14.《蛇竜》討伐、続行です・①


 ランディがまだ今よりちいさくて、シオンの部屋で一緒に寝かせてもらっていた頃。

 夜に眠るとき、シオンはいつもランディが眠たくなるまで、冒険のお話を聞かせてくれた。

  

 初めて挑んだダンジョンで落とし穴に落ちた先にひとりで住んでいた、偏屈なホビットの芸術家のお話。

 『呪われた逆三角形のお城』で見つけた山ほどの財宝に目がくらんだ挙句、うっかり引き抜いてしまった『呪われた七曲りの剣』にまつわる顛末。

 無双の騎士を自称するオーガの騎猪戦士ボアライダーパデンドフとの戦いや、隻眼四本腕の骸骨船長が率いる海賊船団との探索競争。

 失敗したり、ハラハラドキドキさせられたりすることもたくさんあるけれど、でもいつだって最後はめでたしめでたしだった。


 シオンとフリス、それから二人と共に旅する三人の仲間は、力を合わせてどんな冒険だって乗り越えてゆく。

 それがただの物語ではなくて、ランディに話し聞かせてくれるシオンが本当に踏破した冒険の顛末なのだと思えば、感動はいっそう募った。

 シオンは高名な冒険者だったから、吟遊詩人が唄にして語り伝える冒険も多くある。時にはそうしたカッコイイお話を聞かせてくれたこともあったけれど、その多くはほかのどんな吟遊詩人も知らないような、愉快で面白おかしい冒険譚ばかりだった。きっとランディ以外誰も聞かせてもらったことなんかない、ハラハラドキドキの大冒険だった。

 目を輝かせてシオンの思い出語りを――ランディのために語ってくれる冒険の物語を聞きながら。いつかシオンみたいな冒険者になりたいと、憧れを募らせていった。


 いつか、シオンにいちゃんみたいな冒険者になりたい!


 ランディがその決意を語ると、シオンは決まって頭を撫でながら、


「ランディがもう少し大きくなったらな」


 と。

 おおきなてのひらで、優しく頭を撫でながら、


「その時はランディが立派な冒険者になれるように、俺が鍛えてやるよ」


 そう言って最後は、だから早く眠るようにと促す。一日でも早く、冒険者として鍛えられるくらい大きくなれるように。

 そのために、たくさん食べてたくさん眠らなきゃいけないんだとシオンが言うから、ランディはまだ眠りたくなくてもベッドに入ってぐっすり眠るし、きらいな野菜だってがんばってなるべく食べる。キュウリ以外は。


 いつか自分も、シオンにいちゃんみたいになりたい。

 いつかシオンにいちゃんみたいな冒険者になって、一緒に冒険に行きたい。

 冒険の物語をめでたしめでたしで聞き終えて、重たくなった瞼を閉じて眠るたび、ランディはいつかの未来に挑む冒険を、夢の中で想い描いていた。

 夢の中のランディはシオンやフリス、それにラフィたちと一緒に冒険の旅をしていて。

 それはいつか本当に訪れる未来なんだと、ちいさなランディは心から信じていた。



 ぱちりと目が覚めた。

 がばりと体を起こしてあたりを見渡してもユイリィはどこにもいなくて、もうとっくに起きてしまっていたみたいだった。

 部屋を出て一階に降りる。

 リビング兼食堂の一番広い部屋に入ると、キッチンにいたユイリィがくるりと振り返った。


「おはよう、ランディちゃん!」


「おはよう、ユイリィおねえちゃん」


 たぶん、他の服がなかったせいだろう。昨日着ていたのと同じ、アンフィスバエナの毒で袖が溶けてしまったシオンの服を着ていた。

 だが、昨日とは明確に異なることがひとつあった。


「手、治ってる!」


「そうだよー。ユイリィおねえちゃん完全復活なのです!」


 ユイリィの右手。袖と同じく毒で溶けて鋼の内部機構が露わになっていた肘から先の右腕は、皮膚が元通り、完全に癒えていた。


「ランディちゃんが寝ちゃった後でね、フリスが置いてってくれた《魔女の膏薬》塗ってみたの。そしたらこの通り」


 二人は知らないことだが、シオンが町長のクローレンス氏に頼んでフリスを呼びに行かせた理由――それがこの《魔女の膏薬》の存在だった。

 厳密に言えば、フリスは『魔術師』でも『薬師』でもない。魔術も一通り修めているが、その本質は薬研と錬金術、附術工芸品アーティファクトの制作に精通した《魔女術》を代々受け継ぐ――そのすえにあたる一人である。


