25.《すべてのひとの、幸いと可能性のために》・①


 ――その違和感に、最初から気づいていた訳ではなかった。


 四歳のとき初めて出会った、兄のシオン。

 出会いの日、両親が誇らしげに語ってくれた、自慢の長子――稀代の冒険者。

 両親が冒険に出かけていって、代わりにそれまでずっと家にいなかった兄が、一緒に暮らしてくれるようになって。

 おとうさんとおかあさんがいなくなったのが寂しくなかった訳ではないけれど、シオンはやさしくてかっこいいお兄ちゃんで、そんなシオンにランディもすぐに懐いた。


 それに、傍にいてくれるようになったのはシオン一人だけではなかった。

 シオンと一緒に帰ってきた、ご近所のフリスおねえちゃん。

 シオンの幼馴染みで、ランディよりずっと年上なのになんだか頼りなくて守ってあげなきゃいけないみたいな感じで。だけど、とてもきれいで、お料理が上手なお姉さん。

 シオンやフリスとの暮らしにもすぐ慣れて、両親がいなくなったのを寂しいと思うことも減っていった。


 その頃、何も疑問を抱くことなくいたのは――きっとランディが今よりずっとちいさな、四歳の子供だったせいだ。

 でも、それから時間が経って。

 背が伸びて、学校にも通うようになって。周りの話をよく聞けるようになって。

 シオンやフリスが、みんなから尊敬されるようなすごい冒険者なのだと、そう、実感できるようになるにつれて。

 傍にいてくれるのが当たり前だった二人の存在が、時々たまらなく不思議に感じられるようになっていった。


 おじさんも。おばさんも。ラフィも。友達も。クラスメイトも。町の人達も。

 誰もが英雄だと、町の誇りだと褒めている、吟遊詩人がたくさんの歌にその冒険を歌い上げるすばらしい冒険者。

 眠れない夜にシオンがおはなししてくれる冒険の物語の中で、いつだってどんなときだってまぶしいくらいにキラキラと輝いている、楽しくてすてきな仲間たち。

 おはなしの中のシオンたちはいつだってどんなときだって、聞いているランディがハラハラドキドキしてしまう、冒険の中を駆けていた。


 いつだって、シオンの語る冒険は、そんな風だったから。

 冒険のお話をしてくれるシオンは、いつだって楽しそうで、どこか懐かしげな顔をしていたから。


 だから、不思議だった。


 そんな二人が冒険へ旅立つところを、ランディは一度だって見たことがなかった。

 それは、時々――本当に時々、町長さんや役場のえらい人たちが持ってくる困りごとを、冒険者としての経験を活かして解決してあげるといったことはあったけれど。でも、本当にそれだけ。


 いつも心の中にあった訳ではないけれど、完全に疑問を忘れられることもなかった。

 二人が冒険に行かないことにも。

 二人がランディの傍にいてくれることにも。

 シオンが話してくれるおはなしのなかで、ひとつだけ、一度も語られたことのない冒険があることにも。


 それは、いつのころからか。

 ランディの胸のどこかに引っかかって、時々思い出したようにちくちくと胸の奥で存在を訴える、目には見えない透明の鈎針だった。


 ――どうして二人は、冒険に行かなくなってしまったんだろう。


 ………………。

 ……………………。



 コートフェルをはじめとする、ラウグライン大森林周縁を覆った暗雲――迷宮の奥より運び出され、不幸な事故によって森の中へと解き放たれた獰猛なる魔物、《双頭蛇竜アンフィスバエナ》の脅威は、急を告げる布告の発令より僅か二日にして、その討伐をもって解決を見ることとなった。

