18.《蛇竜》討伐、続行です・⑤


「シオンにいちゃんが魔物退治に行くって話?」


 先んじてランディが言うと、シオンはぐっと声を詰まらせた。


「おひるに聞いた。昨日のアンフィスなんとかってやつでしょ?」


「『アンフィスバエナ』な」


「それそれ。で、領主さま……えらいひとから直接頼まれたんだって聞いたよ。ラフィが――」


 一瞬、ぐっと喉に言葉がつかえた。

 昼間にユイリィから聞いた話と同時に、ラフィを泣かせてしまったことまで芋づる式に思い出してしまったせいだ。


「えっと、すっごく喜んでた」


「……ああ」


 シオンの側も、弟と従妹の間で何かあったらしいのを察したが、深くは突っ込まなかった。突っ込んで訊くと却ってことをややこしくしそうだと察したからだが、まだ話が終わっていなかったということもあった。


「ただ、正確に言えば頼まれたのは俺だけじゃない。フリスと俺の二人に、だ」


「フリスねえちゃんも?」


 ソファのフリスを振り返る。

 びくりと肩を震わせたフリスは、焦りで顔を真っ赤にしながらうんうんと何度も頷いた。


「そうなんだ……ふたりとも、やっぱりすごいんだね!」


「ありがとうな。だがまあ、そういう話は別にいいんだ。それでなランディ、しばらくはお前にもいろいろ不自由させると思うけど」


「ううん、へいき。ちゃんと留守番できるよ。今はユイリィおねえちゃんもいるし」


 ふるふると、首を横に振る。

 同意を求めてユイリィへ振り返ると、台所からびしりと力強く親指を立ててくれた。頼もしい。


「だから、ひとりで留守番でもないしね。魔物退治がんばって、シオンにいちゃん!」


 ――だが。

 弟の応援に対する、シオンの反応は鈍かった


(……あれ?)


 むしろランディのその激励にこそ、シオンは当惑していたようだった。


「シオンにいちゃん?」


「いや……そうじゃないんだランディ。もちろんユイリィさんの手は貸してもらうつもりだけど、俺とフリスのどちらかはなるべく家にいるようにするし、それに夜にはちゃんと帰ってくるから」


「え、でも」


 フリスがこの家に泊まる理由は、つまりそういう意味なのだ。

 でも――それでは、二人は森の奥までは入れない。

 たとえ朝、日が昇る前に家を出たとしても。毎日必ず夜に帰ってくるつもりなのだとしたら、進める距離はおのずと限られてしまう。

 ラウグラインの名は伊達ではない。ルクテシア島のほぼ中央を占めるこの森を、たとえばその反対側――ユニス山脈の麓まで横断するだけでも、冒険者の健脚をもってしてなお一日ではまったく足りない。


