22.忘れられない、《仲間》です・④


 《果てなる海の嵐竜》の討伐。

 シオンとその仲間達――いや、五人の若き冒険者が打ち立てた、最大にして最高の偉業。

 多くの吟遊詩人が唄う、ルクテシアで冒険者を夢見る子供ならきっと誰もが一度は耳にしたことがあるだろう、英雄たちの物語。

 だが、


「…………………」


 ランディは口ごもった。

 そのお話を、シオンから聞かせてもらったことは、一度もない。

 でも、兄がそんな冒険をしてきたということだけは知っていた。ラフィや、伯父さん伯母さんや、他にもたくさんのひとが、シオン・ウィナザードとその仲間達が踏破した最大の冒険として、ランディの周りでそれを語って聞かせてくれたから。


 今から数えて四年前。

 東の海から、《果てなる海の嵐竜》――その身に恐ろしい嵐をまといながら空を往く、天災が如き《古竜エインシェント》が現れた。

 旧王国の古文書においてその存在を記されるばかりだった、架空の存在とばかり思われていたこの未曾有の脅威に立ち向かうべく、《諸王立冒険者連盟機構》の盟主たるルクテシアの王家は、王の名代たる第一王子アルトレオンの名のもとに、選りすぐりの冒険者を王都リジグレイ=ヒイロゥのいただき、王城グレイピークへと呼び集めた。


 その先陣となって暴悪なる嵐の竜へと挑むこととなったのは、《多島海アースシー》の伝承に謳われる暴悪の魔獣――《黄衣の貴獣》ニイリニッカと《怪海獣》バウソァクコを打ち倒した大功を以て知られた五人の精鋭。

 あらゆる風と波を鎮める《凪の船》を持ち、故に《古竜エインシェント》が巻き起こす嵐の中でも決して沈むことなどなくその懐へと吶喊とっかんできた、唯一の冒険者パーティ――


「話してねェんだな」


 口ごもるランディの反応で察したのだろう。ジーナスは舌打ちした。


「……碌でもねェ馬鹿話は、いくらでもしてやがった癖に」


 けれどランディは、それを怖いとは感じなかった。

 毒づくその声が力を欠いて、ひどく寂しげだったせいで。


「話してもらおうとしたことは、あって……けど」


 精一杯、それだけを告げる。

 シオンにそれをねだったことは、何度かあった。でもシオンは結局、一度もそれを話してはくれなかった。


 言を左右にして――「それは、いちばん最後のお話だから」とか、そんな風に。ランディをお風呂に放り込もうとしたり、嫌いな玉ねぎをむりやり食べさせようとするときみたいに、へりくつを言って。

 それでもせがむと、本当に困ったみたいな顔をしながら――けれど結局一度だって、それを曲げてはくれなかった。


 シオンは決してそのへりくつを曲げてはくれないのだと、絶対に曲げたくないんだと、いつかの頃に気づいてしまったから。だからランディも、《果てなる海の嵐竜》の物語をねだることをしなくなった。

 代わりにそれまで聞かせてもらったことのある、楽しくて愉快な冒険のおはなしをねだるようになった。


「《果てなる海の嵐竜》との戦いはね」


 補足する形で、ビアンカが言った。


「私たち『五人』で挑んだ、最後の冒険なの」


「……最後」


 ――それは、いちばん最後のお話だから。


「そう。もうパズルなんか解かない、パズルなんか二度とごめんだ――って、みんなで愚痴って喚きながら、どうにかこうにか迷宮パズルを解ききった後のお話。頭も体もくたくたにくたびれきった私達がやっと人里へ帰りついた、その矢先にね。レ――」


 不意に口吻を結んで。

 まるでその時の疲れまで思い出してしまったみたいに、ビアンカは力のない笑みを広げる。


「フレデリク・ロードリアン・ディル・トリンデン=オルデリス公爵――股肱の腹心たるオルデリス公爵を伴って現れたこの国の王太子、アルトレオン殿下じきじきに、王都へのご招待をいただいたってわけ」


