17.《蛇竜》討伐、続行です・④


「……帰る」


 ひとしきり泣いて、涙も枯れた頃。

 ぐすんと洟を啜ったラフィはつっけんどんにそれだけ言い放ち、一人、憤然とした足取りで公園から出ていった。

 その背中が見えなくなった瞬間、ランディは衝動的に腰を上げかけたが――後を追いかけて、せめて家まで送っていってあげた方がいいんじゃないかと――それはユーティスに止められた。


「ほっときなよ。散々泣いて喚いてやつあたりした後なんだから、一人で反省させとくのがいい薬だって。まあ、ラフィに反省するだけの恥と理性があればの話だけど」


「……ユートって、なんかラフィに特別厳しくない?」


「そう? 普通だと思うけどな」


 素っ気なくうそぶくユーティスは、実に心外そうだった。「自分以外が彼女に甘いのだ」とまで言いたげですらある。


 ――ともあれ。

 気まずいことがあったせいですっかり味がしなくなってしまったお昼ごはんを、それでも何とか口の中に詰めて飲み込んで。

 ひとまずその場は解散となった。身体は鉛を詰めたみたいに重たかったが、だからと言っていつまでも学校の近くに集まっていたら、遠からず先生に見つかって叱られてしまう。


 解散――とはいえ、ユーティスの家は途中まで道が一緒なので、自然と帰り道を連れ立つ格好になる。

 ランディとユーティスが並んで前を歩き、そんな二人の邪魔にならない少しだけの距離を置いて、おっとりした足取りのユイリィが後に続く。


 帰り道に人の姿はなかった。

 下校する生徒の姿がないのはもちろんだが、この時間ならまだ仕事をしているはずの大人の姿もない。町を貫く大通りであるにも関わらず。

 魔物出現の一報が、それだけ大きく響いているのだ。

 しんと静まり返ったよそよそしい冷たさに、ちくちくと胸の内側を刺されているみたいだった。


「まあ、ランディはさ」


 肩を落としてとぼとぼと歩くランディへ、ユーティスは慰めるように言った。


「べつに気にしなくていいと思うよ。『遺跡』のことは」


「でも……」


「昨日のうちに話しあいができてたところで、どうにもならなかったと思うよ。だいたい今だから『あの時ああしていれば』みたいにいくらでも言えるけど、今日みたいなことになってるなんて昨日のうちにわかるはずないんだし」


「それは」


 確かにユーティスの言うとおりかもしれない。ユーティスは頭もいいし、学校のクラスで話しあいなんかをするときも、この幼馴染が言うことはたいてい正しい方向を向いている。

 仮に昨日、『遺跡』をどうするか話しあっていたとして――自分達であらためて中を探索すると決めたにせよ、コートフェルの《諸王立冒険者連盟機構》支部へ遺跡発見の報告をすると決めたにせよ、その次の日が今の有様だ。

 どちらに方針を定めたとしても、実行なんてできやしなかった。それくらいの想像はランディの頭でもつく。


(でも……)


 けれど、きっとそういうことではないのだと思う。

 思えば昨日から、ランディはユイリィのことやシオンが向かうという魔物退治のこと――次々と起こる新しい事件でずっと頭がいっぱいで、『遺跡』のことなんてほとんど頭になかった。思い出すことさえろくにしていなかった。


 みんなの中で一番『遺跡』にこだわっていたのは、間違いなくラフィだった。

 たとえ意味がなかったとしても、結果が変わらなかったとしても。本当なら昨日のうちにちゃんと話しあうはずだった彼女のこだわりは、その矢先から後回しにされっぱなしで――その挙句が今なのだ。

 『遺跡』の入り口は一生懸命に隠してきたし、町の大人くらいになら見つからないくらいうまくやれたと思う。でも、相手がプロの冒険者では、自分達みたいな子供の工作なんてあまりに頼りない。

