16.《蛇竜》討伐、続行です・③


 放課後。

 帰りの会が終わって先生が教室を出ていくと、ランディ達はすぐに教室を飛び出した。

 先生はまっすぐ帰るようにと言っていたけれど、クラスメイト達の動きは鈍かった。

 午前中で授業が終わりだと知らされたのは今朝のこと。本当なら午後も授業があるはずだった。

 つまるところみんなお昼のお弁当を持ってきているので、帰る前に仲良しで集まって、お昼を食べていこうとしているのがほとんどだったのだ。


「先生、さようなら!」


「はい、さようなら。廊下を走ってはいけませんよ」


「ごめんなさい!」


 昇降口でばったり出くわした担任の先生に注意されたりしながら校舎を飛び出し、校庭を走って学校の敷地を出る。

 ユイリィが指定してきた公園は、町のほぼ中央に位置する広場を挟んでちょうど反対側にある。公園と言ってもちいさな町のこと、散歩ついでに目を休ませる程度の木々が植わっていて、あとは花壇とベンチがあるくらいの、ささやかなものだが――その木製のベンチに、ユイリィは静かに座っていた。


 膝の上に置いた小さな包みに両手を重ねながら、姿勢よく背筋を伸ばして上品に。

 着ている服が昨日から着たきりの、ぶかぶかでサイズの合わないシオンのそれのままでなかったら、もしかしたら絵物語のお姫さまみたいにさまになっていたのかもしれなかった。


「ユイリィおねえちゃん!」


 ランディが呼び掛けると、ユイリィはベンチから立って子供達を迎えた。


「おかえりランディちゃん。お友達のみんなも。学校どうだった?」


「学校の話はいいから! それよりさっきの続き!」


「エイミーちゃんとリテークちゃんは時間だいじょうぶかな? おうちのお手伝いあるんだよね」


「あ。それは、あの」


「お昼食べてる間くらいはへいき!」


 ランディが横から口を挟む。確認を求めてユイリィが二人を見ると、エイミーもリテークも首を縦に振った。

 ――ユイリィから話を聞くにあたって問題になるのは、聖堂のお手伝いに帰らなければいけないエイミーとリテークだった。だがそこに関しては、


『……お昼ごはんの間くらいなら、たぶんだいじょうぶ』


 ――という、エイミーの言葉を信じることにした。

 あまり話が長引くようだったら、みんなで教会に行ってエイミーの両親に謝るくらいはしないといけないかもしれないが。


「わかった。じゃあ、お昼ごはんを食べながらね」


 ひとつ頷いたユイリィは手振りでランディたちをなだめてその場に座らせると、自分も公園の地べたに膝を折って座りなおす。

 六人で車座になったところで、先ほど膝に抱えていたちいさな包みを開きながら、


「さっきも言ったけど、少し長い話になるから。要点だけ手短に話すね」


 ユイリィは、ランディたちがそれぞれお弁当の包みを解くのを見渡して、あらためて話を切り出した。



 結論から言えば、森が立ち入り禁止になったその原因――今なお森に潜んでいるかもしれない魔物とは、《双頭蛇竜アンフィスバエナ》のことだった。

 といっても、無論それは、昨日ランディ達の前でユイリィが倒したそれではない。


「あの魔物ね、よその島のダンジョンから運ばれてきた、その途中だったんだって」


 だが、不運か、あるいは何かの手違いか。いずれにせよ魔物を閉じ込めていた檻の鍵が外れ、その脱走を許してしまった。

 檻の中に捕えていた《双頭蛇竜アンフィスバエナ》は二匹。雄と雌のつがいだった。


「魔物ハンターだ!」


 ランディは声を上げた。


「聞いたことある! 魔物の研究をするときなんかに、魔物のオスとメスを捕まえてきて赤ちゃんを産ませたりするんだって……そういうときに迷宮で魔物を捕まえてくる専門の冒険者がいるんだって、シオンにいちゃんに聞いたことある!」