 シオンの、彼の仲間達の事績を讃える吟遊詩人の唄は山ほどある。

 話の中身がかぶっている詩もたくさんあるし、中には完全な作り話もあったりする。

 たとえば、いつだったかに《黄金の林檎》亭の酒場で吟遊詩人が唄っていた詩を聞いたとき、


『兄ちゃん、そんな冒険までしてたんだね』


 と、興奮しきってはしゃぐランディに。

 シオンは怒っているのと恥ずかしがっているのとの中間くらいの、苦虫をまとめて嚙み潰したみたいな渋面で、


『あんな冒険、俺は知らないな……』


 ――と。

 逆に、小人の芸術家からおならが止まらなくなる呪いをかけられた話なんて、シオン以外からは一度だって聞いたことがない。

 ランディよりシオンのことに詳しいかもしれない従姉妹のラフィへためしに話を振ってみたときでさえ、「なにそれ」と嫌そうに顔をしかめられただけだったくらいだ。


 でも、《果てなる海の嵐竜》の物語なら。

 王様から直々にお城へ招かれるところから始まるその物語なら、誰もがみんな知っている。

 冒険者に憧れる子供ならきっと誰もが知っている、『本物』の英雄譚だ。


「二人が冒険から離れた後も、私たち三人は冒険者を続けてた。いろんな冒険者とパーティを組んで、別れて……そんなことしてるうちに、いつの間にか《導きの三連星トライスター》なんて呼ばれるようになっちゃったけど」


 数多の戦士と魔術師を、成功の頂へと導いた。

 故にこその異名。《導きの三連星トライスター》。


「でもそれは、結果的にそうなっただけなのよね。私たちはずっと、シオンとフリスがいなくなったぶんの『欠け』を埋められる仲間を探していて、でも彼ら彼女らとはいろんな理由で別れざるを得なかった」


 ――冒険の目的を果たしてしまったから。

 ――心密かに願っていた夢へと、あるいは栄達へと繋がる道が、目の前に開けたから。

 ――結婚して家庭を持つから。


 そんな感じの、いろいろな理由。

 単純に力不足や目指すものの不一致で、見切りをつけざるを得なかったこともあった――それでも一時は冒険の仲間だった相手だから、別れる時までできる限りを尽くしたつもりではいるけれど。


「あのう。いいですか?」


 それまでずっと黙って、ランディが話すのに任せていたユイリィが、ここにきて口を挟んだ。

 冒険者達の視線が、少女の一身に集中する。


「ユイリィ達は――いえ、ランディちゃんはあなたたちにお話があってここへ来ています。ここまでだいぶん脱線してしまいましたけど、そろそろ本題に入ってもいいでしょうか」


 三人は互いの目を見かわした。

 それからあらためて、話を聞く姿勢になる。

 その様子を確認して、ユイリィはランディを見た。見上げるランディへ小さく頷き、話を切り出すように促す。

 ランディは大きく深呼吸して、心を固めた。


「……今日は、昨日のことを訊きたくて来たんです」


「昨日――私たちが君の家を訪ねた時の?」


「うん。じゃなくて、えと、はい」


 ランディは頷く。


「シオンにいちゃんがあんな風に怒ったみたいな顔するの、あんまり見たことなかったので。それで」


「そうだったの? それならそうと早く言ってくれたら――ああ、いえ」


 ビアンカは失態を恥じ入る体で、手のひらで顔を覆った。


「そうね、ごめんなさい。私たちがキミから話を聞きたがったせいね……弟クンに、余計な回り道をさせてしまったわね」


「あ。えと、それは気にしないで。ぼくも楽しかったです」


「そう?」


 あたふたと言うランディに、ビアンカは驚いた顔をして、それから微笑んだ。


「優しいのね、弟クン。私、キミのこと好きになりそうだわ」


「へっ?」


「おォい」


「おおっといけません、いけませんよビアンカ、いたいけな少年をからかっては」


「あら酷いのね二人とも。私は本気よ? 弟クンって気配りやさんで優しくて、とっても素敵なかわいい子じゃないの」


 ねえ? と、色っぽい流し目を向けるビアンカ。

 ランディは急にその場で飛び上がりかけた。訳が分からないまま、でも、とにかくどうした訳か胸の中で心臓がばくばく跳ねまわって、いったいどう答えたらいいのかさっぱり分からなかった。


「ランディちゃん。ランディちゃんしっかり」


「あ――う、うん! あの、えーと……ごめんなさい。いえ、ごめんなさいじゃないんだけど! 訊きたいことっていうのはそうじゃなくて」


 しどろもどろになりながら。真っ赤な顔を伏せて、ランディは言葉を続ける。

 ――にいちゃんと、ケンカしてるんですか?