 《魔女の膏薬》はそうした秘儀の一つ。

 あらゆる負傷をたちどころに治癒せしめる、奇跡の霊薬エリクシルである。


 とはいえ、ユイリィのような《人形》の再生ならまだしも、人体や動物に用いるにはあまりに強すぎるその効果は、使い方ひとつで諸刃の剣ともなりかねない。そうした危険な代物でもあったが――この膏薬と、そして適切な処置を施す知識さえあれば、たとえ腐食の毒で皮や肉、果ては内臓や感覚器官を溶かされたとしても、十分に対処が利く。

 そして対処さえ間に合えば、元通り万全にまで治癒できる目も十分にあった。


「あれってそんなによく効く薬なんだ……」


 戸棚の隅にちょこんと鎮座する小さな陶製の瓶を見やり、心から感嘆する。

 その鼻先を、台所から流れてきた甘い匂いがくすぐった。


「もしかして、朝ごはん作ってるの?」


「もしかしなくてもそうだよ。ユイリィは強いだけじゃなくてごはんも作れます。ランディちゃんは座って待ってて」


「手伝うよ。なにかできることある?」


 ぱたぱたとキッチンに入る。

 ユイリィは料理の手を止めてそんなランディを見下ろし、そして好ましげに微笑んだ。


「じゃあ食器運んでもらおっかな。スプーンとコップ」


「お皿は?」


「これ盛りつけてから運ぶからだいじょうぶ」


 ランディは「わかった」と応じ、食器棚から言われた通りのものを食卓へ運んでいく。

 こうしてお手伝いをすることはよくあるので、よく使う食器の類はランディの手が届く高さの棚にすべてしまってあった。

 ついでに、パンを常備している戸棚から、昨日フリスと《荷運びパペットくん一号》が持ってきてくれたパンの残りを食卓に移しておく。


「できたよー」


 二人分のひらたい木皿を両手に持って、ユイリィがキッチンから出てきた。

 ほかほかの湯気を立てる朝食は――


「オムレツだー!」


 甘い香りの正体は卵だった。刻んだパセリとほんの少しの胡椒をかけた、ふわふわのオムレツだ。

 おいしそうなにおいがあたたかい湯気と一緒に鼻先まで立ち昇って、ランディは溢れかけた生唾を慌てて飲み込んだ。


「もう食べていい?」


「いいよー」


「いただきます!」


 ユイリィが食卓についたのを見届けるなり、ランディはスプーンを手に、きれいな形のオムレツを切り分けにかかった。

 端のほうの細くなったところをさくりとすくって、一口。

 一瞬、頭の中が真っ白になった。


「お味はいかが?」


「おいしい!」


 おいしさで、口の中がぶわっと膨れ上がったかと思うくらいだった。

 あまくてフワフワの卵と塩味の強いベーコン。とろとろになったほうれん草が口の中で溶けあって、ものすごくおいしい。一口するたび次々と手が伸びて、あっという間にお皿がカラになってしまう。