 従姉妹が一番こだわっていた遺跡は、他の冒険者に見つけられてしまう。

 他の誰かが、一番に見つけたことになってしまう。きっと。


「……ユートはさ、悔しかったりしないの?」


「遺跡のこと?」


 こくんと頷くランディ。ユーティスはてのひらを口元に宛がい、難しい顔で考え込む。


「そうだねぇ。何も引っ掛かりがないって言ったら、まあウソだけど」


「だよね……」


「でも、ラフィがあれだけ癇癪かんしゃく起こして泣き喚いたの見た後だとね。周りで見てるこっちはかえって冷めちゃうっていうかさ」


「ええ……?」


 そうしたユーティスの頓着のなさは、もしかしたら自分にとってはありがたいことなのかもしれないが。

 だとしても、それは果たして本当にそれでいいのだろうか。さすがに困惑してしまう。


「それに、『遺跡』は確かに遺跡だったかもしれないけど、僕達が考えるみたいな『迷宮』だったとは限らないし」


「どういうこと?」


 問い返すランディに、にんまりと口の端を上げてみせるユーティス。


「いわゆる《真人》の遺跡と呼ばれているものの中でも、冒険者が踏破に挑むような――つまりは僕達が想像するみたいな『迷宮』は、全体の二割か三割くらいしかないんだって」


「にわり?」


「たとえば十の遺跡があったとしたら、『迷宮』と呼べるだけのしろものはそのうち二つか三つしかないんだってこと。その中でも僕らが知ってる冒険譚にうたわれるような迷宮は、二割のうちのさらに一部なんだ」


 シオンとその仲間達が僅か三年で果たした『十五の未踏迷宮踏破』という事績は、そうした内情を知る冒険者達にとってこそより大きな意味を持つ。

 《諸王立冒険者連盟機構》の記録には迷宮の発見者と初踏破者、その他、新たな発見がなされた際にそれを果たした冒険者の名前が記録されてゆくが、たいていの場合において発見者と初踏破者はイコールだ。


 ――伝承の実在、もしくは未知の迷宮の存在を確かめ、その秘奥へと深く踏み入れる。

 ――あるいは、他の誰かの手で発見されながら踏破を果たされることなく残された難関を、その力で乗り越える。


 どちらであったとしても、それは踏破を果たした冒険者アドベンチャラー達の確かな実力と幸運の証明であり、未踏迷宮の踏破とはひとたび成し遂げただけでも冒険者達の尊敬を勝ち得ることのできる、大いなる功績なのだ。


「じゃあ……十のうちの、残りの八つは?」


「ひとくちに遺跡っていってもいろいろあるみたいで、ぜんぶ説明するのはちょっと難しいんだけどね。たとえば《真人》たちが住んでた家とか、彼らが使ってた家畜小屋とか粉ひき小屋とか、そういうのじゃないかっていわれてる遺跡があるらしいよ」


「い、家ぇ?」


 呻く声はうわずった。

 『遺跡』が、そんなどこにでもあるようなものだなんて、あまりにそぐわないと感じてしまったせいだが――ユーティスは「そうだよ」と軽く頷き、


「だってそうでしょ。《真人》だって眠くなったら屋根や壁のある家に帰って眠っただろうし、お腹がすいたら何か食べたでしょ。彼らがお伽噺に出てくるみたいなすごい魔法で文明を築いていた人々だったら、そうしたものがない方がおかしい。お伽噺のとおりなら彼らが作った『迷宮』はそのほとんどが壊されたはずだし、僕らが見つけられる遺跡に迷宮以外のものの方が多いのは、むしろ当然と言っていいくらいだよ」


 ユーティスの口ぶりは弾むようで、褐色の瞳は興奮できらきら輝いていた。

 幼馴染の口から次々飛び出した思いがけない内容の話に、ランディはぽかんと呆けてしまう。


「じゃあ……あの『遺跡』も?」


「さあ? それは分からないけど」


 かぶりを振って、考え込む仕草をする。その横顔はたまらなく楽しげだった。


「でも、あそこは一部屋しかないちいさい『遺跡』だったからなぁ……そうだね、《多島海アースシー》は大昔の《真人》が最後に立ち寄った土地だっていうだろ? たとえば他の土地から多島海に来たばかりの彼らが寝起きするための、バンガローみたいな建物だとしたらどうかな? そういうものがあったとしても、おかしくはないんじゃないかな」