 そう、訊ねるつもりで。


「あの、みなさんは……あの」


 ――にいちゃんと仲直りってできませんか?

 ――にいちゃんと一緒に、魔物をやっつけてくれませんか?


 だけど、


「もしかして、シオンにいちゃんが冒険に行かないのって――」


「ストップ、ランディくん」


 鋭く。制止するビアンカ。

 どきりとして顔を上げたランディを、三人の冒険者がそれぞれの面持ちで見つめていた。

 同じ表情はひとつとしてなかったが、けれど唯一共通して――誰一人として、冷たい顔だけはしていなかった。

 冷たかったのは、いつしかランディがびっしりとかいていた汗だった。


「弟クン。そこまでよ」


 そう、静止して。

 言われるまま黙ったランディが落ち着くまで沈黙を保ち、狼人の彼女は再び切り出した。


「……シオンが冒険から離れた理由なら、私たちも知ってるわ」


「じゃあ」


「でもね弟クン。もし、キミのせいでそうなったんだ――なんて風に思っているのなら、それは違うわ。シオンにとってもフリスにとっても。もちろん私たちにとっても、そう」


「でも」


「そォだよ」


 ジーナスが唸るように同意する。


「あのなランディ。ウィナザード弟。オレが文句言ってやりてェのはシオンだ。おまえじゃねェ」


 苛立ったように言い、ジーナスは口の端を歪める。


「言ってる意味は分かるよな? おまえがナニ考えてても別にオレの知っちゃこっちゃねえがよ、そこは吐き違えンな。……いいか」


「……………………うん」


 頬をつように厳しい言葉に、それ以上何も言えなくなる。

 うなだれてしまうランディの視界の外でジーナスがたとえようもなく渋い顔になり、そんな仲間の横顔にロニオンが失笑した。


「気にするなって言いたいだけですよ、ジーナスは。彼は大概素直じゃないので、こういうヒネたいい方しかできな」


 ぶしゃっ!


