20.忘れられない、《仲間》です・②


 トスカの中心からやや北寄り。郊外の町とコートフェル市街の間を繋ぐ乗合馬車の停留所と一体化した乗合馬車事務所と通りを隔てた斜向かいに、ランディにとっては叔父夫婦にあたる一家が経営している三階建ての宿がある。

 《黄金の林檎》亭の看板を出しているその宿は、一階は三度の食事を提供するレストランと兼用の酒場、二階から上は宿泊客のための部屋という、ルクテシアをはじめとする多島海アースシー諸王国ではよく見られるつくりの宿屋だ。


 宿を利用する主な客は、コートフェルを中心に活動する冒険者たち。

 おいしい食事と掃除がゆき届いた部屋、宿泊と別に料金を支払うと使えるちいさな風呂場があって、なおかつ料金はお手頃。

 長く過ごしやすい宿屋として、コートフェル近隣の冒険者の間では人気が高い――らしい。事実としても、一階の酒場兼レストランでは、仕事の後の憩いを求めてやってくるトスカの住人より、酒と料理を囲んで明日の冒険への活力を養う冒険者の姿を多く見かける。


 ルクテシア第三の都市であるコートフェルには、《諸王立冒険者連盟機構》――冒険者への仕事の斡旋、実力と実績に応じた資格認定、未踏迷宮の情報共有、必要に応じた各種組織への取次などで冒険者の活動を支援する支援機構の支部があり、明日の成功、未来の英雄を夢見る数多の冒険者が集まっている。

 当然、冒険者向けの宿も軒を連ねているが、市内でかつ利便性や設備のいい宿はその分だけ料金も跳ね上がる。

 かといって無理にでも安く済ませようとすると、寝台があれば上等といったレベルの粗末な安宿や、通り一本挟んだ先はスラム一歩手前の貧民街といった危うい立地の宿くらいしか、選択肢に残らない。


 市内の安宿ほど安価ではないが、郊外で設備が十分によく、なおかつ乗合馬車の停留所がすぐ近くにあってコートフェル市内へのアクセスも比較的良好な《黄金の林檎》亭は、多少の交通の不便を負ったとしても環境のいい宿で寝起きをしたいという冒険者の定宿として、日々繁盛していた。


 そして、その日の朝。

 ランディはユイリィと二人で、その《黄金の林檎》亭をおとなっていた。

 家にはフリスが戻ってきたときのため、自分の行先を記した書き置きを残してきた。なので、フリスがお医者さまの仕事を終えて家に戻ってきても、心配はかけずに済むと思う。


「……よしっ」


 一つ、大きく深呼吸して、早鐘を打つ心臓を宥めてから。

 時々シオンに頼まれておつかいで足を運ぶ、そんな宿の扉を開けて中に入る。

 朝食時はとうに過ぎた頃合いだったが、一階の酒場兼レストランでは何組かの冒険者がテーブルを囲んでいて、めいめい遅めの朝食をフォークやスプーンでつついていた。

 ランディはテーブルの間を抜けて、カウンターの内側で食器を洗っていた宿の主人のところへ向かう。


 叔父のアーヴィンだ。口ひげをたっぷり蓄えた叔父は今にもシャツがはちきれそうなムキムキの筋肉をしていて、そこらへんのかけだし戦士くらいなら片手でやっつけてしまいそうなくらいの迫力があった。


「おじさん、おはようございます!」


「? おお、ランディか。おはよう。この時間に来るってぇのは珍しいな」


 学校はどうした? とは聞かれなかった。

 魔物が討伐されるか、もしくは何らかの形で事態が落ち着いたと判断されるまで学校が休みになることは、叔父も連絡を受けて知っているのだろう。


「ああ、ラフィなら今はいないぞ。今さっき聖堂へおつかいにやっちまってな」


 思いがけない名前が出て、ランディはどきりとした。


「あ、えと。違うんです! 今日はラフィに用があるんじゃなくて」


 ラフィはエイミー達を手伝いに行ったのではないかと、ふと思った。

 おつかいも、たぶん聖堂に避難しているひとたちへ必要なものを届けるためのものだろう。

 そこまで思い至ってしまうと、次に会ったらラフィに謝ろうと決めていたはずの昨日の自分が胸の中で頭をもたげて、別の用件でここに来ている今の自分が急に後ろめたくなった。


