19.忘れられない、《仲間》です・①
ランディがまだ今よりちいさくて、一人では眠れなかった頃。
兄のシオンはランディが眠たくなるまで傍にいて、毎晩のようにおはなしをしてくれた。
絵本を読んでくれたり。お伽噺をしてくれたり。中でもランディが一番好きだったのは、冒険の物語だった。
シオンとフリス。そして三人の仲間達。
狼人の剣士ビアンカ。
目つきの悪い妖精ジーナス。
見た目だけは敬虔な旅神官ロニオン。
シオンが話してくれる冒険の物語には胸躍るようなわくわくがいっぱいで、そしてその中にはいつだってこの五人の冒険者がいた。
学校に通うようになって一人で眠れるようになってからはそうした機会も減ってしまったけれど、今でもランディは時々シオンに冒険の物語をねだる。
「もう話せるやつは全部話しちゃったんだけどな……」
と、苦笑気味にしながら。
それでもシオンは嫌な顔ひとつせず、ランディがおねだりした物語を語って聞かせてくれた。
時々、どこか遠くを見つめて懐かしむみたいに、優しげな目を細めながら。
それがシオンにとってたいせつな思い出、忘れられないすてきな冒険の記憶なんだとわかるから、ランディはいつだって目を輝かせて、シオンの冒険譚を聞いていた。
◆
――その、物語の中の仲間達が。
ランディの、目の前にいた。
そして、
「――すまないけど」
シオンは重い溜息をついて、三人の冒険者達に詫びた。
「冒険者は休業中だ。臨時のパーティを組む相手なら、悪いが他所を当たってくれ」
「シオン――」
「ンだテメェその言い草はァ!!」
ジーナスが声を荒げた。
まるで一瞬で沸騰したような激昂と怒声に「ひゃ」とフリスが悲鳴を上げ、ランディも本能的に身をすくませてしまう。
「こっちが下手に出てお願いしてりゃテメェはよォ! 何が『すまないけどぉ』だスカしてんじゃねえぞ!」
「ジーナス、やめなさい」
怒気を露に靴底を踏み鳴らす男の歩みを、ビアンカが腕を伸ばして遮る。
突然大人が怒り出す光景に完全に青褪めてしまっているランディを一瞥し、シオンは痛ましげに眉をひそめた。
「別に、調子に乗ってるつもりなんかない。むしろその逆だ」
「あァ?」
シオンは抑えた声で言う。
落ち着いた物言いとは裏腹に、やせぎすのエルフを見据える眼光は鉈のように鋭く据わっていた。それは、
「フリスはともかく、俺くらいの戦士ならいくらでもアテはあるだろ。特にお前達となら、組みたがる冒険者には事欠かないはずだ」
――それはランディもめったに見たことがない、心の底から怒ったときのシオンだった。
ランディは一度だけそんなシオンを見たことがあった。一昨年、リテークから借りたおもちゃを壊してしまって、つい壊したのは自分じゃないと嘘をついてごまかそうとしてしまったときに。
「肩を並べた冒険者は、誰もが大成をその手に掴む。故にこそ綽名された《
「そういう功名心に逸った冒険者とは組みたくないんですよ」
細い目をいっそう細めて、ロニオンがやんわりと口を挟んだ。
「今回みたいな場合は特にね。アンフィスバエナがいかに危険な魔物かは、シオン君。あなたとて身をもって知っているでしょう」
――そう。
シオンがこれまでランディに聞かせてくれた冒険の中には、アンフィスバエナが登場する物語もあった。森で本物と出くわしたときにはちゃんと出てこなかったけれど、今なら頭から最後まできちんと思い出せる。
初めて船に乗って南の島へ足を伸ばしたとき、海蝕洞の奥から繋がっているのを偶然見つけた迷宮。その奥へと勇んで乗り込んだ一行が、かの魔物を手懐けたゴブリンシャーマンに散々追いまくられたという失敗譚だ。
最後は首尾よく洞窟の外まで引きずり出し、二つの首を一刀両断切り落としてめでたしめでたし、だったのだが――つまるところ誇張ではなく、真実その身をもって、シオンは件の魔物の危険を知っているのだ。
「アンフィスバエナが危険な魔物なのは知っているよ。迷宮に住まう魔物の中では間違いなく強敵で、けど難敵の類ではあり得ない」
ロニオンは眉をひそめた。
それはシオンの物言いを不審がったのではなく、むしろ弱いところを突かれたという態度だった。
「いると知って、対策さえしっかり取れば、お前達ほどの冒険者ならいくらでも対処できる。戦場が屋外ならなおさらだ」
「テメェ……」
「あの魔物を危険な魔物たらしめているのは、二つの頭から吐く腐食毒の
威嚇するように唸るジーナスを遮り、シオンは静かに続ける。
「だがその吐息も、本当に危険なのはせいぜい最初の数秒――直撃さえされなければ、腐食の毒はすぐさま拡散・無害化する」
空気の対流に乏しい屋内であれば話も変わってくるが、だとしても《風》系統の術式で毒を吹き散らしさえしてしまえば、状況は屋外のそれと変わらない。
加えてアンフィスバエナには、毒息を吐く直前の『溜め』がある。これは毒性の唾液を霧状にして飛ばす、そのための予備動作だ。
