15.《蛇竜》討伐、続行です・②


 それからの授業中――ランディはずっと気もそぞろで、先生の話にちっとも集中できていなかった。

 それは教室にいたユーティス達や他のクラスメイトも同じで、そうした生徒の態度を注意する立場である先生も、途中から半ばそうすることを諦めてしまっていた。何せ事が事だ。

 絵物語や、酒場でジョッキを打ち交わす景気のいい冒険者がふれまわる冒険譚の中にしかいなかったはずの、《魔物》という存在。それが、自分の身近なところに


 その、恐怖や混乱が裏腹に縫い付けられた高揚感と好奇心。かたや不安そうに縮こまっていたり、かたや魔物なんか怖くないしいるなら一度見てやりたいと吹き散らしていたり。みんな休み時間のたびに仲良し同士で集まって今朝の話を繰り返していたし、それはランディ達も例外ではなかった。

 唯一、他のクラスメイト達と違うところがあるとしたら、


「ねえみんな、どう思う?」


 それはランディ達が、討伐された魔物アンフィスバエナの一件に立ち会った当事者、目撃者だということだろう。

 その日最後の授業が終わった正午前。ユーティスの席に集まった友人達を見渡して、ランディは訊ねた。


「……あのヘビみたいな魔物が生きてたってことかしら。あたし達、トドメを刺したのは確認してなかったわよね」


 ラフィが口元に手を宛がいながらそう唸るのを聞いて、ユーティスは「はは」と鼻で笑う。


「僕達はそうだけど、あの場にはシオンさんもいたんだよ? 魔物を一撃でやっつけたユイリィさんと、シオンさんが揃って魔物の生死を確認し忘れた、だなんてうっかり話は、ちょっと考えにくいね。僕には」


 ラフィは「うっ」と怯んだ。


「それに、森の入り口に警衛のおまわりさん達や薬屋のフリスさんがいたの、ラフィだって見ただろ? シオンさんだってあの場に残った。僕達が帰った後、それだけのひとが討伐の確認もしないで解散したと思うかい? ないでしょ、それは」


「た、確かにそうね……」


 ラフィは口元に手を宛がいながら、難しい顔で唸る。


「そうよね――あのシオンさんがいたんだものね! 王都で国王陛下から直々にお褒めのことばをたまわったこともある、ルクテシアで、いいえこの《多島海アースシー》で最高の冒険者のひとりだもの! そんなへまなんかしてるわけないわね! ユーティスの物言いはむかつくけど、今回ばかりはあたしが浅はかだったわ!!」


「はいはい。それはどーも」


「でもそうなると、あのでっかいヘビ以外にも魔物がいたってことなのかな」


 そう言うランディに、ユーティスはふるふると首を横に振る。


「どうだろうね。そもそもあの魔物だって、どこから来たんだか」


「魔物って、遺跡に住んでるっていうよねぇ」


 エイミーがおっとりと零す。

 すると、ユーティスは急に舌打ちしそうな顔になった。


「ユート?」


「いや、別に……どのみち森はしばらく立ち入り禁止か。参ったな」


「何が?」


 重ねてランディ。先に何か察したらしいラフィが、「はぁ?」と小馬鹿にした顔で笑った。


「あんた、昨日の集まりが何だったかもう忘れちゃったの? あたし達のいせむぐ!?」


 風のように素早く、背後から忍び寄ったリテークがラフィの口を押えた。

 エイミーが自分の口元に人差し指を当てて、無言で注意を促す。こくこくと頷いて了解の意を示したラフィは、リテークの手をどけながら、バツが悪そうな顔で唇を引き結んでいた。


(そうだ、『遺跡』……)


 ランディも思い出した。

 ひみつの隠れ家から川をさかのぼった先にある、壁のようになった斜面にぽっかり開いた『遺跡』の入り口。

 ユイリィの一件があったり《双頭蛇竜アンフィスバエナ》が現れたり、夕食の後もばたばたしたりですっかり頭から抜け落ちてしまっていたが、そもそも昨日の集まりは、自分達が見つけたあの『遺跡』をこれからどうしようかということを、みんなで話しあうためのものだったのだ。


