それなのにビアンカさん達とケンカするし、アンフィス――なんとかのときだって、なんかおかしなこと言い出すし」


 冒険に行くつもりがないんなら、何で訓練なんてしてたんだろう。ちゃんと訓練してたくせに、何で冒険に行かないんだろう。

 何でそのことを、ランディに教えてくれなかったんだろう。

 それをユイリィが語ったことを、何でフリスは、あんなに怒ったんだろう――

 

 頭の中がぐるぐるする。

 胸の中でずっとずっと、たぶん本当にずっと前からわだかまっていたものが、重たく渦を巻いている。それは確かにそこにあるのに、なのに一体何を言いたいのか、何を吐き出したいのか、ランディは自分で自分が分からない。

 なのに、


「最後のおはなし、一度もしてくれたことないしさ。他のおはなしはなんだって聞かせてくれるのに、それだけはダメなんだって。いくらお願いしてもへりくつ言って、一度も」


「うん」


 なのに、ユイリィは頷いた。

 大丈夫だよ、と。告げるみたいに。


「ランディちゃんの言いたいこと、少しわかる。きっとぜんぶはわかってないけど、たぶん、それがわかるよ」


「……それ、って何?」


「ランディちゃんが、賢くてやさしい男の子だってこと」


「へっ?」


 ぎょっとして、思わず声がうわずらせるランディを見つめ、ユイリィは微笑んだ。

 心から幸せそうな、きれいな笑顔だった。


「賢明だから気付き、優しいからそれを思わずにいられない――ユイリィはそれを誇りに思うよ。ユイリィの機主マスターは、とってもやさしい男の子なんだって。それが嬉しい」


「えっ、と……な、なにそれ。ぜったいちがうと思うんだけど。どういうこと?」


 へどもどと、呻くしかできない。本当に訳が分からない。


「傍にいるから言えないこと、触れさせられないことって、きっとある。シオンにもそれがあって、ランディちゃんには触れさせられない」


「それ……ぼくがまだ子供だから?」


「一緒にいたいから、だと思うな。シオンはランディちゃんが今みたいに気にして悩んでいることを、気づいたり悩んだりしてほしくなかった」


 言いきって、花のように微笑む。その笑顔を真っ直ぐ見ているのが恥ずかしくて、ランディは不貞腐れたみたいに顔を背け、唇を尖らせた。

 視界の外で、ユイリィが小さく、微笑ましげに含み笑う声が耳を擽る。じっと座っているのが辛くなるくらい、胸の中がそわそわした。


「でもランディちゃんは気づいた。それはたぶん、ユイリィのせいでもある。

 だから何かしないといられないなら、ユイリィに命令――ううん、ユイリィにそれを伝えて。ランディちゃんに望む何かがあるなら、ユイリィはそのためにを尽くすよ」


 今日、そうしたのと同じように。


「ランディちゃんの『お姉ちゃん』だからね。だから――」


 おずおずと。背けていた顔を上げて、もう一度彼女を見上げる。

 真っ直ぐにランディを見つめて、機甲少女は問いかけた。


「ユイリィに、がんばらせてくれる?」


「………………」


 目を逸らしそうになるのを、堪えて。

 答えようとして息が詰まり、唇を噛んで。


「――うん」


 最後に彼女を真っ直ぐ見つめて。ランディは大きく一度、頷いた。

 

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