「洞窟なのに?」


「最初から洞窟だったとは限らないさ。建てたときはきちんとした建物だったのが、後から土の中に埋もれたのかも」


「でも、あの『遺跡』、まだ隠し扉や隠し階段があるかもしれないよ?」


「もし本当にそうだとしたら、たぶんあの『遺跡』は僕らの手にはおえないよ」


 完全な思いつきで言ったランディの言葉を、ユーティスはかぶりを振って棄却する。

 ない、と否定はしなかった。でも、あったとしたら手におえない――ランディ達ではどうにもできない。


「ユーティスちゃんは、『遺跡』のこと詳しいんだね」


 ユイリィが口を挟んできた。

 素直で率直な賞賛に、ユーティスは「いやあ」とはにかんだ。


「親戚に、王都で真人時代の研究をしてる考古学者の先生がいるんです。そのひとがうちを訪ねてくれたときに、いろいろ聞かせてもらっていて……僕がさっき言ったことも、ほとんどそのひとのうけうりみたいなもので」


 髪を梳くように頭を掻いてはにかみながら、口早に言う。

 受け売りだとしても、すごいのに変わりはないと思った。だってランディには、その受け売りの知識すらなかった。

 不意に、ユーティスが「あっ」と声を上げた。それぞれの家に続く、分かれ道のところまで来たのだ。


「じゃ、僕はこっちだから」


「あ、うん。じゃあ、また……今日はありがとう」


 お礼の言葉に、ユーティスは不思議そうな顔をした。

 とっさに説明が出てこず、ランディは言葉に窮した。


「えっと……遺跡の話とか」


「ああ」


 その一言で、ユーティスの表情が明るくなる。


「それなら僕の方こそ『ありがとう』だよ。エイミーやラフィはこんな話きちんと聞いてなんかくれないし、リテークはいくらこっちが喋っても聞いてるんだかなんなんだか分かんないしさ――聞いてくれてありがとう、ランディ。よかったらまた今度、遺跡や考古学の話をしようよ。おじさんから貰った本も見せたいし」


「うん」


 ユーティスは嬉しそうに笑うと、「またね」と手を振りながら走っていった。

 その背を見送って、ランディは小さく息をつく。

 一人になると、公園での一幕が急に脳裏をよぎってしまって、喉の奥がごわごわするみたいだった。


「ランディちゃん」


「わ!」


 後ろから。耳元にユイリィの声。

 思わず飛び上がりかけたランディがぱっと振り返ると、膝に手をついてかがんだ格好のユイリィがニコニコとランディを見ていた。


「元気出して、ランディちゃん。帰ったらユイリィが、あまぁいおやつ作ったげるから」

「お、おやつ? なに?」


 魅惑の言葉に、わかりやすく気持ちが上向いた。少しだけ。

 ユイリィは悪戯っぽく口元に人差し指を宛がい、片目を閉じて含み笑う。


「それは帰ってからのお楽しみです。さ、おうち帰ろ」


「……ん」


 ランディを促して颯爽と歩き出すユイリィの後に続いて、家路につく。

 ユーティスにいろいろフォローしてもらったから、とか。ユイリィに励ましてもらったから、とか。たぶんそうした理由はあるだろうけれど。

 少し、気持ちが楽になった。

 明日か、その先か――とにかく今度ラフィに会ったときには、従姉妹に今日のことを、きちんと謝れそうな気がしていた。




「ただいまぁ」


 シオンが家に帰ってきたのは、日が大きく西に傾いた頃だった。

 リビングでその日出された算術の宿題を解いていたランディは、鉛筆を走らせる手を止めるとソファから飛び降り、兄を迎えに出た。


「おかえり、シオンにいちゃん!」


 そう言いながらリビングを飛び出すと、玄関にはシオンだけでなく、フリスもいた。

 肩にかけたケープが斜めにかしいでいて、なで肩気味のちいさな肩はいつもよりさらに下がっている。見るからにくたくたに、くたびれきっていた。


「フリスねえちゃんも、おかえりなさい」


「た、だい……まぁ……」


「出迎えありがとうな、ランディ」


「どういたしまして。にいちゃんの荷物持つ?」


「俺はいいから、フリスの鞄を持っていってやってくれ。重いやつだけど、落とさずいけるか?」


「やる。まかせて!」


 はい、とフリスに向けて両手を差し出す。

 フリスはネコみたいな金色の瞳を白黒させて、しばらく躊躇っていたが――やがておっかなびっくりといった手つきで、硬革製の鞄をランディに手渡した。

 細長い箱型をした大きな硬革鞄はシオンの警告通り、ずしりと来る重さだった。

 が、あらかじめそうだと分かっていればどうということはない。腰に力を入れて鞄をリビングまで運び、二人に頼もしいところを見せてやる。ちょっとよたついたかもしれないけど、きっととても頼もしく力自慢に見えたにちがいなかった。