「森に入るのは俺達だけじゃない。コートフェルやこの町でかき集める冒険者達もいる。手分けしてやるさ」


 シオンはかぶりを振った。

 ランディの両肩に優しく手を置いて、諭すようにゆっくりと言う。


「俺達が護るのはこの町だ。それ以外の場所の探索は、他の冒険者連中に任せる」


「えっと、そうじゃなくて。シオンにいちゃん、それじゃ」


 頭の中がぐるぐるして、ランディは混乱していた。

 自分と兄の間で、何がが上手くかみ合っていない。


 ――コンコン。


 と。扉を叩くドアノッカーの音が、唐突に割り込んだ。

 シオンは溜息をついて、むっとした顔をする。


「……どうも、昨日から千客万来だな。まったく」


「ぼく行ってくる」


 シオンが腰を上げるより先に、ランディが飛び出した。

 一度、脚を止めて、くるりと振り返る。


「シオンにいちゃん町長さんとおはなししてきたあとで疲れてるでしょ? 休んでていいからね!」


 ぱたぱたと廊下を抜けて玄関に出る。

 ドアノブを回して扉を開け、


「はあい、どちらさまですかぁ」


 そうして応対に出るまでの間、訪ねてきた誰ぞを町長さんかリテークの父親、そうでなければご近所の誰かだと想像していたせいだろう。

 玄関の扉を開けた先にいた相手に、ランディは言葉を失い、ぽかんと目を丸くした。


 知らないひとたちだった。

 一人は痩せた森妖精エルフの男。髪の間から伸びる耳が長いのでそうと分かった。

 一人は神官の長衣ローブ――それも、聖堂の正式な旅装である黒のローブを羽織った、背の高い男。

 そして二人の間に立つ最後の一人は、二足歩行の狼そのものの姿をした、獣人――狼人ワーウルフだった。

 膝丈の頑丈そうなズボンと裾が腰に届く半袖の上衣の上に、にかわで固めた硬革鎧ハードレザーを身に着けていたが、編み上げサンダルを履いた狼の後足そのものの足、袖から先の両手、襟元を開けた合わせから覗く胸元――それらはどこも柔らかそうな銀色の毛並みに覆われていて、腰の後ろではたっぷりしたふわふわの尻尾が揺れていた。