 コートフェルから派遣された警衛による検分が終わるのを待っていたこともあり、シオンがトスカの町に帰ってきたのはすっかり日も暮れてからだった。


「ただいま戻りました。ランディは――」


「おかえり、にいちゃん!」


「シオンさんお帰りなさい!」


 《黄金の林檎》亭を訪ねてきたシオンを、ランディは真っ先に飛び出して出迎えた。

 ラフィと二人、めいっぱい助走をつけてシオンへ飛びつきながら、はしゃいだ歓声を上げる。


「フリスねえちゃん、ビアンカさんもジーナスさんもロニオンさんも! みんなおかえりなさい!」


「ただいまぁ弟クン♪ いい子で待ってた?」


「おう、ウィナザード弟。つかビアンカ、その気ッ色悪ィ猫撫で声やめろ」


「ご亭主、今日は祝杯です! まずは人数分のエールを!」


「おめェはおめェでいきなりそれかよ……つかウィナザード弟、そっちの女は誰だよ。オマエのカノジョか?」


「ばか、ジーナス。その子ご亭主の娘さんよ。宿の女の子」


「はっ? あ、あぁ――そか」


「従姉妹のラフィです」


 びっくりして目を丸くしているラフィが何か騒ぎ出すより先に、ランディから紹介してしまうことにした。

 ジーナスはこころもち眉をひそめながら、「あぁ」と唸る。


「ウィナザード弟のイトコ、宿の亭主の娘か。まあ、その、なんか悪ィな。昨日はちっとムカついてて、初対面のツラとか覚えてらんなくてよ」


「えっ!?」


 途端、ラフィは真っ青になる。


「それってあの、それってもしかしてあたし達みなさんになにか失礼なこと!」


「ああいや、そういう事じゃなくてな……ムカついてたのは嬢ちゃん達のせいじゃねェから。シオンのせいっつか――とにかくこっちのハナシだから忘れてくれ。な?」


 あらぬ方へと気まずげに視線を背けながら、ジーナスはボソボソ取り繕う。

 おろおろするラフィを見ていられないのか、最後の方は若干懇願が入っていた。


「そういえば、フリスねえちゃんは?」


 ……………………。


 返事がなかった一人へと、一同の視線が集中する。

 シオンたちの最後尾――宿の入り口のところにいたフリスは、げっそりと青ざめた顔色で背中を丸め、肩で息をしていた。息も絶え絶えで――心なしか、跳ね気味の髪も力なくしおれているみたいだった。


「……フリスねえちゃん、おつかれさま?」


「…………、かも」


 途端、ふらりとよろめくフリスを、シオンが「おっと」と素早く支えに入る。


「完全にへばってるな……フリス、まだ歩けるか? 適当なとこ座って休ませてもらおうか?」


「いっそ私の部屋で寝かせちゃいましょ。二人部屋だからひとつベッド空いてるし」


 ビアンカの提案を聞いたシオンは、カウンターの向こうで料理をしていた《黄金の林檎》亭の亭主、叔父のアーヴィンを伺う。

 叔父は、冒険者というにはあまりにひ弱なフリスの疲労困憊ぶりにほとほと呆れたという顔をしながらも、顎をしゃくって二階へ連れてゆくよう示し、無言で了承の意を示した。


「ありがとうごさいます、叔父さん。――で、ビアンカの部屋は?」


「二階の六号室。私が運ぶから貸してちょうだい」


「……わかった。頼んだ」


「はいはい。任されました」


 茶化す調子で言ったビアンカは、フリスに肩を貸しながら二階へと上がっていった。

 女性二人の姿が見えなくなると、ロニオンとジーナスはようやく羽が伸ばせるといわんばかりに、伸びをしたり肩を回したりしながら盛大な溜息をついた。


「ではご亭主! 私にはなんでもいいのでなんか熱くて味の濃いものを!! あと肉ください肉!!」


「あー……オレは果物。甘い果物ならなんでもイイんで。それから胡桃クルミとリンゴ水……か、ねェならなんか適当にナッツと果実酒、頼ンます」


「はいよ、注文承りました――ラフィ、手伝ってくれ」


「はぁい! あの、シオンさんまた後で!」


「ああ、いってらっしゃいラフィ。お手伝いがんばって」


「はい!」


 ラフィはバラ色に頬を染めて弾んだ声を返すなり、手伝いのため小走りでキッチンに入っていく。

 一方、カウンターの叔父へと注文を飛ばし終えた冒険者二人は、空いた席を探してその場を見渡した。

 程なく隅のソファ席にいたユイリィを見つけ、ロニオンは「おや」と一声上げると、友好的な足取りでソファ席へ向かっていく。そんな冒険者仲間に盛大な溜息をつき、ジーナスが渋々その後に続く。