 そんな弟の背中を見つめながら、シオンはニッと口の端を緩めた。


「ありがとうな、ランディ。おなかすいたろ? すぐに夕飯作るから――」


 リビングに入ると、鼻先に届く香しい匂いがふわりと鼻孔を擽る。

 ランディに続いて部屋の中に入ったシオンは、その匂いに気づいて足を止めた。


「おかえりなさいシオン。フリスも」


「ただいま、ユイリィさん……」


 台所に立つユイリィを見て、シオンは呆けたような、面食らった顔をしていた。


「夕食……作ってくれてるのか」


「うん。二人とも帰りは遅くなると思ったから」


「聞いて聞いて! ユイリィおねえちゃんの作るごはん、すっごいおいしいんだよ! 学校に持ってったお弁当もだし、あとキャラメル作ってくれた!」


「キャラメル……?」


 シオンは訝しむ顔をしながら、学校の問題集とノートが広げられていた食卓に目を向けた。

 ノートのすぐ傍、元々はジャムが入っていた小さな空き瓶の中に、包装紙で包んだキャラメルがいっぱいに詰まっている。テーブルに散らばっている包み紙は、宿題をしながらちょいちょいつまんでいたその名残だ。

 その間、一番最後にへろへろの足取りで入ってきたフリスが、身体を投げ出すみたいな勢いでソファにへたり込む。


「フリスねえちゃん。鞄ここ置いたから!」


「あ……ありが、と……」


「疲れてるんならフリスねえちゃんもキャラメル食べる? 元気出るよ」


「甘いのより……んと、お水、ほしい。今は……かも」


 すぐさま台所に駆け込んで、水差しと木製のコップを持って行ってあげながら。珍しいな、とランディは内心首をひねっていた。

 フリスが家を訪ねてくるのはこれまでにもよくあったことだった。家を訪ねてくるフリスの姿もその数だけ見てきているはずなのだが、ここまでへとへとのフリスには覚えがない。いや、そもそもフリスが荷物を持っている姿を見た記憶自体がない。

 夕食を作って持ってきてくれるときだっていつも両手が空いていて、ランディが迎えに出ると腕の中に抱きしめてくれて――


(――あ、そっか)


「荷運びパペットくんどうしたの?」


 いつもお供に連れている《荷運びパペットくん壱号》がいないのだ。

 フリスの荷物はいつも、ランディより背が小さなあの《自動人形パペット》が運んでいたはずだ。


「ん、とね……お店で、店番……」


 水を注いだコップを受け取りながら、フリスはソファに横たえていた体をもたもたと起こした。コップに口付け、くぴくぴと喉を鳴らして水を飲み干して、深く甘露の息をつく――潤いを取り戻したその口元が、何かいいことを思いついたという風でへにゃりと緩む。


「んと。だから、今は、ね? 今は、荷運びじゃなく、て、《店番パペットくん壱号》……なの。ふふ」


「ふーん」


 そうなのか、とランディは納得する。ついでに、フリスねえちゃんは自分でも持てるくらいの荷物でへとへとになってしまうへなちょこだし、パペットくんには傍にいてもらった方がいいんじゃないかな――と少なからず失礼なことを思った。

 一方、ウケを狙ったつもりだったフリスは、ランディの反応の薄さに内心しょんぼりと落ち込んでいた。――無論そんなことは、ランディの知る由もないことではあったのだが。


「そういえば、あの鞄なんなの? いつもはあんなの持ってきてなかったよね?」


「あ、それは……」


「着替えとか、薬研みたいな仕事道具とか、そういった身の回りのものだよ。今日からしばらく、フリスもこっちに泊まるから」


 シオンだった。

 ランディの傍らまでやってきた彼は、片膝をついて視線の高さを合わせ、対面で向かい合う。


「少し話したいことがあるんだ。もしかしたら、もうユイリィさんから聞いた後かもしれないけれど……」

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