「ね。みんなどう思う?……やっぱり見つけられちゃうかな、おとなのひとたちに」


 不安そうにみんなの表情を伺うエイミーの問いかけ。ユーティスは「どうだろう」と、窓から外を見遣った。

 校庭の先にある警衛隊の詰め所、さらにその先――建物の屋根の上から背の高い梢を覗かせる、ランディ達の遊び場。ラウグラインの大森林だ。


「あそこって川の左右がちょうど壁みたいになってるし、上の道からだと死角になる場所なんだよね。入口は僕らで隠してきたし、周りの木や草も目隠しになる。川の中を歩いてさかのぼりでもしなきゃ、そうそう見つけられないとは思うけど」


「あたしたちがやったみたいに、でしょ?」


 胸を叩いて得意げに片目を閉じるラフィ。今度はユーティスも反駁せず、口の端を緩めて鷹揚に首肯する。

 ただ――『遺跡』のことに関して言うなら、一番の功労者はこの二人のどちらでもない。

 ランディはリテークを伺う。

 口元をマフラーで隠した無口な友達はその時も何を言うでもなく、めいめい言いあうみんなのお喋りを聞いているばかりだった。


 ――少し前の、大雨が降った日。その翌日。

 一時はかさが上がっていた川の水もいつもどおりのところまで引いた夕方に、リテークは例によって唐突に隠れ家を出るなり、川辺を上流へ向かって歩きはじめた。

 隠れ家がある岸辺から上流へ向かって歩いていくと、川岸はすぐに崖みたいに急な斜面に変わり、川の中を歩かなければ先へ進めなくなる。

 靴の中を水浸しにしながら、一向に足を止めないリテークの後を――ユーティスやラフィは口々に疑問を投げかけたり、文句を言ったりしていた――ついていった先で。ランディ達はそれを見つけた。


 大雨で土が流れたのか。ほとんど壁みたいになった斜面にぽっかりと口を開けた、それは『遺跡』の入り口だった。


 両親が森を住処とする狩人だからなのか、それとも他に理由があるのか、リテークは奇妙に鼻が利く。

 エイミーが森で落としてしまった人形をみんなで探したときも、担任の先生の家から逃げてしまった猫をクラス全員で探しまわったときも、真っ先にそれらを見つけたのは、この無口な幼馴染みの友達だった。

 第一発見者の名誉がうやむやにされているみたいで、内心「いいのかなぁ?」と疑問を覚えずにいられなかったランディだが――そうしたことに頓着する様子のない友達の横顔を見ているうち、不意にはっとして閃くものがあった。