「そうだね。シオンもランディちゃんとおんなじこと言ってた」


 魔物を護送する馬車の手綱を握っていた御者――魔物が脱走した際、幸運にもただ一人だけその場から逃げ延びることができた男の証言で、その事実が明らかになった。


「ユイリィがやっつけたのはオスのほう。メスのほうがまだ見つかってないみたい」


 折悪しく、今は春。

 森の鳥や獣たちにとっては今が恋の季節だ。それは魔物の生態においてもおおよそ当てはまる。


 双頭蛇竜アンフィスバエナの雌は腹部に育児嚢いくじのう――卵や幼生を保護するため、体に備えた袋だ――を持ち、孵化までの間はその中に卵を抱えて過ごす。未だ姿をあらわさない雌の双頭蛇竜アンフィスバエナが卵を抱えている可能性は、決して軽く見積もれるものではない。

 万に一つ――卵が孵化し、幼体が森へと広がるという危険な事態が起こるより先に、森へ逃げ込んだもう一匹の双頭蛇竜アンフィスバエナを討たなければならない。


 既にラウグライン大森林近隣の町や村には早馬が飛び、冒険者を雇い入れ、魔物の討伐隊を送り込むための動きが進んでいるという。無論この町もその例に漏れない。

 その動きの中心になっているのは、この地方で最大の都市であるコートフェルだ。

 それは《双頭蛇竜アンフィスバエナ》という魔物の脅威――何より、その脅威が大森林の中でさらに数を増やすやもしれぬという事態に対する、危機感の表れと言えた。


「魔物の討伐隊にはシオンも参加するみたいだよ」


「シオンにいちゃんも?」


「うん。なんだかコートフェルのえらいひとがお願いに来てたみたい。こう、こんな感じの――隼かな? 鳥みたいな絵がはいった紋章のマント留めをつけたひとが、シオンにぜひやってほしいって」


「……トリンデン卿だ」


 呻くユーティスの声は震えていた。


「ユート、それ知ってるひと?」


「知ってるも何も、領主さまだよ! オルデリス公領の領主さまで、コートフェルの執政官!」


「すっご――――い!」


 ラフィがはしゃいだ声を上げて、両手を打ち合わせる。


「すごいすごいっ、さっすがシオンさん! 領主さま直々のご指名なんて!!」


「ラフィちゃん、シオンさんのこと好きだねぇ」


「はあ!? あたりきでしょ!!」


 我がことのように喜ぶラフィに、ニコニコと微笑むエイミー。

 ラフィは硬く拳を握りしめ、さらに力強く主張する。


「東の海の果てから現れた嵐の竜! ――その竜をたった五人で討伐した冒険者のひとりにして、竜の眉間をその剣で絶ち割った《雷光の騎士》シオン・ウィナザード!

 たった三年の間に十五の未踏遺跡を踏破して、吟遊詩人に謳われた詩は今やその数知れず! 三つの国の王様がその功績を讃え、《学院》の考古学の先生からは《真人》時代の研究を十年進めたと激賞された、不世出の冒険者! それが!!」


 従兄弟の少女は頬を上気させながら、熱烈に、朗々と語る。


「それが、シオン・ウィナザード!! あたしの憧れの、シオンさんなんだから――!」


「………………ふえぇ」


 今から数えて四年前――十六歳の時まで、シオンは冒険者として《多島海アースシー》の各地を渡り歩いていた。

 パーティは五人。シオンとフリス、それからあと三人の仲間達。

 七年前、仲間達と共に十三歳にして最初の未踏遺跡を踏破したシオンは、それからわずか三年の間に数多語られる冒険を次々と乗り越え、その中で《多島海アースシー》の伝承に謳われるような魔物さえも屠ってみせた。


 そして四年前。東の海から《果てなる海の嵐竜》――その身に恐ろしい嵐をまといながら空をく天災が如き《古竜エインシェント》が現れたとき、《諸王立冒険者連盟機構》の盟主たるルクテシアの王家が招聘しょうへいした冒険者たち、その先陣となって暴悪なる嵐の竜へと挑んだ五人は、遂に一人の犠牲も出すことなく見事これを討ち果たし、東の外洋を脅かし続けた嵐を永遠に払ったのだ、と――


(にしてもラフィ、難しいことばいっぱい知ってるんだなー……)


 内心――半ば呆れ混じりで――従姉妹の表現力に舌を巻く。

 まあ、彼女の国語の成績がいいのは、ランディも知ってはいたけれど。


「しかも、よ!? そーんなすごい冒険者なのに、《果てなる海の嵐竜》を討伐したあとはあっさり冒険者から身を引いて、大陸に行っちゃったおじさまおばさまの代わりにランディの親代わりをしてるのよ!?」