 ――もしかしたら目の前の叔父は、ランディがラフィを泣かせてしまったことを知っているかもしれない。

 ――ラフィに謝る以外の用件で来たなんて知られたら、ランディは怒った叔父に、即座に追い返されてしまうかもしれない。

 ――けど、


「きっ――今日は、ここに泊まってる冒険者さんに会いに来たんです!」


「冒険者?」


 叔父は、不可解そうな顔をしただけだった。

 ランディは内心ほっとしながら、言葉を続ける。


「はい。狼人ワーウルフの女のひとと、目がこーんな感じのエルフの男のひとと、旅の神官服を着た男のひとで」


「……もしかしてだがランディよ。お前さんが言ってるのは《導きの三連星トライスター》の三人か?」


「おじさん知ってるの!?」


 驚くランディに、叔父はどちらかというとガックリと脱力したように力なく、太い眉を垂らして呻いた。


「あのなぁ、ランディ……うちは冒険者相手に商売してる宿屋だぞ? 有名な冒険者パーティの名前くらい知らないはずがないだろうが」


 言われてみれば確かにそのとおりだ。

 至らなさを叱られたみたいで、ランディは恥ずかしくなる。


「どこから聞きつけてきたか知らんが、彼らは依頼を遂行中の冒険者だ。お前には悪いがな、いくら甥っ子だからといって、特別扱いで取り次いでやるなんて訳にはいかんぞ」


「ええ!? え、いや……き、今日はそういうんじゃなくて! あの」


 遅れながらに理解が及んだ。

 どうやら叔父はランディのことを、『有名な冒険者がいると知って物見高く会いに来た子供』くらいに思っているらしい。

 決してそんな理由で来た訳ではないのだが、しかしその理由をどこからどう説明すればいいのか、とっさに言葉が出てこない。


 叔父がランディを見る目が、みるみる困った子供を見る時のそれになる。

 言い訳のタイムリミットが迫っているのが目に見えてわかり、いっそうの焦りが募る。


「ご亭主さん」


 おたつくランディに代わり、ユイリィが割って入った。

 ニコリと友好的に微笑むユイリィに、アーヴィンは不審なものを見るように眉根を寄せる。


「……さっきから気になっちゃいたが、あんた誰だね。どうしてうちの甥っ子と一緒にいるんだい」


「ユイリィ・クォーツといいます。GTMM014-LⅩ《ユイリィ・クォーツ》。L-Ⅹフレーム型Adv-D。デルフィン・ウィナザードとその妻エルナからの要請オーダーのもと、二人のご子息を補佐する職責を預かった第三世代自律型 《機甲人形オートマタ》です」


「……何を言っているやらさっぱりだが、要は自動人形の類ってことかい。あんたが?」


「はい。叔父様のご認識のとおりです」


 さすがは冒険者宿を営む叔父である。

 ユイリィのような存在に関しても、一目でそれと分かるだけの知識があるのだ。


「あの兄貴と兄嫁がやることだ。そういったモンがあの家のどっかに転がってても今更べつに驚きゃせんが――しかしあんた、おれにはどこからどう見てもただの人間としか思えんのだがね」


 ただ立っているだけで迫力のあるアーヴィンから、胡乱なものを見る目で検分されながら。

 ユイリィはいっかな怯むことなく、友好的な微笑みはこゆるぎもしない。


「第三世代自律型 《機甲人形オートマタ》は自律思考・自律制御・自律成長の三要素を備え、より姿と人格を以て人にかしずきます。私はランディ・ウィナザードの目的を遂行せしめる、その補佐に尽くすべく随伴しました」


「目的?」


「シオン・ウィナザードの安全です。彼は現在、《双頭蛇竜アンフィスバエナ》の潜伏が想定されるラウグライン大森林へ、単騎での探索を試みています。フリス・ホーエンペルタは彼の補佐を果たし得るこの町で唯一の冒険者ですが、このトスカで医者を兼ねる薬師の彼女は、容易に町を離れられる立場にありません。しかし」


 落ち着いた美声で朗々と語るユイリィは、ランディが知っている彼女とはまるで別人のようだった。

 だが、思い返してみればこんなユイリィを自分は見たことがある。確か、初めて会った日に。


「《導きの三連星トライスター》もまたフリス・ホーエンペルタと同様に彼と旧知の冒険者であり、かつてはパーティを同じくした仲間と聞き及んでいます。私達はシオン・ウィナザードの安全のため、彼らの助力を求めるべくここへ来ました」