 あんまり急いで食べ過ぎたせいで、パンがだいぶん残ってしまった。いそいそとバターを塗って、八割方が残っていたパンを口の中に詰め込む。


「ごちそうさまでした! ユイリィおねえちゃん、本当にお料理が上手なんだ」


 シオンやフリスが作ってくれるごはんももちろんおいしいのだが、ユイリィが作ってくれたオムレツはほんとうにおいしかった。毎日でも食べたいくらいだ。


「オムレツ以外ももちろん作れるよ。シオンがいいって言ったら、今度またなにか作ってあげるね」


「うん!」


 にいちゃんたちにも食べさせてあげたいな、と思った。

 きっとほっぺたが落ちそうになって、びっくりしてしまうに違いない。


「……そういえば、シオンにいちゃんたちまだ帰ってないんだ?」


「戻ってきた気配はなかったけど」


 ユイリィは二階を見上げた。


「でも観測から漏れたかもだし。見てくるね」


 ユイリィは二階へ向かった。

 ランディはその間に、食器をまとめて流しへ運ぶ。

 とん、とん、とん、と軽やかに階段を踏んで二階へ上る足音が途切れて――ランディが食器を運び終わった後も、戻ってくる気配がない。

 ぴんと閃くものがあって二階へ上がる。


 ――案の定。

 シオンの部屋の前で、ユイリィが立ち尽くしていた。


「開かないの?」


「あ――」


 ユイリィは困ったみたいに眉を垂らした。


「客間は誰もいないの確認できたんだけど、シオンの部屋が」


「ちょっと待って」


 ランディは扉の前に立つユイリィの後ろを通って、扉を挟んだ反対側に立つと、正面の壁を――四角く切れ目の走っている場所を押す。

 すこん、と軽い音がして、ランディの足元近くの壁が一部だけ斜めに倒れた。

 しゃがみこんで手を突っ込み、その奥から真鍮製の鍵を取り出す。


「はい。これ」


「鍵?」


「シオンにいちゃんの部屋って鍵がかかってるんだ。昨日ユイリィおねえちゃんの服を取りに来た時も、これでドア開けたんだよ」


 ユイリィが「ふええぇ」と感心するばかりでカギを受け取る様子がなかったので、ランディが鍵穴に鍵を差し入れて回す。かちりと金属同士が噛み合う音がして、扉が開いた。

 部屋の中を覗き込む。ベッドと書きもの机と棚――書きもの机や棚には手帳や本、見るからに貴重な品やよく分からない小物、ほっそりしたガラスのランプ。どこもきれいに片付いていて、そしてベッドの中はからっぽだった。客間が空だったと聞いた時点でそんな気はしていたけれど、二人とも昨日は帰ってこられなかったらしい。


「ずっと見てたんなら、鍵のある場所とかも知ってたんじゃないの?」


「《棺》にいる間は、観測できたの音だけだったから……」


 ちょっとしょんぼりした感じで、ユイリィは肩を落とす。


「ユイリィの観測は《棺》の防盾シャッターで閉じてたから、《棺》に拾える『音』しかわかんなかったの。その音だって家の中ぜんぶじゃなかったし」


 もしかしたら、ユイリィも鍵があることくらいは知っていたのかもしれない。でも、仮に音しか聞いていなかったとしたら、鍵の置き場が分からなかったとしても無理はない。

 昨日から今までのいろいろでユイリィはなんでもできるみたいに感じていたけれど、案外そうでもないことだってあるのかも。

 自然に口の端が緩む。ほんの少しだけど、ユイリィのことがよりわかったような気がした。


「今日はぼく学校あるんだけど、ユイリィおねえちゃんは今日どうするの?」


「どうしようかな」


 特に何も考えていなかったらしい。思案する体で首をひねる。


「決まってないなら、シオンにいちゃんとフリスねえちゃんの様子を見てきてもらってもいい? ぼくは学校あるから放課後までなんにもできないし」


「わかった。ランディちゃんがそうしてほしいなら、ユイリィはそうするよ」


 ニコリと笑って、ユイリィは応じた。

 ランディは一度部屋に戻り、学校の鞄を持って廊下に戻る。廊下に戻ったときにはユイリィの姿がなくなっていたが、階段を下りて玄関まで出ると、彼女はそこで待っていた。


「いってきます。ユイリィおねえちゃん」


「いってらっしゃいランディちゃん。これお昼のお弁当」


「わ」


 学校のことは何も言っていなかったのに、朝食と一緒にわざわざ用意してくれていたらしい。

 さりげない気配りで満ちたお弁当の包みを受け取って、


「ありがとー! お弁当なに?」


「それはお昼のおたのしみ。どういたしましてですランディちゃん、学校がんばってね」


「うん!」


 大きく頷いて。

 玄関を飛び出したランディは、弾むような足取りで学校への道を走っていった。



 ルクテシアの他の町や村がそうであるように、トスカにも町の子供が通うための学校がある。

 王国の学校制度は大別して三段階。まず義務教育として、七歳からすべての子供が通う六年制の初等学校。続いて義務教育を終えた子供が希望に応じて進学できる、高等学校と専門学校。三年制のそれらを修了したさらにその上に、王都リジグレイ=ヒイロゥの最高学府たる《学院》を戴く。

 《学院》で卒業資格を得た者は、そのまま《学院》や国の研究機関で研究を続けたり、でなければ王都や各地の都市で宮廷魔術師や官僚として働く。市井に降りてその知恵を活かす者もいるが、さほど多くはない。


 ランディは初等学校の二年生だ。学校は町の中心に近いところにあり、隣には町役場、広場を挟んで対面には警衛の詰め所や集会場が集まっていた。中心部に公共施設が固まったトスカのような町のつくりは、ルクテシアでは都市の拡大に伴って生まれた周縁の町によく見られるものである。