「う、うん」


 びしりと人差し指を突き付けられ、ランディは圧倒されながら頷くしかできない。

 ラフィはうっとりしながら、「ああ」と蕩けた息をつく。


「あんなに強くてかっこよくて……なのに気さくでちっとも威張ったところがなくて、冒険者の名誉にも栄光にもちっともこだわらない。それがシオンさんなの! ああっ、まるで春に吹く爽やかな風みたいなひと!」


 その爽やかな風みたいなひとのことでその時ランディの脳裏を真っ先によぎったのは、よくわからないへりくつをこねてランディを意地でもお風呂に放り込もうとしたり、せっかくの肉団子シチューにきらいな玉ねぎをわんさか入れてランディにむりやり食べさせようとする、ひいきめに見ても邪悪としか言いようがない兄の所業の数々だったのだが。

 いや――もちろんシオンは大体においていいお兄ちゃんなのだと思うし、ランディもシオンのことは大好きだけど。


 実の弟の立場からいろいろと言いたいことはあったが、それでもシオンを崇敬する従姉妹を慮って消極的な無言を貫く間に、ラフィは頬を染めながら「ああ」とうっとり溜息をつく。


「あんなすてきな男のひと、他にいるのかしら――あたし結婚するならシオンさんみたいなひとがいい。ううん、シオンさんがいい!!」


「それいくらなんでも夢見すぎじゃない?」


「ねぇねぇランディ!」


 ぼそりとツッコむユーティスを無視し、目を輝かせたラフィがずいと顔を寄せてくる。


「シオンさんとうちのにーにとっかえてよ! ね、いいでしょ!? ねーねーねー!!」


「え? いや、なんでさ。やだよぉ!!」


「いいでしょー! いいでしょー!? ねーったらねーねーねー!!」


「やーだ! やだってゆってるでしょ!? ちょっとは聞いてよひとの話!!」


 がっくんがっくん揺さぶってくる従姉妹の手を突っぱね、どちらかといえば気の優しい方だろうランディもたまりかねての抗議の声を上げる。何一つよくなんかない。


 あとその言い草は、ラフィのおにいさんに対してあまりにひどい。

 ……いや、ランディの反応も大概だと言われてしまえば、確かにそうなのだけど。


「ごちそうさま」


 ぱたん、とお弁当箱の蓋を閉じる音。

 リテークだった。

 その隣でエイミーが、小鳥がついばむみたいにしてパンの最後のひとかけらを口に運ぶ。ランディのそれと比べて半分くらいのサイズしかない藤製の弁当箱は、やはりきれいにカラになっていた。


「わたしもごちそうさまでした。あの、おひる食べちゃったから、わたしもう行かなきゃ……なんですけど」


「ユイリィのおはなしなら今のでおしまいだよ。お手伝いがんばって」


「はい」


 ニコリと笑って、エイミーは頭を下げる。


「それじゃあ、失礼します。ラフィちゃん、ランディくん、ユーティスくんも、また明日ね」


 手を振りながら公園を出て、教会の方へ向かう二人を見送ってから。

 ランディはあらためて自分のお弁当を食べはじめた。ユイリィの話に夢中で聞き入っていたせいで、ほとんど手がついていない。

 ランディのお弁当は、厚切りにした鶏肉と砕いたゆで卵。それを瑞々しい葉野菜と一緒に、薄く切って表面をカリカリに焼いた二枚のパンで挟んでいる。


 見たことのない食べ物だったが、手づかみで食べるものらしいということは、隣で同じものを口にするユイリィを見ればそうと分かる。両手で鷲掴みにして、口をいっぱいに開けてかぶりつく。

 途端、ぷりぷりした白身とふかふかの黄身、鶏肉のうまみが焼いたパンの香りや歯ざわりと一緒に口の中いっぱいに広がった。


「おいしい?」


「おいしい!」


「よかった」


 口の周りをパンくずだらけにしながらほくほくと相好を崩すランディに、ユイリィはほんのり頬を染めて、嬉しそうに微笑んでいた。

 白状すれば、リテークやエイミーが早々にお昼を終わらせてしまった後だったので、早く食べなきゃと気が急いていたのは間違いなかったのだが――そんなこととはもはや一切関係なく、ランディは夢中になってがつがつとむしゃぶりつく。