 叔父は押し黙った。検分する目をユイリィから離さず、やがて唸るような声で問い質す。


「それは、シオンの頼みか?」


「いいえ。彼は単騎での探索を望んでいるようでした」


「…………………………」


 再び、叔父は押し黙る。

 いつしか雑談の声すら静まり、酒場兼食堂にたむろしていた近所の住人や冒険者がそのやりとりに注目する中、叔父は言った。


「……今はいろいろ大変なんだ。お前さんらが会いたがってる《導きの三連星トライスター》もな。悪いが今日のところは」


「私たちがどうかした?」


 女の声が割り込んだ。

 銀色の毛並みをした狼人の娘――シオンが冒険者だった頃の仲間の一人、ビアンカだった。

 昨日と似た上下を着ていたが、今は昨日と違って鎧を身に着けておらず、代わりに長剣を腰に下げていた。

 目つきがやさぐれたエルフのジーナスと、黒い神官衣のロニオンも、彼女の後に続いて姿を現わす。

 有名な冒険者パーティの時ならぬ登場に、酒場の冒険者が一斉に息を呑んでどよめく。


「おはようご亭主。もし私の聞き間違いでなければ、ご亭主は私たちの話をしていたみたいだけれど」


「ああ、ええ……おはようございます。話と言うか、まあ、別にどうということじゃないんで、どうかお気になさらず」


「あら、まあ!」


 ぎこちなく愛想笑いを浮かべた叔父が最後まで言い終えるより先に、ビアンカが弾んだ声を上げた。

 狼の耳がピンと立ち、紅檜皮べにひはだの双眸はその中にしっかりとランディを捕らえていた。


「弟クンじゃないの! もしかしてキミ、私たちに会いにきてくれたの?」


「あ、はいっ! そうです!」


 ランディは天の祐けを得た心地でこくこくと何度も頷く。

 その返事に、ビアンカが「あらあら、まあまあ」と楽しそうに声を弾ませる間――エルフのジーナスは形容しがたい面持ちで唇を曲げ、一方のロニオンは開いているのかいないのかよく分からない細い目をいっそう眇めて、ランディと、その傍らのユイリィを検分するように伺っていた。


「お話……っていうか、話したいことと、聞きたいことがあって。昨日の、シオンにいちゃんの」


 どう伝えたらいいかわからず、それでも考え考えそこまで言葉を絞り出す。

 すると最後まで言い終えるより先に、ビアンカの方が意図を察した。


「ご亭主。悪いんだけど、奥の部屋をひとつ貸してもらっていいかしら」


「奥……個室ですか?」


 《黄金の林檎》亭の奥には、他の所より壁が分厚い、つまりは防音性のいい個室がある。

 一部屋ごとに六人掛けのテーブル席がひとつずつあるだけの部屋が全部で三つ。酒場の騒ぎを好まない者が静かに食事をとったり、あるいは周りに聞かれたくない話をする者が特別に借りる、そうした用途の部屋だった。


 叔父は気が進まない様子だった。

 盾となって子供を護ろうとする大人の警戒を露にして、三人の冒険者を眇めた目で見遣る。


「不躾にお訊ねするようで申し訳ないんですがね。もしかしてうちの甥っ子が、何か皆さんがたに失礼でもしてしまいましたか」

「ああ、ごめんなさい。そういうことではないの。ただ――きっとあなたもご存知でしょう? 私たちはこの子のお兄さんとパーティを組んでいたことがあるから」


 ニコニコと言うビアンカを探るように伺っていた叔父は、やがて豊かな口ひげの内側で、ひっそりと溜息をついたようだった。

 いろいろなものをいっぺんにまとめて諦めたみたいな、重く深い溜息だった。


「……分かりました。一番奥の部屋を使ってください。鍵はここに」


「ありがとうご亭主。ついでに朝食をお願いしてもいいかしら。人数分――」


 誤解が解けてほっとした、というように朗らかな笑みを広げたビアンカは、そこでふとランディ達を見た。


「そうだわ、朝食。よかったらあなたたちも一緒にどう?」


「その、ごめんなさい。朝ごはんはもううちで食べてきちゃってて」


「ユイリィもおなじくです」


「ああ、それなら気にしないで。私の方こそごめんなさい、かえって気を遣わせちゃったわね」


 しゅんとして頭を下げるランディの様子に、ビアンカは肩を縮めて詫びながら、口の端を緩めて好ましげに微笑んだ。


「ならお詫びも兼ねて、二人にはジュースをご馳走させて。それくらいならいいでしょう?」


「ジュース?」


 念のためユイリィの顔を伺う。

 彼女が頷くのを見て、ランディはあらためてビアンカへ深く頭を下げた。


「えっと、ありがとうございます。ごちそうになります」


「どういたしまして! 遠慮なんかしないでどうか召し上がっていって。さあ行きましょ、早く早く♪」


 ランディとユイリィの背中を押して、うきうきと奥の部屋へ向かうビアンカ。


 のろくさとその後に続くジーナスがうんざりしたように舌打ちするのを、ランディは視界の外に聞いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る