21.忘れられない、《仲間》です・③


 ランディは六人掛けのテーブルがおさまった個室で、ビアンカ達と朝食の席を囲んでいた。

 クロスをかけた円形のテーブルに、三人分の朝食と、ジョッキに注がれた二人分の果汁ミックス。

 三人の冒険者はその外見とあつらえたかのように、朝食の内容も三者三様、てんでばらばらだった。


 一人だけ丸椅子に腰かけたビアンカ――背もたれのない椅子を使っているのは、尻尾が邪魔になるせいなのかなと思った――は焼いたハムやベーコン、鶏肉、卵がたっぷり乗った盛り合わせプレート。胡椒の匂いが混じったあつあつの湯気が、うずたかく山になった肉と卵から立ち上っている。

 ロニオンは聖職者らしく質素に、野菜のスープと雑穀入りのパンというメニュー。

 ジーナスはリンゴを中心とした果物の盛り合わせだった。いかにも目つきの悪い荒くれ者といった彼にはお世辞にも似つかわしいとは言い難い朝食だったが、彼は早々にリンゴをひとつ手に取ると、皮をむくのも面倒とばかりにそのまま鋭い歯でかぶりつく。

 そんなジーナスの視線がちらちらとこちらを伺っているのに、ランディは気付いた。


(……何だろう)


「どうかしましたか?」


「あァ?」


 怪訝に思って問いかけを躊躇う間に、ユイリィが代わって訊ねた。

 こちらから声を掛けられるとは思ってもいなかったのか、ジーナスのエルフらしい細面に一瞬だけ、飴玉でも飲み込んだような絶句の表情がひらめく。


「あ、あぁ……なんだァ、その、よ」


 ジーナスは言い辛そうにもごもごと口籠っていたが。結局ひどく言い辛そうに、こう訊ねてきた。


「……シオンはどォした」


「シオンにいちゃんなら、朝からでかけてます」


「へぇ……そォかい」


 それを聞いたジーナスは、ランディから視線を背けて唇をうごめかせた。習慣的に舌打ちしかけて、直前でそれを押しとどめたように見えた。

 ビアンカとロニオンも、無言のうちにひっそりと息をつく。

 落胆に似た重い空気が、狭い部屋の中で垂れこめた。


(このひとたちは……)