 そんな最中だった。


「あれ? ちょっと待って」


 ぽつりと、ラフィが零した。

 ついさっきまでこのうえなく輝いていた表情が硬くこわばり、凍りついている。


「? どしたのラフィ」


「ぼーっとしてないで、君も早くお弁当食べちゃいなよ。今くらいならまだ言い訳も立つけどさ、あんまり長いことここで居座ってると早く帰れって先生に叱られるよ」


「叱られるとかどうでもいいわよ。ていうか、お弁当なんてのんきしてる場合じゃないわ。ねえ二人とも、大変じゃない」


「何が?」


 栗鼠りすみたいに口いっぱい頬張ったまま疑問符を浮かべるランディに、ラフィの顔色がさっと青褪め、「信じられない!」と喚かんばかりに眉がつり上がる。


「なに言ってんのあんた! 『遺跡』よ、『遺跡』!」


 思わず、「あっ」と失敗を悔いる呻きが出た。

 ラフィはべしべしと地面を叩いて喚く。


「どうして! そう! 忘れっぽいの! あんたはっ!!」


「ラフィ落ち着いて。声が大きい」


「なぁにが落ち着いていられるもんですか! ねえ、これから魔物退治しに、森へ冒険者のひとたちがいっぱい入るんでしょ!?」


 森の中にある、ランディ達のひみつの隠れ家。そこから浅い川を上流へさかのぼった先にある、迷宮ダンジョンかもしれない洞窟への入り口。

 少し前の大雨で土砂が崩れて入り口が露出したらしいそこは、入口近くこそ一見して普通の洞窟だが、奥へ進むと壁も天井も石造りの通路に変わって、一番奥はドーム状の大きな部屋になっている。


 ランディ達が――正確にはリテークが、というべきだろうが――見つけた、未知の遺跡。

 自分達でもっと探索するか。それともコートフェルにある《諸王立冒険者連盟機構》の支部へ報告してもらうか。

 見つけたときには結局扱いを決めかねて、今は木の枝や石を積んで入り口を隠してあった。だいぶん念入りに隠したから、町の大人にくらいなら見つからないようにできただろうという自信がある。

 けど、


「町の大人どころじゃないわ! 本物の冒険者なのよ!? そんなことになったら――あたし達の『遺跡』、ぜったい見つけられちゃうじゃない!」


 それもプロの冒険者相手となれば、自分達程度の工作ではいかにも心許ない。というより、意味があるとは思えない。

 ユーティスも途方に暮れたように天を仰いでいたが、やがて感情を飲み込む体で大きく息をついた。


「……そんなこと言ったって仕方ないじゃないか。今更どうしようがあるのさ」


「だから、あたし『遺跡』の話しようって言ったじゃない! 昨日だってそのために! それなのにランディが!!」


「ぼ、ぼく!?」


「そうよ! あんたが――」


 喚くラフィの視線が、一瞬だけユイリィの方へ泳ぐ。

 怯みかけたのを堪えるみたいにぎゅっときつく唇を噛み、従姉妹はきつくランディを睨む。


「っ……とにかく、あんたがいけないの! ぜんぶランディのせいよ、このおばかっ! ばかばかばかぁ!!」


「ラフィ……」


 喚く声には、いつしか涙が混ざっていた。

 そんなのいくらなんでもそんなの理不尽じゃないか、と。そう言い返したい気持ちも、ないではなかったが――


「ふえぇぇぇん……!」


「……………………」


 声を上げて泣きはじめてしまったラフィを前にすると、そんな気持ちもこみあげる先から力をなくしてしおれてしまう。

 何より、『遺跡』ことを一番気にかけていて、これからどうするべきかを話し合って決めようと一番熱心だったのは、紛れもなくこの同い年の従姉妹だった。


 それを思うとさすがにラフィがかわいそうで、それ以上に後ろめたくて。

 ランディは口にしかけたいくつかの反駁を、唇を噛んで封じ、そして、ぐっとお腹の底に呑み込んだのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る