「ランディも、一緒に食べていくか?」


 急に降ってきた声に、びっくりして兄を振り仰ぐランディ。


「いいの?」


「今日はもう遅いしな。帰って支度する時間もないし、夕飯まだ食べてないなら一緒に食べていこう」


「うん、食べる!!」


 「やった」と快哉を上げて、めいっぱい頷くランディ。シオンは口元をほころばせ、


「……そうだ、ランディ。今日はありがとうな」


「? なにが?」


 ユイリィたちのいるテーブルへ駆けだしかけた足を寸前で止めて、シオンを仰ぎ見る。

 その頭を、大きなてのひらがくしゃりと撫でてきた。


「今日はお前に助けられた。俺一人じゃ、こんなに早く魔物を仕留めるなんてできなかった――そのお礼をな、まだ言ってなかったからさ」


 ぽかんと口を開けて呆けた顔で、撫でられたところに手で触れていたランディだったが。

 それが『遺跡』のことを言っているのだと、不意に閃いた。


「あのね、にいちゃん。そのことなんだけど――」


「事情はビアンカたちから聞いてる」


 微笑んで、シオンは優しい声で言った。

 おおきなてのひらが、くしゃりとランディの頭を撫でる。


「大丈夫だ。兄ちゃんにぜんぶ任せとけ」


 笑みを深めて請け負うシオン。

 ランディは胸の中がぱあぁっと暖かくなってゆくのを感じながら、ぶんぶんと首を縦に振って、何度も頷いた。


「にいちゃんにいちゃん! 今日の冒険のおはなし、ごはん食べながら聞かせてもらってもいい?」


「ああ、いいぞ。でも俺が話さなくても、ロニオンあたりが法螺ほらと脚色たっぷりで聞かせてくれると思うけどな」


「ん-。そういうのはいらないかなー」


「そっか。そりゃそうだよな」


 おかしげに笑いながら、ユイリィたちのいるテーブルへ向かうシオン。

 その隣に、ランディは足取り軽く並んでゆく。



 夕食はその日の冒険――シオンたちの《双頭蛇竜アンフィスバエナ》討伐を肴にして、賑やかにその時間を過ぎさせていった。

 フリスを寝かせてきたビアンカや、手伝いから解放されてやってきたラフィも途中で加わり、二席分のテーブルを囲んでの一時はいっそう明るさを増していった。


「それでねー! ユイリィおねえちゃんはこう足を振り上げて、ばーんってしてね?」


「ランディ、脚ふり上げるのやめなー、行儀悪いから。あとテーブルに当たったら皿やジョッキひっくり返って危ないから」


「わかってる! えっと、それでね? こう、ばーんっ踵をぶんって振り下ろしたらぐしゃーって!」


 話はいつしか、一頭目の《双頭蛇竜》を倒したユイリィのそれへと移っていた。

 目の前でその光景を見ていたランディが熱の入った語りを繰り広げるのに、シオンは渋い面持ちで釘をさす。ランディの方は兄の注意が聞こえていない訳ではなかったが、周りの大人たちが―― 一流の冒険者たちが自分の話に耳を傾けてくれていると分かっていたので、いっそう力強く手足を振り回して盛り上がっていく。


「そしたらしっぽの方の頭がこうぐぁーってなったから、ユイリィおねえちゃんが口に手を突っ込んでね? そしたら急にばっと光ってどかーんっっ!! てなったの!! すごかった!!」


「そうなの、すごいわねぇ。私も見たかったわぁ」


「ぱっと光ってどかーん、ねェ」


 ニコニコと微笑ましく相槌を打つビアンカの隣で、あまり想像がつかないといった様子でジーナスがほっそりした顎を撫でながら唸る。

 ランディはうんうんと何度も勢いよく首を振って、興奮を露に首肯する。


「ラフィも見たよね? あれすごくなかった!?」


「まあ……そうね。あたしもあれはびっくりした」


 一方のラフィは大皿の料理を少しずつ抓みながら、落ち着いた――というより気のない素振りでうんうんと従兄弟の熱弁に応じていた。実のところ、ランディが先に盛り上がってひたすら一人で喋りはじめてしまったせいで、ラフィの方は入るタイミングを見失ってしまっていたのだ。