 紅檜皮べにひはだの瞳を縁取る睫が長いのと、革鎧の胸元がふくらんでいるのとで、女のひとなのかな――ととっさに思った。

 ぽかんと見上げるランディの顔に何を思ったのか、狼人ワーウルフの女はまなじりを細めて笑った。


「こんばんは、ボク」


「こ、こんばんは」


 彼女は――シオンやフリスがよくそうするみたいに――その場で膝をついて目線の高さを合わせながら、ランディに呼びかけてきた。

 狼らしい長くて湿った鼻がこちらの鼻先とくっつきそうになり、ランディはどぎまぎして後ずさりかけた。


「遅くにごめんなさいね。こちら、ウィナザードさんのお宅で合っているかしら」


「え? えと、はい……うちはウィナザードですけど」


「じゃあ、もしかしてキミがランディくん?」


「ぅえ!?」


 いきなり名前を言い当てられて、飛び上がりかける。その反応が面白かったのか、女は長い睫を擦り合わせるように瞬きしながら、毛並みのフワフワした喉を震わせて笑った。


「えっ――あの、お姉さんはどうしてぼくのこと」


「知ってるわ。いえ、会ったのは今日がはじめてだけど、弟クンの話は聞いていたわ。あのね、私達は」


「おい、ガキ」


 苛立った声が降ってきた。

 痩せた森妖精エルフの男だ。袖なしのシャツと麻のズボンというありふれた上下の上に、刺繍入りのマントを羽織っている。

 舌打ち混じりに、男はがらがらした低い声で言う。


「シオンいるだろ、シオン。呼んでこい」


「……ジーナス」


 男を振り仰ぎ、女狼人が窘める声を出す。ランディは内心、「あれ?」と首をひねった――彼女が呼んだその名前を、どこかで聞いたことがあったと感じたせいだ。


「変な横やり入れないでちょうだい。今は私が話してるんだから」


 窘められたエルフ――ジーナスと呼ばれた男エルフは、隈が目立つ威圧的な三白眼をすがめ、大きく舌打ちする。


「なァ、オレ達はガキ相手のおハナシしに来たんじゃねェだろ。いるならいる、いねぇならいねェでよ、とっととシオンの野郎をっとごげ!?」


 そんなエルフの脇腹を、背の高い神官の指が突いた。


「……っェなァ、ロニオン! いきなりなにしてくれやがんだテメェはァ!!」


「いえいえ、何と言うほどのことはありませんが――ほら、君が喋るとそれだけで話がややこしくなりますので」


「ンだそりゃよォ!? オレぁただシオン出せっつってるだけだろが!」


「ははは。そういうノリで道を訊ねて子供泣かせたの、ついこの間のことじゃありませんでしたっけ?」


 しれっとそっぽを向く神官の襟首をひっ掴み、三白眼を吊り上げるエルフ。

 唾を飛ばしあう男二人を半眼で仰ぎ見ていた女狼人が深くため息をついて、ランディに向き直った。


「ごめんなさいね、ボク。後ろのおにいさんたち見てのとおり態度も頭も残念だけど、見た目ほど悪いひとじゃないの。怖くないからね?」


「誰の頭がザンネンだぁ!?」


「あのぉう。さすがに彼と一緒くたにされてしまうのは、私も不本意なのですがぁ……」


 女狼人は溜息をつき、再度、後ろの男二人を振り仰いだ。

 無言で向けられた女狼人の微笑みに形容しがたい寒気を感じてか、男達は揃って、ぞっとしたように身を震わせる。

 笑顔ひとつで二人の男を黙らせると、女は一転してランディへ向き直る。

 その時にはもう、彼女の笑顔はただただ人懐っこいばかりのものに戻っていた。


「私達はシオンに――キミのお兄さんに会いに来たの。お兄さん、今いるかしら?」


「――ビアンカ?」


 ぴん、と女狼人の耳が立った。

 振り返ると、リビングからシオンが出てきたところだった。その後ろにはフリスの姿もある。


「ジー、ナス……ロニオン、も?」


「お前達、一体どうして」


「シオン! フリス!」


 ビアンカは、ぱっと腰を上げて、大きく尻尾を振りながら両腕を広げた。


「まあ、まあ、なんて懐かしいのかしら――四年ぶりね、二人とも!」


 歓声を上げたビアンカはそのまま二人へ駆け寄り、感極まったようにひしと両腕の中へ抱き締める。


「元気にしてた? あなたたち二人とも四年前とちっとも変わらない! ああ、本当に懐かしいわこうしてまた五人が揃うなんて! まるであの頃に戻ったみたい!!」


「ひゃ、わ。わ」


「ビアンカ――ビアンカ待ってくれ! ちょっと、落ち着いて」


 フリスが混乱しきって目をぐるぐるさせている間に、シオンは自分達を抱きしめるビアンカの体を無理矢理引きはがした。

 あぁん、と落胆混じりの不満を零す彼女と、シオンはあらためて向かい合う。


「懐かしいじゃないだろ。お前達、何で――どうしてこの町に」


「『どうして』というなら、『コートフェルで仕事を受けてきたから』、になるのかしらね」


「森の、魔物討伐の依頼か?」


「ええ、そうよ。双頭蛇竜アンフィスバエナが森に逃げたんでしょう? それも、卵か雛を抱えているかもしれない雌の一頭」


「……随分、早いな」


「コートフェルから来た中じゃ私たちが一番早いくらいじゃないかしら。なにせ今回は、領主さま直々のお声がけだったもの」


 口の端を吊り上げて、ビアンカは含み笑うような口ぶりで言った。


「認定脅威度Aランク。本来なら迷宮の深奥にしかいないはずの魔物が、時に歴戦の冒険者すらそのあぎとにかける危険な魔物が、こんな人里のすぐ近くに潜んでいる――トリンデン卿とコートフェルの警衛は、今の状況を非常に重く見ているわ」


「……王国に名高き冒険者、《導きの三連星トライスター》へ事態の収拾を乞うほどに、か?」


 シオンが苦笑混じりで口にしたその名前に、ランディは「あっ」と息を呑んだ。


 ――《導きの三連星トライスター》。


 ルクテシアで冒険者を目指す者ならば、きっと誰もが一度はその名を聞いたことがあるに違いない。

 これまで数多の戦士・魔術師とくつわを並べて冒険に挑み、彼らと共に冒険へ挑んだ冒険者は必ずその手に栄誉を掴んだといわれる、故に誰もが肩を並べることを望むだろう、導きの冒険者達。

 ルクテシアに数多ある冒険者パーティの中でもその声望は五指に入る、最優のパーティ。その一つだ。


 そしてその名前は、ランディにとってもう一つ別の意味を持っていた。

 恐らくはランディにとってだけの、特別な。


「そういうこと。私たちの方は、たまたまコートフェルにいただけだったのだけど――でも、いい機会だったわ」


「……どういう意味だ?」


「状況を重く見ているのは、依頼を受けた私たちとて同じこと。一年のうちでもっとも攻撃的とされる繁殖期の魔物を相手に必勝を期するなら、私たち三人だけではいかにも心許こころもとない」


「王国最優とも謳われる冒険者パーティがよく言うよ。そいつはさすがに謙遜が過ぎやしないか?」


「かもしれないわね。でも慎重に越したことはないでしょう? 私たちは冒険者なのだから」


 だから、と。

 女狼人は二人を見た。


「だからこそ、あなたたちを誘いに来たの。今回の仕事、私たちと一緒に行きましょう――ってね」


 彼女は重ねて呼び掛ける。シオンとフリスの二人に。

 エルフの男は忌々しげに舌打ちし、黒衣の神官はニコニコとなりゆきを見守っている。


 ――そう。

 シオンが時折、ランディが眠る前に話してくれた冒険の物語。その中で幾度となく登場した。

 彼女達は、


「もう一度。私たちが『五人』だった、あの頃みたいに――ね?」


 シオンが冒険者だった頃の――

 かつての、仲間達だ。

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