 ――もしかして、シオンにいちゃんが来るのを待ってたんだろうか。


 あれから気が変わって、やっぱり一緒に行こうと自分達を訪ねてくる、そんな可能性を捨てきれないで。


「つか、よ。昨日からちっとは気になってたんだがよォ」


「うん?」


 剣呑な三白眼が、じろりとユイリィを捉える。

 こきゅっと首を傾げるユイリィに、エルフの青年は胡乱なものを前にしたように目を眇めた。


「あんた誰よ」


「ユイリィのこと?」


「そォだよ。あんた以外に誰がいンだ」


 伯父のアーヴィンがしたのと、ほとんど同じ質問だった。

 ロニオンもこの時は仲間に同意してか、いくぶん身を乗り出してユイリィを伺う。


「それは私も気になっていました。シオン君のご親戚の方ですか?」


 左右から二人がかりで問われる。昨日は終始二人の掣肘役だったビアンカも二人を止める素振りがないので、口にはせずとも気になってはいたのだろう。

 ユイリィは「ふふん」と上機嫌に背筋を伸ばして、


「ユイリィはユイリィ・クォーツ。ランディちゃんのお姉ちゃんです」


「彼の姉――はぁ、それではつまりシオン君の妹さん」


「それは、いいえ」


 即座に首を横に振る。

 男二人が、訳が分からないといった様子で眉をひそめる。


「シオンとの関係は未設定です。なのでユイリィはランディちゃんのお姉ちゃんだけど、シオンの妹ではありません」


「……おいどォする。こいつ変なやつだぞ」


「やめなさいジーナス失礼でしょう。あと無暗に人を指差さない」


 無遠慮に呻くエルフの手をぴしゃりと叩いて、ビアンカが窘める。


「つかよォ、アンタさっき宿の亭主ダンナと話してた時と、感じまるで違くね?」


「やめなさいったら」


 ビアンカは重ねて窘めるが、その彼女の面持ちにも訝る色が濃かった。

 すんすん、と鼻を鳴らして――さらに疑問符の量を増やす。


「……あなた。ねえ、もしかして貴女、見た目通りの『人』じゃない?」


「ご推察のとおりかと」


「…………ああ、いえ。私も失礼だったわ。ごめんなさい」


 ぷるぷると犬が水気を切るようにかぶりを振って表情を切り替え、ビアンカは仕切り直した。


「せっかく名乗ってもらったんだし、私たちも自己紹介から始めましょうか。私は」


「ああ、それは平気です。大丈夫」


 手をかざして制するユイリィ。隣のランディへ視線を落とし、「ね」と眦を細めて笑う。

 ランディは頷いた。三人の冒険者――ルクテシアに名高き《導きの三連星トライスター》を見渡す。


「ビアンカ・レオハルトさん」


 ふわふわのしっぽが、ぴんと跳ね上がった。


「ジーナス・エリクさん」


 エルフらしい細面を引きつらせ、「な」と短く呻く。


「ロニオン・クレンダールさん」


 開いているのかどうかすらあやしかった糸目が、「おや」と意表を突かれた体で見開かれる。


「……で、合ってますか?」


「……驚いた。私たち、フルネームは名乗ってない。なかったわよね?」


「はい。聞いてないです」


 仲間達と顔を見合わせるビアンカの問い――独白に近いそれに、ランディが応える。


「そうよね――ええ、そのはず。でも、それならどうして?」


「シオンにいちゃんが話してくれる冒険のおはなしに、たくさん出てきたから」


 シオン・ウィナザードとフリス・ホーエンペルタ。

 パーティで一番お姉さんな狼人の軽戦士、ビアンカ・レオハルト。

 目つきが悪くて不良っぽいエルフの斥候スカウト、ジーナス・エリク。

 一見品行方正だけど実は生臭な旅神官、ロニオン・クレンダール。


 シオンが話してくれる、彼の冒険の物語。そこにいつだって必ず登場する、五人の冒険者だった。


「そう……」


 ビアンカは長い睫を擦り合わせるように、眦を細めた。

 ジーナスがそっぽを向き、頬杖を突いた手で口元を隠すようにしながら小さく舌打ちする。


「ねえ、ランディくん」


「? はい」


「シオンはあなたに、どんなお話をしてくれたの?」


「えっ?」


 急な問いかけに目を白黒させるランディへ、ビアンカは心持ちテーブルへ身を乗り出しながら続ける。


「私たちが出てくるお話、シオンから聞いていたのでしょう? 彼はどんなお話を、あなたに聞かせていたのかしら」


「ええ? えっと……」


 思いがけない話の流れに困惑しながら、ランディは記憶の戸棚を探る。

 出てくるものはいくらでもあったが、どの話をどこからすればいいかが、瞬時にはまとまらない。


「ええと、魔物退治の依頼を受けて迷宮ダンジョンに入ったら、魔物は倒せたんだけど落とし穴シュートに落ちて」


 シオンに話してもらったときのことを思い出しながらとつとつと語りはじめるランディ。

 途端、ジーナスが「げっ」と呻く。


「落ちた先は山の裏側の鉱山の奥……で、そこには偏屈な小人さんが住んでいて」


「お、おいガキ。待て待て、ちょっと待てェ!」


「にいちゃんとジーナスさんが小人の芸術家さんが作ってた泥の像にぶつかって壊しちゃって、それでも二人とも、おならが止まらなくなる呪いをかけられて――」


 ――『よくも儂の大切な像を壊してくれたなこわっぱどもオオオオ! この像を元通り作り直すまでエ、貴様らぜったいここから帰さんからなアアアアア!!』


 ――怒髪天の小人がもにゃもにゃと呪文を唱えると、俺とジーナスにばっと魔法の粉を振りかけた。


 ――『きさまらに呪いをかけたぞオ! 儂が呪いを解かん限りイ、きさまらこの先一万の昼と夜が明けるまでエ、決して屁が止まらなくなる呪いじゃアアアアアァウワハハハハハハハハ!!』


 ぶっ、とロニオンが噴き出した。

 とうとうテーブルに突っ伏して、ジーナスは頭を抱える。


「あンの野郎ォ……!」


「あはははははは! 確かにあったわねぇー、そんなこと」


「よりによって何でそこだよ! あンなもんオレらが駆け出しもド駆け出しだった頃の間抜け話じゃねェか!!」


「いやぁそれにしても懐かしいですねえ。あの時の君とシオン君の顔はいい見ものでした」


「人の不幸で笑ってんじゃねェよ腐れ坊主!!」


「はいはいジーナスもそのくらいにしなさいな。でも、あれで一番真っ青になってたのってフリスだったわよねぇ」


「あの時はあれでしたよね。彼女が石膏の女神像を《自動人形パペット》に仕上げてあげたら、小人の彼もすっかり上機嫌になって」


「ただのスケベジジイだったってだけのハナシだろが。なァにがゲージュツカだっつンだよ!」


「まあまあ、お礼にお土産いっぱい貰ったじゃないですか。彼が十年かけて作りためた宝石細工をたんまりと」


「思い出した。テメェそれ売っ払った金で色街行こうとかほざいてたなァ、坊主の癖に」


「あの頃は正式に任官される前だったからノーカウントでしょ。といいますかね、むしろ性春真っ盛りな年頃の男の子だったくせに色街が何かも知らなかった君やシオン君がどうかして」