「そうだ、リテーク! リテークのうちは大丈夫なの!?」


 思わず、ランディは口に出していた。

 首をねじってこちらを見たリテークが、眠たげな目を瞬かせる。


「?」


「いや、なんでリテークが不思議そうにしてるのさ! リテークのうち、森の中じゃないか!」


 あっ、と呻く声がふたつ上がった。

 ラフィとユーティスのものだ。どうやら二人ともランディ同様、完全に失念していたらしい。

 狩人は森の中をその住処とする。獲物が乏しく、それゆえに町から離れて森に留まる意義が薄い冬場を除いて、狩人の家は一年の多くを森の猟師小屋で暮らしている。


「リテークくん、おじさんとおばさんと一緒にきのうからうちに来てるよ?」


 言ったのは、唯一反応が薄かった――いつもならこういうときには一番おおげさに反応しそうな、エイミーだった。


「そうなの?」


「うん。リテークくんたちだけじゃなくて、薬草採りさんたちや、あとは森に近いおうちのひとたちも来てるの」


 エイミーの家は、トスカで唯一の聖堂だ。

 十二創世神――この世界を創り出したといわれる十二人の神様のうちの二柱、天の主神と地の女神の夫婦神を祭っている、ルクテシアでは最もありふれた信仰形態の聖堂である。


「だからね、わたしも今日は学校おわったらすぐに帰らないとなの……教会に来てるみんなのご飯作るから、おかあさんのおてつだいしなきゃいけなくて」


 ごめんね、としょんぼりするエイミー。力なく落ちたその肩を、リテークがぽんぽんと叩いた。

 きょとんとしながら振り返る彼女に、リテークは言う。


「手伝う」


「いいの?」


「世話になってるから。当然」


 びしりと親指を立てるリテーク。エイミーの表情がぱぁっと明るくなる。


「ううん、ちっともあたりまえなんかじゃないよ……リテークくん、ありがとう」


 ――こんこん。


 窓のガラスを叩く音がしたのは、ちょうどそんな時だった。

 揃って振り返るランディ達に、ノックの主は窓の外からひらひらと手を振った。


「やっほー」


「ユイリィおねえちゃん!」


 ユイリィだった。にこにこと手を振る彼女を迎える形で、急ぎ窓を開ける。


「どうしたの、なんで学校に!?」


「シオンとフリス――あと町長さんともおはなししてきたから。ランディちゃんに報告しに来たよ」


 当然のように言うユイリィ。

 その呆気なさに、ランディはむしろ言葉を失う。


「まずくない? 学校って関係者しか入ったらだめって」


「ユイリィはランディちゃんのおねえさんだから関係者だよ。それに、今日は学校もう終わりでしょ?」


 さらりと返され、そういうものだろうかと納得しかけて――ランディはふと訝った。


「授業はたしかにお昼で終わりだけど……それも町長さんか誰かから訊いたの?」


「ううん? ランディちゃんの先生が言ってるの聞いた」


「先生に?」


 担任のホーリエ先生は、あれで厳しい先生だ。掃除をさぼったり宿題を忘れたりすると、ただでは許してもらえなくてほんとうに怖い。

 その先生が、ユイリィがランディの『お姉ちゃん』だと話したところで、そうそう簡単に鵜呑みにして学校の予定を話したりしてくれるだろうか――はっきり言えばランディとユイリィでは、姉弟というには顔かたちが似ていない。


「直接お話したわけじゃないよ。朝、ランディちゃんたちにおはなししてるのを聞いたの」


 ランディちゃんの先生が


(……観測……?)


 ――そうだ。そういえば森でアンフィスバエナを倒したときも、ユイリィはいち早くその存在に気づいていた。

 ユイリィは《棺》の中にいるときから、外の音を聞いて情報を集めていた。《棺》の中にいるときはあんまり遠くの音まで聞き取れなかったみたいだけど、今はそうではない。


「……ユイリィおねえちゃん、もしかしてすごく耳がいい?」


「そうでもないよ。すぐそこにいたから聞けただけだもの」


 ユイリィはくるりと振り返り、校庭の敷地に隣接する役場の建屋を指差した。

 ――十分遠い。やっぱり、すごく耳がいいみたいだ。


「ね、ね! ユイリィさん!」


 ランディを押しのけて、ラフィが窓から身を乗り出す。


「シオンさんたちとおはなししたのよね? どんなおはなししてたの? 魔物ってどんなやつだった!?」


 従姉妹だけでなく、ユーティスやエイミー、果てはリテークまで、興味津々に寄ってきていた。他のクラスメイト達にも騒ぐ声が届いたのか、興味津々に伺う視線が集まりはじめている。

 一同を見渡して、ユイリィはニコリと微笑む。


「ちょっと長くなるから、おはなしは学校終わってからね。そこの公園で待ってるから」


「そこの方ーっ! 勝手に校内へ入らないでくださーいっ!」


「こらーっ! どこから入ったきさまーっ!」


 声のする方を見ると、担任のホーリエ先生と、それから体格のいい男の先生が、昇降口からこちらへ向けて走ってくるところだった。


「それじゃあ」


 ユイリィはふわりと後ろへ跳んで窓から離れると、軽やかにと踵を返した。


「また後でね」


 ユイリィは燕のような軽やかさで走り出し、その背中はあっという間に遠ざかって、校庭を飛び出していってしまう。

 男の先生が顔を真っ赤にして追いかけていたが、とても追いつけそうになかった。

 そしてユイリィと入れ替わりで、担任のホーリエ先生が――こころなしか息を切らしながら――窓のところまでやってきた。


「み、みなさん。さっきの方は……みなさんの、お知り合いですか?」


「あ、あの。ユイリィさんは」


「ぼくのおねえちゃんです!」


 あたふたと言うエイミーの言葉にかぶせる格好で、ランディは答えた。


「お姉さん、ですか?」


「はい。あの……親戚の、おねえちゃんです」


「……親戚、ですか」


 先生はまだ何か疑っている様子で、検分するようにじぃっとランディを見ていたが――目を背けずじぃっと見つめ返していると、やがて諦めたように小さく息をついた。


「わかりました――でも、親戚だからといって勝手に校内へ入られては困ります。お姉さんにはランディ君から、しっかりと注意してあげてくださいね」


「はぁい」


 肩を縮めながら素直に頷くと、先生はくるりと背を向けて昇降口へと戻っていった。

 どうにかうまくごまかせて、ランディはほっと胸をなでおろしていた。

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