「あ……そういえばちゃんと聞いてなかったわね。アレ何だったのかしら。ねえユイリィさん」


「うい?」


 話を振られたユイリィは、小鳥のように首を傾げて疑問符を浮かべる。


「あのパッて光るやつ、何だったの? 魔法?」


「ぼくも知りたい! あれどうやったの!?」


「《閃掌光撃レイバレット=フィスト》のこと? あれはユイリィの


「けい……?」


 「そう」とひとつ頷き、ひらひらと手を振ってみせるユイリィ。


「こう――疑似霊脈の素子を圧閉機構にかけて撃つの。《機甲人形オートマタ》は魔法を構成する機能がないから、ユイリィはその代わりになるものを積んでるんだよ」


「えっと……」


 理解が追いつかなかったか、ラフィは眉根を寄せて呻く。


「つまり……魔法じゃないってことなのよね?」


「もしかしたら《魔法》って呼ばれる中に、似たような何かがあるかもしれないけどね。ユイリィのあれは魔法とは違うもの。ユイリィは《機甲人形オートマタ》の中ではとくべつすごいけど、魔法を使うには霊脈の『密度』が足りないんだ」


 そうだねぇ、とわずかの間唸って、ユイリィは答えをひねり出す。


「魔法よりは……水鉄砲の方が近いかな。たぶんだけど」


「水鉄砲?」


「ふぅん……?」


 眉をひそめるラフィ。

 分かったような分からないような、あやふやな表情で唸るランディ。

 年少の二人が揃って困惑の面持ちを広げる中、叔父のアーヴィンが方形のお盆を持ってやってきた。

 真っ先に気づいたビアンカが「あら」と声を弾ませて立ち上がる。


「ありがとうご亭主。手間かけちゃってごめんなさいね」


「いえ、お構いなく」


 叔父からビアンカが受け取ったお盆の上には、具がたっぷり入ったスープとふかふかの白パン。


「ビアンカさん。それ、もしかしてフリスねえちゃんのぶん?」


「そうよ、フリスのお夕飯」


 ビアンカは睫の長い眦を細めて微笑む。


「そろそろあの子も落ち着いてきた頃だろうし、おなかすいてるんじゃないかと思って」


「あのっ」


 さっそく踵を返そうとするビアンカを、ランディは呼び止めた。


「それぼくが持ってってあげてもいいですか? フリスねえちゃんに」


「あら、いいの?」


 ランディの気づかいにビアンカは声を弾ませ、へにゃりとだらしなく相好を崩す。


「それは確かに、ランディくんにそうしてもらえたらお姉さん助かっちゃうけどぉ……ほんとにいいの?」


「はい。ぼく行きます。フリスねえちゃん気になるし、それにビアンカさん今日は冒険で疲れてるでしょ?」


 ビアンカはしばし、天井を仰ぐようにして長く長く息をついた。

 果たしてどれほどそうしていたか――くるりと視線を向けて、シオンを見る。


「シオン、この子可愛い」


「一応ありがとうとは言っておくけど、ビアンカにそれ言われると正直不穏な感じしかしないな」


「あれ、ひどくない? 私べつにおかしなこと何も言ってないわよね? 普通のことしか言ってないわよね?」


 ビアンカは不服たっぷりに周囲を見渡したが、あいにくと彼女に味方する声は上がらなかった。

 ラフィは意味が解らないのか興味がないのか、ちらとシオンの表情を伺ったきり素知らぬ顔で沈黙。ジーナスやロニオンに至ってはそっと視線を背けて、げっそりした溜息をついただけだった。  


「ランディちゃん」


 訳が分からずきょとんと目をぱちくりさせていたランディに代わって、夕食の乗ったお盆をビアンカの手から取り上げながら。

 ユイリィが屈託ない微笑みを広げて、声をかけてくる。


「一緒行っていいかな? ユイリィもフリスの様子は気になってたんだ」


「え? うん。べつにいいけど……」


 フリスねえちゃんに夕飯をもっていってあげるの、やりたかったんだけどな……。


 そんな風に思ってしまったランディの胸中に気づいてか。

 ユイリィはその場でちょこんと膝を落とし、「はい」とお盆を手渡してきた。


「これは、ランディちゃんがお願いね」


「……がんばる」


 ランディはもごもごと応じた。

 ――身勝手さを見透かされてしまったみたいで、なんだかとても恥ずかしくなった。

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