最も危険な攻撃には兆候があり、なおかつ対処法も存在する。
唾液が毒であるがゆえに毒牙となりうる鋭い牙や、その剛腕から振るわれる爪も十分に脅威となりうる『強敵』だが、それとて最優クラスの冒険者――特にその前衛を担う戦士であれば、対処は決して難しくない。
「前衛ならビアンカ一人でも事足りるはずだ。俺が同行したところで、却ってお前達の足を引っ張るだけだよ」
「シオン君、いくらブランクがあると言ってもそんな事は」
「仮に戦力としてはそうだとしても、行動圏が問題だ。俺にとってはトスカを護ることが目的の第一、この町から大きく離れてまで探索範囲を広げるつもりはないんだよ」
それは最前にランディを戸惑わせたものと、ほとんど同じことばだった。
「俺の同行は、お前達の『探索』の足を引っ張る。だから――すまない」
深く、頭を下げるシオン。
ロニオンは言葉を失い、ジーナスは忌々しげに足を踏み鳴らして舌打ちした。
重い沈黙が垂れこめる中、ビアンカがひっそりと息をついた。
「『休業』、ね」
「………………」
「そうだったわね、確かに……わかったわ。無理を言ってごめんなさい」
「おい、ビアンカ!」
なおも食って掛かるエルフの青年もビアンカの一睨みで言葉を失う。
そして、彼女の視線の動きを追う形で周りを見渡し――完全に怯えているフリスや、戸惑いを露にするランディの姿を認めると、とうとうばつの悪い顔で項垂れた。
「私達は《黄金の林檎》亭にいるわ。あなたの叔父さんがやっている宿屋さんだったわよね?」
知っている名前が出た。ラフィの両親が営んでいる宿屋だ。
トスカでは唯一の宿屋なので、トスカに宿をとる冒険者や旅人はほとんどが《黄金の林檎》亭に滞在する。そこ以外で宿を取ろうとすれば、どこかの家で離れや納屋を貸してもらうくらいしかない。
「もし後で気が変わったら、そこを訪ねてちょうだい」
そう、言い残し。
最後に一度、詫びるようにそれぞれの形で頭を下げて、三人の冒険者はランディの家を辞した。
◆
翌朝。
ランディがベッドから起き出した時にはもうシオンは家にいなくて、代わりに食卓のテーブルに、一枚の書置きが置いてあった。
キャラメルが詰まった瓶を重しに置かれた紙片には、
自分が森の探索に出かけるということ。
朝食は台所に支度がしてあるということ。
昼はフリスに作ってもらうか、叔父さんの宿屋で食べてきてほしいということ。
夜には帰って、夕食は一緒にするつもりだということ。
けれど、もし帰りが遅くなった時は、自分のことは構わず昼食のときと同じようにして先に食べていてほしいこと。
――が、兄のきれいな文字で書かれていた。
「おはよう、ランディちゃん」
台所から出てきたユイリィが、声をかけてきた。
両手にはパンとソーセージ、あとはチーズと葉野菜が載った皿を持っていた。シオンが作っていった朝食だろう。
「おはよう、ユイリィおねえちゃん。フリスねえちゃんは?」
「まだ。そろそろ起こしに行こうかなと思って」
ふと、ユイリィは廊下に続く戸口の外――二階への階段がある方を見た。
程なく、とん、とん、とゆっくり木板を踏む音がして、まだ眠たげな様子のフリスが下りてきた。
「おは、よぉ……」
「おはようフリスねえちゃん。朝ごはん食べるよね?」
「ん。でも……顔。先に洗って、くる……から」
とぼとぼと、フリスは台所へ――裏口を開けて、裏手の井戸へ向かった。
服こそかろうじて寝間着から着替えていたが、ボタンをかけ違えて前がぐちゃぐちゃだったし、髪もあちこち跳ねていて、息遣いも半分寝息みたいだった。
「フリスは夜更かしさんだったみたい。大丈夫かなぁ」
「だいじょうぶだと思うよ。フリスねえちゃん、朝はいつもあんな感じだから」
そういえばユイリィはとても耳がいいのだと、遅れながらに思い出した。
フリスが下りてくるのも、昨日は夜更かししたのも、彼女が言うところの『観測』で知っていたのかもしれない。
裏の井戸の方から、「ひゃああ」と情けない悲鳴がした。
◆
顔を洗って戻ってきたフリス――井戸の桶からたらいへ水を移すのに失敗したせいで、長いスカートの裾をぐっしょりと濡らしてしまっていた――が揃ったところで、三人での朝食をいただく。
シオンがいないせいか、それとも他の理由か、その日のフリスは何となく言葉少なで、自然とランディの口数も乏しくなる。
皿の上があらかた片付いた頃、玄関の扉を叩くノックがした。
すぐさま飛び出そうとしたランディを手で制して、フリスが応対に出る。
少しして戻ってきたフリスは、説明の言葉が上手く出ないのか、わたわたと両手を振って、
「お医者……じゃなくて、お薬の、あの、おしごと……」
「わかった。いってらっしゃい」
「ん。うん……い、いって、きます……」
村で唯一の薬師であるフリスは、医者の役目も兼ねている。