「ロニオン。子供の前よ」


「おおっと。ははははは」


 ビアンカにじろりと睨まれ、ロニオンの笑いが引きつる。

 それは、さりげなく――ランディからだと見えない角度から――首筋へ突き付けられたフォークの先端に、彼女の本気を感じたせいであっただろう。


「そう……確か、フリスにそういう技術があるって知ったのもあの時だったわね。あの子、昔っから本当に喋るの苦手で説明下手で」


 静かに息をついたビアンカは、「ふふ」と懐かしむように笑って、


「ねえ弟クン。他には?」


 それから、勢いよくテーブルに身を乗り出した。

 黒目の大きな褐色の瞳が、きらきらと輝いていた。


「シオン――彼は、他にどんな話をしてたかしら」


「ええ? えっと、『呪われた七曲りの剣と逆三角形のお城』の話とか?」


「まぁた呪いかよォ! あいつ呪いになんかこだわりでもあんの!?」


「間抜け話の方が子供に受けがよかったというだけでは?」


「あったわぁー、確かにそんなことも。あの時ってロニオンが『宝箱は全部開けて然るべきです』なんて言い出したせいで」


「はてぇ? とーんと記憶にありませんねぇー?」


「万事その調子だから一向に懲りないのねぇ、あなた」


「だから生臭だっつぅンだテメェは」


「ははははは。ところでランディ君、他には? 他にもいろいろあるはずでしょう?」


「ええー!? ま、待って待って! ええっと、他に……!?」


 聞かせてもらったお話しなら、たくさんあった。


 山奥の小村エクタヌに伝わる《灯火とうかの祭り》の警備に雇われた一行が、山頂の祠へ今年の灯火ともしびを受け取りにゆく二人の子供の護衛を務めたときの話。

 その帰り道に出くわしてしまった、無双の騎士を自称するオーガの騎猪戦士ボアライダー――《灯火の祭り》の灯火を狙って現れた騎士パテンドフとの戦い。

 あらゆる風と波を鎮める《凪の船》と、《謎の放蕩貴族》を自称する青年レドにまつわるみっつの物語。

 多島海の北辺に浮かぶ小さな島で出会った大カエルの王様と、その愉快な臣下たちの話。

 《鯨の迷宮》に眠る宝を追い求める海賊、隻眼四本腕の骸骨船長が率いる海賊船団との探索競争。そしてまたしても出くわした騎猪戦士ボアライダーパテンドフとの共闘。

 ロニオンの実家に招かれた話――「いい加減身を固めろ」とむりやりお見合いさせられそうになって進退窮まった彼を連れ、遂にはほうほうの体で街から逃げだす羽目になった話。


「……いやァ」


 ジーナスが呻く。頬杖を突いた口の端が、いくぶん力なく引きつっていたようだった。


「なンかよォ……さっきから聞いてっと、どれもこれも愉快な間抜け話の類ばっかじゃね? 同じ冒険話でもよ、もっとあったろカッコイイやつがいくらでも。《カナーンの天空竜》の話とかよォ」


「そうは言いますがジーナス、この歳の弟さん相手ですよ? 面白くて楽しいお話を優先したんでしょ」


「いや、そこはこの歳だからこそだろ、バリバリ冒険者に憧れちまう男の子だろこの島なら。カッコイイやつ目を輝かせて聞いちゃう年頃だろってのに何でそこで間抜け話よ」


「でもねぇジーナス。そもそもあなたが言うような『カッコイイやつ』なら、そこいらの吟遊詩人がいくらでも歌にしてくれてるじゃないの」


「そォだがよぉ……いや、まあ、確かに言われてみりゃそりゃそォなんだけどよぉ……」


「あ、あの! あるよ、かっこいいおはなしも。いっぱい!」


 ものすごく複雑そうな、どうしても納得がいかないという顔で悲しげに唇を曲げているエルフの青年に、ランディは慌てて言った。


 沼地の奥に住まう不死身の毒蛇、八本首のヒュドラ退治。

 雲を連れて空に浮かぶ古の迷宮 《天空城》、その名残り――旧き時代の使い魔が長きに渡って管理しつづけた《空中庭園》への訪れ。

 ジーナス自身が名前を挙げた、《カナーンの天空竜》――古の時代、《真人》たちの時代から生き続ける《古き竜エインシェント》との謁見。

 禍々しき《蛇の魔剣》を巡る、黒剣士ダ・ニールとの決闘。再び共闘したオーガ騎士パテンドフとの奇妙な友情。

 盗まれたエルフの秘宝 《ティル・ナ・ノーグの輝石》を巡る、二つの冒険と緑の迷宮の探索。


 ランディがひとつ冒険の物語を口にするたび三人は打てば響くように反応して、あんなことがあったこんなことがあったと言いあった。

 それまでシオンが語る物語の中にしかなかった冒険を、きらきらと目を輝かせながら語りあっていた。


「それからえーっと、グリンカ島の転送装置で放り込まれちゃった《迷宮パズル》のお話……迷宮の中は上下左右がぐちゃぐちゃで」


「なァ、坊主」


 ぼそり、と。

 ジーナスが口を挟んだ。


「ああ、いや――ランディ。オマエさ、シオンからその『次』の話は聞いたことねェか」


「次?」


「《グリンカの迷宮パズル》の次の話だよ。オレ達の――」


 僅かの間、唇を歪ませて。

 彼は何かを言い淀んだようにも見えた。


「――オレ達の、一番ド派手でイカした冒険譚。《果てなる海の嵐竜》の討伐さ」

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