 広い校庭を横切って木造の校舎に入り、昇降口から廊下を抜けて一階にある二年生の教室へ。

 ランディが教室に入ったとき、教室にはほとんどのクラスメイトが揃っていた。


「おはよ、みんな!」


 仲良しの友達――従姉妹のラフィや小柄なエイミー、無口なリテークが集まっていたユーティスの机に向かうと、集まっていた四人が一斉に振り返った。


「おはよう、ランディくん」


「おはよ、エイミー!――ねえ、今日って何かあった?」


 友達のところへ向かう間に、教室の空気がなんだか張りつめているのに気がついた。

 何か宿題かテストでもあっただろうか――と内心ちょっとだけ身構えてしまうランディに、エイミーがしゅんと肩を落としながら、「うん」と小さく頷く。

 そんなエイミーに代わってランディの疑問に答えたのは、ユーティスだった。眼鏡をいじりながら、声を低めて言う。


「森に魔物が出たって話で、大人がみんなぴりぴりしてるんだ。そのせいじゃないかな」


「魔物?」


 ランディは疑問符を浮かべる。


「それ、昨日ユイリィおねえちゃんがやっつけたやつじゃないの?」


「僕もそう思うんだけどね……」


 ユーティスもラフィもエイミーもみんな訳が分からないのか、訝しげな顔をしている。リテーク一人がいつものようにぼーっとしていて、一人我関せずで窓の外を鳥が飛んでいるのを眺めていた。


「……昨日、うちにリテークのお父さんが来たんだよね。あれ、そのせいだったのかな」


「ファリダンさんが?」


 ユーティスが食いついた。


「それ、いつの話?」


「寝る前くらい。シオンにいちゃんとフリスねえちゃんが呼ばれてった」


「シオンさんがっ!?」


 シオンの名前が出ると、今度はラフィが食いついた。猟犬みたいな勢いだった。


「そっか……シオンさんまで呼ばれているんじゃ、やっぱりタダゴトじゃないってことなのね……!」


 真剣そのもののきりりとしたキメ顔で、ラフィはひとりごちる。


「事件は――まだ終わってなんかいなかったんだわ……!」


「事件って?」


「なにふぬけたこと言ってんのランディ! 事件は事件よ、冒険者ならビビッとくる事件! 魔物が出たんだから!!」


「魔物はユイリィおねえちゃんがやっつけたじゃないか」


「知ってるわよわたしだってその場で見てたんだから! そういうんじゃなくてっ!」


「なら、どういうことなのさ……」


「みなさん、席についてください」


 先生が教室に入ってきた。

 まだ若い女性の先生だ。緩く波打つ茶髪を一本のしっぽに結んで、いくぶん頬がふっくらした顔に眼鏡をかけている。


 先生が来たのを契機に、方々に散っていたクラスメイト達はめいめい席に戻った。

 ランディも「あとでね」とみんなに一言言って、自分の席につく。教室の窓際から数えて二番目、前から二番目がランディの席だ。


「授業の前に、先生からみなさんにお話があります。もしかしたら、もうおうちのお父さんやお母さんから聞いている方もいらっしゃるかもしれませんが」


 たっぷりした赤い唇を擦り合わせるようにしながら。

 そう前置きして、先生は言った。


「今朝がた、役場から学校に連絡がありました。昨日さくじつ、ラウグライン大森林――町の東の森で、魔物が出たそうです」


 どよっ、と教室の空気が盛り上がった。好奇心が混じった明るい歓声だった。

 やっぱり昨日の話だ。たぶんだが、自分達以外のクラスメイトにもおよそのことは伝わっているのだ――森に危険な魔物が出て、でも魔物はある女の子の手であざやかにやっつけられた、と。

 ランディが訳知り顔でそう得心する間に、先生の話が続く。


「現れた魔物は既に討伐されたそうですが、まだ安全が確認されておらず、森はしばらく立ち入り禁止になります。なのでみなさんもしばらくの間は、決して森には近づかないように」


 ええー!? と、今度は不満の声が上がる。

 が、先生が眼鏡越しに一睨みすると、それもぴたりと静まった。


「もう一つ。先程、魔物は討伐されたと言いましたが、森が立ち入り禁止となったのは、討伐されたもの以外に魔物が森へ潜んでいるかもしれないからだそうです。なので森に近いおうちの方は、今日からしばらく避難することが決まっています」


 教室の空気が、少し変わった。

 魔物を見てみたいとか、すごいことになったとか、そういうふわふわした好奇心が徐々に鳴りをひそめて、緊張の気配が重たく垂れこめはじめる。


「詳しいことは、みなさんそれぞれおうちの方に聞いていただくことになりますが――その都合もあって、今日の授業はお昼までで終わりです。寄り道せずまっすぐおうちへ帰って、ご家族の方から今後のお話を伺ってくださいね」


 以上です、と話を締めくくった先生が教室を出ていくと、教室は一気に騒がしくなった。

 今度は先程のような不満の声ではなく、低く押し殺したどよめきだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る