そんなに切羽詰まった様子ではなかったから、ちいさい子がちょっと熱を出したとかそれくらいのことだろう。
ユイリィが片づけた食器を洗っている間に、ランディは学校から出ている宿題の問題集とノートを開いた。
魔物の一件が解決を見るか、そうでなくとも何らかの形で落ち着くまでの間、学校は休みということで昨日のうちに連絡が届いていた。
といっても、休校の間の外出は硬く禁止されていて、さらに宿題までぬかりなく出されていて、降ってわいたお休みも、あまりお休みらしい気分にはなれなさそうだった。
ランディは、宿題は早めに手をつける方だ。やることはやれるときに、なるべく先にやっておくほうが、空いた時間ができたり不意の遊びの誘いがあった時に気兼ねなく好きなことができると信じていた。
ただ、わからないところや面倒な課題を先送りにしがちで、後になってその分で苦労したり、そこだけユーティスのような勉強のできる友達に見せてもらったりするのが常のことでもあった。
「………………」
宿題が、手につかない。
ランディはクラスの中ではまあまあ成績のいい方で、なので勉強も嫌いではなかった。
けれど、この日は頭の中をたくさんの別のことが占めてしまって、目の前の問題にちっとも集中できなかった。
「ランディちゃん?」
「あ――」
問題に手がつかず、ぼんやりと手を止めてしまっていたせいだろう。
いつの間にか傍らに立ったユイリィが、膝に手をついて視線の高さを合わせるようにかがみ、じっとランディを見ていた。
ランディは、ユイリィが台所から戻っていたことにも気がついていなかった。
「気になること、ある?」
その問いかけに。
躊躇った末、頷く。
「じゃあそっちから片づけちゃおっか。今日の宿題はそのあとで」
「いいの? でも……」
ランディはなおも躊躇った。
――自分の気がかりは、この家に留まっていては解決しないことだ。
「いいよ、任せて」
ぽん、とてのひらで自分の胸を叩きながら、ユイリィは得尾顔で請け負った。
「外に出ちゃいけないのは、魔物がいて危ないから。でもユイリィは魔物より強いから、一緒なら外でも危なくない。それは、ランディちゃんだって見て知ってるでしょ?」
ランディは頷く。ユイリィは続けた。
「用心を重ねるなら、少し森から離れた道を歩いていけばいい。それでも危険なことが起こったなら、ユイリィがやっつける。何も問題は起こらない」
ね? と。花のように笑って小首を傾げるユイリィ。
さっきまで不安だったのが嘘みたいに、口の端が緩んでしまうのを感じながら――ランディの心は決まった。
「じゃあ、行きたい。いっしょに来てくれる?」
「もちろん。どこへ行くの?」
フリスが戻ってきたら、ランディがいなくなったのに慌てたり心配したりするかもしれない。でも、それならシオンがしたみたいに書置きを残してゆけばいい。
帰ってきたシオンが知ったら、怒られるかもしれない。けど、そうなったらもうそれはその時。
ランディは食卓の椅子から飛び降りた。
ユイリィと向かい合い、そして続ける。
「《黄金の林檎》亭。おじさんたちの宿屋に行きたい」
「お昼ごはんには早くない?」
「お昼ごはんじゃなくて。会いたいひとたちがいるんだ」
首を横に振るランディに、ユイリィは表情を変えなかった。
わかっているよ、と。無言のうちに首肯する。
シオンは本当に、一人で森に行ってしまった。
でも、そんなのはおかしい。だって、すぐ傍に仲間がいるのに。
あの人たちが訪ねてきたとき、シオンの様子はおかしかった。
なんだかすごく怒っていた。シオンはあのひとたちと、ひどいケンカをしてしまったのかもしれない。
でも、シオンはあのひとたちを、仲間を嫌ってなんかないはずだ。シオンの冒険のお話をたくさん聞かせてもらったランディには、心からそう信じられる理由がある。だって、嫌いなやつが自分の仲間として活躍するお話なんて、あんな優しい顔、思い出を懐かしむみたいな顔で、話したりなんてできやしない。
だから、もしケンカしてしまっているのなら、シオンは仲直りするべきだ。あのひとたちと。
冒険者として、冒険に挑むのなら。
仲直りして、力を合わせなきゃ。なのに一人で危険なところへ行ってしまうなんて――そんなのは、シオンは、おかしい。
――自分一人では、《黄金の林檎》亭には行きづらい。ラフィのことがあった後だから。
――自分一人じゃ、うまくいかないことだってあるかもしれない。うまく話せないことがたくさんあるかもしれない。
でも、一人じゃないなら。きっと、
「いっしょに来て、くれる?」
「もちろん」
一瞬の躊躇もなく。ユイリィは応えた。
「行くよ。ユイリィはランディちゃんのお姉ちゃんだもの」
だから、うんと頼っていいんだよ、と。
ユイリィは花のように微笑んだ。
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