「アアァァァァァァ目がァ! 目がアアァァァァァ―――――――!!」


 その顔を、オレンジの果汁が直撃した。


「ちょっと、ジーナス!」


「うっせえなァ! なァんでいつもオレにだけ言うんだよ!?」


「そうじゃなくて、食べ物がもったいないじゃないの! ロニオンを黙らせるのはいいとして、もっとやりかた考えなさい!」


「あ、あのぉ。その言いようはちょっと……私に対してひどくはないでしょうかねぇ……?」


 弱々しいロニオンの訴えは、両者からきっぱりと無視された。がっくりと肩を落とす旅神官。


 そんな、喧々諤々けんけんがくがくとした様を、ぽかんと見つめていたランディだったが――

 不意に、なんだかおかしくなって、「ぷっ」と噴き出した。


 そのまま肩を震わせて笑うランディを、三者三様に見遣り、伺い。


 冒険者たちは互いに互いの安堵の表情を見かわしあって、肩の力を抜いたようだった。



 《黄金の林檎》亭から帰るランディ達を、三人の冒険者は見送りに出ていた。

 長く話をさせたり――あとはジーナスが怖い思いをさせてしまったりしたお詫びにと、三人はお土産にアップルパイを持たせてくれた。


「今日は来てくれて本当にありがとうね、弟クン。あなたと冒険の話ができて、とても嬉しかった」


「……うん」


 頷くランディの頭を、ビアンカの手が優しく撫でる。

 肉球がついたてのひらは表面がちょっぴりざらざらしていたけれど、ふにふにして柔らかかった。


「またいつでも訪ねてちょうだい。キミたちならいつでも歓迎するわ」


 そう言った彼女のその表情は、しかしすぐに苦笑の色を含んで済まなげなものになる。


「――と言っても、私たちも今日からは魔獣の討伐で森に入るから。この宿にいる保証はできないんだけど」


「森の奥まで入るんですよね」


「ええ、そのつもり。そうなったら、森の中で野営することにもなるでしょうし」


 そして、そうである以上――町から大きく離れるつもりがないシオンやフリスのそれとは、探索の方針が真逆を向くことになる。

 ――仲間同士だったのに、やっぱりすれ違っている。


「シオンにいちゃんと一緒に、は」


「本当を言うとね」


 それ以上を、ランディは口にはできなかった。

 ビアンカが、とても寂しげな顔をしていたせいだ。


「もしかしたらシオンが来るかもしれないって思って、出発を遅らせてたの。でも、彼はそうじゃないのよね。だからキミが、こうして私たちを頼りに、訪ねてきてくれたのよね」


 ランディは何も言えずに、俯くしかできない。

 ビアンカの言う通りだ。シオンはとうの昔に、一人で森へと入っている。


「そうよねぇ……」


 消え入るように、寂しい声音だった。

 つられてしゅんとしてしまうランディを力づけるように、ビアンカはその場に膝を落とし、肩に優しく手を置いた。


「私たちね。またあの二人と、シオンとフリスとパーティを組めたらって思ってる。もう弟クンも気づいてると思うけど、キミのおうちを訪ねたのだって、二人をもう一度冒険に誘うためだったの」


「でも、シオンにいちゃんは」


「ええ。少なくとも彼に、そのつもりはないんでしょうね」


「フリス君も……まあ、彼女も望み薄ですよねえ。昨日の感じだと」


「アイツは昔っからシオンの影に隠れてばっかだったろが。アイツ一人がオレらについてくるとか大陸がひっくり返ってもねェよ、ありえねェ」


「ああ、まあ……それでなくたって彼女は、ねえ」


「だァからシオンだよ、シオン。言ってんだろが俺ァよ」


 微妙な顔つきで言葉を濁すロニオンへ、ジーナスは不機嫌に言い募る。


「あのヘナチョコ野郎を無理矢理でも引きずってきゃ、フリスもおまけでついてくンだよ。問題はあの野郎だけだ」


 憤然と鼻を鳴らすジーナス。

 ビアンカがおかしげに噴き出す。


「ジーナスったら、もう。ほんと、あなたってシオンのことが好きなのねぇ」


「はァ?」


 鳩が豆鉄砲を喰らったみたいな顔つきで、呻くジーナス。

 ビアンカはすました顔で、長い鼻先をつんと上向かせ、


「だってそうでしょ? あなたいっつもそうやって彼にばかりつっかかって。ねぇ?」


 芯が抜けたように呆けた沈黙が、一時その場を覆い尽くした。

 ユイリィが小鳥のように小首をかしげて、ぽつりと、


「つんでれ?」


「違ェわボケ! ――っつか何だそのツンデレってのは! ざッけんじゃねェよビアンカ、テメ」


「そうですねえ。いやまったくその通りで。ジーナス君はねえ、もっと素直になるべきなんですよ。ツンツンしてないで自分の気持ちに正直に曝け出し」


「言い方ァ! 気ッ色悪い言い方すんじゃねェよクソ寒ィなァ!!」


 地団太を踏むジーナスに、笑い声が上がる。


 ――と。


 談笑の声は、不意に。風に溶けるようにして掻き消えた。

 きょとんとしてランディが彼らの顔を見渡したとき、三人の冒険者は揃ってランディの後方を見つめていた。まさかという予感に首をねじって振り返り、ランディもまた目を見開いた。


「……フリスねえちゃん」


 フリスがいた。

 金色の双眸を長い前髪に隠した魔女の娘が、身を縮めるようにしながら、そこにいた。

 きゅっときつく、色が抜けるほど強く唇を噛んで。


 まるでそこにいることさえ怖くていたたまれないというように、震える脚で、頼りなげに。

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